47、歴史編纂部
太郎はそれまで握っていた剣をペンに持ち替え、ひたすらに報告書を書いていた。
ペンの走る速度はすこぶる遅い。例えるならば幼稚園児並みである。
まあ、それも無理のない話なのだ。
読めはするが、書くことはできない。
そんな状態から、書くこともできるようになりつつある。
考えてみれば、すごい進化かもしれない。
だが、気を抜くと、元の世界の文字―――、すなわち日本語が出てくる。
そのため、一瞬たりとも、気を抜くことができない。
思えば、北の城壁で魔物討伐をしていた頃は、今よりいくらかマシだったかもしれない。
思う存分、体を動かすことができたし、それはある意味ストレスの発散にもなっていた。
だが、あの岩山は完全に浄化され、今や北の城壁は、建築現場の様相を呈していた。
警備の騎士団は、昼夜を問わず常駐し、夜は煌々と松明の火が灯されている。
それを魔物も警戒しているのだろうか、もはや長いこと、北の城壁に魔物が出現したという話は聞いていない。
いつからか城壁の観客も居なくなった。太郎もお役御免となり、今度は魔王軍襲来騒動の報告書を書くように命じられたのである。
そのまま城壁警備を継続するという話もあったようだが、どことなく作業場で渦巻いている政庁への不満、反政府組織が水面下で太郎に接触をはかる恐れがあり、政庁は彼をその警備から外させたのだった。
そして、彼は新たな部署へと、配置換えされたワケだが………
▽
手狭な部屋に、机が二つ、向かい合わせで置かれている。
片方に座るのは太郎。そしてその向かいには、中年の騎士が机に脚を投げ出し、グースカ寝ていた。
彼の名はアルフレド・フェルネスカ、太郎の新しい上司にあたる。
浅黒い肌、黒の長髪を後ろで一本にまとめ、口元には無精ヒゲ。
元の世界で言えばチョイ悪オヤジ風、外見的にはそれなりにダンディで、この手の男性が好きな女性にはモテそうである。
フェルネスカ家といえば、クラウ市の中でも名門であり、アルフレドも若い頃はそれなりに出世街道を邁進してきたようだ。
しかし、どこでどう間違ったのか、彼はその出世街道から脱線してしまう。
家督は弟に奪われ、彼は閑職と言われるここの所長として、日々惰眠をむさぼっているのであった。
ちなみにここは騎士団の歴史編纂部。
クラウ騎士団の歴史をまとめる、或いは既にまとめられた書籍を管理する部署であった。
先の魔王軍の襲来は、クラウ市始まって以来の、まさしく歴史に刻むべき大事件。
そのため、それまではアルフレド1人だけであったこの部署も、大幅な増員がなされていた。
事件当時、配備された騎士たちが書いた膨大な量の報告書。
それらを別室で事務員たちが必死にペンを走らせ、まとめ上げる。
そして、出来上がった物を、アルフレドがチェックする――はずなのだが………、
▽
ガチャリとドアが開き、若い女性事務官が姿を現わした。
両手に抱えた分厚い冊子を、ドスッとアルフレドの机上に落とす。
その音に、アルフレドが飛び起きた。
「ふ、ふわっ!な、何だ?もう帰る時間かな、タロー君」
太郎は首を振り、女性事務官を指差した。
彼女は、明らかなイラ立ちの色を見せつつ、アルフレドの脇に仁王立ちしている。
ピリリと緊張した空気が走る中、アルフレドは爽やかな笑顔で、友好的に語りかけた。
「い、嫌だなぁ~、そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃないか」
と、言いつつも、ひょっこり伸びたその右手は彼女の尻を撫でている。
「………」
彼女は無言のまま、ギラッとした眼光をアルフレドに向けた。
その怒気こもる眼光に、彼は慌てて手を離す。
「所長、前に持ってきた報告書は、読んでいただけましたか?」
「あ、ああ、あの報告書ね………」
