51、深夜の訪問者
娼館街の喧騒とは裏腹に、しんと静まり返った都市部。この世界の夜は早い。
大多数の市民は、夕暮れと同時に仕事をやめ、日没と同時に就寝する。
そしてここは、都市の中央部にあるクラウ魔導評議会の本部。
1階はご存知のとおり、巨大なホールとなっているが、その地下には会長室とともに、評議会各部門の部屋があった。
魔導師というのは、どうにも地下を好む種族らしい。
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四方を本棚に囲まれ、無数の机が並んだ部屋。
本棚に隙間無く敷き詰められた魔導書や書類は、本棚をあふれ出し、机の上に山積みになっていた。
ここは治癒や浄化を司る、白魔法部門の部屋。
室内に設置された魔法灯が、部屋をさながら昼間のように明るく照らし出している。
ちなみに魔法灯は、一般人ではなかなか手が出せない高価な代物であった。
それが室内5か所に設置されているのは、さすが魔導評議会の本部といったところであろう。
時刻は深夜。
しん、と静まり返った部屋に、カリカリと響くペンの音。
部屋では白ローブをまとった魔導士が二人、無言で執務をこなしていた。
奥の机に座るのは、栗色の髪を後ろでまとめた美少女。
この部門の代表、クラウ魔導評議会の幹部のひとり、アイシャであった。
代表、とはいえ、十代も半ばの彼女が、この部門をひとりで仕切ることはできない。
アイシャの補佐官であり、この部門の事務を取り仕切っているのは、隣に座った女性。名前をステラという。
年齢は二十代後半、長い黒髪に、キリリとした鋭い目。
先代エルシオーネの頃から白魔法部門の代表補佐官を務める者である。
彼女はペンを止めると、眼鏡の位置を直しつつ、アイシャを見て言った。
「そういえばアイシャ様、うちの部門からの出品は何にしましょうか?」
その問いに、アイシャもペンを止め、ステラを見る。
「ああ、もう総会の時期なんですね」
「はい、そろそろ絞っておいた方がよろしいかと」
「とはいえ……、今年報告があった中に、何か良い物はありましたっけ?」
「………薬草の新調合くらいでしょうか」
年に1回、ベスターレで行われる魔導総会が近付いていた。
自由都市の魔導評議会、各支部は、総会に出品する魔法や魔導具を決めるのに、この時期大忙しだ。
クラウでも総会前には、各部門が出品候補を出し合い、選考会のようなものをやることになっている。
ステラが本棚から書類を取り出し、アイシャの机に並べてゆく。
「1・2・3………7件ですね。新魔法は無し。薬草の新調合が5件、新魔導具が2件です」
「へえ、魔導具が2つも……」
「ひとつは認可後、欠陥が発覚していますので、出品はできませんね。もうひとつは………」
ステラが棚の上から取り出したそのサンプルに、アイシャは目を丸くした。
「あ、あの、これって………」
「……鞭ですね」
「武器じゃないですか!?」
そのアイシャの叫びを聞きつつも、ステラは鞭を手に取り、冷静にその説明に入る。
「これは握りの部分からマナを送り込むことにより、打撃部位に若干の回復効果が出るようになっているのです」
「……あ、あの、意味がよくわからないのですが………」
「つまり、打たれた痛みはそのままに、怪我はさほど大きくならない鞭ということです」
────しばらくその場に空虚な時間が流れた。
やがて困ったような顔で、眉間に手を当て、アイシャが口を開く。
「その………、認可されたんですか、これ?」
「はい、アイシャ様のサインもここに」
書類の隅を指しつつ、ステラが言う。
アイシャは頭を抱えつつ、自分がしたサインを後悔した。
疲れ切った時など、内容をよく確認せず、サインだけをしてしまうこともあった。
「それ、やっぱり却下とかできませんかね?」
「しかし、もう市場に出回っている商品なので……」
「……売れてるんですか?」
「はい、報告では百本ほど」
「そんなに!?」
特定の性癖を持つ方々に、スマッシュヒットらしかった。
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気を取り直し、二人は他の書類に目を通してゆく。
やがて、アイシャがそのうちの1枚を持ち上げ、ステラに示した。
「……これがいいですかね」
「そうですね。回復効果を高める調合……無難なところかと」
何ともやっつけな選別方法であった。
というのも、今年は特別な事情があったからである。
今年、クラウ魔導評議会から出品される魔法はもう決まっていると言っていい。
それは、異世界人を召喚する術式……。そう、太郎を召喚した魔法陣であった。
すでに何名かの者が準備に携わっており、もうまとめ段階に入っていると聞く。
今年の選考会は、恐らく形だけのものになるだろう。
仕事を終えた二人は、部屋に鍵をかけ、ホールへと上がり、扉を開いて外へと出た。
冷たい風が、外からホールへと流れ込む。思わず縮こまる二人。
出た瞬間、「おう、今日も遅いなぁ。馬車、使うんだろ!」と、野太い声。
松明に照らされて浮かび上がったのは、リザドという名のリザードマンであった。
リザードマンは寒さに弱いらしく、真冬用のコートを着込んでいる。
クラウ魔導評議会本部の門番は、伝統的にリザードマンがやることになっていた。
現在は、8匹のリザードマンが交代で番についている。
ほどなく、そのうちの1匹、カゲトロという名のリザードマンが、馬車を引いてやって来る。
8匹のうち、リザドとカゲトロはとりわけ知能が高く、馬車を操ることもできるのだった。
二人はそのまま馬車に乗り、帰路へとついた。
▽
カタカタと、石畳の振動を感じつつ、二人は馬車に揺られていた。
引き続き、魔導総会の話題が、馬車の中でも続く。
「では、アイシャ様も総会に出席されるんですね」
「ええ。召喚に従事した十人全員というわけにはいきませんが、半数くらいは連れて行くみたいです」
「勇者様ご本人も?」
「そうですね。召喚された本人ですから」
太郎は、その存在自体が、異世界人召喚の証拠物件のようなものであった。
その術式の発表にあたり、太郎の出席は必要不可欠となるだろう。
だが問題は、現在、太郎の所属が魔導評議会を離れ、政庁管轄の騎士団にあることであった。
「騎士団や政庁の許可は大丈夫なんですか?」
「その辺も問題ないみたいですよ。むしろ政庁は、勇者様が異世界人であることを、外にどんどん宣伝したいようで……」
勇者も魔導総会に出るということは、ベスターレまで一緒の行動になるのだろうか?
