52、最悪の結末
忍び足で廊下を進み、息を殺してドアを開ける。
そして暗闇の中、手探りで、アイシャは魔法灯の明かりをつけた。
机にベッドに本棚。白ローブが吊る下がり、机上に魔導書。
一目見て、魔導士の部屋との印象を受けた。
ただ、魔導士の部屋にしては、整理整頓が行き届いている。
アイシャは椅子を勧めたが、太郎は「ああ、うん」と口ごもり、座らない。
さらに右往左往した後、「そうだ、お茶でも……」と、歩いて行こうとする。
「いい、お茶はいいから。まず話を聞いてくれないかな」
「は、はい。そう、そうですね」
アイシャは照れたように笑い、速足でベッドまで進むと、ちょこんとそこに腰を下ろした。
赤く照れた顔に、ぎこちない仕草、そして何かを訴えかけるような熱い視線。
それが恋する乙女のものであることは、すぐに理解できそうなものだが、太郎にそんな余裕は無かった。
話し合いの場ができたと見るや、沈痛な面持ちで、クルリと半回転し、アイシャに背を向けた。
(────?)
アイシャにはその行動の意味がわからなかった。
しかし、そこでやっと太郎の着衣への疑問が浮かぶ。
(どうして……、あんな汚いマントを羽織っているんだろう?)
続けて、ふくらはぎから下が、素足であることに気付いた。
(え……、まさか、下に何も着ていない?)
「アイシャ……、まずはこれを見て欲しい」
そう言うと、太郎は羽織ったマントをゆっくりと下げてゆく。
彼女の仮説を証明するように、肩から背中、腰へと、引き締まった素肌が露わになっていった。
(──! ───!?)
想定はしていたが、どこかで『そんな筈は無い』という気持ちもあった。
だが、夜這いという可能性が跳ね上がった目の前の現実に、アイシャの混乱はMAXに達しようとしていた。
「ゆゆゆ、ゆ勇者様、ダメですっ! 私たち、まだそんな──!」
倍速で刻む脈拍に、乱れ打つ心臓の鼓動。アイシャは苦しそうに両手を胸に当て、目を閉じた。
太郎は、腰の高さまでマントを下げたところで止まっていた。
目を閉じ、沈痛な面持ちで、何か決断を迷っているふうである。
一瞬、その場に、時間が止まったかのような沈黙があった。
やがて、太郎は決断したかのように目を見開き、告げる。
「アイシャ、これを見てくれ……ッ!」
その言葉に応えるかのように、アイシャが両目を開けた瞬間、マントがすとん、と落とされた。
(───?)
アイシャは始め、その尻にある楕円形の物体が、いったい何なのか理解できなかった。
目をきょとん、と丸くさせ、上体を横にずらし、角度を変えて見る。
そして、そこに宿った悪霊の存在を理解した瞬間、白目をむき、ベッドにばたん、と卒倒した。
▼
(……ャ、………シャ、……アイシャ!)
