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小話『竹島』

 書き終わってから、始まりが深夜だったということを思い出しました。

 なので、20XX年には日韓の対立が激化して、宿泊施設を用意したという設定にしました。


 正月早々、正月とは全く関係の無い話です。

 竹島問題。

 日本国と大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国との間にある領土問題である。

 竹島は島根県に属し、日本海南西部に位置する二つの小島と岩礁からなる島であり、韓国と北朝鮮からは独島と呼ばれ韓国慶尚北道に属するとされている。

 第三国からはリアンクール岩礁と呼ばれ、韓国が武力占領して実効支配していた。

 日韓にある領土問題として、両国間で外交交渉が行われていたが、解決の目途は立っていなかった。

 韓国は本来人の居住には向かない竹島に灯台などを建設して、40名もの武装警察官を配備し、1日平均約500人の観光客が上陸する2人の住民が居住する観光地と化していた。


 しかし、日本で発生した異変が日本領土や北方領土のみならず、竹島も巻き込んだことで全てが変わった。

 異変で諸外国との連絡が途絶えたが、竹島でも同様で、駐留中の韓国警察隊は韓国本国との連絡が絶えて、入島中の韓国客とともに取り残されていた。

 微弱でも地震発生を理由にしばらく滞在を伸ばしていた観光客は鬱陵島からの船を利用して竹島に訪れていたため、無線機のみならず、GPSまで使えない状況に不安を覚えつつも鬱陵島まで戻ろうとしたが、どれだけ進もうと鬱陵島に辿り着かなかった。初めはGPSが使えないことで、迷子になったと考えていた。だが、鬱陵島どころか朝鮮半島までたどり着いているはずなのに海しかない状況に事態の深刻さがようやく理解できた。

 観光客が帰った竹島でも韓国との連絡復旧に取り組んでいたが、一向に回復せず、この時の日本以上に緊迫した事態となっていた。韓国警察隊では北朝鮮による南下が行われ、中国からの協力の有無までは不明なれども、対衛星兵器が使われGPS衛星と通信衛星が破壊されたと推測された。

 竹島にある無線設備で日本からの電波を受信でき、日本でも竹島同様に各国との連絡断絶、GPSの故障を伝えていた。

 対衛星兵器が使われたと考えるとGPSと衛星通信が使えない説明がつき、韓国本国との通信が不通となったことと併せて考えると北朝鮮の南下というのは最も妥当な説明だった。戦争となると北朝鮮による電波妨害や攻撃による通信設備の破壊は当然の作戦だ。日本でも同様の事態が発生中となると、北朝鮮の南下だけでなく、中国による全面攻撃という事態が現実味を帯び、核兵器の使用という推測も出ていた。

 さらに書くと、先制核攻撃で首都ソウルが廃墟と化して、韓国大統領はじめ閣僚と議会が全滅で政府機能が崩壊しているというシナリオもあった。

 韓国本国は全面戦争中で通信できる状況では無いという予想で今後の行動を検討し、竹島は北朝鮮も領有権を主張していたため、北朝鮮軍による揚陸に警戒して、島に備蓄してある武器弾薬の確認に土嚢などで防衛体制の構築を進めていた。

 こんな中、鬱陵島に帰ったはずの民間船が竹島に戻ってきて、鬱陵島どころか朝鮮半島が消えていたという意味不明な報告が入ったのだった。

 理解不能だったが、韓国警察隊は防衛体制の構築と並行して、観光客の一時的な収容を行った。


 幾日が過ぎても、海からは北朝鮮の艦艇は姿を見せず、韓国海軍の軍艦も現れず、日本の海上保安庁の巡視船と自衛隊の哨戒機だけが現れただけだった。

 しかし、日本から入る電波で日本の情報だけは入手できていた。それによると日本でも朝鮮半島だけでなく、ユーラシア大陸、台湾島など外国の消失を確認しており、日本以外が消えたということであった。

 初めは欺瞞工作と思われたが、民間船からの情報とも符合するため、半信半疑ながらも韓国が消えたという状況で今後を検討しだした。

 とりあえず、在日韓国大使館に連絡を取ろうとしたが、直通での連絡が不可能だったため、日本に通信の中継を要請することとなった。

 はじめは日本も人道的配慮から連絡の中継や食料などの援助も行われたが、徐々に明らかになっていく状況と世界が元に戻る目途が全くないことに気付き始めた頃から対応が変わり始めた。

