3
「でかい神社だな」
鳥居の前に立ち、アナンがぽつりと言う。次の学校が休みの日に、四人は曜子の実家に来ていたのである。
黒と赤を基調にしたモダンな雰囲気の建物だ。建築構造は神社のようだったが、壁が木材ではないせいか、ぱっと見た印象ではそうは見えなかった。朱色の鳥居が昔ながらの、といった風情で、それで神社だとわかる、という感じだ。
「関東では一番大きいかな」
「こともなげに言うんだな」
アナンが呆れたような、驚いたような声音でいう。
「関東一ってことは日本一じゃないの?」
「出雲大社や伊勢神宮には負けるの。歴史もね」
「宮川神社の歴史はどれぐらいなの?」
「浅いよ。たった百年」
「百年は『たった』なのか……」
「だって出雲大社の創建は神代、神話の時代だもの。勝てっこないよ」
曜子はこうも続ける。
「この神社はパワースポットマニアだった宮川家の先祖が有り金をはたいて建立したものなの。だから大きいだけで由緒なんてあったものじゃないのよ。見た目の派手さと交通の便の良さとで自然と人が集まったそうなのだけれど、そういうのってどうなのかなって思うよ」
「どうなのかな、って?」
「形だけ作って、体裁だけを整えて、中身がないというか。由緒だってでっち上げに近いし。いわゆる箱モノ事業よね。成金のやりそうなことよ」
「いいんじゃないか?」
と、星桂。
「人が集まれば何かが宿るさ。日本の神様はお祭り好きだしな。立派な家を用意してくれて、ここに住んでしまおうって神様がいてもおかしくないんじゃないか」
「ここの神社の祭神は?」
アナンが聞く。
「大國主大神」
「オオクニヌシノオカミ。祭神にするなら確かに無難だな」
「大國主大神なら祀ってる神社が各地にあるから。それで由緒を多少捏造しても大丈夫だと思ったんじゃない?」
「まあそういうなよ。百年も続けばそれは歴史になるよ、たぶん」
「そうかなあ」
曜子は納得のいかないような表情だ。
「さっきちらっと言ってたけど、成金ってことは曜子の家はお金持ちなの?」
「全然。その先祖の成金はこの神社以外何も残さなかったから。家はこの神社を維持するので精一杯」
「でも曜子って育ちがよさそうだよな」
アナンが言う。
「そんなこと……」
「それそれ! 曜子は褒めてもらったときにまず謙遜するだろ。そういうところが育ちがよさそうなんだよ。他の人間は意外とそうできないんだよな。曜子は自己主張も激しくないし」
「悪かったわね、我が強くて」
「璃茉、誰も君のこととは言ってないだろ」
「そうですか!」
へそを曲げてしまった璃茉を、曜子とアナンが宥める。
「本題に入らないか」
星桂がぴしゃりという。
「はーい」
三人は気まずそうに星桂に従った。
「じゃあ私の部屋に案内するね」
そう言って曜子は三人を神社の裏にある実家を指さした。こじんまりとした一軒家だ。
入り口に立つと、曜子はドアを手で開けた。
「自動ドアじゃないんだね」
「さっきも言ったでしょ。神社を維持するので家は精一杯なの」
四人が家に入ると、曜子の母親が挨拶をした。
「あら、いらっしゃい」
そう朗らかに言って、目を細める。
「お茶を持っていくわね。お茶菓子は何がいいかしら」
「何も持ってこなくていいから」
「おかまいなく」
璃茉が頭を下げる。
「そう?」
曜子の母親が少し寂しそうな顔をする。
「勉強に集中したいの」
「そう」
曜子は会話もそこそこに階段を上りはじめた。
「いいのかい?」
アナンが小声で聞く。
「何が?」
「いや、ちょっとお母さんに対して冷たいような気がしてさ」
「別に? これぐらい普通よ。あの人はちょっと子離れが出来てないの。兄さんが家に引きこもるようになって以来、それが顕著になってきて。これぐらいでちょうどいいのよ」
「へー。そういうものなのか」
「さっ、部屋に入って。散らかってるけど」
