39、戦の後
夜が明けていた。
魔神の崩壊後、ほどなくして都市内で暴れていたガーゴイルの群れは撤退を始めた。
そして夜半過ぎ、隣接都市の援軍が到着する。彼らは都市周辺に群がった魔物の掃討を始めていた。
都市を襲っていた危機は、とりあえず去りつつあると言っていい。
ここは政庁の応接室。
ボンゴレアは援軍を率いた各隊長を個別に呼び出し、それぞれをねぎらっていた。
現在、彼の前に座るのは、白い甲冑に身を包んだ若い騎士。
アリウスというその騎士は、都市解放戦争の発祥地、ベスターレの援軍を率いた隊長であった。
相手が魔王軍ということもあり、形だけの出兵をした都市もある中、ベスターレは最精鋭と言われる第一大隊を派遣した。
それは、自分たちが自由都市連合の筆頭であるという自負によるものであろうが、ボンゴレアにとっては、非常に有難いことであった。
現在も、ベスターレ軍は魔神が出現した北の塔付近に陣を張り、魔物の掃討にあたっている。
ボンゴレアが謝意の辞を述べ、歓談が始まる。
やがて、話の流れは自然と、出現した魔神の話題となっていた。
「では、やはりあの岩山が、魔神の残骸なのですね」
「うむ、そのようだ。だが、まだ情報が錯綜していてな。確実な情報では無い」
「我が軍に従軍する魔導士も言っておりました。あの岩山には、まだ相当な魔力が停滞しているようで、それが付近の魔物を惹きつけていると。恐らくは間違いないでしょう」
「ふむ、だが非常に助かるよ。我らにはもう、都市に群がった魔物を駆逐する余力が無い」
「いえ、我らは自由都市の同盟憲章に従ったまでのこと。当然の事をしたまでです」
アリウスは涼しげに笑うと、丁寧に一礼をした。
しかし、大隊長にしては若い。まだ20代なのではなかろうか。
恐らくは……いや、間違いなく階級は貴族、それも格式の高い家柄なのであろう。
ベスターレは、当時の没落貴族たちが立ち上がり、都市解放戦争の先駆けとして解放された都市だ。
それゆえに、自由都市連合の中心地でありながら、身分制度は自由都市の中でも、ひときわ色濃く残っている。
「しかし、一体どうやって魔神を撃破したのですか?良ければお聞かせ願いたいのですが」
「ふむ、それはな……」
そこで、ボンゴレアの目が、キラリと光った。
今回の戦争は都市防衛戦であった。
敵は撃退したものの、都市は領土を獲得したわけでも無く、外貨を得たわけでも無い。
被害は甚大であるものの、戦利品は皆無に等しいのだ。得たものがあるとすれば、それは魔王軍を撃退したという名誉だけだろう。
ならば、その名誉を、最大限に利用させてもらおうではないか。
「我が都市には、切り札があるのだよ」
「……切り札、ですか。それはいったい……」
「少し前、都市の魔導評議会がな、300年前の勇者召喚の儀式を再現したのだ。召喚は成功し、ひとりの少年が召喚された」
「何と……、では、その者が魔神を……!?」
無言でうなずくボンゴレアを見て、アリウスは息を呑んだ。
300年前、勇者は魔法陣から現れた―――、
それは、この世界の誰もが知る伝説であり、当時、召喚にあたり、かなりの魔導士が命を落としたと伝わっている。
それゆえに、しばらくはその儀式も封印されていたのだが、戦乱の時代が始まったある時、その魔法陣の術式が盗まれ、流出した。
各国は、自分の国に勇者を召喚しようと躍起となり、その術式は高値で売買され、偽物も世間に出回ったという。
だがこの世界の歴史書に、新しい勇者が出現したという記録は残っていない。
いや、勇者召喚に成功したと宣言した国家もあったのだが、その勇者が歴史の表舞台に立つことは無かったのだ。
歴史書は、そんな勇者たちを、ただ一行でこう記している。
偽物の勇者を旗頭に立てる国家もあった―――と。
やがて、神聖ミラ王国が戦乱の覇者となり、時代は都市解放戦争へと移行してゆく。
その頃になると、勇者とは、神聖ミラ王国の皇太子が代々受け継ぐ称号となっていた。
新たな勇者を語ること自体、タブー視されるようになっていったのである。
そして現在も、その考え方は変わってはいない。
だが、魔導士が秘密裏に勇者召喚を行っているという噂は、時折流布することがあった。
