10
その晩、曜子は考えた。こんなに考え込んだのは生まれて初めてといってもよかった。明確な答えを出せないまま次の日の朝を迎え、学校に登校した。
校門を通り過ぎ、教室へと向かう。廊下に璃茉がいた。友達と話しをしているようだ。
「璃茉、あの」
「後にして。放課後、コンピューター室で話しましょう」
そう言って璃茉はそっぽを向く。
曜子は黙ってその通りにするしかなかった。
最終時限の授業を終えると、曜子は意を決してコンピューター室に入った。そこには璃茉がいた。曜子はすぐさま声を上げる。
「璃茉」
「なに?」
璃茉が緊張した面持ちで曜子を見つめる。
「私、一晩考えたの。どうしても答えが出なくて。私、あなたも星桂も失いたくない」
璃茉が驚いたように目を見開く。
「曜子は欲張り、ね」
「えっ?」
「嘘よ。冗談。要は本当にバカで、正直ね」
璃茉が微笑む。今までに見たことがないくらい、その表情は柔らかかった。
「許してくれるの?」
「許すも何も! 二人はお互い両想いなんだから、私は譲るしかないじゃない。ねっ、星桂?」
そこで柱に隠れていた星桂が顔を出した。照れた表情で。
「どうして……」
「璃茉に言われて、さ」
星桂は鼻の頭をポリポリ掻いている。
「僕は認めないぞ」
同じく壁に隠れていたアナンも顔を出す。
「アナン」
「なんだよ、璃茉?」
「それストーカーっていうのよ」
璃茉が言う。
「なんのこと?」
曜子が言うと、璃茉がこう言って微笑んだ。
「曜子は本当に鈍いわね。アナンは曜子のことが好きなのよ」
「えっ」
驚く曜子。
「俺も気づかなかった」
星桂が言う。
「アンタたちって、案外似た者同士なのかもね」
璃茉はそこで小さく咳払いをした。
「と、私の方こそごめんなさい。私、星桂が曜子を好きなこと、気づいてたの。でも、自分の気持ちはどうしようもなくて。昨日のあれは、ただの八つ当たり」
「そう、だったの」
曜子がか細い声で言う。
「私こそごめん。全然気づかなかった。無神経だったよね」
「ううん。無神経かもしれないけれど、そこが曜子らしさだから」
「璃茉……。ふつう、そこは『そんなことないよ』だろ。全く、君は本当に……」
アナンが口を挟む。
「うるさいわね。女同士の友情に、男が首を突っ込まない!」
「はいはい」
アナンが面白くなさそうに口をとがらせる。
しんみりした空気が辺りを漂う。しばらくして、星桂が咳払いをした。
「研究の続きをしようか」
「そうね!」
曜子が言葉をかぶせるようにして言う。照れているようだった。
「せっかく両想いだってわかったのに、なんか盛り上がりに欠けるわね」
璃茉がぼやくと、アナンが笑って言った。
「そこが二人らしいじゃないか」
「それも、そうね」
璃茉は続けてこうも言った。
「二人の邪魔をしたら、私が許さないからね」
「はいはい、っと」
アナンがやれやれといった体で両手を上げた。
「聖徳太子のホロスコープの特徴を、僕はこう見るよ」
「なんだ、いきなり」
星桂の発言に意を介さず、アナンはこう続けた。
「まずは天王星・火星・月がタイトなコンジャクションをとっていること。次に太陽と月の合に、海王星が厳しい角度をとっていること。そして太陽と月の合に土星は調和的なこと」
「アナンって、こんなに西洋占星術に詳しかった?」
曜子が星桂の方を見ると、星桂は首を横に振った。
「曜子の気をひくために無学を装っていたのさ」
「そうなの? 気づかなかった」
「俺も」
星桂と曜子は顔を見合わせる。
「私は薄々感づいていたけど」
と璃茉。
「まっ、僕のことはいいよ。聖徳太子の研究に戻ろう」
「そうね」
璃茉が続ける。
「さっきのアナンの発言にはおおむね同意よ。詳しく見ていきましょ」
「天王星と火星についてはこの間やったよね」
「うん。もう一度復習しましょうか」
アナンの発言を受けて、曜子は研究についてメモしていた用紙を探し始めた。
「あった。以下のとおりよ。『自尊心が強く、勇敢で冒険心に富む。しかし頑固で信念を曲げない面もある。月並みでない思想や、生活信条を持ちやすい』」
曜子がそう口にすると、今度は璃茉がプリントアウトしてある聖徳太子のホロスコープの紙を取り出した。
「これに月がコンジャクション。0度で重なっているから、月の影響ももちろん出るわよね」
「0度で? 見ると惑星間で一度から三度の開きがあるみたいだけど」
曜子が言うと、星桂が説明を始めた。
「惑星間の角度――アスペクトというんだが――には、許容範囲の度数が設けられているんだ。設けないと、アスペクトを形成する惑星は本当に少なくなってしまうから」
「そうなんだ」
「許容の度数のことを、オーブっていうんだよな」
アナンが言う。
「そうだ。メジャーなアスペクトのオーブは六度から八度で、太陽と月に関しては一〇度をとる占い師もいる」
「メジャーなアスペクトっていうのは? メジャーじゃないアスペクトもあるの?」
「ああ。メジャーなアスペクトが0度、180度、120度、90度、60度だ。で、それに対してメジャーではないアスペクトをマイナーアスペクトという。150度、144度、135度、72度、45度、30度だ」
「そんなに多いんだ」
曜子が言うと、星桂は言葉を連ねた。
「実際のホロスコープリーディングで使うのはメジャーアスペクトがほとんどだよ」
「そういうものなんだ」