彼が視線を落とした先―――、その机の片隅には、分厚い冊子が2つ、かぶりかけの埃とともに置かれていた。
「も、もちろん、完璧だ。パーフェクト、このまま政庁に持って行っても、何ら問題ないさ!」
そうは言うものの、その文章の1行すら、アルフレドが読んでいないのを、太郎は知っている。
この部屋での、彼の行動パターンは2つしかない。
居眠りしているか、或いは窓の外を歩く美人を観察しているか、―――である。
事務官もその辺は十分承知の上で、諦めたようであった。ため息とともに彼に告げる。
「では、この書類にサインを下さい」
「あ、ああ、もちろんだ」
書類を受け取った事務官は、机の反対側に回り込み、冊子を持って行こうとする。
しかし、すくっと立ち上がったアルフレドが、彼女の行く手を阻んだ。
ちなみに、ちゃっかり伸びた右腕が、彼女の腰に回っている。
「おっと、美人にこんな重い物を持たせるワケにはいかないな」
彼は左手で冊子を持ち上げると、「これは僕が持とう。さあ、行こうか」と、移動を促す。
だが、ついに堪忍袋の緒が切れたのだろうか。彼女は両手を握りしめ、こめかみに青筋を立てつつ言い放った。
「いい加減にして下さい。弟君に言いつけますよ!」
そのセリフを聞いた途端、彼の腕が事務官より離れる。
アルフレドは青い顔をしながら、「ごめんごめん」と苦笑いしていた。
そんな彼から強引に冊子を奪うと、事務官は足早に部屋を出てゆく。
そんな一連の光景を、太郎は少し赤面しつつ、横目で眺めていた。
「いや~、怒られちゃった。まいったなぁ……」
へらへらと笑いつつ、再び椅子へと腰を下ろす。
何というか、行動すべてが軽い。
この部署に異動する際、ソニアから『あの人物には気を付けるように』と何度も言われたのだが、確かに性格的にソニアと対極にあるような人物だった。
そして、ソニアが最も嫌いそうな、”女性の敵”に分類される、セクハラ魔であった。
▽
日没とともに、鐘の音が都市に響き渡る。
それを聞くや、アルフレドは椅子から飛び起き、う~ん………と、背伸びをした。
しばらく窓の外を眺め、ふと太郎を見る。すると、そこには机に向かったまま、ぎこちない様子でペンを走らせる彼の姿があった。
「君はマジメだなぁ」と、感心した様子で言う。
「あ、いや、あまり報告書がはかどっていませんし、それにどうせ、俺のねぐらはここですから………」
アルフレドは、困った奴だ―――といった様子で、頭をかきながら言う。
「う~ん、君はもっと、人生を楽しく生きたほうがいいと思うよ」
その言葉を聞き、何となく太郎はイラッとした。
できることなら自分だってそうしたい。しかし、昼間はここにカンヅメで、夜は外出を禁じられている。
この状態で、いったいどう楽しめと!?
「ですが、俺は外出を禁じられていますし………」
「………はぁ?まさか君、それをバカ正直に守っているんじゃなかろうね!?」
「………はい?」
太郎は思わずペンを止め、アルフレドを見た。
「確かに僕も―――だ、君を外に出さず、見張るように言われている!」
(………いいんですか?見張る本人の前で、そんな事を言っちゃって)
「だが、僕は君を見張ったことなど、一度たりとて……無い!」
(うん、いつも寝てるもんな、あんた)
「ルールというものはね、破るためにあるのだよ!」
この迷言は、次元を問わず、どの世界でも共通らしかった。
「元いた世界がどんなだったかは知らんが、君は少し、この世界で遊びを覚えたほうがいいようだね」
「は、はあ、遊び……ですか」
「そうだ。今晩、僕に付き合いたまえ。大人の世界を見せてあげよう!」
「………」
何となく、不良から、学校を抜け出そうぜ―――と、誘われているような、危険な臭いが感じられた。
そんな太郎の心中を察したかのか、まるで挑発するかのように、アルフレドは言う。