アリウス自身も、ベスターレの魔導評議会が、勇者召喚を行ったという噂を、何度か聞いたことがある。
しかし、召喚に失敗したのか、或いは噂自体が虚偽であったのか、真偽はわからないものの、召喚に成功したという話は聞いたことが無かった。
無言のまま、アリウスは右手で前髪をかき上げる。
額に噴き出した冷や汗が、べっとりと手のひらを濡らしていた。
驚いたのは、勇者が魔神を倒した事実だけでは無い。
むしろ、ボンゴレアが勇者の存在を公言したことが衝撃であった。
それは、神聖ミラ王国に喧嘩を売る行為に等しい。
「暑いのかな、窓を開けた方がよろしいか?」
「い、いえ、結構です……」
その言葉を聞き、ボンゴレアは不敵な笑みを浮かべた。
「魔神と戦ったのでな。さすがに彼も無傷とはいかなかった。今は傷を癒しておる」
「そ、そうですか。ここに居るうちに是非、会ってみたいものです……」
「うむ、構わんよ。彼が承諾すれば、だがね……」
▽
ボンゴレアは窓から、去りゆくアリウスの馬車を見下ろしていた。
馬車の先には、せわしなく往来を動き回る騎士たちの姿。恐らく被害情報の収集を行っているのだろう。
そんな騎士たちに向かい、歓声を上げる市民。都市は魔王軍を撃退した高揚感に包まれている。
ボンゴレアは、神妙げな面持ちで、歓喜している市民たちを眺めた。
今はその高揚感に、痛みが麻痺しているだけだ。
だが、いずれ彼らは、その痛みに気付くだろう。
少なからぬ戦死者や、倒壊した建物など、その被害の甚大さに。
そんな市民たちに、痛みを感じさせないような、強い光がこの都市には必要だった。
カードは魔導評議会の元を去り、今は自分の手元にある。
もう少し、懐に温めておきたかったが、仕方が無い。
今切らずして、いつこのカードを切るというのか。
彼も迷いを感じていないわけでは無かった。
勇者のカードは諸刃の剣。使い方によっては、自分の身を滅ぼす。
だが公言してしまった以上、もはや悩んでも仕方が無いことだった。
今は、切ったカードの効力を、最大限に引き出すことを考えよう。
「勇者よ、早く目覚めるのだ。君の仕事は、ここからが本番だぞ……」
遥か遠くの空を眺め、ボンゴレアはそう小さくつぶやいた。
◆◇◆◇◆
五感の作用が、ゆっくりと戻りつつある。
始めに目に映ったのは、土肌でできた見覚えのある天井。
太郎は自分の部屋のベッドに寝かされていた。
体内の至る所で、虫が這いずり回るような疼きと、まるで炎で炙られているかのような、熱さを感じていた。
同時に体にまとわり付いているのは、言いようが無いほど重い倦怠感。
体を起こそうとしたが、思うように動きはしない。
思わず太郎はうめき声を上げ、体をよじらせる。
とりあえず、生き残った安堵感は感じていた。
そして、続けて思う。
エストは上手くやってくれたのだろうか。
魔神は……あのガーゴイルの群れはどうなった?
いや、自分がここに生きているということは、きっと全てが上手くいったに違いない。
見れば体が包帯でグルグル巻きにされ、さながらミイラ男のようにされていた。
包帯の隙間からにじむゼリー状のものは、傷を癒すための軟膏だろうか。
部屋を見渡すと、ソファーにもたれ掛かりながら眠るアイシャとエストの姿。
きっと、今回もアイシャの治癒魔法のお世話になったのだろう。
何となく、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
やがて、ドアの外から男女の話し声が近付いて来ていた。
「だからぁ~、今度ぜひ食事でもご一緒に……」
「……断る」
「そんなこと言わないで、誰か特定の恋人がいるわけじゃないんでしょう?」
「余計なお世話だ。とにかくそのうっとおしい手を離せ……!」
その言葉とともに、ガチャリとドアが開いた。
入ってきたのはケイメンと、彼の腕に両手を回し、胸を押し当てるようにしたメイドのリーザ。
視線が合い、何となく気まずい沈黙が流れた。
だが、すぐさまケイメンはその手を振り払い、太郎に向けて駆け寄る。
「おい、意識が戻ったのか、良かったなぁ!!」
その叫びに、ソファーの二人が飛び起きた。
太郎に駆け寄るエストに対し、アイシャはソファーから転げ落ち、床に顔面を強打してしまう。
