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49、純粋なゲス男

 彼女の名はミア。


 難病の母親に飲ませる薬代のため、莫大な借金を背負ってしまう。

 階級は平民であるものの生活は極貧で、このままでは借金がかさみ、やがては奴隷に身売りすることになるだろう。

 借金の返済のためにも、実入りの良いこの仕事をすることに決めたとのことであった。


 この界隈(かいわい)で商売をしている娼婦は奴隷だけではない。

 ミアのように、娼館と個人的に契約をしている平民の娼婦もいる。

 彼女らは、売り上げの一部を娼館に支払うことで、一般区画と娼館街との間を、自由に行き来する権利を得ることができるのだった。


   ▽


 薄暗い……いや、もはや暗闇に近い回廊を過ぎ、その先にある階段を上ってゆく。

 安宿ゆえに、壁も薄いのだろう、あちこちから部屋の音が漏れ聞こえてくる。

 逢引きのための宿なのだから、漏れてくる音というのも、当然あの音であった。


 そんな色めいたBGMに赤面しつつ、二人は一歩、また一歩と階段を上がってゆく。

 入口で宿代を支払った老婆に言われたのは、この階段を上った奥にある部屋であった。


 先を進むミア。そのセミロングの髪がゆらゆらと揺れている。

 ドレスからのぞく華奢な背中を眺めつつ、太郎は彼女の後に従う。

 やがて彼女は、突き当たりのドアの前で立ち止まった。


 緊張しているのだろうか、太郎を振り向き「ここ……、だね」と、ややうわずった声で言う。

 それに太郎は無言でうなずいた。いや、声を出そうとしたのだが、緊張で声がかすれてしまっていた。


 室内は、ある意味、太郎が予想したとおりの部屋であった。

 元の世界で例えるならば、地方の安宿といった感じであろうか。

 それほど広くない部屋に、どん、とベッドが置かれている。

 そして部屋の片隅にある木戸。その先には、体を洗う場所があるようであった。


 彼女はそこを指さし言う。

 「じゃあ………、あそこで、汗を流してきて下さい」

 そして、太郎がかぶる天狗の面をちょこんと突っつき、ニコリと笑って続けた。

 「出てくる時は、これを外して素顔を見せて下さいね」


 太郎は言葉を返そうとしたのだが、やはり緊張で声が出なかった。


   ▼


 そこは、形上はお風呂場であったが、あまりにも不衛生な印象を受けた。

 水道も無ければシャワーも無い。異世界なのだから、そんなもの、はなから期待はしていないが。

 問題はプ~ンと漂ってくる異臭。その原因は、明らかに浴槽の中だった。


 (いったいこの水は、いつから張り替えられていないんだ?)


 服は脱いだものの、太郎は呆然と浴槽の前で停止する。そして、結論として入るのをやめた。

 全力疾走して汗はかいたものの、これに入るよりは、このままでいたほうがマシだと思った。


 彼は寝室へと向かい、(きびす)を返す。

 そして木戸の前で、二度ほど咳払いをして(つば)を飲み込んだ。

 小さく「あ、あ……」と、発声練習をする。


 (………大丈夫、落ち着け、落ち着くんだ!)


 マナのコントロールにもだいぶ慣れた。

 もう巨大化することは無い。

 大丈夫、落ち着けば大丈夫!


 そう、自分に言い聞かせる。

 そして、顔に付けられた天狗の面に手をかけた。


 (出てくる時は、これを外して素顔を見せて下さいね)

 先ほど聞いたそのセリフが、彼女の笑顔とともに、脳裏で再生された。


 この面を取れば、自分の正体がミアに知れてしまう。

 だが彼女なら、自分が異世界の勇者であることを黙っていてくれるのではないだろうか。

 わずかな時間しか接してはいないが、ミアが悪い人間だとは思えない。


 彼女になら、自分の正体を知られてもいい────、そんな気持ちにさえなっていた。

 高鳴る鼓動を感じつつ、太郎は天狗の面を取る。


 視界が一気に開けた。


 ………。

 ………………!?


 そこでひとつ感じた違和感。

 風呂を出たら腰に巻こうと思っていた布。

 フックで壁にかけられていた筈なのに、その布が無い。

 床に落ちたのか───、と視線を下に落とす。


 そこでもうひとつの違和感。

 脱いでカゴに入れておいた筈の衣類、それが無くなっていた。

 心臓で刻み始めたのは、先程とは全く異質の鼓動。


 バクバクと上がる心拍数を感じつつ、よからぬ思いが鎌首をもたげる。


 (……いや、彼女に限ってそんな筈は………)


 木戸を開ける手が震えていた。

 この先には彼女が居るはず、笑顔で自分を出迎えてくれるはず───!


 だが、そんな思いは、無残にも打ち砕かれる。


 空っぽの部屋、開け放たれた窓………。

 そして窓の外───、その先に走り去る人影を見た瞬間、太郎は自分が考えた最悪のケースが現実になったことを知った。


 ドレスの裾をはためかせながら走り去るミア。片手に握られているのは、きっと太郎の財布だろう。

 ふと、彼女が振り返り、視線が合った。


 ───てへっ♪

 そんな感じで舌を出し、ミアは笑う。


 その瞬間、心の片隅に残っていた、ミアの清楚で薄幸なイメージが砕け散った。

 そしてMAXを振り切る怒りのボルテージ。


 (あの野郎ぉぉぉぉおおおぉぉぉ!!)


