第1話
20XX年4月1日深夜
新年度が始まった深夜に突如として、地面が揺れた。
地震である。
内閣総理大臣、山之内角兵衛は総理大臣官邸で休んでいた。
前日の執務の疲れを癒すべく、山之内が人生の楽しみと公言する飲酒を楽しんでいた時に、強い揺れを感じたのであった。
山之内は日本人であり、日本の総理大臣である。
すぐに地震だ、と気づき、揺れが強かったこともあって、部屋着から仕事着に着替えながら、やるべきことを脳内でリストアップしていった。
地震情報を確認できるようにと点けたテレビからも公営放送のニュースキャスターが突然の揺れに慌てながらも、余震と沿岸部では津波被害に警戒するように呼びかけていた。
『国民の多くが寝入っている深夜の地震とは、震源が近くであってくれればいいのだが』
キャスターの声を聞きながら、山之内は地震や津波による被害の大きさを心配していた。
千代田区永田町の総理公邸で強い揺れを感じたのである、もしも公邸から震源が遠かったら、被害や規模もより大きなものになってしまう。
テレビからの情報にそう考えながら、同時にあることにも気づいた。
一向に緊急地震速報が流れないことに気づき、不審に思いつつも、山之内の政治家としての意識からの言葉を感じていた。
『これは野党やマスコミから追及を受けるな』
山之内も総理大臣にまでなる男であるからには、そういった政治的な本能も兼ね備えていた。
着替え終わっても、補佐官など総理を補佐する総理官邸のスタッフからも一切のほうれんそう、報告、連絡、相談が無いことにも問題意識が芽生えていた。
総理大臣官邸に入れば、何かしらの情報が入っているだろう、と山之内は考えて、公邸から庇で繋がっている官邸に移動するのであった。
後年、山之内や与党民自党はこの日について、さっさと解散総選挙をして野党に負けておけば良かった、と後悔することになったが、この時はまだ単なる地震であった。
総理が地震への対応に挑んでいたとき、別の場所でも地震によって大問題が引き起こされていた。
空港の管制官は強い揺れを受けて、滑走路の点検などの必要性から、着陸前の全ての航空機に旋回待機を、地上の機体は駐機しておくように指示を出し、空港の職員には滑走路の点検を急がせるなど忙しくなった。
空港以外の航空管制官は更なる問題に直面していた。
日本に向かっているはずで、先ほどまで連絡が取れていた航空機との連絡が取れなくなったのであった。
その時は、まだ、強い揺れで無線施設が故障したと思い、別の管制に協力を要請していた。
しかし、日本上空の航空機とは連絡が可能で、別の管制や違う無線機、上空の航空機、様々な周波数を試しても、連絡不能の航空機との連絡は回復せず、ようやく緊急事態の発生だと気づいて、国土交通省に報告が上がったのであった。
日本国外に向かっていた航空機からは日本以外からの無線標識をロストしたという報告が相次いで届き、日本を離れてからはあるはずの陸地が見つからない、とINSの故障を報告する連絡と誘導の要請が連続した。
航空管制は続出する緊急事態と誘導要請、地震による空港の一時閉鎖でパンクしていた。
現代は世界中の通信網は繋がり、日本の夜は別の国の朝であり、企業も昼夜関係なくなっていた。
そんな現代日本で外国と取れていた通信が地震と同時に突然切断されて、ニューヨークやロンドン市場などとも取引が出来なくなった。
通信の切断によるシステム障害を理由に全ての金融取引が中止となった。
民間以外にも、シギントを行っていた自衛隊情報本部も外国からの電波情報が一部を除いて、一切が傍受、そもそも受信すら出来なくなり、外務省も在外日本公館や外国政府との連絡が取れなくなっていた。
日本政府以外も外国政府の在日公館も突然の地震と本国と連絡が取れなくなったことについて外務省に問い合わせが殺到していた。
まだ日本各地で起きた騒動について総理は知らないまま、官邸へと入り、待機していた職員に地震の被害や対応状況を確認するのであった。
「えー、地震については情報を精査中といいますか、何と言えばいいのか、気象庁も私どもも少々混乱しているところでして」
要領を得ない、別の場所なら満点の回答を返されて、これも後々叩かれますね、と思いつつも顔には出さずに返事をする。
「まずは落ち着いてください。精査前でも構わないので上がっている情報を教えてください。あと、気象庁に地震速報が機能しなかった理由についてもまとめさせておいてください」