曜子が気を取り直すように言って自室のドアを開ける。
「すごい部屋だなあ」
アナンが驚いた声を出した。
最新のパソコンが二台と、陰陽道関係の本の詰まった本棚に、膨大な量の暦の数々。星桂とアナンは圧倒されていた。
「璃茉、君は驚かないんだね」
「私は前に来たことがあるから」
「へー、そうなんだ」
「さて、始めましょうか」
「そうだな」
曜子が言うと、星桂が頷いた。
「まず、敏達天皇三年一月一日という日付を、西暦に直さないとね」
「なんで西暦に直す必要があるの?」
「西洋占星術のソフトは西暦で入力する必要があるから。それに数秘術も西暦で出すものだからね」
「そういうものなのか」
「アナン。ちょっとアンタ、クラス長のくせに不勉強過ぎじゃない?」
「うるさいな」
「アナンの専攻はタロットカードだもの。仕方ないよ」
曜子がかばう。
「そうそう、僕はタロットカードを極めているから、他の占術には詳しくなくてもいいんだよ」
「それはまた違うと思うけれど」
曜子が少し呆れた表情をする。
それに気づいたアナンはコホンと咳をたて、
「分かったよ、これから勉強するよ」
と言った。
「で、西暦に直すと何年になるんだい?」
「ユリウス暦五七四年の二月七日」
曜子がパソコンを扱いながら言う。
「ユリウス暦。今僕たちが使用している暦はグレゴリウス暦だっけ?」
「そうよ。ユリウス暦とグレゴリウス暦の違いはわかる?」
璃茉がアナンに聞く。
「それぐらいは知ってるよ。ユリウス暦はローマの指導者ユリウス・カエサルがエジプトの太陽暦を手本として制作したもの。で、グレゴリウス暦は十六世紀末のローマ教皇グレゴリオ十三世がユリウス暦をもとにして制定したもの、だろ?」
「具体的にはどこが違うんだ?」
今度は星桂がアナンに聞く。
「えっと、それは……」
「ユリウス暦は西暦を四で整除出来る年はすべて閏年としていた。これにグレゴリウス暦は、『ただし百で整除出来る年は平年とし、四百で整除出来る年のみ閏年とする』、というのを加えた。ここまではわかるか」
「あっ、ああ」
「じゃあ西暦二千年は平年か? 閏年か?」
「えっと、平年?」
少し間をあけてアナンが答える。
「二千年は四百で整除出来るから、閏年だろう」
星桂は呆れ顔だ。
「うるさいな。暦は難しすぎるんだよ。普段使わないし」
「まっ、確かに暦についてはあまり学ばせてもらえないわよね。大学に行くと専門の教授がいるそうだけれど」
「そうらしいわね。私それが楽しみなの」
璃茉の発言を受けて、曜子が微笑んだ。
「曜子は暦について詳しそうだね」
と、アナン。
「まあ、暦の勉強は陰陽道の基礎中の基礎だから。さっきの話を補足すると、地球が太陽を一周するのに要する日数は、三六五・二四二二日なのね。で、ユリウス暦の一年の長さは三六五・二五日、グレゴリウス暦の一年の長さは三六五・二四二五なの。それでさっきみたいな計算式が採用されたわけ」
「なるほど!」
「暦については研究がすごくたくさんあって、全部を紹介したいぐらいなのだけれど、本題はそこではないからやめておくね」
「うん、ありがとう」
「じゃあ占術で聖徳太子を占うとするか」
星桂が言う。
「最初は僕にやらせてくれないか」
アナンは少し間をあけると、
「タロットカードは先入観がない方がいい。結果を公平にみれるからね」
「それは一理あるわね。いいんじゃない?」
璃茉はそう言って残りの二人に視線を合わせた。
「私も異論はないわ」
「俺も」
「よし、じゃあグランホース・シュースプレッドで占おう」
「スリーカードじゃなくて? こないだはそう言ってたじゃない。ぶつぶつと」
