第4話
巻きで進めていきます。
食事を取りながら、両者はお互いの情報を得ようとあれこれ質問し合っていた。
日本とはどこにあるのか、どういった国なのか、マランギ王国とは、至高教の教義は、などそこに住んでいる人ならば知っていて当たり前の基礎知識の交換であった。
海上自衛隊というのは外交団の名前ではなく、日本国の水軍という訂正もここで行われた。
食事は長時間に渡ったが、多くの大皿に盛られた食事は減っておらず、互いに会話ばかりの会食だった。
会食後の会談でも日本とマランギ王国、至高教の基礎知識の交換で終わった。
至高教を最高権威とした封建制度のマランギ王国に象徴君主制の日本とでは社会制度から一般常識に至るまであらゆる点で異なっていた。
今後の交渉に必須の大事なことだったが、後々にまで影響を与える埋伏の毒まで渡されていた。嘘ではないが、勘違いさせられていた。
窓から入る光も陰り、日も沈もうという頃合いになり、お開きとなった。
「名残惜しいですが、日も暮れましたから、続きは翌日ということで」
会場である聖堂の主だったため、この日の会談の議長を務めたエリックが会談の終了を告げ、翌日の予定についてに話が移行した。
「翌日ですが、本日の会食の返礼もしたいですから、翌日は『いずも』にお越しください」
杉山からの提案だった。
「杉山殿からの提案ですが、ジーリーコ伯、マダカス様、トーニョロ卿はいかがでしょうか」
「儂はあの巨船を見た時から一度で良いから見てみたいと思っておったゆえ、こちらからお願いしたいくらいだ」
「私も異存はありません」
「余も同様である」
もとより『いずも』の中まで見ておきたかったがために、食事を振舞って返礼として今度はそちらで、という風に会話を繋げる気だったから、杉山の提案は渡りに船だった。
「では、翌日の会談は『いずも』ということで。時間は本日と同刻でよろしいでしょうか」
「私は問題ありませんが、石川さんもそれで問題ないでしょうか」
「問題ありません」
日本と異世界の最初の会談は互いの紹介で終わったが、最後に日本からの反撃があった。
「帰る前に最後にお願いがあるのですが、聖堂前の広場を開けてもらえますか」
杉山からのこの要請には誰もが首を捻りつつも了承された。
もともと広場はこの日のために物は撤去され、清掃されていたため、広場で待機していた重騎士たちを下がらせるだけだった。
その間に杉山は石川と内密の話をしていたが、石川は反発しつつも了承し、『いずも』と無線で連絡を取り合った。
マダカスらは杉山からの要請も気になっていたが、目の前で行われている運搬可能なサイズの通信機に興味津々だった。
聖堂から出てきたときには日は沈んでしまい、松明の火が辺りを照らしていた。
「杉山殿、頼まれたとおりに広場を開けましたが、何があるのでしょうか」
「迎えを呼んだので、そのためのスペースを開けてもらっただけですよ。ですから、誤解されないようにお願い致します」
誤解という言葉に警戒しつつも、何があるのか興味深く見守っていた。
遠方から音が近づいてきて、徐々に大きくなる音に周辺にいる重騎士の騎馬たちが嘶き、騎乗した騎士たちも馬を制御を失い落馬せずにしがみ付くので精一杯という騎士たちもいた。
『いずも』から発艦したSH-60Kが広場に風と轟音を響かせながら現れた頃には、制御を失う馬や慌てる騎士たちに広場は混乱のるつぼであった。
「それでは、また翌日」
杉山の挨拶にジーリーコとエリックはどうにか表情を取り繕っていたが震え声で応え、マダカスとトーニョロは孫の悪戯に引っかかった老人のような微笑を浮かべて挨拶を返した。
「最後の最後でやられたな」
「甘く考えておりました。明日の予行練習と考えておくべきでしょうな」
「しかし、連中は魔術について何も知らないということはハッキリしたな。使えるのは今のうちだから、やり過ぎないようにやっておくぞ」
マダカスはトーニョロとの会話を終えて聖堂内に戻り、トーニョロは今も混乱が続く広場に鎮めに向かった。
『いずも』に場所を移してからは具体的な外交会議を行うための手続きや双方の外交慣習の確認作業に入り、ウェストフォーレン協定書と呼ばれることになる日本と異世界との初の条約が締結された。協定書の内容は日本にその日の内に伝えられ、文書も迅速に日本まで空輸されて即日国会で承認され協定書は発効した。
ウェストフォーレン協定書は双方の国家の承認が行われ、マランギ王国及び至高教との国交と通商を結ぶことを目的に外交交渉を開始することを宣言した文書であった。
国交と通商を開始するための外交交渉を日本の首都である東京で行うため使節団の派遣も明記されていた。
ウェストフォーレン協定書は日本が正式に地球以外の国家の存在を認めた最初の条約でもあり、外交上の摩擦を招くことになった条約でもあった。
ウェストフォーレン協定書が発効した翌日の首相官邸では山之内が協定書を読み返していた。
外務省では来月を予定したマランギ王国からの使節団受け入れ準備を急ピッチで進められていたが、山之内は協定書に目を通して以来、協定書の文言に言い知れぬ何かを感じていた。