夢のようにぼんやりとした意識の中、どこかで自分を呼ぶ声が聞こえる。
両肩を持たれ、ゆすられる感触。目を開けると、そこには心配そうにこちらを見つめる太郎の顔があった。
その体には、再びマントが羽織ってある。
「……あ、勇者様、私、いったい………」
「大丈夫か、急に倒れるから、びっくりしたよ」
「そうだ、私、すごく怖い夢を見て……、勇者様のお尻に、あんな………」
それを聞いた瞬間、太郎の表情がピタリと停止した。
アイシャの頭にかかった、ぼんやりした雲は、流れ去りつつある。
ひしひしと、現実の空気を肌に感じ始めていた。
倒れる前に見た、あの光景が頭に過る。
そして、眉間にしわを寄せ、目を細めた太郎の沈痛な面持ちに、それが現実であることを察し取ってしまった。
「……あ、あの、まさか………」
つぶやくようなアイシャの問いかけに、太郎はひとつ、大きくうなずいて答える。
そして青ざめた彼女に向け、陰影の深い劇画調の顔で、死刑宣告ともいえるセリフを告げた。
「───抜いてくれ」
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・
・
無表情のまま、すくり、とベッドから立ち上がるアイシャ。
一呼吸おくと、凄まじい速足で、その場から立ち去ろうとする。
とっさに太郎は、彼女のローブの裾を掴み、足止めをする。
続けてその場に土下座をすると、床に頭をガンガン打ち付けながら懇願を始めた。
「頼む、お願い、お願いだからッ!」
「いッ、嫌ですよ、そんなの。それにどうして私なんですか!?」
「アイシャしか頼める人がいないんだ!」
「美人の女騎士さんや、メイドさんに頼めばいいじゃないですか!」
「あ、あいつらは……ダメだ」
エリィはともかく、リーザは何となく信用できない。
ルディアは内臓ごと力任せに引き抜いてしまいそうだ。
「もう、私、何を期待してたんだろう。本当バカみたい……」
「な、何だ、期待って?」
「知りませんよ!」
「わっ、ごめん!」
そこで、四つん這いで頭を下げている太郎の姿が目に入った。
その憐れな姿に、アイシャの心がちくり、と痛む。
それに、ルディアではなく、自分を頼ってきたことをふと思い、わずかなときめきも感じてしまった。
「……あ、あの、もういいですから、頭を上げてください」
その言葉に、太郎は頭を上げてアイシャを見上げた。
「痛いんですね?」
「あ、ああ」
「それなら、これは治療行為ですね」
「そ、そう……だね」
「わかりました。その治療、お引き受けします」
その瞬間、彼女の中にある回復術士のスイッチが、ONになったようだった。
そうだ、事故による怪我だと考えればいい。
過去に治療した大怪我を考えれば、こんなの大したことない。
彼女は顔を赤らめつつも、太郎の背後に回り込み、こほんと咳払いをした。
「では、マントを取って……、その、見せて下さい」
「え、ああ、ああ……」
突然覚悟を決めたアイシャ、次に戸惑ったのは太郎であった。
顔を赤らめて恥じらい、嫌がる美少女を見ているうち、彼の彼が半ばおっきしてしまっていた。
(ああっ、俺って何てゲスいんだろう………!)
自己嫌悪を感じつつ、太郎は慌てて頼み込む。
「ご、ごめん、やっぱり恥ずかしい……ので、目隠しをしてもらっていいかな?」
「……そ、そうですね。そういうことなら………」
▽
「じゃ、じゃあ、いきますよ。力を抜いて下さい」
「お、おう……」
目隠しをし、両手で天狗の面を掴んだアイシャが、ゆっくりとそれを引き抜き始めた。
すぐさま体中に駆け巡る、電流にも似た感触。
「う、うおおお、うるぅぅおおおおああああ……ストップ、ちょっとストォぉぉォップ!!」
その叫びに、アイシャはビクッと震えて手を止めた。
「ご、ごめんなさい、痛かったですか!?」と、慌てて面をもとに戻す。
「ふぐぬおおあおッ! な、何故、押し込むッ!?」
「す、すみません、すみません! 私ったら、つい……」
(こいつ、わざとやってんのか!?)
