48、脱兎の如く
英雄、色を好む―――とは、よく言ったものだ。
それはこの世界とて例外ではない。
クラウ市の高官の中にも、定期的に娼館街へと通う者は数多くいる。
だが、時としてそれは、スキャンダルへと発展する危険な遊びでもあった。
ある時、とある高官が、正体を隠すため仮面をかぶって娼館街へと通うと、それが爆発的に流行した。
最近では、ファッショナブルな仮面をかぶることが、ステータスにもなっている。
また、たとえ仮面をかぶった相手の正体を見抜いていたとしても、知らない素振りで通すのが、この街でのルールにもなっていた。
▽
「いや~、僕には魔導評議会に友人がいてね―――あ、ほら、うちと魔導評議会は犬猿の仲だし、名前は言えないんだが、その彼からもらったんだよ。その仮面」
いつもの軽い感じでペラペラと、アルフレドは天狗の面について語る。
「何か召喚してたら出てきたらしい。ほら、君が召喚された魔法陣だよ。珍しいから僕にくれるって言うんで、貰ったんだよね。こんな仮面、見た事ないしさぁ、個人的にはすごく気に入ったんだけどね………」
そう、太郎は魔導評議会が行った召喚の儀式―――、その52回目で召喚されたのである。
それまでの51回は、元の世界で、太郎の身の回りにあった物が召喚されていた。
すなわち、この天狗の面も―――、
太郎は震える手で、天狗の面を見つめていた。
恐る恐る、その面を裏返す。そこに刻まれた”花高田神社”の文字………。
(間違い………ない!)
それは、地元の神社で祀られていた面であった。
▽
太郎の地元は、天狗伝説が残る土地であり、神社には天狗の面が祀られていた。
この面は伝承によると、江戸時代に地元でちょっと有名な木彫り職人が制作したもので、県の重要文化財に指定されそうな由緒正しきものらしい。
毎年、夏祭りになると、地元の若者がこの面をかぶって、神社の舞台で天狗踊りが披露される。
だが今年、この天狗の面が突如として消失した。
侵入形跡は無く、厳重に保管されていた箱にも、壊された形跡は無かった。
まるで溶けて消えるように、面だけが無くなっていたのである。
この事件は、地元でちょっとしたニュースとなり、新聞の地方欄にも小さく取り上げられた。
しかし、探しても見つからない筈である。
何たって、こんな場所に”召喚”されていたのだから。
「あ、やっぱりそれ、君の世界の物なのかい?」
太郎の心中も知らず、いたって軽くアルフレドは尋ねる。
「はい、これは天狗という妖怪……、いや、モンスターの仮面で………」
「トングー?」
「いえ、天狗」
「ティングーね」
もう、それでいいや―――、と思った。
「そうか、ティングーか。いや、話は戻るんだがね、これをかぶって娼館に行ったら、女の子たちにキモがられてね。もういらない――って思ったわけさ」
地元で神と崇められていた天狗様を、何となく侮辱されたような気がしてムカッとした。
いや、アルフレドに悪気は無いのかもしれない。
だが、少し考えてみると、キモがられた仮面を自分にかぶらせる時点で、こいつ最低のクソ野郎じゃないか?
ジド目でアルフレドを見る。
だが、彼は頭にクエスチョンマークを浮かべ、きょとんとした目で首をかしげた。
悪意は無いようだ。
単に頭が足りないだけらしい。
「ちょうどいいじゃない。君の世界の仮面なんだから、君がかぶっていきたまえ。さあ」
そう言われたものの、太郎はかぶるのをためらった。
というのも、この面、信じる者には力を与え、ないがしろにする者には罰を与える、不思議な力を持つ面と伝えられているからだ。
代々、夏祭りで天狗踊りを踊った若者が、その後の人生において大成しているのが、ひとつの根拠であるらしい。
だが、もともと将来有望な若者が、天狗踊りに選ばれているのだから、それも当然かもしれない。
「どうした。早くかぶりたまえ」アルフレドがせかす。
そんな言い伝え、迷信に決まってる。見てみろ、ただの木彫りの面じゃないか。
それに、ここまで来た以上、帰るわけにもいかない。そうだろう?
とりあえず、正体は隠さなければならないんだ。
そんな風に、自分で自分を言い聞かせ、覚悟を決めて天狗の面をかぶる。
……………。
意外なフィット感。まるで表皮に吸い付くような感触。
いったい過去に、何人の若者がこの面をかぶったのだろう?
面に宿る歴史に思いを馳せながら、太郎はしばし感傷にひたった。
だが―――、
「………ぶっ、ぶはははは、ふははははははは!!」
突如としてアルフレドの馬鹿笑いが響き渡った。
「うん、変、そんでキモい。確かにキモいわ、その仮面!」
太郎を指差し、腹を抱えながら、アルフレドはひたすら笑う。
アルフレドに言われ、騎士とわからぬよう、太郎は普通の村人ちっくな服装でここに来ていた。
そこに真っ赤な天狗の面である。それは、この世界の人間が見てもアンバランスで、珍妙に見えるようであった。
(……天狗様、もうこいつ、殴っていいよね?)
