〜咎を持って生まれた者①〜
霞んだ雲の広がる青空。
まるで寄り添うように、しかし朧気に漂う二つの月が見守る中、広大な草原には一つの集団があった。
皆一様に黒のマントを着け、しかし中に着込んだ服は装飾美しいものばかり。
高級さを傍目にも感じさせる服を着込んだその集団は、見ればまだ年若い少年少女ばかり。
まだ幼さの残る彼らが見つめる先、そこには一人の少女がいた。
皆と同じように黒いマントを羽織り、淡い桃色の長髪が風に揺れている。
少女が片手に握るのは細く小さな杖。
緊張の面持ちな少女の視線の先、そこには模様の刻まれた地面が広がっていた。
「どうしたのですミス・メサイア。早く『呼び醒ましの儀』を始めて下さい」
と、集団の中から甲高い声が少女にかけられた。
見ればそこにいるのは細身のスーツを着込んだ、いかにも仕事の出来そうな女性。
一人だけ大人のその女性は他の者と同様に杖を持ち、無言で立つ少女に更に言葉を飛ばす。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。この儀式は魔力があれば誰でも出来るもの。魔法の技術うんぬんは関係ありません」
『魔法の技術うんぬん』という部分でギクリと身体を震わせた少女。それに合わせるように、集団の中から可愛らしい声が響いた。
「先生~そんな事言っても無理ですよ~。だって彼女が出来るのはどれもワンドクラスの魔法ばかり。二年生になる私達の中で唯一、中位魔法を一つも出来ない彼女に緊張するなって言うほうが無理な話で~す」
途端にざわつく集団。
所々からの笑い声に、しかし少女は無視するように黙り杖を強く握り締める。
「皆さん、笑うのを止めなさい。メサイアという家柄が特殊だと前にも話したでしょう? 彼女が魔法を上手く出来ないのは自身のせいではないのです。それを笑うなどとは――」
「先生、いいんです」
その時、少女が初めて喋った。鈴を鳴らすような澄んだ声色。
柔らかく耳に残るその声は、しかし芯の通った強い響きも持っていた。
「私が魔法を上手く出来ないのは事実です。だから別にいいんです――よし!」
意気込むように叫んだ後、少女は模様の方へ歩を進める。
真ん中まで歩くと立ち止まり、長い深呼吸を繰り返した。
「――よし。先生、始めます」
スーツ姿の女性が優しく頷き、集団は固唾を飲んで見守る。
「――――――――」
少女の小さな唇から発せられる、言葉の紡ぎ。意味を問うても誰も分からない、昔から受け継がれた契約の呪文。
風に乗り、空気を伝い、全てに染み渡るように遠く、遠く響く呪文に釣られるように、少女の周りに光が生まれ始める。
最初は小さく儚げに。だんだんと大きく力強く。
いくつも回るそれら光の玉は美しく、見る者は心を奪われてしまいそう。
そうする内に光の玉は少女の目の前へと集まり、大きな球体となる。
言葉を紡ぎ続ける少女は閉じていた目を開け、真直ぐにそれを見つめた。
いつしか止まっていた呪文。
その最後のワンフレーズを言う前に、少女は細い腕を光へと伸ばす。
まるで何かを掴むように、捕まえるように、見つけるように。
「我が対となり、糧となる従者、ここに呼び醒まさん――サーヴァント・リペクト!」
言うと同時、皆の視界は光に塗りつぶされていった――
「…………」
光が消え、召喚時特有の煙が消え、視界が開けた時、少女は思わず無言になった。
――成功したと思った。
成功したと思ったのに今、目の前にいるのは――
「人……間の、使い魔?」
集団の誰かがそう呟いた瞬間、まるで結んだ口が開くように大きな笑い声が上がった。
所々ではなく、今回は全体から。
「さ、さすがメサイア家のご息女! まさか人間を召喚するなんて!!」
「これじゃあ魔法の技術うんぬんじゃなくて、もう魔法使い失格だろう!!」
大声を上げて笑う声達にやっと気付いた少女は、途端に顔を赤くし伏せてしまう。
手に握る杖はワナワナと震え、顔の赤みは耳まで達する。
(何で……何で何で何でっ!?)