「スリーカードは三枚しか使わないからね。この方法は過去・現在・未来をみることが出来るから、聖徳太子の生涯を三段階に分けてみてみようかと思ったけれど、さすがに三枚だけで見るのは限界がある。グランホース・シュースプレッドならどんなことでも占える上級者向けのスプレッド、だからさ。ちなみにスプレッドっていうのは占い方法のことね」
アナンはそこで一呼吸置いた。
「占う時期は聖徳太子が摂政に任じられた頃でいいかな。太子二十歳のときだね」
「聖徳太子について勉強したみたいね」
璃茉が感心したようにつぶやく。
「ああ、僕なりにね。伝記も読んだよ」
アナンはそういうと鞄からタロットカードを取り出した。
「いつも持ち歩いているの?」
「うん、クラスメイトの女の子から占って、よく頼まれるし。僕にとってはお守りみたいなものになってるんだ」
曜子の問いに、アナンが答える。
「さっ、占いに入りたいから静かにして。部屋の照明も落としてくれないか」
「わかったわ」
曜子は部屋の照明を落とした。
チェック柄のタロットが生き物のようにうごめく。
「象徴カードはコインのキングで」
独り言のようにそう言うと、アナンはカードを一枚取り出し、またカードをシャッフルしだした。軽快な音を立ててカードを切り、今度は定位置に置いていく。
「出来た」
アナンが言う。どことなく厳かな様子だ。
テーブルの上にはカード三枚ずつの束七束が、象徴カードを囲むように扇形に置かれていた。
「今回は一気にめくってみようか」
アナンを除いた三人は首を縦に振って頷いた。
「象徴カードはコインのキング。これは権力者や成功者、支配者や父性を意味するんだ」
「確かに聖徳太子のイメージと合致するわね」
「だろう? ソードのキングと迷ったんだけど、ソードのキングはもっと冷たい感じがするかなと思ってさ。カップのキングほど情緒的でもなく、ワンドのキングのように負けず嫌いでアグレッシブなカンジでもないとすると、やっぱりコインのキングかなって。コインは遺産を意味したりもするから、皇族である聖徳太子のイメージはぴったりだと思うよ」
「タロットのカードの見方を教えて」
曜子が言う。
「もちろん教えるよ! でもその前に全体のイメージだな。大アルカナも程よく入っているし、小アルカナのワンド・カップ・ソード・コインも全部同じ枚数で揃っている。少なくともこの時期においては、聖徳太子はとてもバランスのとれた心の状態だったようだね」
「大アルカナと、小アルカナって何?」
「曜子はタロットには詳しくないんだな。小アルカナはトランプの原型になったカードで、ワンド・カップ・ソード・コインの四つのスートからなる。大アルカナは、小アルカナでのみ遊ばれていたゲームを、より複雑にするために作られたカード。元々は別々に作られたものなんだ」
「へー、それは私も知らなかったわ」
「意外とみんな知らないんだよな。小アルカナの各スートは一から十までの数札十枚と、ページ・ナイト・クイーン・キングのコートカード四枚で構成されている。コートカードっていうのは人物カードのことね。さっきのスプレッドの象徴カードは、このコートカードから選ぶことになっているよ。小アルカナは十四カケル四で五十六枚。で、大アルカナは二十二枚」
「あれだけカードを切ったらもっと偏っていてもよさそうなのに、大アルカナ五枚に小アルカナの各スートが四枚ずつだものね。確かに見事なバランスだわ」
「そうだね。この各スートは火・水・風・土の四元素を表しているという側面もある。このあたりは星桂の方が詳しいかな?」
アナンが星桂の方を見る。
「そうだな。西洋占星術でもその四元素は重要だ。タロットがその時点での状況を表すのに対して、西洋占星術のホロスコープは持って生まれたものを表すから、同一だとは言い切れないけどな。四元素に惑星が程よく散らばっていれば、その人はバランスの取れた人だとみなされるよ。大体においては、な」
「数秘術にもあるわよ、四元素。名前で出すんだけどね」