 最初は通信への返答が時々無くなる程度だったが、何を言っても韓国外務省を通して日本国外務省に外交ルートで連絡するようにという定型文が帰ってくるようになった。

 東京でも大使への対応がおなざりになり、日韓の領土問題だから決定権を持った韓国政府との正式な会談を求めるという出来ない要求だけ出され、韓国大使の要求する竹島への援助は無視された。

 日本政府は日々明らかになる絶望的な状況に竹島とそれに付随するお荷物を抱える余裕は無いとして、韓国が韓国領土だと主張するなら自助努力で乗り越えてもらおうという方針を山之内が打ち出した。

 しかし、保守派を中心に今こそ奪われた領土を奪還する絶好の機会を見逃すなという声と竹島にいる無辜の民を見殺しにするなという声の両方が高まり、両者は最終的な目標こそ違うが、竹島を意図的に無視する山之内への批判と竹島を議題に挙げるという手段は一致していたため協力関係にあった。

 また、竹島がある島根県でも絶好の機会でも動かない政府に業を煮やして、県議会では政府への竹島返還交渉を要求する決議が出され、知事は上京して山之内との面談に臨んだ。

 山之内はのらりくらりとした返答で知事を煙に巻き、国会でも竹島問題を議題に挙げさせなかった。

 山之内からしたらまだ相手に余力をたっぷり残っている今から交渉を始めても足元を見られるだけで、慌てる乞食は貰いが少ないのだ。待てば海路の日和ありと、時間は日本に味方しており、人の居住に向かない島で500人ほどの人がいるのだ。時間が経てば、竹島は地獄絵図に変わり、日本から始めなくても、向こうから尻の毛まで抜いて差し出す交渉を持ち出してくる。

 日本は他の優先問題に取り組みつつ、相手が根を上げるまで待てば良かった。

 だが、山之内の計算違いは日本側の交渉役兼竹島問題の責任者に任命した外務省の外交官が山之内の意図も理解したやり手だったが、竹島奪還と韓国からの譲歩という外交的利益を優先し過ぎてしまった。これにより、相手を追い込み過ぎ、相手が思い詰め過ぎてしまい自滅までいってしまったことだった。

 本来なら追い込みすぎると暴発するから、逃げ道を用意するのが定石だったが、韓国本国がいない今の状況だったら暴走されても怖くは無かった。

 竹島奪還と韓国からの譲歩という外交的利益にはとことんまで追い込んで、向こうから交渉を持ち掛けさせて、こちらは譲歩を引き出せるだけ引き出すのが正解だった。だが、竹島をとことんまで追い込むということはどういうことで、それによる不利益を考えると不正解だった。


 竹島からの連絡にお役所的な対応しか取らず、援助を打ち切りという対応が始まりだった。

 最初は保守派も島根県もこの対応には賞讃すらしていた。何をやられても唯々諾々と相手の望むままに差し出す対応に不満を蓄えていたためだった。

 だが、竹島から竹島で起きている惨状を伝える通信が入り、それと直に接する島根県が政府の対応を批判し出した。

 しかし、政府は異世界の発見と接触など異世界問題でてんてこ舞いで、竹島問題などに関っている暇は無かった。山之内も島根県からの抗議を現地の責任者に伝えて、対処するように命じるだけだった。命じられた現地責任者の取った対処が無視だった。島根県からの抗議に応じる義務は無いとして、一切を無視した。

 東京の韓国大使館では非公式に接触が行われたが、韓国大使館側では竹島は韓国領だが、日本は人道上の責任から援助する義務があるとだけ伝えてきていた。大使館と竹島との接触が絶たれたことで、大使館は竹島の状況を完全に無視した対応をし続けていた。

 これに最初に根を上げたのが竹島だった。

 竹島から日本まで泳いででも渡ってくる人が出始め、保護どころか亡命希望までいた。だが、彼らは幸運なほうで、途中で力尽きた人も多く、浜に打ち上げられて遺体が回収できるならまだマシで、回収すら出来ないことも多かった。