 彼女を追いかけるべく、窓枠に足をかける。

 しかし、すぐに自分が全裸であることに気付いた。


 きっと計算ずくの行動なのであろう。体をおおえる布のような物は全て、どこかに隠されてしまっていた。

 それほど難しい場所に隠されてはいないのであろうが、探しているうちに彼女がどこかに走り去ってしまうことは明白であった。


 太郎は天狗の面を見つつ、今後の行動を考えた。


 1、天狗の面で股間を隠す。

 ………これはダメだ。股間は隠せるが、顔が丸見えじゃないか。

 それに股間にこんな物を付けているなど、変態以外の何者でもない。


 2、天狗の面で顔を隠す。

 なるほど、これなら自分の正体を隠すことができる。

 だが、股間の(ボーイ)はどうすれば………!?

 そこで彼はハッと、自分の両手を見た。


 (自分の両手があるじゃないか……!)


   ▽


 ミアは走っていた。


 本当、男ってバカね。ちょろいもんだわ───、などと笑いつつ、片手の財布を眺める。

 中味は確認していないが、けっこうな金額が入っているように思えた。


 その時、背後で聞こえる叫び声。

 振り返れば、天狗の面をかぶった太郎が、2階の窓から飛び降りる姿が見えた。

 そして背後から追いかけてくる、天狗の面を付け、股間を押さえた全裸男!


 (ウソでしょ─────!!)


 だが、だました客に追いかけられる事など、過去に何度も経験している。

 その辺の男には負けないくらい、脚力には自信があった。ミアは速度を上げる。


 だが──────、


 太郎の脚力はミアのそれを遥かに上回る、あり得ない速度であった。

 背後から、着実に近付いてくる駆け足の音。

 振り返れば、すでに二人の距離は半分ほどに縮まっていた。


「オラぁぁああぁぁ、待てやぁぁぁァァァァっ!!」

「いやあああぁぁぁぁあああ!!」


 ダメだ。これはいずれ追いつかれてしまう!

 背後から迫り来るその異形の恐怖に、ミアは真っ青になった。


   ▼


 ミアの背中が見えていた。

 もうすぐ、もうすぐ追いつける!


 信じたものに裏切られた事で、太郎の怒りは頂点に達していた。

 だからこそ気付かなかったのだろう。当初、暗がりを目指して走っていたミアが、途中から明るい繁華街へ方向転換をしていたことに。


 そして、その背中が射程距離内となり、太郎が片手を伸ばした瞬間であった。

 おもむろに倒れ込むミア。そしてそのまま、大声で叫んだ。


 「お願い、助けて、助けて下さい!」

 ミアの前には、屈強な剣闘士たちがたむろしていた。


 片手を前に出したまま、その場に固まる太郎。

 冷や水を浴びせられたような感覚。瞬時に冷静になった太郎は、周囲の状況を観察する。


 恐らくは娼館街の用心棒たちの詰め所なのだろう。

 繁華街の外れに建てられた小屋、その軒先で4名の剣闘士たちが卓を囲み、カードゲームに興じていた。

 突然の出来事に沈黙する一同。しかし、やがてそのうちの一人がミアの訴えに応じた。


 「おう、どうしたんだい。お姉さん」


 まずい。非常にまずい状態だ。

 ミアと自分の外見を比べたら、明らかに自分のほうが不審者だ。犯罪者だ。悪人だ!

 慌てて太郎が弁明する。


 「いや、ちょっと待ってくれ、俺はこの女に財布を………」

 そこで、ミアは太郎の声を(さえぎ)るように叫ぶ。


 「この人が……、この人が……、私を無理矢理…………!」

 それまでの小悪魔的な顔はどこへやら、両目に涙を浮かべつつ訴える彼女は、始めに出会った清楚で薄幸な美人に戻っていた。

 あまりの女優っぷりに太郎は言葉を失う。


 「おう、兄ちゃん、ここでのいざこざは見過ごせねえなぁ」

 その中のリーダー格なのだろう、額に十字の入れ墨をした剣闘士が太郎の前に立ちはだかる。

 気付けば周りを、4人の剣闘士たちに囲まれていた。そして、徐々に集まり始める野次馬たち。


 (……や、やばい!)

 冷や汗が、体中から噴き出した。

 どうにかこの場から逃げる方法はないものか。


 いっその事、謝ろうかとも考えたが、それは有りもしない自分の罪を認めることになってしまう。

 そんな事をしたら、この剣闘士たちに何をされるかわかったものでは無かった。


 思案に暮れつつ、太郎は周囲を見渡す。

 そして徐々に集いつつある人混みの中に、見慣れた姿があることに気付いた。


 均整のとれた長身、黒の長髪を背後で一本にまとめ、オシャレな仮面を顔に付けている。

 そう、太郎をこの街に連れてきた張本人、アルフレド・フェルネスカであった。


 太郎としては、暗闇の中に一本の光明を見出した気持ちであった。

 その光明にすがるように、彼に向かい手を上げようとしたその瞬間───、


 おもむろに、太郎に背を向けるアルフレド。

 彼はスタスタと早足で歩き出すと、近くに止められた馬車に乗り込んだ。

 甲高い馬のいななき。そして町外れに向けて、全速力で走りだす馬車。


 (え、ええっ………ええええええっ!?)


 動くこともできず、それを呆然と見守る太郎。


 自分が見捨てられた事を理解するのに、太郎は数秒の時間を要した。


 ………。


 ………………。


 ………あの野郎おおおおぉぉぉ!!


 自分はだまされていた。

 普段は全然ダメなセクハラ親父だけど、あのちょっと格好いい外見に、自分はだまされていた。

 本当は凄い人なんじゃないかと。本気を出したら凄い人なのではないかと!


 だがこの時、自分の上司が純粋なゲス男であることを、太郎は思い知ることになってしまったのであった。




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