42、彼の帰還
太郎はひたすらに、ロージン宅のソファーで時間の経過を待っていた。
玄関先に描かれたあの魔法陣は、すでにエストが消滅させている。
それは、これ以上の犠牲者を出さないためにも、賢明な措置だろう。
そして家の奥には、恐らく男子化したアイシャが居るはずだ。
一度、エストが呼びに行ったが、部屋には鍵がかけられ、中へは入れてもらえなかったらしい。
正直、見てみたいという興味はあるが、そっと静かにしておくべきだと思った。
自分だって、こんな姿、他人に見られたくない。
脇ではソファーに寝転がり、あの魔導書をペラペラとめくるエストの姿。
まるで自分は関係ないといった感じの彼女に、若干の苛立ちを覚えてしまう。
まあ、あの魔法陣に乗りたいと駄々をこねた彼女を、必死に止めたのは太郎であるのだが。
しかし、どうにもこうにも落ち着かなかった。
沈黙に耐えかねた太郎は、エストに話しかける。
「なあ、あの魔法陣の上にもう一度乗ったら、体が元に戻るとか……そういう事はないのか?」
「そうですね……、可能性としてはアリですけど、やめたほうがいいですよ」
「それは、どうしてだ?」
「魔法が二重に上塗りされて、元の魔法が解けなくなるかもしれません」
……女体化のほうが解けなくなるかもってことか。そりゃマズい。
しかし、ずいぶん長いこと待ったような気がする。
いったい、短時間ってどれくらいなんだ?
そもそも、1年に比べたら、1週間も短時間じゃなかろうか。
そう考え、顔から血の気が引いてゆくのを感じる。
いや、余計な事を考えるな!
今は待つしかないのだ、待つしか……
彼は再びソファーに鎮座し、時間の経過を待ち始めた。
▽
―――そして、さらに数刻、
沈黙と退屈の前に、太郎は白旗を上げて全面降伏した。
彼は突如として立ち上がり、エストに尋ねる。
「エスト……、鏡はないか?」
「鏡ですか。それなら確か、その辺に……」
エストが指差す先には、鉢植えの裏に立てかけられた木の板。
太郎はそれを裏返し、鏡面部分を表に出して自分を見てみる。
どうせなら、性別が逆転した自分を見ておこう。
こんな経験、めったに無いのだから。
そして、鏡の向こうに映る自分を凝視した。
……。
………。
感想が、なかなか出てこなかった。
ブスでも無ければ、とり立て美人というわけでも無い。
正直に言って、褒める部分も、けなす部分も見当たらない。
そこに映るのは、いたって普通の、その辺のどこにでも居る女の子だった。
あえて特徴を上げるとすれば、どこか弱々しい雰囲気を覚える程度か。
太郎は思わずため息をついた。
そうだよな。元の素材が、平均的で普通の容姿なのだ。
女性化したからといって、いきなり美少女になるわけも無い。
……何か、見て損した気分。
がっくりと、肩を落としながら鏡を裏返す。
その時―――、
「おい、入るぞ」と、聞き覚えのある声が響いた。
玄関のドアノブがガチャリと回され、入ってくるケイメンの姿。
長身痩躯、艶やかな長髪に、すっと通った鼻筋。
切れ長でまつ毛の長い瞳からは、妖艶な目力が感じられた。
まるで少女漫画の1ページから抜け出したような彼の姿に、太郎の思考は一瞬、停止する。
……ひょっとして、脳内までもが、女性化しているのだろうか。
それまでも男前だとは感じていたが、今回はその感じ方が全く違う。
体が火照り、心音が高鳴るのを感じていた。
「……ん、お前……誰だっけ………?」
ケイメンは太郎を見つつ、不思議そうに尋ねる。
女体化した太郎には、男だった頃の面影が、何となく残っていた。
そのためケイメンは、過去に出会った事があるような錯覚を覚えていたのである。
そんな様子を見たエストは、くるりと彼らに背を向け、肩を震わせながら、必死で笑いをこらえ始めていた。
ケイメンに見つめられる太郎は、まさしく蛇ににらまれたカエル状態。
顔を真っ赤にし、挙動不審な様子でオドオドしている。
やがてケイメンはその錯覚を、どうでもいい事として結論付けた。
その容姿がてら、彼は女性からのアプローチを受ける機会も多い。
いちいち、ひとりひとりの女性を覚えていてはキリが無いのも事実だった。
「……まあいい。おいエスト、どこかで少し寝させてくれ」
ケイメンがそう言い、エストを振り返った瞬間である。
ガンガン……と、いきなり響く重厚な音。
見れば、太郎が壁に頭をひたすら打ち付けている。
(だあああぁぁ、ときめいちまった!俺、男にときめいちまったあああぁぁ!!)
