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38、白い闇の中で

 魔法陣で魔神の口をふさぎ、自爆させる作戦―――、

 それは、自分が吐いた血を見て、太郎が思いついた策であった。


 しかしエストは一度、あの熱光線を防いでしまっている。

 彼女が城壁に居る以上、警戒をした魔神は熱光線を撃たないだろう。

 この作戦を成功させるには、エストがもはや戦闘不能であると敵に思い込ませる必要があった。


 そのために、太郎はエストとともに城壁から飛び出す。

 目くらましのために魔神を攻撃させ、粉塵を巻き上げさせた。

 そして風の刃が迫るや、彼女には自分だけを、防御陣で守るよう指示をした。

 太郎は彼女を抱きかかえるようにして守り、自分は甘んじてその刃を受けたのだ。


 作戦成功のためには、太郎が二人分の血を流す必要があった。


   ▽


 「タローさん、大丈夫ですか?タローさん!!」

 もはや半泣きで、必死に叫ぶエスト。太郎は瀕死の状態で横たわっていた。


 地面に落下する直前、エストはダンデに悟られぬよう、地面に浮力の魔法陣を敷いた。

 落下によるダメージは無いはずだ。しかし、風の刃の直撃によるダメージが大きすぎる。


 背中を守っていたプレートは、無残にも打ち砕かれ、傷から真っ赤な肉がのぞいている。

 プレートで守られていない部分はさらに酷い。脇腹や上腕などはもはや直視すらできない。

 とめどなく流れ出る血は、草を伝い、地面に鮮紅の泥沼を作っていた。


 「やだ、タローさん!死んじゃヤダ!!」


 エストの声が、やけに遠くから聞こえていた。こんなに近くに居るのに。


 心配すんな、大丈夫だよ―――


 そう答えたつもりが、言葉になっていない。わずかに唇だけが動く。


 不思議と痛みは感じていなかった。

 代わりに感じるのは強烈な悪寒。


 寒い……、何でこんなに寒いんだ?

 だけど、そんな悪寒が、どこか心地よくもある。


 やがて襲い来るのは、強烈な睡魔。


 彼の意識が闇に落ちかけた瞬間―――、おぼろげな視界に、エストの顔が映った。

 顔をくしゃくしゃにして、大泣きしながら、何かを叫んでいる。


 どうして、そんなに泣いているんだ?

 そういえば、俺って何をしてたんだっけ?


 そして―――、


 ―――死んじゃダメ!!


 耳からではなく、直接脳内に響くようなその声。


 一瞬、意識と視界がクリアになった。

 目の前に見えたのは、真っ赤に血塗られた自分の手。

 動かそうとしても、思うように神経が繋がらず、動かない。


 死ぬ!?


 死ぬのか、俺!?


 冗談じゃない、死にたくない!!


 湧き上がる、生への渇望。

 彼は暗闇の沼に沈みつつある意識を、必死に引きずり上げようとした。

 だが、その抵抗むなしく、何かがプツリと途切れ、その視界は白い闇に塗りつぶされるのだった。


   ▽


 エストは太郎の意識をつなぎ止めようと必死だった。


 「大丈夫ですよ。そんなに大した傷………じゃないし。すぐに助けが来ます。助かりますよ、絶対に助かります!」


 太郎はピクリとも動かず、青白い顔で、その両眼はもはや焦点が合っていない。

 すでに彼の意識は途切れていたのだが、それでも彼女は、その声が聞こえているものと信じて、言葉を続けるしかなかった。


 「タローさん、聞こえてますか?聞こえてますよね。お願いだから、返事をしてっ!」


 流れ出た温かい血は、徐々にその温度を失い、今度は体から体温を奪ってゆく。

 冷たくなってゆくその体に、エストは絶望感を覚えた。


 ……もう、ダメかもしれない。


 そう考えてしまった瞬間、彼女は天を仰ぎ、大声で泣き始めた。

 そんな二人の元に、舞い降りる影。


 「……おいエスト、泣いてる場合じゃねえぞ」


 呼吸をやや荒げ、疲弊した様子でそうつぶやいたのはケイメンであった。

 彼のローブの胸元は、横一文字に裂けてはいるものの、体に傷は無い。

 その体にまとった風の結界のおかげで、ダンデの刃は体まで達してはいなかった。


 彼はかつて魔神の体を形作っていた岩山と、その付近にできたクレーターを眺め、感嘆のため息をつく。


 「やっちまったのかよ。すげえな。いったい、どうやって……」

 「ケイメン、そんな事より、タローさんが!」

 「……わかってる。とりあえず、ここを離れるぞ。森の中はやべえ事になってるしな」


 そうつぶやき、森へと視線を送った。


 ―――!!


