第3話
テレビからは緊急速報と題して『謎の地震と通信途絶』というテロップで特別番組が流れていた。
「日本全国で同規模の地震が同時に観測されるということはあるのでしょうか」
深夜の時間帯だったからか、キャスターも呼ばれた専門家も有名では無かったが、内容が問題であった。
「それと、地震によって、通信が完全に止まってしまうこともあるのでしょうか」
今まさに、この閣議室で話し合われている内容で、官公省庁の職員の中には、この報道で何が起きているかを知るのもいるであろう。
「ありえませんね、地震というのはプレート間で蓄えられている歪が開放され、その振動が伝播することです。各地で時間差や距離によって減退もしますから、同時に同じ規模の地震というのはありえませんね」
山之内を含め室内の人間はテレビに集中する。
「通信にしても同様ですよ。巨大地震とかなら通信設備が壊れたりしますが、それにしたって代理設備くらいあるでしょ」
地震の専門家は通信関連の専門家に話を振る。
「情報化社会の現代ですから、海底ケーブルにしても一本や二本ではありません、地震の衝撃で全て切れるなんてありえませんよ」
報道の自由が保障されている民主主義国家の日本だから、山之内も報道されることは分かっていた。
「これは違いますけど、もっとごつい感じで、衛星電話の携帯があって、世界中どこでも、いつでも電話が出来るんですけど、それも使えなくなっているんですよ」
問題はいつ、どこまでの情報を、どういった風に報道されるかであった。
「衛星電話も駄目ということは、普通の地震では考えられないのですか?」
ただの地震では無かったことと衛星通信網も駄目だということまでは報道された。
「ありえませんよ。衛星電話というのは地上設備を使わずに、空気も重力も無い宇宙空間にあるのですよ。衛星に地震の影響なんてあるわけないでしょ」
間違えても駄目、遅すぎても駄目という綱渡りのタイムリミットが始まった。
「実際に私も試しましたよ。衛星電話を持っている外国の友人に自宅からも、職場からも、テレビ局からも試しましたが、衛星電話には繋がりませんでしたからね」
どうでもいいことだが、普段呼ばれない専門家は呼ばれないなりの理由があった。
「ようくん、対応はできてるかな」
山之内は北垣に対してだけは子供のころと同じ呼び方と砕けた言葉で常に話している。
「原稿の準備をさせている。これが終わったら直ぐに質疑応答無しの記者会見を開く。要点は政府は機能している、対応も出来ている、パニックになるな、の三つ」
閣議が始まる前に、北垣は要点だけ示して原稿と会見の準備を整えているように指示していた。
「助かる」
常に山之内が必要なときには、必要な準備が整えている北垣に感謝の言葉を口にする。
「それでは生温いのではないか」
今まで黙っていた谷森が口を開いた。
「引田君、総務相としてあの番組を中止して、報道規制をかけることはべきではないか」
「パニックになる」
「無理です。そもそも規制する根拠が無いじゃないですか」
北垣と引田がそろって谷森に反対する。
「公安を害する内容だからという十分な根拠があるではないか。報道するからパニックになるのだから、公安を害しているではないか」
マスコミ規制に積極的だった谷森からしたら、非常時に規制せずにどうするんだ、という思いも強く、北垣相手にも引く気配を見せなかった。
「谷森大臣、無茶苦茶です。それに国民だってバカではないんですから、テレビで報道されなくてもネットから直ぐに広まりますよ」
「なら、ネットを規制すればいいじゃないか。なに、マスコミとネットを規制する丁度いい機会だ。災い転じて福となすってやつだよ」
谷森にとっては悪の枢軸だったネットまで規制できると高笑いを始めた谷森に引田も頭に血が上り始めていた。
「谷森さん、そこまでにして下さい。報道もネットも規制しません。それに既に報道されているのですから、手遅れです」
慌てて山之内が両者の間に入って止めにかかる。
「トップが非常時に毅然とした対応をとらなくてどうする」
「規制しない、と言ったはずですよ。それに管轄の違う一大臣からの提言だけで前言を直ぐに翻すのが毅然とした対応でしょうか」
中林翔太法務大臣も止めに入る。
「法務大臣としましても、あの程度の報道で公安を害する内容とはとても言い難く、規制する根拠としては不十分かと」
形勢不利だと判断した谷森は引き下がったが、明らかな不満とやる気に見せていた。