「名前?」
「そう、アルファベットを数字に換算して算出するの。あまり知られてないやり方なんだけど」
「へえ。すごいね」
「陰陽道はどうなの?」
璃茉が曜子に聞く。
「陰陽道の基本は五行説だからなあ。四元素との関連は、私は知らないや」
「曜子が知らないなら、関連はないんじゃないか」
アナンが言う。
「もっと勉強しておかなくちゃね。あっ、アナン、タロットの話を進めて」
「了解」
アナンは頷くと、また語りだした。
「では今度は項目ごとにみていくことにしようか」
そう言って一番左の束を指さす。
「ソードの五の逆位置・皇帝の逆位置・ワンドのエース。ここは現在の心理を指すんだ。摂政になったころの心理としては、分不相応なプライドを持っていたようだね。もしくは自信がなさ過ぎたか。皇帝の逆位置は皇太子という立場をそのまま意味するんじゃないかな。それにワンドのエースが正位置で出ている。新しいことを前にしてすごくやる気に満ち溢れていたんじゃないかな」
「待って、皇帝の逆位置で皇太子、というのは無理があるんじゃない? 逆位置って、正反対の、って意味でしょ」
璃茉が意見する。
「僕はカードを見たときの感覚を重視しているんだ。カードを扱い慣れてくると、だんだん教科書にとらわれない自由な解釈が出来るようになる。それと補足すると、逆位置の意味は正反対というだけじゃないよ。メアリー・グリア氏は、逆位置には十二のパターンがあると整理している。即ち、①阻害されたエネルギー、②他者への投影、③遅延・入手不能・困難。④無意識的・史的、⑤新月・闇の月、⑥方向転換・現状打破、⑦否定・欠落、⑧過剰・過剰補償、⑨誤ったエネルギーの使い方、⑩Re―(再~・逆~)という単語の意味、⑪修正・治療されつつある病、⑫通俗的ではないもの・魔術的なものの十二パターンだね」
「タロットカードって奥が深いのね」
璃茉が感心したように言う。
「タロットカードも、だろ」
星桂が指摘する。
「そうね、数秘術も、西洋占星術も、それに陰陽道も奥が深いわよね」
皆がうんうんと頷いた。
「さて、説明に戻るよ。この二番目のカードの束は、現在の状況を表すんだ。カードはワンドの八・カップの二・ワンドのキングの逆位置。ワンドの八は大きな転換期であることを表す。迅速で、やらなければならないことがたくさんある状態のようだ。カップの二はパートナーシップを意味する。それと、ワンドのキングは皆を率いる人物を指す。これが逆位置をとっているから、この人物には少し問題があるように見受けられる。負けず嫌いで自信たっぷりな人のようだけれど、それが行き過ぎているような感じかな。聖徳太子についての書物を読んだんだけれど、太子が摂政になった当初は太子と蘇我馬子とが共同で政治を執り行っていたようだね。このカードはまさしくその状況を表しているよ」
「えっ、推古女帝は?」
「女帝や各スートのクイーンが出ていないから、この時期に太子とパートナー関係にあるのは蘇我馬子だけだったんじゃないかと思う。もしくは二人の共同関係を、一段高いところでまとめていたのが推古女帝だったとか。僕は後者だったんじゃないかと思っているよ」
「へえ」
璃茉が首を縦に振りながら言う。感心しているようだ。
「次の束は願望を表すよ。世界ワールド・ソードの八・コインの一」
「ワールド。すごくきれいなカードね」
曜子が口を挟む。カードの絵柄は花輪に囲まれた布を軽くまとった裸身の女性がいるというもので、カードの四隅には獅子、鷲、人、牡牛が描かれていた。
「ワールドは頂点を意味する大アルカナ最後のカードだよ。このカードが出ると占ってもらった方は必ずテンションが上がるね。他にも完成や安定、幸福といった意味があるよ。そしてソードの八は束縛からの解放を意味する。願望の位置にこのカードが出ると解釈に困ってしまうんだけど、僕はそう感じたかな」
