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50、あり得ない悪霊

 闇夜の中、都市の中でひときわ輝く娼館街。

 その中の、ざわざわとした人混みの中心、そこに太郎は居た。

 ………天狗の面をかぶった全裸男として。


 太郎を取り囲むのは、見るからに屈強そうな剣闘士4人。

 彼らは薄笑いを浮かべつつ、太郎をどう料理しようかと考えているようだった。


 通常、都市の治安は騎士団が担うのであるが、ここ娼館街に騎士団は駐屯していない。

 奴隷商人らが管理するこの場所は、いわば治外法権的な場所になっていた。

 すなわち、ある程度の犯罪行為であれば、奴隷商人らの権力で、もみ消すことも可能なのである。


 無論、何らかの大事件が発生すれば、騎士団が介入することになるだろう。だが、そのようなケースは稀である。

 名も無き一般人が殺された程度であれば、ただの失踪事件として片付けられるのが常であった。


 だからこそ、彼ら剣闘士たちは、太郎に対し強気に出ることができる。

 ここなら、大きな爆発でもしない限り、一般地区から騎士団も介入してこないだろう。


 だが、一応確認はしておく。

 「おう、ところでひとつ聞いとくが、あんた、どこかの商会の(モン)じゃなかろうな?」

 「ショーカイ………?」


 質問の意味も、意図もわからず、太郎は少し首をひねる。

 その反応を見て、十字刺青の男は安心をした。

 太郎の反応は、どこからどう見ても素人のそれだったからだ。


 間違って、どこか大きな商会の縁者をいたぶってしまった日には、こちらの首が飛びかねない。

 所属する商会の規模が、ここでは振るえる権力に直結する。

 これで心置きなく、こいつをいたぶることができるというものだった。


 元々、犯罪を犯して奴隷に落ちたものの、剣闘士の中でも成り上がれず、娼館街の用心棒として日々を怠惰に浪費している、言うなればクズな連中であった。

 他人を傷つけることなど、何とも思ってはいない。


 ………しかし、馬鹿な男だ。

 大方、初めて来た色町に興奮しすぎ、顔に付けた奇妙な仮面で変態行為を求めたが拒否されて逆上、逃げる娼婦を追いかけた───、といったところか。

 この街の秩序を守るという大義名分もある。少しばかり行き過ぎたお仕置きをしても構わないだろう。

 そして、こいつをいたぶった後、恩を着せてあわよくばあの女とも………


 ───と、十字刺青の男はミアの姿を探したが、いつの間にか彼女の姿は消えていた。


 (………おいおい、何だよそれ!)理想プランが崩れ、十字刺青の男は苛立(いらだ)ちを覚えた。

 (こうなったら、あの変態男を徹底的に………)


 ───と、太郎の姿を見る。

 当の彼は、股間を抑えたまま忍び足で移動し、今まさに人混みの中へ入ろうとする所であった。

 「オラぁぁぁ、ちょっと待てやァァァ!」と、慌てて制止する。


 ………なっ、何なんだこいつは!?

 これだけインパクトのある格好をしながら、立ち去る気配を全く感じさせなかった。

 そう、まるで一瞬、周囲の野次馬(モブ)たちと、完全に同化したように───!


 背中を伝う冷や汗を感じつつ、男が感じた驚愕は、すぐに憤怒へと変わった。

 男は太郎の肩を掴むと、強引に元の場所に連れ戻そうとする。

 だが、太郎も素直に従う筈がなかった。さすがに抵抗してくる。


 「あー、すんません。僕、もう行かなくちゃ………」

 「ざけんな、帰さねえよ!」


 とは叫んだが、むしろ引きずられたのは、十字刺青の男であった。彼は再び驚きを覚える。

 線は細いものの、よく見ると太郎の体は引き締まり、例えるなら鋼のようであった。


 (なっ、何者(ナニモン)だ、こいつは………?)

 両手で肩を掴み、全力で阻止をしようとしたが、太郎はびくともしない。


 「おい、おめえら、何ボーっとしてんだ!」

 そこでやっと男は、他の剣闘士たちに助けを求めた。


 「お、おう……!」

 のらりくらりと、他の3人が動き出す。


 十字刺青の男は、やはり彼らの中ではリーダー格であった。

 しかも典型的な俺様体質で、あまり性格もよろしくない。

 下手に加勢しては、彼のプライドを傷付け、後々面倒な事になりかねなかった。

 それゆえに、他の面々は、とりあえず静観を決め込んでいたのである。


 だが、命令をされては、動かぬわけにはいかない。

 3人の剣闘士たちは、太郎に向かって進みゆく。


   ▽


 (ちくしょ───、一瞬うまく行きかけたのに!)