初めは地球の条約に慣れた感覚が異世界の外交文書に違和感を感じているだけだと思ったが、何度自分に勘違いだと言い聞かせても政治家として直感が違和感を伝えていた。
素直に読めばウェストフォーレン協定書は日本とマランギ王国が国家の承認を行い、外交交渉を行うための外交特権や今後の交渉について書いてあるに過ぎない。
『日本国とマランギ王国とマランギ王国西部において独立した自治権を有し、マランギ王国を構成する貴族の連合体であるマランギ王国西部貴族連合とマダカスをマランギ王国における代表者とする至高教との間で国交を結ぶことを目的として、次のとおり締結した。』
『第一条1 日本国はマランギ王国が独立した国家であることを確認し、これを承認する。
2 日本国はマランギ王国西部貴族連合がマランギ王国内の独立した自治体であることを確認し、これを承認する。
3 日本国はマランギ王国における国教が至高教であることを確認し、これを承認する。
4 マランギ王国、マランギ王国西部貴族連合、及び、至高教は日本国が独立した国家であることを確認し、これを承認する。』
山之内が特に気になるのは上記の文言であった。
ウェストフォーレン協定書の制作過程は異世界独自技術である魔術を用いた翻訳を使って口語でのやり取りを文書に書き写すというやり方であった。
日本政府は日々減っていく備蓄に外交関係の樹立を急いでいて、相手の言語もまともに理解していない段階で条約締結を行っていた。それが山之内に言い知れぬ不安を与えていたが、協定書ではマランギ王国の公用語であるマランギ語と日本語を等しく正文として扱っているため、片方だけを書き換えられるという心配は無かった。
山之内は協定書を最後まで読んで、また最初に戻って読み返し、適宜、マランギ王国と異世界について収集した情報を纏めた報告書も読みつつ何度も繰り返し読んでいた。
『この協定書にマランギ王国の中央からの役人はいるのでしょうか?』
何度も読み返し、協定書に署名した署名者の姓名と役職まで読んだ時、ハッと気付いたのだった。
『マランギ王国西部貴族連合代表、並びに、マランギ王国西部守護職ジーリーコ・フィリオン伯爵』
マランギ王国の代表者として署名したジーリーコはマランギ王国から与えられた正式な役職であるマランギ王国西部守護職を名乗っていた。マランギ王国西部守護職という肩書から王国政府から一任された外交官だと日本は思い込んでいたが、山之内は議事録を読み返しても王国政府の正式な外交官という発言は見つからなかった。
『地球でいえば中世程度の文明だから、王都から外交官を派遣することが困難だった?いえ、それならマダカスという神官がここにいるのがおかしい。国教の代表者が来れるなら、王国政府からの役人も来るはずです。いえ、それ以前に前文の至高教はマランギを代表者とする至高教なのに、第一条の至高教は至高教となっているのは何故?ここの部分はマランギ語ではどうなっているのでしょうか?魔術による翻訳ではニュアンスはどう訳、そもそもどうして原理も分からない技術を使った協定書を信頼したのでしょうか?』
違和感の正体の一つに気付けば残りの違和感の正体も連鎖的に判明していった。
『もしかして至高教が国教というのは正しいのでしょうが、いくつもの宗派があるのではないでしょうか?西部貴族連合とマダカスを代表者とする至高教は王国政府との関係が思わしくないのでは?そうなるとこの協定書はマランギ王国にしてみたら日本は思わしくない関係の相手の独立自治を承認するようなことをした?翻訳魔術ももしかしたら明確な穴があって、本来なら外交文書に使える技術では無いのでは?』
山之内はとんでもない猛毒が仕込まれた協定書を受け入れてしまっている可能性に今更ながら気づいたのだった。
気付いた以上は無視できないが、承認してしまった以上は再交渉することも出来ず、久遠外務大臣と北垣官房長官に電話して、事後策を協議することとなった。
意図的かは置いておいて、誤訳や訳し方で同じ条約なのに意味が違っていることはたまにあります。
ウッチャリ条約や日本だと日米和親条約も日本語と英語で解釈が違っていた事例でした。
日米和親条約の領事の派遣を幕府は日米双方の同意が必要と訳し、原文の英文ではどちらかとなっていたという違いでした。
翻訳の間違いでやっちゃった事例は意外に多いです。
翻訳魔術はニュアンスや意味を送り手次第で操作して、相手に伝わる意味を意図的にコントロールすることができます。
例えば、probably、maybe、possiblyは日本語だと『多分』という訳ですが、英語のニュアンスではまるで意味が違います。
probablyは確実性のある多分、maybeは50:50くらいの半分くらいの確実性の多分、possiblyはほとんど確実性が無い多分というニュアンスがあります。
翻訳魔術を使えば、possibly程度の多分なのに、相手にはprobably程度の多分というニュアンスで受け取らせるくらいの操作は簡単にできます。
だから、この異世界では外交に限らず、交渉事では翻訳魔術を使わないというのは当たり前の常識になっています。