「おい……大丈夫か?」と、心配そうに声をかけるケイメン。
太郎も思わず体の痛みを忘れ、上体を起こして彼女を見守る。
「は、はひ。大丈夫でふ……」
そう言いつつ顔を上げた彼女の鼻元からは、一本の赤い筋が伝っていた。
「だ、大丈夫じゃないみたいだぞ。だって鼻血が……」
太郎の言葉に、アイシャは思わず鼻元に手を当てる。
そして、赤く染まったその指を見て、彼女は大きな悲鳴を上げた。
▽
魔神を撃破し、城内に戻った三人は、すぐさまアイシャの居る魔法陣のホールへと向かった。
そこでアイシャによる治療が行われたのだが、魔力の干渉のせいで、治癒魔法はほぼ無効化されてしまう。
まずは太郎の傷口にある魔力を浄化する必要があった。だが、浄化魔法を施している間に、彼の生命の炎はまさに消えつつあったらしい。
「一度、呼吸と心臓が止まってな。あの時は本当にもうダメかと思ったぜ」
笑いながらケイメンは言うが、当事者の太郎としては笑えない話だった。
背中に悪寒を覚える。と同時に、おぼろげな記憶が、彼の脳内をゆっくり逆流してきた。
胸の圧迫と、唇に伝ったあの感触―――、
よみがえった当時の感覚に、心臓がドキリと高鳴った。
「……じゃあ、俺は……、どうやって生き返ったんだ?」
「ん、そりゃアレだよ。心肺蘇生法、人工呼吸ってやつだ」
脳天気なその言葉を受け、彼は無意識のうちにアイシャを振り返る。
彼女は少し涙目で、鼻元にタオルを押し当てていた。
交差する視線に、両者の顔は思わず赤らむ。
太郎は口を開けたが、何を言えばいいのかわからない。
やがて、やや視線をそらしつつ、彼女のほうがかすれるような声を発した。
「……あの時は必死で、何も思わなかったんですけど………」
「あ、ああ……」
「今思うと……、私……、男のひと同士のああいう姿って、初めて見ました」
一瞬、その言葉の意味が、太郎には理解しかねた。
……ちょっと待て。男同士って何だ、男同士って!?
赤かった顔が、一瞬にして蒼白になる。
その顔で、今度はケイメンを振り返ってみた。
「な、何だよその顔は。仕方ねえだろ。やらなきゃお前は死んでたんだぜ」
その言葉と仕草に、太郎は全てを察した。
「☆※@¥◯…&#●□△◇☆―――!!!!」
体の痛みも忘れベッドに立ち上がった太郎は、およそ人の言葉とは思えない奇声を発し、ケイメンの胸ぐらを掴み上げる。
「ゆ、勇者様!?」
「タローさん、落ち着いて!」
「何だよ、その態度は。むしろ俺に感謝すべきじゃねーのか!?」
「☆※@¥◯…&#●□△◇☆―――!!!!」
血の涙を流しつつ、人外の言葉で抗議する太郎。
だが、突如としてその体は力を失い、今度は崩れ落ちるようにベッドへとうなだれた。
彼は真っ白になってしまっている。
「な、何だよ。初めてってワケじゃないんだろ?」
太郎は微動だにしない。少し泣いちゃっている。
そんな彼に罪悪感を覚えたケイメンは、恐る恐る尋ねてみた。
「……初めてだったのか?」
力なくうなずく太郎。
「……そ、そうか。まあアレだ。今回は治療行為だからな。キスとしてはノーカウントだよな。そうだろ?」
ケイメンの必死のフォローにも、太郎は回復する兆しを見せない。
「じゃあ勇者様は、今まで女の人とキスしたことは無いんですね……」
二人をよそに、そうつぶやくアイシャは、どこか嬉しそうだった。
そんな彼女に、エストが不思議そうに尋ねる。
「ねえアイシャ。タローさんはどうして落ち込んでるんですか?」
「それは……、男の人にキスされた……からじゃない?」
「………?」
「キスって、普通は男と女でするものでしょう?」
「そうなんですか?クロエ様はご褒美に、たまに私にキスしてくれましたけど……」
「……普通はそういうこと、しないものよ」
「はあ、そうですか。じゃあ……」
言うと同時に、エストは太郎へと身を乗り出す。
そして目を閉じると、太郎の唇めがけ、自分のそれを押し当てた。
一瞬、まるで時間が止まったかのような沈黙。
やがて、エストはゆっくりとその唇を太郎から離す。
そして無邪気な笑顔で告げた。
「これで、少しは元気が出ましたか?」
呆然と、目を点にしながら、わずかにうなずく太郎。
その脇でドサリと、アイシャの崩れ落ちる音が響いた。