(原田さんの懸念が的中する。確か、これをフラグが立った、と言うのでしたか)
幹事長の原田泰蔵は谷森の、平時は問題発言で済んでいるが、有事には水を得たように活力を得る人となりに強い懸念を抱いていた。
しかし、スキャンダル続きで迎えた総選挙で民自党はスキャンダルと無縁で、温厚な人柄で人気がある山之内を担いでも過半数をどうにか確保できたという苦勝であった。
そのため、谷森派のような少数派閥も重要となったのである。
閣議室に防衛省の職員が入ってきて、本田にメモを手渡した。
メモに目を通した本田が口を開いた。
「総理、本田統幕長から報告とテレビ電話の準備が出来ています。ここに繋いでもよろしいでしょうか」
「もちろんです。統幕長からの報告は千金よりも価値があることです」
山之内は快諾したことで、閣議室のテレビを職員がセッティングして、防衛省の中央指揮所にいる本多と繋がった。
「総理、聞こえますでしょうか」
「ええ、よく聞こえます。まずは報告からお願いします」
「事態は改善しておりません。情報収集としてOP-1を韓国と北方領土に向かわせましたが、韓国に向かわせた機からは朝鮮半島が目視でも確認できず、海になっているとの報告が届きました。問題は北方領土に向かわせた機で、北方領土から迎撃機がスクランブルしたのを確認したため引き返させました」
朝鮮半島が消えた、という事態に困惑を隠せないでいたが、北方領土は早急に対処すべき問題であった。
「OP-1は北方領土上空に侵入したのですか、それとも侵入前だったのでしょうか」
「侵入前で日本上空でした。昨日実施した偵察よりも遥かに手前、おそらくレーダーで探知できた時点でスクランブルをかけた、と思われます」
これに本田が質問する。
「統幕長、ロシア軍は事態をどこまで把握しているのか、この事態への日本の関与を疑っていますか。あと、今のロシア軍の戦力ではどの程度までできますか」
本田の質問の意図に、山之内に限らず、北垣までもが生唾を飲んだ。
「分かりません。推測するにも情報が不足しすぎています。過敏だったスクランブルからは日本を疑っているとも、原因不明の事態への反射とも取れます。ロシア軍の戦力もOP-1は早々に引き返したため、大型艦らしき船影や迎撃機がいるとしか分かりません」
ロシア軍は過去最大級の軍事演習を予告しており、北方領土も演習には含まれ、ロシア陸海空の増援と大量の物資が運び込まれていた。
負けは決まっているが、北海道への上陸が十分可能なだけの戦力と物資であった。
本田の質問はまだ終わっていなかった。
「統幕長、海上自衛隊の潜水艦の所在は全て確認できていましたね。それには地震発生時に潜水中だった艦も含まれていましたよね」
「地震発生時に潜水中だった潜水艦とも今も連絡が取れております」
これには山之内も顔が青くなるのを自覚でき、谷森さえも生唾を飲んでいた。
山之内は顔色が真っ青になっている久遠に、心のうちで詫びながら、新たな指示を出した。
「久遠さん、申し訳ありませんが、今すぐロシア大使館に向かって、ロシア大使と面会してください。こちらの持っている情報を全て開示しても構いません。日本も巻き込まれた被害者だと納得させてください」
久遠の顔色を見ながら、山之内自ら出向くことも考えていた。
「お任せください」
総理にそう答えてから、退出しようとする久遠に山之内が声を掛ける。
「普段なら、失敗しても私が責任をとります、というところですが、こればかりは失敗が許されません。久遠さん、何かあったり、助けが必要なら直ぐに連絡を下さい。私が出向きますから」
「統幕長、自衛隊の駐在武官とのパイプを使えるか、使えるなら外務大臣に協力させろ」
北垣がテレビ越しの本多に指示を出す。
「最適な人物を見繕い、直ぐに当たらせます。官房長」
ロシア軍にとって、北方領土の価値は計り知れないものがある。
核戦力の一翼を担っているSSBN戦略原子力潜水艦、原子炉で無限に潜り続けられる潜水艦に核弾道ミサイルを搭載した艦だ。
ロシア軍のSSBNの活動拠点の一つがオホーツク海であった。
日本が謎の事態に襲われ、外部との連絡が取れなくなっても、潜水中の海上自衛隊の潜水艦は日本と共にいて、連絡や所在が確認できた。
さて、オホーツク海にいるロシア軍のSSBNは諸外国と同じく消えているのか、潜水中だった海自の潜水艦のように今も潜っているのか、どちらなのであろうか?