久しぶりに太郎に会うことができる。そう思うと、アイシャの心は躍った。
だがすぐに、昔に比べ遠い存在となった太郎を思い、寂しさを覚える。
やや曇ったアイシャの表情に、ステラは彼女の心情を察した。
机を並べて仕事をしているのだ。アイシャが勇者にどのような感情を抱いているかは、薄々感じていた。
何となく、気まずい沈黙が流れる。
その瞬間、外から押し殺したような馬のいななきが聞こえ、馬車が停車した。
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「ありがとうございました」
アイシャの謝礼に、カゲトロはわずかに会釈し、馬車を進める。
暗闇の中、外灯の光が、付近をぼんやりと浮かび上がらせていた。
門を入り、玄関へと進んでゆく。
馬車の中からずっと、太郎のことが頭から離れない。
考えると苦しい気持ちになってしまうのに、どうして考えてしまうんだろう。
考えないようにしたいのに、どうして頭から離れないんだろう。
何となく、腹立たしさに似た気持ちを抱えつつ、アイシャはふと、事務のため後ろ髪をまとめ上げたままであることに気付いた。
後ろに手をやり、バンドを外す。ふぁさり、と落ちる栗色の髪。
それとほぼ同時であった。
不意に草陰から飛び出る人影、その手によって、アイシャの口がふさがれる。
(────え!?)
そしてもう片方の腕が、アイシャの体をガッチリとロックした。
「───! ───!?」
慌ててそれを引き離そうとしたが、彼女の腕力ではビクともしなかった。
都市の内部とはいえ、暴漢や変質者の出没もあり、夜間は何かと物騒である。
アイシャはジタバタと必死の抵抗を試みたが、それは己の無力を痛感する結果に終わってしまう。
やがて、彼女の抵抗が終わったのを見計らうように、背後からそっとかけられる声。
「……ごめん、本当にごめん。俺だよ、俺」
それは聞き覚えがある、心の底から申し訳なさそうな、すごく情けない声だった。
続けて、上からのぞき込まれるようにして現れた太郎の顔に、アイシャの心臓がドキリと鳴る。
「……その、手を離しても、叫ばないって、約束してくれるかな?」
その問いかけに、アイシャはコクコクッと素早くうなずいて返す。
解放された彼女は、ゆっくり2歩、3歩と進んで振り返った。
外灯の光にぼんやりと映し出されたその男は、太郎に間違いなかった。
だが、何故かボロ雑巾のようなマントを羽織って、体全体を隠している。
安堵感に続いてやってきたのは照れであった。
ダメだ。直視できない。高鳴る鼓動と火照ってくる顔。
赤くなった顔を悟られまいと、ややうつむき加減でアイシャは問いかける。
「な、何なんですか、いったい?」
「ごめん、その……アイシャにお願いがあって来たんだ」
「お願い?」
「ああ、そう。ここじゃ……何だから、中に入れてもらっていいかな?」
「はあ、別にいいですけど……、何もこんな場所で待たなくったって、お爺さまやエストに頼んで入れてもらっていれば………」
「ああっ、ダメダメ。ロージンやエストには……、黙っていてくれ。頼む、お願いだっ!」
激しく拒否る太郎を見て、アイシャは首をかしげる。
(お爺さまやエストには内緒で……、私だけへのお願い……。こんな深夜に?)
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そしてアイシャの頭に、『夜這い』という、文字が浮かんだ。
「え、ええっ、ええええぇぇっ───ッ、んんッ!?」
「まてまてまって、声がッ、大きい!」
再び口をふさがれるアイシャ。彼女は一瞬、半ばパニックになってしまった。
「落ち着いた?」という太郎の問いに我に返る。そして素早くうなずいて、それに答えた。
「話だけでも、聞いてくれないか?」
「は、はい……」
果たして、この光景は現実なのだろうか。
まさか夢? あるいは、悪魔の幻術にかかっているのでは?
だが、ぎゅっと、つねった頬の痛みは本物であった。
彼女はカクカクと、ぎこちない仕草でドアを開け、太郎を招き入れる。
「あ、ああああの、ご期待に沿えるかわかりませんが……、どうぞ」




