36、怨念と因縁
知らぬ間に広がった暗雲により、星々はその輝きを失っていた。
漆黒の空の下、地上をおおう闇は、深く濃い。
そんな中、まるで地上に落ちた月のように、煌々と周囲を照らす都市―――クラウ。
だが現在、その一部にぽっかりと闇が巣食っていた。
ダンデはその光景を見て狂喜する。
「はは、ははははは、よくやった、よくやった!!」
あそこから熱光線を打ち込めば、都市を火の海にすることができるだろう。
加えて、付近には強力な魔力に惹かれ、野生の魔物たちが集結しつつあった。
城壁を崩し、そこから魔物を進入させれば、この都市を壊滅させることも夢ではない。
思い描いたそのプランに、ダンデはしばし酔いしれる。
だが深い闇の中、都市の脇にそびえ立つ、おぼろげな山の輪郭を視界に入れ、彼の表情が変わった。
(ダンデ、もうやめよう……)
あの日、姉と決別した時の光景が、脳裏によみがえる。
優しげな笑みをたたえ、彼に向けて手を差し伸べるクロエ。彼女の脇には人間の戦士がいた。
(もう逃げなくてよいのだ。ここには、私たちを受け入れてくれる人たちがいる……)
「―――うるさい、黙れッ!」
髪をかきむしるように、彼は頭を抱えると、吐き捨てるように叫んだ。
ずっと一緒だったじゃないか。
いつも僕を守ってくれたじゃないか。
それなのに、それなのに、何故―――!?
あれから百年近い年月が流れた。
あの人間の戦士も、すでにこの世には居ない。
だが彼はすでに、この都市自体を、兄弟の絆を引き裂いた象徴のように見ていた。
彼は、姉が見つめているであろう封印の山に向け、狂気めいた顔で叫ぶ。
「見ていろ……、あなたが愛したこの都市を、僕が今日、灰にしてやる!!」
◆◇◆◇◆
太郎とケイメンは、北の塔に向かい走っていた。
塔の結界が消滅しているため、辺りは薄暗い。
城壁の通路には、騎士たちに混じって、ローブを着た魔導士が幾人も倒れている。
まだ息のある者も多数いるようであった。しかし、彼らに構っている余裕は無い。
何とか、生き延びてくれる事を願うばかりである。
「なあ、ケイメン……」
塔が直近に迫ったところで、太郎が問いかけた。
「何だ?」
「援軍を連れて来たほうが良かったんじゃないか?」
「心配すんな。こんだけでっかいサインが出てるんだ。すぐに誰かしらが駆け付けてくれるだろうさ」
「だが……塔を奪回しても、結界士が居なければ、都市結界は発動できないんだろう?」
「大丈夫だよ。俺が何とかやってみる。要するに、あの玉にマナを送ればいいんだろう」
そう簡単にいくのだろうか―――と、太郎は塔を見上げる。そして思わず太郎は息を呑み、足を止めた。
それまでは暗がりでわからなかったが、塔の壁面には、まるで樹液に群がる羽虫のように、ガーゴイルが張り付いていた。
突然の来訪者に、彼らは警戒めいた鳴き声を上げる。
まるで互いに会話を交わすように、鳴き声はひとしきり続くと、今度は一斉に空へと羽ばたいて行った。
太郎は思わず剣を構え、ケイメンは体に風をまとう。
だが―――、
群れは二人の頭上を通り越し、都市の内部へと飛び去る。
その行為はまるで、せっかく占拠した塔を放棄したようにも見えた。
咄嗟に後ろを振り返るが、背後から襲撃が来る気配は無い。
その群れは、ひたすら飛び続け、もはや豆粒のように小さくなりつつあった。
「いったい、何が……」
「シッ―――、静かに」
口元に指を当てながら、ケイメンが太郎を制した。
耳を澄ますと、静寂の中で、都市の喧騒が流れ来る。
そしてその流れに混じっているのは、地響きのような足音―――、
―――――!?
二人は同時に駆け出した。
そして城壁から体を乗り出しながら西方を見やる。
漆黒とも取れる闇の中、重厚な地響きを立てながら、その巨人は徐々にこちらへと迫りつつあった。
都市の光を浴び、陰影を浮き上がらせるその姿は、まるで闇にその半身を沈めているようでもある。
「魔神………」
そうつぶやいたきり、ケイメンは言葉を失った。
その背丈は、城壁の高さをゆうに超すように見える。
あんな巨大なモノに、どうやって立ち向かえばいいのか?
複数の魔導士による複合魔法―――、
マナを増幅させる魔導兵器―――、
脳裏をよぎったのは、いずれもこの場では実現し得ないものばかり。
どう考えても答えが見つからない。
「ケイメン!」
その時、苦悩する彼の肩を、太郎が掴んだ。
塔を指差す太郎を見た瞬間、一瞬にして、それまでの苦悩が氷解する。
そうだ、あまりの衝撃に忘れてしまっていた。
灯台下暗し。塔の都市結界を起動させればいい!