「えー、あのー、これは地震速報が機能しなかった理由にも繋がるのですが、日本全国で一斉に観測されており、震源をあえていうなら日本全土が震源というデータになっておりまして、現在、気象庁の職員が全力で復旧と原因の究明に務めておりますので、少々お待ちいただけたらと」
山之内がこれは何かがおかしい、と感じたのはこの瞬間であった。
「各地でも地震が観測されたのですか」
「はい、南は沖縄、北は北海道に至るまで各地で同規模の地震が観測されています」
明らかにおかしい、ここまでおかしい事態に山之内も一瞬だけだったが呆然となった。
すぐに我に返った山之内は目の前の職員はどうしてこんな対応が出来ているのか、不思議に思ったが、今はそれを追及している場面ではなかった。
「取り急ぎ沿岸部の津波予測と避難状況を確認してください、あと、全閣僚に集まるように伝えて置いてください」
職員に指示を出した山之内はその足を総理執務室に向けた。
執務室に着いた山之内は防衛大臣の本田敦から電話がかかってきたのである。
防衛大臣の本田もこの日は既に防衛省から自宅に戻って休んでいたところであった。
本田は寝つきの良さが自慢であった。
例え、地震が起きようとも、平然と寝ていられる胆の持ち主であった。
このことが野党からは攻撃の対象となり、マスコミからも叩かれ、山之内の任命責任という言葉も出たのであった。
『日本が攻撃を受けたとき、自衛隊を統括する防衛大臣が寝ていてどうすんだ』
IFの話、仮定の話を根拠に責められる山之内や本田からしたら、仮定と事実の混同をするな、という思いでいっぱいであった。
そんな本田であるが、強い揺れでも起きずに平然と寝続けていたが、長年連れ添っている妻の和子により起こされていた。
起きた本田は妻から地震発生を聞き、直ぐにテレビを点けて、防衛省に電話を掛けて、何か分かり次第、連絡を入れるように伝えた。
それから時間を置かずに、別の電話が本田のもとにかかってきたのだった。
電話の相手は本多直人統合幕僚長であり、開口一番に非常事態の発生を告げていた。
おそらく、本田が閣僚の中では最初に事態の異様さに気づかされ、日本の中で最も全容を知っていた一人であった。
「防衛大臣、非常事態が発生しました。すぐに動けます、ご命令を」
公私を問わずジョークを口にしては場を和ませるのが好きな粋人でもあり、本田とは本田と本多、読みが同じで、同い年でもあったため公私を問わず個人的な友人でもあった。
そんな友人の、初めて耳にする、自衛官としての声であった。
普段は防衛大臣などという役職で呼ばずに、本田さん、と呼ばれていたこともあり、これは非常時だと理解して出した返事は硬く、震えていた。
「統合幕僚長、命令の前に事態の説明をしてください」
「本日0102時に日本全土で地震が一斉に発生しました。全国の部隊から同時刻に同規模の地震発生の報告が届いているので間違いありません。各部隊から衛星通信を中心に通信機器の故障、ならびに、レーダーサイト、情報本部などからも機器の故障、という報告が届いております」
謝りもせずに、必要な情報だけを簡潔に伝え、情報源も明かして間違いのない事実であることも伝える。
本田もこの報告で、何が起きたのかは分からずとも、異常事態の中でも異常事態だということは分かった。
「ただちに災害派遣を、自主派遣という名目で構いません。それと幕僚長の必要と思われる措置も許可します。これらの処置は私の権限と責任で処理しますから、事後報告で構いません、ただし、重大な事柄についてはその都度連絡を入れるようにしてください」
「了解しました」
「私はこれから官邸に向かうので、連絡はそちらにお願いします。頼みますよ、本多さん」
「任せてください、本田さん」
防衛大臣と統合幕僚長の会話を終え、最後に友人として言葉を交わしてから電話を切ったのであった。
電話を終えた本田は官邸に電話を掛けて、防衛大臣として自衛隊からの報告と他省庁からの情報を求めたが、向こうも混乱しているらしく実の無い電話であったため、総理に繋ぐように指示した。
長年連れ添った妻が電話の間に着替えとお握りとお茶を用意してくれていて、公用車も回してくれていた。
電話を片手に妻の手を借りて、着替えと食事を取る本田であった。
山之内はようやく同じ心境にある人と会話ができ、本田と自衛隊の情報と気象庁の情報を共有したことで事態は機器の故障などではないことがはっきりした。