 そこで初めてエストは気付いた。

 こちらを警戒しつつ、森から染み出てくるように迫る無数の影を。

 妖しげな目を光らせたそれらは、ゴブリンやオークといった、野生の魔物たちだった。


 万全の状態であれば、立ち向かうこともできようが、今の二人は疲弊の極みにあった。

 加えて太郎は瀕死の状態である。もはや一刻の猶予も無い。


 足元に倒れ込む太郎を見る。そしてケイメンは言葉を失い、思わず顔をしかめた。


 ……酷えってレベルじゃねえぞ。生きてるのか?いったい何があった!?


 その疑問を、エストにぶつける時間は無い。彼は素早くその体を抱き上げた。


 「エスト、お前は俺にしがみ付け。お前にまで浮力を回す余裕が、俺にはもうねえ」


 彼はエストがしがみ付くのを確認すると、ゆっくりと力なく浮遊を始める。


 三人が逃げようとしているのを察した魔物たちは、鳴き声を上げながら、慌てた様子で走り出す。

 だが、三人はフラフラと迷走しつつも、どうにか城壁の上へとたどり着いた。


 暗闇に、悔しそうな魔物の鳴き声が響いていた。


   ◆◇◆◇◆


 どれほどの時間が経ったのだろう。

 真っ白な闇の中に、太郎は居た。


 いや、居た――という表現はふさわしく無いのかもしれない。

 その白い闇のどこかに、彼の意識だけが存在していた。


 自分は死に、魂がこの世でないどこかに飛ばされたのか――、などと考える。


 だが、おぼろげに、胸元を押されるような圧迫感を覚えていた。

 そして、唇に触れる柔らかいモノ。そして、吹き込まれる暖かい風―――、


 幾度となく流れ込んだその風は、彼の全身を駆け巡る。

 全身が熱を帯びる感覚が、とても心地よい。


 そして―――、


 ドクリ、ドクリ、と音を強める彼の生命(いのち)

 やがて、彼の中枢から流れ出た奔流が、ゆっくりと、染み渡るように全神経を伝っていった。


   ▽


 ―――!!


 太郎は思わず、突っ伏した顔を上げた。


 目の前の教壇では、北条政子教諭が、黒板にカリカリとチョークを這わしている。

 その手前に整然と並ぶのは、机に向かうクラスメートたちの背中。


 ……元の…世界、なのか!?


 1年6組、窓際の最後尾、いつもの定位置に太郎は座っていた。


 窓の外に広がるグランド。トラックをグルグル回るジャージを着た生徒たち。

 どこかのクラスが長距離走をしているらしい。体育教諭の笛の音が、おもむろに飛び込んできた。


 まず感じたのは郷愁。そして続けて襲い来るのは、言いようのない違和感。

 太郎は思わず可笑しくなり、クスリと笑った。


 何故、こんな違和感を覚えるのだろう。ここが本来の自分の世界なのに。

 魂まで、あの世界に染まってしまったということだろうか。


 いや、原因はそれだけじゃない。


 これは……、恐らく夢だ。


 ポカポカと暖かい陽射しが、窓より差し込む。

 教室には、テンポの速いチョークの音が響いていた。


 やがて、太郎は席を立つ。

 そのまま教室を出るべく歩き始めた。


 誰も何も言わない。振り向きもしない。先生でさえも。


 2つ隣りに座るのは、親友の前田敦夫。

 小学生の頃からつるんでいる、親友にして悪友。

 真剣な様子でノートを取るその姿に、太郎は思わず吹き出してしまう。


 居眠り常習犯の前田が、真面目に授業を受けてやがる。

 しかも、つまらなさでは定評のある北条の授業で!

 やっぱ夢だ。これは夢だ!!