――サーヴァント・リペクト。
ヨーグ大陸に点在する多くの魔法学院の中で一番歴史深い、ここインクリス魔法学院では一年生が二年生に上がる際、使い魔を召喚する儀式が行われる。
通常呼び醒まされる者、例えば火トカゲや土モグラ、水蛇や風竜など、人とは異なる理で生きる者が召喚される。
召喚された者は召喚した者の盾となり、矛となり、相棒となり、家族となる。
それは魔法使いの卵である少年少女らが最初に経験する、大きな人生の分岐点ともいえる。
歴史ある儀式の中で『人間』が呼び醒まされた事は無い。
呼び醒まされるのは絶対に、人間と違う理の者だけなのであるから――
「……ミス・メサイア」
「は、はいっ!?」
先生の暗い声を受け、少女は背筋を伸ばし硬直した。
先生は顔を伏せたまま、肩を震わせながら少女に近付いてゆく。
無理もない――と少女は思う。
だって自分が召喚したのは人間。しかも男の子。
歳は自分と変わらないようだが髪は伸び放題で服はボロボロ、平民の中でも貧相と位置付けされる身なりをしている。
先程から自分を見つめてきていて、伸びた前髪から覗く目が意外と鋭くて何だか恐い。
というか――
「……何見てんのよ」
無性にムカついた。
元はと言えば自分がこんなに笑われたのは、恥をかいたのは全てコイツのせいなのだ。
コイツが出てきたせいで自分は笑われて恥をかいて、だから自分は悪くないのだ。
かなり無理矢理な理論を頭の中で立てると少女はとりあえず――蹴った。
「――!?」
偶然、蹴りが脛に当たったようで少年は痛みに堪えるように転げ回った。
それを見て更に笑い出す集団、慌てて駆け寄る先生、見下ろし腕を組む少女。
「ななな……何をしているのですかミス・メサイア!! この人はあなたの使い魔になる人なのですよ!!」
「えっ?」
怒鳴るように聞こえた先生の声に、少女は思わず聞き返してしまった。
笑っていた集団も驚いたように静まり、有り得ないといった表情で先生を見る。
「これから長く付き合う使い魔にそのような態度はいけません。二人は支え合い、頼り合う、守り合わないといけないのですから」
夢見る乙女のように両手を胸の前で組む先生。
まぁ、歳を考えると少女というには無理があるが。
「ちょ、ちょっと待って下さい先生! だって人間ですよ!? しかも平民の更に下のような格好の、男の子ですよ!!」
「ええ、それぐらい見れば私だって分かりますよ?」
「おかしいでしょ! 人間を使い魔なんて、だって前代未聞ですよ!?」
その言葉に先生は頷くと、優しい笑顔をシエルに向けた。
「確かに人間が呼び醒ましの儀で現れたなんて、私は知りません。過去そんな記録があったという覚えもありません。しかし――」
先生はシエルの両腕をがっちり掴むと、熱意ある眼差しで見つめてくる。
「諦めてはなりません! もしかしたら彼は人一倍掃除が早いとか、料理が上手とか……そ、それに意思の疎通はどの使い魔よりも簡単にできますよ!? だからっ、その――」
「……先生、途中から目が泳ぎまくってるように見えたのは私の気のせいですか?」
冷ややかな言葉に分かりやすいくらい動揺する先生。
シエルは大きなため息を吐くと、先生の真意を見抜く。
――要は、同情されたのだ。
「とにかくミス・メサイア! その子と使い魔の契約を結びましょう」
先生の言う『使い魔の契約』を聞いた瞬間、シエルは顔を歪ませる。
とりあえず小さな声で、反抗してみる
「……嫌です」
「あなたが嫌でもこれは仕方のない事なのよ。一度召喚した使い魔を取り消せないのは皆も同じ、例外はないのですよ」
あっさり切り捨てられた意見。
それでもシエルは拒み続ける。
――それは乙女として、当然の行動であろう。
「……わがまま言ってるとご両親に連絡しますよ?」
「うっ!?」
冷や汗が垂れまくりの顔で、とうとう先生の凄みに黙ってしまったシエル。
小さな声で『初めてなのに何でこんなヤツなんかに……』と文句を言いながら、渋々といった動作で少年に近付いてゆく。
「……言っとくけど、動いたら今度は遠慮なしに蹴るわよ」
「!?」
少女の脅し文句に肩をビクッと震わせ硬直する少年。
それを見て、長い、本当に長い溜め息を吐くとシエルは顔を近付ける。
長いまつ毛と薄い唇、少しだけ朱に染まった頬。
風に揺れるキメ細かな桃色の髪と、微かに漂う少女の匂いが二人を包む。
時間は一瞬、されど両者が感じたのは、きっと永遠。
そして、唇は重なり合った――