 そんな中、武装警備隊から選ばれた使者が島根県に上陸して、保護と交渉を求めたのだった。

 島根県は竹島からの亡命を受け入れ保護し、国を無視してでも独自の援助を検討していたが、使者の上陸とあっては国を無視することは出来なかった。

 食事どころか水も満足に摂取しておらず脱水症状に極度な衰弱が見られたため、医師による治療と食事が出されていた中、責任者の外交官が現れ、出された食事を蹴飛ばして敵に施す物は無いと威圧したのだった。竹島からのメッセージの一切は正式な外交ルートでは無いとして一切を無視して、東京の韓国大使館まで連れて行った。

 その道中で韓国大使館の姿勢を教え、それに対する日本側の強硬姿勢も伝えた。

 その韓国警察官は大使館で大使相手に竹島の現状を説明し、強く日本側に譲歩するように迫った。この晩、韓国大使館周辺からは銃声らしき音がしたという110番通報もあったが、韓国大使館はウィーン条約を盾に日本警察を拒み、爆竹の音だと説明した。

 翌日には顔が腫れ、青あざを作った大使が日本政府に竹島の返還と竹島にいる不法入国者の引き渡し、その他多くの譲歩とともに竹島の救援を要請してきた。

 武装警察隊の指揮権は日本に譲渡、観光客は不法入国者として逮捕され、竹島にある一切を日本に無条件に返還された。また、それ以外にも韓国大使館が把握している日本人協力者の名簿や在日韓国人の資料、北朝鮮関連の資料など多くの重要情報が日本当局に引き渡された。


 日本としては竹島を管理する余力は無かったため、竹島から救助した後は放置することとなったが、救助に訪れた海上保安庁の海上保安官が目にした光景は予想を上回る地獄絵図だった。

 竹島からの通信で食糧不足や水不足は把握されていたため、栄養不足や脱水症状の患者が多くいることは予想されていた。このため、海上保安庁も食事や水を用意して、専門医もかき集めていた。

 だが、竹島で待ち構えていたのは共食い一歩手前の極限状態だった。

 竹島はもともと人が住めるような環境ではないのにそこに500人ほどの人がいたのだ。蓄えられ、初期に日本から送られた援助物資は早々に底に尽き、水も不足し始めた。食料の配給量を減らしても減る速度が変わるだけで、本来なら食料とならない紙や草、木、土といったものまで食べて飢えを凌いでいた。

 こうなると老人や子供、女性といった体力の無い順に命を落としていった。

 海上保安庁に竹島救助が命じられたころには残った食料が遺体だけで、共食いを迫られる状態になっていた。

 もしも一日でも遅かったら彼らはそこまでやっていただろう、と同行した医師は語っている。

 後に、竹島事件と呼ばれることとなるが、あまりの惨状に国と島根県では慰霊碑を建立して、犠牲者の冥福を祈った。山之内も犠牲者に哀悼の意を示し、やり過ぎたことを認めた。

 山之内政権と国に暗い影を落とし、地方自治体と国との間に溝を作った一連の事態は目先の利益に釣られて、より大きな損害を被った事件と知られることになった。

 一連の不祥事の責任は責任者だった外交官にあったが、山之内の任命責任も問われた。ここで政権が崩壊しなかったのは誰もが火中の栗を拾うことを拒んだためだった。与野党では山之内以外の誰が政権の座に就いても事態は好転しないことは分かっており、それに今は一致団結して国難に挑むべき時で、政争に明け暮れている時では無いことでも一致していた。

 日本建国以来の国難の時だったからこそ、山之内政権は首の皮一枚で繋がった。

 だが、国民からの支持は大きく失い、脅迫状が届くことも珍しくなくなっていた。

 次はまた章が変わります。

 物語的に多少手心を加えないと不味いぞということで手心を加えて書いてはいます。

 ですが、予想していなかった想定外の事実を知って困惑しているところです。

 書いていて、実在の企業や製品はどこまで書いていいのか悩んでいます。

 企業名はOKなのか?、その企業を登場人物にしてもいいのか?、どういう扱いまでなら大丈夫なのかというのかで悩んでいます。


 この話を書くのに、竹島についてちょっと調べたのですよ。

 韓国政府によると入島者数は一日平均805人(2013年9月時点)で、2013年全体では約25万人。

 2015年は約18万人となっていますから、武装警察隊と合わせて約500人という設定にしました。

 武装警察官が40人もいるというのもビックリですけど、500人もの民間人を領土紛争になっていて、紛争相手国の目と鼻の先にある居住できない島に滞在させるということにリスクを感じないのでしょうか?今の日本の姿勢は絶対に変わらないという思い込みでもあるのでしょうか。

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