「ソードの八ってどういう意味なの?」
「孤立する・客観的になれない・抑圧された、といったことかな。このカードが出たら、束縛やしがらみから自由になりなさい、というメッセージを伝えてくれているんだと思うよ」
「じゃあコインの一は?」
たびたび質問する璃茉。
「キャリアの始まり、計画の実行、一歩を踏み出す、こんなところかな。だからこの時期の太子の願望としては、無限の可能性と、そのための第一歩を踏み出すことが出来る喜びとがあったんじゃないかな。でも、ソードの八があることからそれだけじゃなくて、しがらみから自由になりたいって気持ちが入り混じってたんじゃないだろうか。例えば神童と謳われながら、その実何も成し遂げてはいない自分という存在から逃げたかった、とかね」
「なかなか突っ込んだリーデイングをするのね。私、アンタを見直したわ」
璃茉が驚いた声を上げる。
「それはどうも。特待生なんだから、これぐらいは出来て当たり前なんだけどね」
「でも、神童、ね。何もそんなに焦ることはないように思うのだけれど。聖徳太子はまだ二十歳なのだし」
「もう、二十歳だろ。昔の人は大人になるのが早かったんだから。子供のころから神童と言われてきて、その年まで大した事績もないのは、辛かったと思うよ」
「やけに太子に肩入れするのね」
「僕も神童とずっと言われてきたからね」
「アナンが?」
「そうさ。僕は十二歳までは我が国はじまって以来の天才だと言われてきた。日本の東大、アメリカのハーバードに匹敵するタイの王立学校の付属学校にも通っていたしね」
アナンは一呼吸置くと、こう続けた。
「僕の学力は十三歳で頭打ちになった。僕の実家は貧しくてね、いつか偉くなったら家族たちに裕福な暮らしをさせてやれると信じていたのに、それも叶えられなくなった。僕は大きな挫折感を味わった。耐えきれなかったのは、周囲の目だよ。誰もが僕に失望していた。家族も含めて、ね。中等部を卒業すると、僕は逃げるように国を出て、アストロジカル・アカデミーに入学した」
「アナンがそんな苦労をしていただなんて」
曜子がこぼす。
「だから神童と呼ばれた人の苦悩はわかるつもりだよ。聖徳太子だって、一人の人間だろう」
「そうだな」
星桂が頷く。
「だが今は課題研究の途中だ。身の上話は後にして、研究を続けよう」
「ああ、そうだね」
アナンは気を取り直したように、次の束の説明を始めた。
「この束は努力すべきこと。ソードのエースの逆位置・コインの六・審判。ソードのエースは実力行使や痛みを伴う改革を示す。これが逆位置で出ているから、それに邪魔や横やりが入るかもしれない、ってとこかな。コインの六はフェアな精神や支援すること、他人と分かち合うことを意味する。これは十七条の憲法の「和を以て尊しとなす」につながる精神なのではないかな。審判は決断や解放を表している。意味としては自分のやるべきことや、マンネリ打破、があげられる。この時期、聖徳太子は改革を目指していたのではないだろうか。それも公平な、今までの慣習を破るような改革を」
アナンはよどみなく説明をする。
「次の束の恐れのカードには、大きすぎる夢のカードが出ている。カップの七。一つに絞り込めない状態。他には人任せ、責任を負わない、など。カップの八は巣立ちの時、時が満ちる、といった状態を表しているよ。死神は終わりや再生を意味するんだけど、逆位置で出ているから、マンネリや終わらない、と言ったことを意味するんじゃないだろうか。責任を負えるか、しがらみから抜け出すことが出来るか、といったことに恐れを感じていたんじゃないかと思うよ。改革が終わらないのではないか、という不安もね。壮大な夢を持っていたのだろうね」
「このあたりはわかりやすいね」