 太郎は天狗の面の中で、苦虫を噛み潰したような顔をする。

 ある意味、太郎の得意技ともいえる、観衆に溶け込む能力であったが、さすがにこの格好ではハンデが大きすぎた。


 そして、事態は悪化の一途をたどりつつある。


 いつの間にかミアの姿は消えていた。

 もう財布は諦めなくてはならないだろう。いや、もはや財布云々言っていられる状態では無い。

 仮面を外さず、自分の正体を知られることなく、この場から消えるのが最優先事項であった。


 「お~い、頑張れよ剣闘士の兄ちゃん!」

 「そうだそうだ、少し力負けしてんぞ!」


 いつの間にやら、群衆の数も増えていた。

 彼らはもう、何かのショーを見るような目線で、太郎たちを見ている。


 彼らのヤジを聞き、十字刺青の男のこめかみに青筋が走る。

 太郎の肩を掴む手に、いっそう力が込められた。

 その背後からは、新たに3人の剣闘士が迫ってくる。


 あいつらが加わると厄介だ。

 4対1になることは、何としても避けたい。


 太郎は不意に体の力を抜くと、方向を180度変えた。不意を突かれ、バランスを崩す十字刺青の男。

 彼に体当たりをし、転倒させると、太郎はそのまま3人の剣闘士へと駆け出した。


 股間を抑えた不自然な格好。そして天狗の面のせいで視界はすこぶる悪い。

 そしてその視界の先からは、こちらに向かい迫りくる3人の剣闘士の姿があった。


 「───むっ!」

 太郎の突然の行動に、一瞬ひるむ剣闘士たち。

 だが、彼らは速度を落とすことなく、太郎へと襲いかかる。


 ひとり目、モヒカンの剣闘士は両手を広げ、おおいかぶさるように太郎へと迫る。

 太郎は上体を(かが)め、彼の脇をすり抜けるようにして回避した。

 すり抜け様、こつんとモヒカンの足を払ってやる。

 一瞬、宙を舞ったモヒカンは、十字刺青の男の上に転がり込んだ。


 「ぐふぅぅ、痛ぇ、何しやがる!」

 「す、すんません、すんません!」


 そんな会話を背中で聞きつつ、太郎はタックルしてきたスキンヘッドの男を、馬跳びの要領で飛び越す。

 何というか、(いか)つい外見とは裏腹に、その動きは素人に毛が生えた程度で、大したことない連中だと太郎は感じた。

 そして、殴りかかってきた長髪の男の(こぶし)をスウェーバックでかわすと、そのまま中段蹴りをみぞおちにお見舞いした。


 「んゴふッ…………ッ!」と、倒れ込む長髪。

 これで最後か───と、太郎が思った瞬間であった。


 「おりゃあああぁぁああっ!」

 突如として現れた中年のオッサンが、太郎に襲い掛かる。


 「お前、誰ええぇぇ──────っ!?」と、思わず太郎はツッコんだ。


 やられた。完全に不意を突かれた。

 オッサンは太郎の腰あたりをガッチリと掴まえ、その動きを封じ込む。


 一連の騒動を見ていた野次馬のオッサンが、興奮して乱入してきたのであった。


 「さあ、剣闘士の皆さん、私が抑えているうちに、さあ!」

 小太りで天然パーマという、あまり冴えない外見とは裏腹に、ダンディなハスキーボイスのオッサンは、親指を立てつつ剣闘士たちに言う。


 「お、おお、ありがとうオッサン!」

 「やるなオッサン、助かったぜ!」

 4人の剣闘士たちも皆、親指を立ててオッサンに答えた。


 思いのほか、オッサンが力強いことと、股間を抑えた不完全な格好。

 そして、重心がある腰の部分をがっちり掴まれたことで、太郎は思うように身動きが取れずにいた。

 そんなうちに、太郎は再び剣闘士たちに囲まれてしまう。


 「へへ、終わりだな。とりあえずその変な仮面を取って、素顔を見せてもらおうか」

 仮面に向かい伸ばされた手を、太郎は右手で振り払った。


 「おう、何だこいつ、嫌がってるぜ」

 「何だぁ、そんなに素顔を見せるのが嫌なのかぁ?」


 次々に手を出してくる剣闘士たち。

 太郎は股間から手を離し、両腕でそれに抵抗した。

 腰の部分を掴んでいるオッサンが、ちょうど太郎の股間も隠していた。


 だが、4対1である。

 太郎は善戦しつつもジリジリと後退し始めていた。


 その攻撃をしのぎつつ、太郎は面の下で(なげ)いていた。

 (何だ、いったい何なんだよ、今日の俺はあまりにも不幸すぎる!)


 全てはアルフレドの誘いに乗った自分が悪い。

 やっぱり自分は、こういう色恋沙汰(いろこいざた)が似合わない性質(タチ)なのだ。

 仕事を終えて、普段のように風呂に入って寝ていれば、今頃は暖かい布団で夢の中だったのに───!


 だが、まだ終わってはいなかった。

 運命の女神は、さらなる不幸を太郎に与える。

 それは、二つの偶然が折り重なる、本日最悪の不幸であった。


 モヒカンの男の手が、天狗の面の鼻先をかすめた───、下から上へ。


 面が顔を滑る感触。太郎の顔を離れ、天狗の面が跳ね上がる────!

 心臓が波打った。太郎はヤバい───と、慌てて両手で顔を隠す。


 宙を舞った天狗の面は、カラン……と、乾いた音を立てつつ太郎の背後に落ちた。


 第一の偶然は、その天狗の面が、長く伸びた鼻をそそり立たせるようにして、上向きに落ちたこと。


 続けてバランスを崩し、オッサンに押し倒されるようにして、太郎は背後に倒れる。


 連鎖した第二の偶然は、太郎が、天狗の面の上にしりもちを突いてしまったことであった。


 ………んむギュんゴ


 キツキツのゴムチューブに、キュウリを無理矢理ねじ込んだような音がした。


   ・

   ・

   ・

   ・

   ・


 「☆※@¥◯…&#●□△◇☆───!!!!」

 まるで時間が止まったかのような沈黙の中、太郎はおよそ人の声とは思えない悲鳴を上げ、飛び跳ねた。


 「あ、あ、あ、あ………」

 頭をよぎる最悪な想像(ヴィジョン)。見渡すと、周囲の視線は完全に自分の背中に向けられている。

 焼け付くような痛みを覚えつつ、太郎はゆっくりと、恐る恐る振り返り、自分の背中に視線を送った。


 自分の尻に、あり得ない悪霊が()りついていた。


   ・

   ・

   ・


 「て、天狗様あああぁぁぁあああっ!」

 太郎の悲痛な叫びが、天に木霊(こだま)した。



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