 前田はそんな太郎を見て微笑むと、ゆっくりと立ち上がった。


 身長は、太郎よりもいくらか高い。

 顔はどちらかというとブサイク寄りだが、髪はオシャレにウェーブがかったロン毛。


 ちなみに、中学までは丸刈りで、メガネをかけていた。

 高校入学を機に、コンタクトにして髪を伸ばした、いわゆる高校デビューってやつである。


 前田は、高校で彼女を作ろうと必死なのだ。

 変えたのは外見だけじゃない。オタク趣味は封印、軽音楽部でギターなんぞを弾き始めている。


 太郎は、親友がどこか遠いところに行ってしまう寂しさと、一人取り残される焦りを感じていた。

 それでも、似合わねぇよ、無駄なことしやがって―――と、笑っていたのだが、今なら彼の行動が理解できる。

 前田は、自分を変えようとしている。停滞した現状を打破しようとしているのだ。


 行動を起こさなけりゃ、何も変わらない。ただ、今日という同じような日々に埋もれてゆくだけ。


 ―――そうだ。


 ―――あの世界は、それを半ば強制的に教えてくれた。


 ……戻ろう。あの世界へ。


 「行くのか?」

 「ああ、ここは夢だしな」


 問いかける前田に、太郎は微笑みながら返す。

 そして歩みを速めると、教室の扉を勢いよく開けた。


 扉の先に広がった、真っ白な闇が押し寄せる。

 その闇に包まれながら、太郎は思った。


 ―――いずれ帰ってやるさ。本当の日本へ!


   ◇◆◇◆◇


 暗闇の中、あの岩山の周辺には、野生の魔物たちが群がっていた。

 その先にあるのは、亀裂が入った城壁。城門の扉は上からの圧迫にひしゃげ、もはや内部からも開かない。

 亀裂に手足をかけ、城壁を登ろうとした魔物もいたが、いずれも失敗して落下し、苦痛の鳴き声を上げている。


 やがて岩山の頂点、そこの闇から染み出すように、黒の法衣をまとった魔導士が姿を現わした。

 それは開戦前、封印の山で、ダンデがライノスと呼んだ男である。


 魔物たちは警戒の声を上げたが、すぐに彼がまとった濃厚な魔力を感じ取る。恐怖と戦慄が、一瞬にして群れに伝播した。

 ある者はひれ伏し、ある者は森へと逃げ出し、またある者は動くことさえできずにいる。


 ライノスは、そんな彼らを一瞥(いちべつ)すると、天を仰ぎながらつぶやいた。


 「ああ~、情けないなぁ、ダンデも。こんなにあっさりやられちゃうなんてさ。君たちも、城壁の中で暴れたかったよね?」


 視線を送られたオークは、大汗をかきながら、ブンブンと首を縦に振った。

 そしてライノスは亀裂の入った城壁を見やる。


 「この状態なら、僕の魔法で崩すこともできそうだけど……、やめておこうか。あの中には、面白いモノが居るしね。今回は我慢しておくれよ」


 まるでカラクリ人形のように、ひたすら首を振るオークを見て、ライノスはクスリと笑う。

 そしてゆっくりと浮遊すると、岩山を一回りし、おもむろにその中へ腕を突き入れた。ひと呼吸おいてそれを引き抜く。


 岩山をガラガラと崩しながら出てきたのは、かつてダンデと呼ばれていた男の(むくろ)

 左腕は熱光線に消滅してしまっている。また左半身は焼け焦げ、大半が炭化状態だ。

 ぼんやりと(うつ)ろなその目には、もはや生気は宿っていない。


 ライノスは、その髪を掴み上げ、宙吊りとなったダンデの顔をまじまじと見つめた。

 フードからのぞいた口元に、サディスティックな笑みが浮かぶ。


 「ハハ、ハハハハハ、色男が台無しだァ!」


 そう叫ぶと、まるでゴミを捨てるように、ダンデを地面へと放り投げた。


 続けて指をパチリと鳴らす。


 彼を中心に、薄灰色の領域(テリトリー)が、急速に広がっていった。

 その灰色の闇を受け、岩山の脇に、青白く灯る人魂がボウッ……と現れる。


 かぶっていたフードをパサリと背中に落とすと、彼は両手で愛おしそうに、人魂を包み込んだ。


 「やっぱり、この場所に残ってくれていたんだね。この世に未練があるんだろう?」


 まるでその言葉に応えるように、チラチラと、人魂はその炎を揺らす。


 「大丈夫、僕が再生してあげるよ。だって、君は僕の……トモダチなんだから」


 青白い光を浴び、闇に浮かび上がるライノスの顔。


 十代を思わせる若々しさと、どこか中性的な美しい顔立ち。


 そして、その額には、艶やかな黒髪をかき分け、天に向かい一本の角が生えていた。




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