自衛隊から届けられた、我が国の防衛を支えるレーダーサイトなどの監視網や通信手段、情報収集手段が機能不全を起こした、という報告と本田の統幕長への全権委任といういうべき行動には山之内も胸を打たれるものがあった。
本田に閣議を招集しているから、直ぐに来るように伝え、何か分かり次第、官邸にも同じ情報を上げるように自衛隊に指示を出すように伝え、防衛出動のような重大事を除く、総理の権限が必要な案件に対して、本田の判断に一任するという指示を出して電話を終えた。
山之内が次の指示を出そうとしている中、秘書官が乱暴なノックで執務室に入ってきた。
「総理、緊急です」
今日も始まったばかりなのに、何度目かよく分からない緊急であった。
すでにおかしな地震が起きた時点で緊急でしょうにと思いつつも、落ち着くように手振りで示した。
「深呼吸してから、ゆっくり構いませんから、順序立てて冷静に報告してください」
秘書官の慌てようからとんでもない事態であることは明白だが、慌てさせて要領を得ない説明をさせるよりも、一呼吸置いてからゆっくり説明させるほうが重要であった。
「ふーはー、ふー、はー、総理、外国市場との通信が切断したため、金融市場が混乱しています」
山之内は意識を失いかけるほどの衝撃を受けて、何をどうすればいいのか、分からなくなりつつあった。
「・・・まずは、そうですね。総務省と連携して至急、通信障害への対応をしてください。市場に対しては金融庁と事態の把握と対策、あとはなにが可能なのかについても確認してください」
山之内は人生最悪の日の始まりを実感しつつ、指示を出していく。
山之内は指示を出しつつも、金融市場の混乱の原因と自衛隊からの報告の奇妙な類似性に気づいた。
「あと、防衛省とも通信障害について情報共有を」
慌てていた秘書官は深呼吸してから山之内に報告して、山之内から指示を貰ったことで行動目的が明確になり、落ち着きを取り戻していた。
落ち着きを取り戻したからこそ、山之内の防衛省との情報共有という指示に首を傾げた。
「ああ、これはもしかしたら何かしらの繋がりがあるかもという私なりの直感です。直感で振り回してしまって申し訳ありませんが、情報を共有しておいて損するものでもありませんからね」
国立天文台、天文学の研究機関である。
各地に観測所があり、夜こそが観測の本番となる組織でもあった。
そんな機関であったからこそ、地震発生時も天体観測の最中であった。
一旦は外に非難して、余震の心配が無いことから、屋内に戻って、観測機器や建物に地震による影響が無いか、確認をしつつ、職員たちは観測の続きに戻りたがっていた。
そんな確認作業の合間に休憩がてら外に出た職員は好きな夜空を見上げて愕然とすることになる。
職員は大急ぎで屋内に戻り、2・3人の職員を連れて出てくる。
連れ出された職員も空を見上げて、愕然とした表情を作り、大急ぎで戻り、上司やより多くの職員を連れ出すことを繰り返す。
各地の観測所で同様の光景が展開されていた。
JAXA宇宙航空研究開発機構、日本の航空宇宙開発の心臓部ともいえる研究機関である。
ここでも地震による不具合と格闘していた。
日本が打ち上げた衛星の管制が出来なくなり、国外の宇宙機関との連絡がつかなくなっていたため、協力を要請することも出来ない状況であった。
衛星通信事情者など、衛星の利用者からもトラブルの連絡が相次ぎてんてこ舞いの状況であった。
こんな中、国立天文台から一本の電話がかかってきた。
「星図が変わっているが、そちらでも確認していますか」
電話に応対した職員は、猫の手も借りたいほど忙しいなか、かかってきたいたずら電話に社会人としての常識を捨てて切れた。
「あなたね、こっちがどれだけ忙しいか分かってるの? 地震で観測が出来なくなって暇になったからついやったとしてもやっていいことといけないことくらい分かれよ」
国立天文台も訳が分からない事態に混乱して、とりあえずJAXAに確認を、と思って電話を掛けたら、切れられたのだから、混乱が限界を超えて切れ返したのだった。
「冗談なんかじゃない。星図が変わっているんだ、そっちでも確認してくれ」
JAXA職員は苛立っていたとしても、相手がパニックになって怒鳴り返され、逆に冷静になった。
「星図が変わる訳ないでしょ。見間違いではないですか」
「見間違いなんかじゃない、外に出て確認すれば分かる。確認したら折り返してくれ」
「分かりました。じゃあ、確認したら折り返しますね」
電話が切れた後、煮詰まった頭をほぐすためにも一度外に出ることにした。
そして、各地の天文台と同じ光景がJAXAでも始まった。