太郎は無言のまま、拳を握りしめる。
その傍らに、ぼんやりと浮かんだ天狗様が、親指を立ててGOサインを出したように、太郎は感じた。
▽
「いや~、すまんすまん。笑ったのは確かに失礼だったね」
あっけらかんと、爽やかな笑顔でアルフレドは謝罪した。
「でもさすが、重い一撃だったよ。でも、その一撃に耐えた僕の腹筋も、大したものだよね!」
先ほど太郎がかましたボディブローのことである。
無論、本気を出したら即死させる自信があったため、太郎はかなり手加減をしたのだが、何かアルフレドは勘違いをしているようだった。
続けて始まった腹筋自慢を、太郎は苦笑いで聞きながら、二人は歩き出す。
夜だというのに、何という光であろうか。
街灯の整備も進んでいないこの世界、もはや市街地のほうは完全な暗闇に包まれているに違いない。
無論、元の世界の繁華街とまではいかないが、この光量はそれに近いものがある。
夜の繁華街など行ったことも無かったが、この街が、そっち系の街であることは、肌でひしひしと感じることができた。
やっぱり、どうしても目についてしまうのは、色っぽい格好のお姉さんたち。
恥ずかしくて直視はできないが、どうしても横目でチラチラと彼女らを見てしまう。
一方のアルフレドは慣れたものであった。
というか、もはやこの街の常連なのであろう。
声をかけてくる客引きを、軽くいなしつつ、先へと進む。
中には仮面があるにもかかわらず、アルという名前で、声をかけてきた客引きもいた。
どうも正体はバレバレのようだが、本人はそんな事、何とも思っていないようである。
いわゆる”ファッション”として、仮面は身に着けているようだった。
歩いているうち、客と客引きの他に、剣闘士らしき奴隷の姿が混じっていることに気付く。
アルフレドいわく、奴隷商人はだいたい剣闘商会と娼館を併せて経営しており、下っ端の剣闘士はよく娼館の用心棒をしているらしい。
娼婦の妖艶さと、剣闘士の危険さ、それらを併せ持つ何とも独特な雰囲気がある街だった。
やがて、二人は目的地へと到着する。
そこは、この街でも、ひときわ豪華な娼館であった。
「どうも、お久しぶりです。アル様」
スーツっぽい黒服を着た従業員が、二人を出迎える。
「えー……、ところで、こちらは………」
そして明らかに不審っぽい視線を、太郎に投げかけた。
「うちの新人さ。こういう場所は未経験らしくてね。社会勉強のつもりで連れてきた」
「そうでしたか……」と答えるも、その疑るような視線は、太郎のかぶる面に注がれ続ける。
「……ああ、その仮面か。かなり変だけどね。中身はいたって普通の少年だよ」
(変ゆーな!あんたがかぶせた仮面だろうがっ!)
……と、心中で太郎がツッコんだ瞬間、店の奥から黄色い歓声が上がった。
「アル様じゃないですかぁ~!」
「やだ~、ずいぶん久しぶりですわね」
「ねえねえ、今日は誰を指名しますの?」
フェルネスカ家という名門貴族の出身。お金持ちで金払いも良く、しかも独身。外見も悪くはない。
さらに性癖もノーマルで、ルーズなところを除けば、性格的にもさほど問題は無い。
そんなアルフレドは、当然ながら、この街で人気があった。
アルフレドを中心に飛び交う黄色い会話。
その傍らで、太郎はポツンと立ち尽くしていた。
その足が、わずかに震えていることに、誰か気付いた者はいただろうか。
そう、ここにきて彼は、怖気づいていたのである。
(………勢いでここまで来てしまったが、果たしてこれでいいのだろうか?)
久しぶりに発病したヘタレ病に悶々とする太郎。
だが、ほどなく、そんな悶々を吹き飛ばす、鋭い怒声が奥から響いた。
「こら、貴様ら!そんな場所で何をしゃべっておるか!」
「すっ……すみません!」
黒服の男はびくっと震え、その場にびしっと直立する。
と同時に、アルフレドに群がっていた娼婦たちは、青い顔で蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「そんな場所でしゃべっておったら、他の客が入れぬではないか!」
そう怒鳴りつつ、奥から長身痩躯の紳士が姿を現わす。
「すまんカルボン、俺のせいなんだ」
その紳士に向け、アルフレドは頭をかきつつ困ったように言う。
(………カルボン?)
