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推古二十八年(六二〇年)
「またこちらに来ていたのですか」
斑鳩寺の本堂で仏を前に佇む厩戸皇子に向かって、小野妹子が声をかける。
「誰かと思えばそなたか。何用だ」
「何用だ、じゃありませんよ。厩戸皇子さまを探しに来たのです」
小野妹子は呆れた声を出す。
「国史である天皇記と国記がようやく完成したというのに、その主たる作者である厩戸皇子さまが突然馬に乗って姿をくらませて。探してくるようにと、私が大王たちから仰せつかったのです」
「そうか。悪かったな」
そう言いつつも、厩戸皇子に悪びれた様子はない。妹子は
「なぜそんな行動をとったのです? なにか気に障りましたか」
「いや、そんなことはない」
厩戸皇子は笑い顔を崩さない。
「ならどうして」
「妹子よ、私はな、現世に飽きたのだ」
「現世に? また突拍子もないことを仰るのですね」
「天皇記と国記を完成させることが、私のここ二、三十年ほどの夢であった。その夢が叶ったときに、私は虚無感に襲われたのさ」
言葉とは裏腹に、厩戸皇子はどこか楽しそうである。
「虚無感、ですか。そんなものに襲われている暇があるならばもっと大きな夢を見つければよろしいではありませんか」
「そうだな。だがその大きな夢、それが現世にはないと私には思われたのだよ」
「もっと私にもわかる様に説明して下さい」
「私は仏の道を究めようと思う」
「仏の道、ですか……。ですが厩戸皇子さまが国政から外れるとなりますと……」
妹子の言を遮り、厩戸皇子は
「私が国政から離れても、この国はもう大丈夫だ。私はやれるだけのことはやった。私の『生きた証』である国史も完成させた。もう未練はない」
と言った。堂々とした態度、決意に満ちた表情で。
「ですが他の方に何と申し伝えればよいのか……」
「他の者には皇子はこう言っていたとでも伝えておけ。『世の中は仮で空しいものにすぎず、仏のみがまことなのです』とな」
「それでは現世を忌んで世捨て人になると宣言しているようなものではありませんか!」
「似たようなものだろう」
「全然違います」
妹子が怒ったように言う。
「どう違うのだ?」
「厩戸皇子さまは数ある世捨て人のように世の中に失望したから仏の道に入ろうとしているのではありません。世の中に、現世に満足したからこそ、仏の道という新たな段階に突き進むのです」
「よくわかっているではないか。ならば異存はないな」
厩戸皇子は妹子に向かって微笑みかけた。妹子はぐうの音も出ないようだった。
「国語が苦手と言っていたわりにはよく出来てるじゃない」
璃茉が感心したように言う。
「うん、僕も面白いと思う」
アナンが声をかけると、星桂は照れた様子で
「そうかな」
とだけ言った。
「どうしてこの年に注目したの?」
曜子が聞く。
「この年はプログレス法で見ると、重要な年なんだ」
「プログレス法って?」
「プログレスは惑星の進行という意味。プログレス法は、出生後の一日間は人生の一ヶ年に等しいという考えのもと編み出された方法で、『一年一日法』ともいう」
「具体的にはどうやるの?」
今度は璃茉が問いかける。
「占いたい人の生年月日に、その人の占いたい年の満年齢を足せばいい。例えば聖徳太子四十七歳の年を占いたいなら、生年月日の五七四年の二月七日に四十七を足す。足すという表現はおかしいかな。そうだな、カレンダーを占いたい年の満年齢の分だけ進めるような感じをイメージしてもらえればいい。そうすると五七四年の三月二十五日になる。その日のホロスコープの特徴が、その年の運勢を決める」
「なるほど」
アナンが頷く。
「プログレス法で一通り見てみたんだが、聖徳太子四七歳の年には、木星と天王星の合があった。この合には財産作りの道が開けること、金銭を贈与されたり遺産を受けたりすること、協同事業やから利得などがある、という意味がある。で、聖徳太子の事績を調べたら、まさしくその通りだった。国史の編纂という共同事業を行っていた」
「国史の編纂は一人では難しいものね」
璃茉が手をあごにあてて考え込むようなそぶりをする。
「『世の中は仮で空しいものにすぎず、仏のみがまことなのです』これは有名よね。『世間虚仮、唯仏是真』。この言葉をもって、聖徳太子は世の中に失望し、仏の道に邁進するようになった、とする研究者が多いようだけれど、星桂はそうは考えなかったのね。斬新だわ」
今度は曜子が言葉をかける。
「聖徳太子の性格を考えると、世の中に失望して、ってのはないんじゃないかなと思って、な。聖徳太子は水瓶座の影響の強い人だろ。だから冒険心と知的好奇心にあふれた人だったんじゃないかな、って考えたんだ」
「水瓶座の人は基本的に楽天的だっていうしな」
これはアナン。
「よし、そろそろまとめに入ろうか」
「そうね。まとめは私がやるね。大したことしてないから」
曜子が言う。
「結局陰陽道については触れられなかったな。ごめんよ、曜子」
アナンが軽く頭を下げる。
「いいのよ。陰陽道はやっぱり難しい。大学生になったら個人的に研究することにするわ」
「大学か。進学できるといいな」
「アナンは大丈夫でしょ。成績も優秀だし。先生のウケもいいし」
璃茉が言うと、アナンは
「まあね」
と返した。
「すぐ調子に乗るんだから」
璃茉が突っ込むと、皆がどっと笑った。アナンは苦笑いである。