「ありがとよ!」
ケイメンは笑顔でそう叫ぶと、塔の扉へ入ってゆく。
騎士、魔導士、ガーゴイル、回廊で倒れ込む彼らの上を、全速力で飛び抜けた。
やがて、目的の部屋に立ち入った瞬間、彼は言葉を失い、その場に立ち尽くす。
都市結界の起動レバーとも言える、魔法陣中央の柱が、ポッキリと折られていた。
その先端にあった水晶球も路面に落下し、粉々に砕けてしまっている。
「―――くっ!」
わずかな望みを絶たれた失望感に、彼は顔を歪ませ舌打ちをした。
だが、無駄とわかっていても、何かをしなければ気が済まない。
彼は床に描かれた魔法陣に、直に手を当て、マナを送り込もうとする。
だが、そんな彼に向け、かすれた声がかけられた。
「やめ……ておけ……、そんな……ことをしても、無駄だ………」
その初老の魔導士は、壁にもたれかかりながら、青白い顔でこちらを見つめていた。
脇腹と胸元に負った傷は、かなり深いものに見えた。ローブを真っ赤に染め、息も絶え絶えに続ける。
「マナを……、増幅させる、水晶球が、それでは……、百人の結界士がいても………結界は、発動できぬ………」
「ならば、どうすれば―――!?」
その問いに、魔導士が答えることは無かった。
彼は目を閉じ、まるで眠るように息絶えている。
ケイメンは悲痛な面持ちで彼に一礼をすると、早足で元来た回廊を引き返して行った。
▽
太郎は塔へは入らず、城壁に留まっていた。
ケイメンに付いて行っても、マナを出せない自分が役に立つとは思えない。
それに、あの魔神の動向を見届けることが、今の自分に課せられた任務のように感じていた。
やがて、破滅へのカウントダウンとも呼べる、不気味な足音が突如として止まる。
暗闇の中、赤く爛々と輝く目が、こちらを向いていた。
そして、ゆっくりと開かれてゆく魔神の口―――、
―――何かが来る!!
これから襲い来るであろう、その厄災を、太郎はすぐさま感じ取った。
全身に冷や汗が噴き出し、背中を伝う。
剣を握りしめつつ、魔神の所まで飛ぶか―――と、考える。
いや、遠すぎる。それに、この剣一本で何ができるというのか。
ならば、回避するか―――とも思ったが、太郎は塔を振り返って思い直した。
塔にはケイメンが残っている。自分だけ逃げるわけにもいかない。
決断しかねる太郎が魔神を見直した瞬間、その口から赤い閃光が発せられた。
―――――!!
風を切り裂く轟音よりも速く、その閃光は土煙を巻き上げつつ、都市を襲う。
だが、都市に到達する直前、その閃光は突如として発現した魔法陣によってブロックされた。
まるで花火のように、エネルギー波が四方八方へと飛び散ってゆく。
地面へと着弾したその一部は、大地を揺るがし、城壁に大小の亀裂を走らせた。
だが、幸いなことに、城壁を倒壊させるまでには至らなかったようである。
ぐらぐらと揺れる城壁の上で、太郎はどうにか体勢を維持しようと足を踏ん張る。
やがて揺れが治まった頃、遥か遠くで、その余波が着弾する音が響いてきた。
いったい何が起きたというのか?
あの黄金の魔法陣は、ケイメンが発動させた都市結界の一部なのか?
やがて、脳裏でぐるぐる回っていた疑問の答えが、太郎の前に降り立つ。
いまだ渦巻く大気に、金色の長髪を躍らせながら、そのエルフの少女はじっと前を見つめていた。
▽
絶対防御の魔法陣―――と、エストは名付けていた。
それは、彼女がクロエから受け継いだ魔法陣のひとつである。
この1か月間、エストも遊んでいたばかりでは無い。
一人で居る時は、受け継いだ魔法陣に刻まれた術式の解読に勤しんでいたのである。
魔法陣もそのタイプにより、起動や操作の方法が異なる。
誤った方法で発現や起動をさせてしまうと、大惨事を引き起こしかねないのだ。
正確に起動させるためにも、魔法陣に刻まれた術式の解読は、必要不可欠と言えた。
今までに解読した魔法陣は2つ。
中でもこの”絶対防御”の解読には、二十日間を要した。
それでも、魔王軍の襲撃前に、これの解読に成功したことは幸運だったと言えよう。
だが、この魔法陣は彼女にとって、いささか格式の高い術でもあった。
今の彼女の技量で、発現させられる時間は、せいぜい1秒。
今回は、絶妙の位置・タイミングで発現させることができたと言えた。
▽
ダンデは、大量の粉塵におおわれた城壁を見つつ、絶句していた。
熱光線が都市に放たれた瞬間、彼はすでに勝利を確信していた。
だが、あの黄金の魔法陣によって、彼の確信は無残にも打ち砕かれてしまったのである。
あれほど高等な魔法陣を使いこなせる人間が、都市にはいるのか……?
その瞬間、姉―――クロエの顔が脳裏に浮かぶ。
いや……まさか、そんな筈は無い。
あの石化魔法は、魔王様より賜った古代魔術だ。
自分でも解除の方法などわからない。ましてや人間などに……!
やがて、城壁をおおう粉塵が散り、徐々に視界がクリアになってゆく。
その先に、彼は見た。
城壁の上に立つ一人の騎士と―――、見覚えのあるエルフの少女。
その瞬間、ダンデの顔が憎悪に歪む。
奴は……、確か姉さんの弟子とか言っていた白エルフ!
こちらを睨みつけるように見つめるエスト。
その背後に、彼は涼やかな笑みを浮かべて立つクロエの幻影を見ていた。