曜子が同調する。
「近い未来はワンドの二。他者への期待や共同作業を意味する。カップの九はウィッシュカードとも呼ばれる願いが叶うという暗示のカード。目標の達成や、理想通り、成功者といったことを表しているコインの三はこれまたいいカードで、収穫の時期や、第一関門をクリアするといった意味がある。近い未来は、大アルカナこそ出ていないもののいいカードばかりで、太子の希望が叶うという暗示がある。近未来は安泰のようだ。だがそれが、遠い未来となるとそうはいかない」
アナンはコホンと咳をし、最後の束を指さした。
「最後の束は遠い未来。教皇・コインの十・ソードの三の逆位置。教皇というのは、神の代理人で、叡智や伝統性を意味する。コインの十は基盤を築く、遺産、生きてきた証、といったことを表す。ソードの三は争いが起こること、誰かに裏切られるといったことを意味する。逆位置で出てるから、これが誤って用いられたんじゃないかな」
「誤って用いられたって?」
「争いや諍いが起こるのは、必ずしもマイナスなことばかりではない。ただ、このときはそれが間違っていたんじゃないかということ。これは太子の死後に息子の山背大兄皇子が殺害されたことを意味するんじゃないだろうか」
「それはちょっと穿ち過ぎじゃない?」
璃茉が疑問を投げかける。
「そうかい?」
「そうよ。遠い未来って言っても、遠すぎるわ」
「まあ、そうじゃなかったとしても、争いを指しているのは間違いがないよ。蘇我馬子は聖徳太子とうまくやっていたようだけれど、馬子の息子の入鹿はそうではなかった。裏切られたっていうのは、蘇我氏にではないかな」
「それは確かにそうね」
「解説の続きをしよう。大胆な解釈になるけれど、教皇は太子の死後のイメージそのものなんじゃないかと思う。聖人、あるいは生き仏だと、周りの人から思われていたんじゃないかな。伝承を紐解けば、これはあながち間違ってはいないと思うよ。そしてコインの十が出ていることから、遺産を築くことが出来た。この遺産は個人的なものにとどまらない。国家の遺産として業績を残すことが出来たんじゃないかと思う」
アナンはふうと息を吐き、
「こんな感じかな。リーデイングは」
「ありがとうアナン。すごいリーデイングね」
曜子は目を輝かせている。
「いやあ、それほどでも」
アナンが顔に手を当てて照れる。
「リーデイングもそうだけれど、私アナンが聖徳太子について詳しいのにもびっくりしちゃった。勉強したのね」
「僕は本を一度読むだけで頭に入るから。速読も得意だし。関係する書物、二十冊は読んだよ」
「へー」
「まっ、僕は元神童ですから」
アナンが片目をつぶってみせる。
「はいはい」
璃茉が呆れたような声を出す。
「アナンのタロットで、聖徳太子をより身近に感じられるようになったな。聖徳太子も人間だったんだなというか、なんというか」
ずっと黙っていた星桂が言葉を発する。
「そうね」
頷く曜子。
「聖徳太子の他にも、僕は推古女帝に興味が湧いてね。ワンオラクル、一枚引きで軽く占ってみたんだ。そしたら、女帝のカードが逆位置で出た」
「それ本当なの? 出来過ぎじゃない?」
「本当だよ。ただ、僕はそのカードを見て、女帝そのものというよりは、『誤った母性』というのをインスピレーションで感じたんだ」
「誤った母性?」
「そう、推古女帝もまた一人の人間だったっていう話」
「人間であり、女であり、母でもあるよね」
「そうそう。曜子、分かってるね」
「アナンってさ」
璃茉が口を挟む。
「曜子に甘いわよね」
「えっ、そんなことないよ」
顔を赤くするアナン。
曜子は意味が分からずきょとんとしている。
「まっ、いいけどさ」
「それで、僕は推古女帝と聖徳太子の間にはこんな会話があったんじゃないかと想像するんだ」
気を取り直すようにしてアナンが言う。