そう、その名前に太郎は聞き覚えがあった。
そして、その紳士を見た瞬間、彼は仮面の下で鼻水を吹き出し驚愕する。
彼の名は、カルボン・ファンゴー。
ここは、ファンゴー商会の娼館であったのだ。
「おう、アルフレドか。久しぶりだな」
「ん、ああ。すまん、あまり怒らないでやってくれ」
「そうはいかんよ。失態を犯した者には、厳しい罰が必要だ」
カルボンは両手に鞭を握りしめ、黒服の男を奥へと促す。
男はうなだれた様子で、とぼとぼと奥へと歩いていった。
「君は上客だ。ゆっくり楽しんでいってくれ」と言いつつ、カルボンも奥へと消えてゆく。
そうは言われても―――と、アルフレドは苦笑いし、太郎を見た。
しかし―――、
いない。
周囲を見回したが、太郎の姿はどこにも無かった。
そう、彼はカルボンの姿を見た瞬間、脱兎の如くこの場から逃走していたのであった。
▽
まさに脱兎と呼ぶにふさわしく、太郎は俊足でひたすらに娼館街を駆け抜けた。
本能がそうさせたのか、自分の姿が見えぬよう、暗い方へ暗い方へと……。
やがて彼は、街灯も設置されていない、街の外れへとたどり着く。
付近には逢引き宿らしき、みすぼらしい建物がいくつか並ぶ。
すなわち、元の世界で言うラブホテル街のような場所であった。
太郎は荒い息で、草むらに座り込む。
そして、肌を伝う汗を感じつつ、顔面にある天狗の面に触れた。
(大丈夫、これがあるんだから、俺だとは気付いていないはず……)
そうだ、仮面があるのだから、もっと堂々としていれば良かったか?
何となく、反射的に逃げ出してしまった嫌悪感にも襲われる。
だがほどなく、あんな奴の店、一刻も早く抜け出て正解だったという結論に達した。
そして、ふと我に返り、今後のことを考えてみた。
アルフレドと離れてしまった以上、他の店に行く気にもなれない。
今日はこのまま帰ろう。
そうだ、やっぱりこんなの間違っている。
やっぱり初体験は、恋愛をして、好きな娘と………
などと考え、娼館街からの出口を探し始めた時であった。
近くの木陰から、こちらをのぞき見ている人影。
思わず身構えた瞬間、その影もびくっと震えた。
「ごっ、ごめんなさい!」と、女性の声が響く。
そして、弱々しい宿の明かりを受けつつ、ゆっくりと浮かび上がったのは、二十歳手前と思しき女性の姿。
その頭上に浮かぶ月がよく似合う、どこか薄幸そうな女性であった。
一瞬、どこかの娼婦かとも思ったが、どうやらそうでも無さそうである。
娼婦であるならば、商会の監視下から離れ、自由に行動などできないからだ。
それに、今まで見た娼婦のような色香が無い。着ている服もいたって地味なドレスである。
どことなくオドオドして、落ち着きもなかった。
「えっと、その仮面が珍しくて、つい………」
太郎は天狗の面を指差され、思わずうつむき、頭をかいた。
「へ、変……だよね」
「ううん、面白い」
それまでアルフレドに散々笑われた天狗の面を、何となく褒められたようなような気がして、太郎は少し嬉しくなった。
彼女に見てもらおうかと、思わず面に手をかけたが、これを外すと正体がバレてしまうことに気付き、慌てて手を下げる。
それにしても、いったい何なのだろう。
相変わらず、何のアクションも起こさぬまま、ポツリとたたずむ彼女に、太郎は混乱を覚える。
しばらく、気まずい沈黙が流れた。
「あ、あの、俺もう帰るから……」
沈黙に耐えきれず、太郎は踵を返す。
だが、数歩進んだ先、彼は服を引っ張られ、立ち止まった。
思わず振り返ったそこには、服のすそを掴む彼女の姿。
口をぱくぱくさせ、何か言いたげである。
「な、何……?」
「あ、あなた、もう済んだの?」
「………え?」
「だから、お店で、もう済ませてきたの?」
「い、いや、何も………」
「じゃあ、私を……、買ってくれない?」
当初、その言葉の意味がわからず、太郎は固まる。
だが次の瞬間、彼は叫び声を上げて、大きく飛び退いた。
「な、な、何よ、私じゃ不満?」
「い、いやいやいやいやいや!」
そんなことは無い。太郎の基準では、彼女は十分に美人の部類に入る。
しかし、ついさっき、初体験は恋愛をして好きな娘と―――と、決めたばかりなのだ。
「借金を……返さないといけないの。この仕事ならてっとり早く稼げるって、教えられて来たんだけど……、私、そういう経験ないから不安で……。あなたなら、何となく優しそうだし……、お願い、私を買って!」
潤んだ瞳で見つめられ、太郎は瞬時に恋に落ちた。
だが、それでも理性が問いかける。
本当にこれでいいのか―――と。
だが、ふと視線を送った彼の横では、ぼんやりと浮かんだ天狗様が、親指を立ててGOサインを出していた。