「アスペクトについておさらいしておこうか」
「うん、お願い。なんとなくわかっていた気になっていたんだけど、理解が不十分だったみたい」
「アスペクトっていうのは、ホロスコープ上で星と星との間につくられる見かけ上の角度のこと。ここでいう星の中には惑星と、他にも感受点などが含まれる。星と星は、その間に形成されるアスペクトによって、互いに影響を与え合うんだ」
曜子がプリントアウトされた聖徳太子のホロスコープを見る。
「太陽・月と海王星の位置関係が約90度、っていうのはわかる?」
璃茉が指を当てながら言う。
「うん。太陽と月はちょっと離れているけれど、オーブを10度でとるとギリギリで0度、というわけね」
「そうそう」
「互いに影響を与える。具体的には、どんな風に?」
「俺が説明しよう。0度、コンジャクションは互いの星の力が強められる作用を持つ。他にも星と星との位置関係が90度の角度をとることをスクエアという。スクエアは互いの星のエネルギーがぶつかり合う状態を表す。もっというと、現状を打開して新しい状況を作り出すエネルギーの源でもあるので、試練の角度とも呼ばれる」
「試練の角度! なんだか怖いな」
「でも大事なアスペクトだよ。ホロスコープ上にスクエアがない人は、葛藤が生まれにくいために自らを成長させるということがなかなか出来ない」
「そういうものなんだ」
と璃茉。
「聖徳太子は天王星・火星・月のコンジャクションを持っていたよね。これはつまり、この三天体の惑星の力が強調された性格の持ち主だった、という理解でいいんだよね」
「そうだ」
アナンの問いかけに、星桂がきっぱりと言い放つ。
「それについては前に璃茉が言っていたね」
「そうね」
「じゃあ、太陽・月と海王星のスクエアに移ろうか」
「太陽が表すのは自分自身、あるいは自分の意思よね。で、月が表すのは感情。この二つが重なっているということは?」
璃茉が曜子に問いかける。
「意志と感情の方向性が同じだから、迷いの少ない人だった、とか?」
「そうだ。付け加えると、この二天体は重要な天体だから、性格的な偏りが見られることが多い。同僚や仲間からは孤立しやすいが、新計画の実行や新生活の開始に際しては上位者からの援助がある場合もある」
星桂が口を出す。
「後半は、聖徳太子のイメージと重なるね。進歩的過ぎて、同世代とは話が合わなそう」
アナンが言う。
「この二天体のある星座や、ハウスが強調される、ということもありそうね」
「それは確かにあるよ。このホロスコープでは二天体は水瓶座にあるから、やっぱり水瓶座らしい人だったんだろう」
璃茉の鋭い発言に、星桂が少し驚いた様子で答える。
「それに海王星がスクエア、となると、ロマン的なことには縁がなかったのかな」
「縁がなかったというよりは、葛藤を感じていたんじゃないか? 夢は見るけれど現実的な部分が邪魔をして、みたいな感じだったんじゃないかな」
「でもその海王星に金星はトラインで調和的よね」
「トラインって?」
璃茉の発言に、曜子がすぐさま質問する。
「120度のアスペクトのこと。ここから先は、星桂にお願いするわ」
「トラインはバランスをとる角度とされ、安定や調和を意味する。互いの星の肯定的な力が伸ばされ、星本来の力が妨げられずにスムーズに発揮できる関係と考えられている」
「そうなんだ」
「海王星と金星の関係がトラインなら、金星の象徴するラブロマンスとは縁があったようだね」
「意外と恋愛に関してはロマンティックだったのかも」
「そうだな」
「それと、太陽と月のコンジャクションに土星は調和的よね」
「トラインで?」
曜子が璃茉に尋ねる。
「ううん、セクスタイルで」
「セクスタイルは60度。意味はトラインと似ていて、互いの影響力をスムーズに出す角度だ」
星桂が補足する。
「聖徳太子は、堅実なところがあった、ってことかな」
「そう言うことだと思う。特に、仲間選びには慎重なところがあったんじゃないかな。土星が十一ハウスにあるから」
「なるほど」
アナンはしたり顔をした。
「こんなところかな。西洋占星術でわかったことは」
「うん、ありがとう、星桂」
曜子が小さく頭を下げる。
「ねえ、星桂は小説書かないの?」
璃茉が聞く。
「私読みたい!」
曜子が言う。
「小説かあ。俺国語苦手なんだよな」
「僕も読みたいなあ」
アナンがニタニタ笑いながら言う。
「星桂、書いてきてよ」
曜子が再度言うと、星桂は観念したように
「わかったよ」
と承諾した。
「じゃあ今日はここまで。星桂、曜子を駅まで送ってあげなさいよ!」
「えっ、いいよ」
曜子が手を横に振る。
「ダメよ!」
璃茉は譲らない。
「恥ずかしいよ」
困ったように星桂が言う。
「そんなこと言って、誰かさんにとられても知らないわよ」
「誰かさんって誰だよ」
とアナン。
「さあ?」
璃茉が応える。
「わかったよ。じゃあ曜子、支度をして」
「うん、わかった」
曜子は照れたのか、顔をそむけた。
「じゃあ、小説を書いてきたらまた声をかけるから」
星桂はそう言うと、曜子と二人でコンピューター室を後にした。
しばらく経ってから、璃茉とアナンはコンピューター室から外を眺めた。曜子と星桂のあいだには少し距離があり、二人はお互い顔を赤く染めていた。
アナンはガックリきたようで、ため息をついていた。璃茉の方は満足そうである。