「おい、何やってんだ。やめろっ!!」
慌てたケイメンは、背後から太郎の両肩を掴むと、無理やり壁から引き離す。
思わず振り返った太郎の視線と、ケイメンのそれとが再び交差した。
一瞬の沈黙。
太郎の頬が赤く染まる。
どうにも抑えきれない感情。
再びそれに気付いてしまった太郎は、力の限りその制止を振り切った。
そして叫び声を上げつつ、再び頭を壁に打ち付け始める。
「おい、何なんだよ、こいつは!?」
ケイメンは困り果てた様子で、エストを見る。
エストはソファーに顔面をうずめ、そこに忍び笑いをぶちまけていた。
▽
「エスト、こいつはいったい何なんだ?」
「え~と、私の友達のタロリーヌちゃんです」
太郎に気を遣ったのか、あるいは隠していた方が面白いと思ったのか。
その意図は定かでは無いものの、エストは敢えてその正体を隠す。
「俺……こいつと前に会った事があるか?」
「いえ、ケイメンはタロリーヌちゃんと初対面な筈ですよ」
「……そうか」
ケイメンは、ソファーに座る太郎の姿を、怪訝そうな顔で見つめていた。
当の太郎は、額に絆創膏を貼り、うつろな瞳でどこか遠くの世界を見つめている。
頭の打ちすぎで彼は、あらぬ世界へ精神旅行をしちゃっていた。
歪みつつ、ぼやけた太郎の視界には、ケイメンの顔がゆらりゆらりと映っている。
やがて太郎は、自分に課せられた重大な使命を思い出した。
「そうだ……、これを………」
寝起きを思わせる緩慢な動作で、太郎は懐にあった封書を取り出し、手渡す。
ケイメンは面倒そうな顔をしつつも、無言でそれを受け取った。
(何だ……恋文か?)
女性から恋文を渡されることは、ケイメンにとって日常茶飯事であった。
というか、あまりに多くてウザいので、自宅のポストは撤去しちゃっている。
だが、このような状態で手渡されては、読まないわけにもいかなかった。
そのままビリビリッと口を破ると、手紙を取り出し、目を通す。
……?
………!!
手紙を持つ手は震え始め、その顔がみるみる赤くなってゆく。
そして手紙越しにチラチラと、太郎に送られる視線。
その仕草に、太郎は言いようのない違和感を覚えた。
徐々にクリアとなる意識の中で、何かおかしいぞ……と、考える。
居ても立ってもいられず、彼はその手紙を半ば強引にひったくり、その文面を確認してみた。
冒頭、愛するケイメン様へ―――、から始まるその手紙。
その先にびっしりと綴られていたのは、その辺の官能小説が裸足で逃げ出すような、濃厚で激しい愛情表現。
要約するとこうだ―――、
『私を抱いて』
そして赤面しつつも、最後まで読み切った太郎は、あることに気が付いた。
リーザの奴、差出人の名前を書き忘れてやがる!!
太郎は立ち上がると、慌ててケイメンに弁明を始めた。
「勘違いするなよ。違うぞ、これは違う人の手紙だ!」
「落ち着けよ。何を言ってるんだ、お前……?」
そんな太郎を見つつ、ケイメンは思う。
何だろう、彼女を見て感じるこの気持ちは……?
まるで、以前から親友だったような感情を覚える。
まさかこれは前世の記憶?これは運命の出会い……!?
何を言っても上の空なケイメンに、太郎はしびれを切らせていた。
思わず「帰る!」と叫び、足早で玄関へと向かう。
しかし、その手をケイメンが掴んだ。
「何だよ、離せよ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……!」
このまま帰したくない。こんな気持ちになるのは初めてだ。
自分から女性に迫るなど、何年ぶりの事だろう。
どう引き止めればいいのかも、わからない。
もはや、強引な方法しか思いつかなかった。
彼はその手を強く引き、太郎を自分へと引き寄せる。
そして、その腰に腕を回すと、力の限り太郎を抱きしめた。
そうなると太郎は、再び蛇ににらまれたカエル状態であった。
▽
「よ、良かったぁ……」
アイシャは自分のベッドに座り込み、安堵の声を上げていた。
両手で触れた胸には、わずかではあるものの、確かにその感触がある。
そして、下に出現したアレは、すでに消滅してしまっていた。
一時はどうなることかと、真剣に悩んでしまった。
このまま元に戻らなかったら……と、考えてしまったのだ。
鏡の前で、自分の姿を確認する。
正面、右斜め45度、左斜め45度……
そこに映っているのは、まぎれもなく普段の自分。
そこで、リビングから流れてくる喧騒が耳に入った。
それは、何やら楽しそうに騒いでいる音にも聞こえる。
そういえば一度、エストが『太郎が来ている』と、自分を呼びに来ていた。
あんな姿、彼には見せられなかったから、あの時は出て行けなかったけど……、
彼はまだ、家に居るのだろうか?
彼女は再び鏡の前に立ち、今度は笑顔の練習をする。
「よし……、大丈夫!」
彼女は高鳴る胸を抑えつつ、ドアを開けた。
そして、その先にある光景を見て、目を点にして固まる。
そこには、周囲に薔薇の花園を展開させつつ、男同士の姿で抱き合うケイメンと太郎の姿。
アイシャにかかっていた魔法が解除されてほどなく、太郎も元の姿へと戻っていたのだ。
しかし、抱き合う二人はそれに気付いていない。
(ナニ……コレ?)
思わず目を疑い、パチパチと瞬きを繰り返す。
だが、その光景はまぎれもない真実であった。
ゆっくりとホワイトアウトする視界。
やがて、彼女はその場に卒倒した。