ロシア軍が謎の事態を日本の仕業と考えたとき、SSBNが無事だったとき、ロシア軍は何を仕出かすか、山之内たち内閣の懸念はそこに集中していた。
なお、戦略原潜は一定期間連絡が取れない場合、本国が核攻撃を受け壊滅したと判断して、事前に定められた目標に核攻撃を加える。
クレムリンは無論のこと、本国であるロシア、のみならずユーラシア大陸の存在すら怪しい状況で、SSBNはロシア本国からの連絡を受けることが出来るであろうか。
青い顔をして出て行った久遠を見送った山之内は本多に別の質問を尋ねた。
「本多さん、ロシアのことは久遠さんとよろしくお願いいたします。
ロシアとは別件ですが、行方不明機の捜索はどうなっているでしょうか」
「行方不明機の数が多く、地震と周辺国の消失、ロシア問題などで手が足りていない状況ですが、行方不明機は残骸すら見つかっていません。
通信圏外に離れた機とは連絡がついたため、引き返すように要請して、確認できていた全機が引き返しています」
「そうですか、ロシアだけでなく捜索のほうも引き続き、お願いします。また、何か分かり次第連絡を下さい」
「了解です」
その言葉と共に、テレビからは映像が消え、真っ黒い画面になった。
テレビ電話が切れたことで一時的に無音となった閣議室で、それを待っていた官邸スタッフが戸惑いつつも声を出す。
「総理、JAXAと国立天文台からの報告が入っているのですが、えーと、星図が変わった、らしいです」
半信半疑の様子で何度もメモを見返しつつ言われた言葉に、山之内が首を傾げつつ聞き返した。
「せーず?せーずとは、何の用語でしょうか。生憎、宇宙関連には詳しくないもので、説明をお願いします」
申し訳なさそうに山之内が説明を求めた。
「星に、図書館の図で、星図です。夜空に浮かぶ星の位置を書いたものです」
これには山之内や谷森、北垣でさえも鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
山之内や谷森はだからどうした、という表情に変わりつつあったが。
「外に出れば誰でも見える」
北垣の言葉にはっと気付いた。
通信障害や同時に発生した地震は異常だったが、誰でもが分かることでも、誤魔化せないことでもなかった。
しかし、星図となると政府がどうやっても誤魔化すことは出来ない。
通信障害も実際に国際電話をかけたら誰でも確認できるが、何が原因で、どうなっているのかまでは分からないから、政府も誤魔化しようがあった。
専門家や天体マニアなら直ぐに分かるであろうし、そうでなくても星図を片手に天体観測すれば誰もがその目で分かることであった。
政府がどう頑張っても、星の位置を改めることや国民から夜空を隠すことは無理であった。
この問題については北垣でさえ、何の対策も出せず、国立天文台とJAXAに調査を依頼することで終わった。
次話も本編で、その次は閑話を入れる予定です。
ご都合主義が無かったらどうなるのか、というIF設定の話の予定です。
閑話はほぼ完成していますが、次話はまだ30字書いたところです。
2000字の当初の話を加筆修正しまくった結果、次話の展開に悩んでいます。