「……ひょっとして、怖いのかい?」
「そ、そんなことないっすよ。行きます、行きますとも!」
アルフレドは、その答えにニコリと笑顔を返すと、そっと太郎へ耳打ちを行った。
◇◆◇◆◇
バクバクと、心臓が波打っていた。
はっきり言って、騎士団本部から抜け出すことなど、造作もない。
今までだって、やろうと思えばいつでもできた筈だ。
きっとこの動悸は、課せられたルールを破ることへの、罪悪感からきているのだろう。
やめようと思えば、いつでもやめることはできる。
しかし、アルフレドと約束をした手前、やめることには抵抗を覚えた。
何より明日、セクハラ魔から臆病者と笑われるのは、我慢がならない。
闇夜、松明の炎がゆらめく。
太郎は物陰を伝いつつ、騎士団本部の西門を目指した。
たどり着いた西門では、警備の騎士が椅子に座り、居眠りをこいていた。
アルフレドの情報どおり、今晩ここについた騎士は、仕事に不真面目な者たちらしかった。
助走をつけ大きく跳躍し、太郎は壁を軽く乗り越える。
そして、しばらく街道を走った先、アルフレドから教えられたとおりの場所に、その馬車は止まっていた。
太郎の足音に気付いたのか、ひとりの紳士が降りてくる。
その異様な姿に、太郎は足を止め、一瞬警戒した。
彼はその顔に、仮面をかぶっていたのであった。
「ははは、ごめんごめん、僕だよ」と、仮面がずらされる。
そこにあるアルフレドの顔に、太郎は安堵した。
―――だが、なぜ仮面を?
そんな疑問を覚えつつも、促された太郎は馬車へと入る。
椅子に座ると同時に、アルフレドは御者に出立を命じた。
カラカラと乾いた音を立てて回る車輪。
細かい振動を体に感じながら、しばらく太郎はアルフレドと無言のまま向き合う。
やがて、おもむろにアルフレドが言い放った。
「ところで、君は酒は飲むのかな?」
「い、いえ、普段は全く……」
「女遊びの経験は?」
「な、無いです」
「いかんなぁ、それはいかん。人生の半分を損してるぞ」
とは言っても、酒や風俗、ついでに言えばタバコ・ギャンブルも、自分の年齢ではできないことばかりじゃないか。
―――などと考えたが、ここは異世界。いっそのこと、元の世界の価値観は捨てたほうがいいのかもしれない。
馬車は石造りの橋を渡った先で停止する。
窓から差し込む光に、太郎はまるでトンネルを抜け出たような錯覚を覚えた。
街灯の中、煌びやかな建物が立ち並んでいる。
そして、艶やかに着飾った女性たちの姿。
往来を行き来する男どもの中には、仮面をかぶった者たちの姿もあった。
「ここが娼館街だよ。来るのは初めてだよね?」
呆然と窓の外を眺める太郎に向け、アルフレドは笑いながら言った。
▽
クラウ市の一角に娼館街はあった。
行為に及ぶにあたり邪魔となるため、この区画では女奴隷たちの首輪を外すことが許されている。だが、それゆえ過去には多数の脱走者も出た。
そのため娼館街は、川と塀とで遮蔽され、その境界には見張りもおり、人の行き来が厳重に監視されていた。
窓から差し込む妖艶な光。
まるでその光に誘われるように、フラフラと太郎は馬車から出ようとしていた。
そんな彼を見て、慌ててアルフレドが言う。
「待ちたまえ。君は有名人だからな。そのまま出るのは止めたほうがいい」
そして懐にあった、もうひとつの仮面を、太郎に向けて差し出した。
「君のぶんもちゃんと用意しておいたぞ。どうだい、ひょっとして見覚えがあるんじゃないかな?」
「―――!?」
めちゃめちゃ見覚えがあるその仮面―――、いや”お面”に、太郎は口をあんぐりと開けて絶句した。
真っ赤な顔。
怒りを表現している、吊り上がった眉毛と目。
何よりその鼻がピノキオのように長く、突き出ていた。
「て、天狗ぅぅぅぅぅ―――!?」
そう、アルフレドが差し出したのは、何故か天狗の面であったのだ。