腹が立ったが、太郎は立場上、その文句をぐっと飲み込んだ。
しかし、今まで経験したことのない、例えようのない感触であった。
普通に生活していれば、およそ一生開くことの無いであろう心の扉が、今まさに開きかけている。
扉の向こうに見える薔薇の花園には、ビキニパンツ一丁のマッチョなメンズたちが、それぞれポーズをとって太郎を出迎えようとしていた。
まずい。非常にまずい。
扉のあっち側に行ってしまったら、二度とこっち側へは戻って来れない気がした。
「あ、その……、そろそろ落ち着きましたか?」
アイシャの声に、太郎は我に返った。
そうだ、一生このままという訳にはいかない。
この悪霊を宿したまま、自分に明るい未来は無いのだ。
「お、おう。もう1回、頼む」
「では、力を抜いて下さいね。力んだら絶対ダメですよ」
「よ、よし。わかった!」
「せーの………」
そして、アイシャが、面を抜こうと両手に力を入れた瞬間であった。
───がちゃり。
おもむろに開かれるドア。
とっさに振り向く太郎。アイシャも目隠しをまくり上げ、そちらを見る。
そこには、白のかわいいネグリジェを着て、寝ぼけ眼をこするエストの姿があった。
・
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「あ、あの……エスト。ちょっと説明させてもらっていい?」
「そ、そうだ。とりあえず落ち着け。とりあえずドアを閉めようか」
だが、エストは真っ青な顔で、ブルブルと震え始めていた。
その大きな目に、じわりと涙を浮かべつつ、か細い声で、絞り出すように言う。
「あ、あ、あの……、私、まだ子供だから、大人のことはよくわからないですけど………」
完全に何か勘違いをしているようであるが、それも無理もない話であった。
四つん這いでお尻を突き出す格好の太郎。その背後には天狗の面を掴むアイシャ。
実際には引き抜いているのだが、押し込んでいるように見えても仕方がない。
それは、清純な少女の精神を崩壊させるのに、十分な映像であった。
太郎とアイシャは、次の言葉を必死に考えたが、どうにも弁明が浮かばない。
やがてエストは、吐き捨てるように叫び切った。
「───そういう愛の形があっても、いいと思いますっ!!」
そしてそのまま、廊下へとダッシュで走り出す。
「ま、待って──」と、手を伸ばす太郎。それと同時に、アイシャは、これまた凄まじい勢いで、エストを追いかけて行った。
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・
数秒後───、ロープでぐるぐる巻きにされ、口に粘着テープを貼られたエストが、アイシャに抱えられて戻って来た。
(───! ───!!)
完全に勘違いをし、真っ青になって怯えるエストに、アイシャが説明を始める。
太郎は四つん這いの体勢のまま、マントを体にかけ、誤解が解けるのをじっと待っていた。
やがて───、
「なぁんだ。そうならそうと言ってくれればいいのに」
案外あっさり、エストはこの事態に、理解を示した。
「説明しようとしたのに、聞かなかったのはエストでしょう」
「えへへ、でも、どうしてそんなのが刺さっちゃったんですか?」
「………そういえば、そうね」
じろっ、と二人の視線が太郎に集まる。
やばい、と思った太郎は、やや棒読み気味に叫んだ。
「あ──、マジ痛い、すごく痛い、早く抜いて──!」
それを聞き、エストのすっと伸びた耳が、ピクリと動く。
「じゃあ、私が抜いてあげますねっ!」
「え、エスト、ダメよ。あなたじゃ……」
「大丈夫ですって、私とタローさんは、キスをした仲ですから!」
えへへ、と能天気に笑うエスト。アイシャはむっとした表情でその場に固まった。
そんなアイシャの前を、ちょこちょこと横切るエスト。やがて、太郎の背後でピタリと立ち止まる。
そして、ガバッとマントをまくり上げると、天狗の面を両手に持った。
「ちょ、まて、エスト……ぅおふひょうぁぁおああ!」
それは、予期せぬエストの暴挙であった。
心の準備も無いまま、薔薇の花園の扉が、無理矢理こじ開けられる。
防衛本能であろうか、体中の筋肉が強張り、全力でそれを阻止しようとしていた。
そして───、
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───ポキッ!
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小気味よい音が、静寂の中で響いた。
「………えっ?」と、思わずアイシャを見る。
アイシャはポカンと口を開け、青い顔で太郎の尻を見つめていた。
(……え、まさか、まさか………な)
太郎は額に脂汗を浮かべつつ、そのまま背後を見やった。
そこには、あちゃ───、みたいな感じで、苦笑いを浮かべるエストの顔。
両手には、鼻が根元からポッキリ折れた天狗の面を握っている。
真っ青になった太郎の顔を見て、てへっ、と気まずそうに笑うエスト。
彼女はそのまま、天狗の面で自分の顔を隠した。
それを見た瞬間、太郎の怒りボルテージが、一瞬にしてMAXを振り切る。
「おま、何さらしとんじぁぅるうおおおあぁぁああっっ!!」
血の涙を流しつつ、咆哮する太郎。
暗闇の中、響き渡るその咆哮に、周囲の民家の明かりが数軒、灯った。




