31、魔軍襲来
空気がピリピリと張り詰めているように感じた。
窓の外は闇。見下ろせば街中を動き回る無数の松明の火が見える。
ボンゴレアは、執務室でそれらを眺めつつ、重いため息をついた。
まさかこのような事態となるとは………!
あのエルフの小娘が言っていた事は真実であったのだ。
だが、この都市を攻撃することに、何の利がある!?
それは、敵の勢力圏内まっただ中に、部隊を投入するに等しい。
一時的に都市を占拠できたとしても、それを維持するのは困難だろう。
そもそも、このような遠方に魔物を転送できる魔法技術が、魔王軍にあるとは聞いていない。
………いや、もう考えまい。
今は、目の前の事態に対処するのが先決だ。
そう考えた瞬間、遠くから鐘の音が響いてくる。
そして窓が光った。オレンジがかった膨大な光が、窓の外から射し込んだ。
まるで昼間のような明るさに、執務室が照らされる。
いや、執務室だけでは無い。都市全体が、昼間の如き明るさに包まれていた。
都市の城壁沿いに建てられた6本の塔。
そこに結界士を配置し、マナを発動させることにより、都市全体を包み込む結界が張れる。
それは本来、都市解放戦争の後に、専制君主国家の襲来を想定して付けられた機能であった。
まさか都市結界が、魔王軍防衛のために使われることになるとは……。
だが、これが発動されたという事は、ついに始まったと見るべきであろう。
ボンゴレアは執務室の扉を閉め、会議室へと急いだ。
◇◆◇◆◇
会議室では中央の円卓を囲み、各組織の幹部が一同に会していた。
ボンゴレアの入室を確認すると、彼らは一斉に起立し、一礼をする。
そして彼が座ると同時に、報告が始まった。
まず口を開いたのは騎士団長のワフーである。
彼は円卓中央に広げられた、都市の地図を指さしながら説明を始めた。
「暗黒球は現在、都市の周囲3カ所に確認されており、現在騎士団が監視中であります」
「その玉は魔物を転送させるゲートだそうだな?」
「はい。従った魔導士の見解はそのようで……」
「魔物は出現したのか?」
それを聞き、ワフーは窓の外を見やり、答えた。
「報告はまだ入っておりませんが……、都市結界が発動されたという事は、そのようか……と」
ボンゴレアは「ふむ……」と頬杖をつき、ロージンを見た。
「ロージンよ、都市結界の強度はいかほどのものなのだ?」
「………何しろ、実戦での発動はこれが初になりますので……」
ロージンにとっても、その防衛能力は未知数であった。
そもそも、この都市に設置された結界機能は、いささか古い時代のものである。
今の魔法技術をもってすれば、もっとマナの消費も低く、防衛機能も高いものを設置できるはずだ。
しかし、都市解放戦争以降、長らく続いた平和な時代に、このような設備は必要なかった。
建て替えの申請をしても、政庁はそれを拒否したであろう。
正常に機能しただけもうけ物だ、とロージンは考える。
期待した答えが返ってこなかった事に、ボンゴレアはわずかに顔をしかめた。
そして腕組みをしながら、初老の外務官に問う。
「他の都市への援軍要請は?」
「はい。夕刻に周辺の都市に向け馬を走らせました」
「そうか。ご苦労であった」
自由都市連合の各都市は、互いに同盟を結んでいる。
だが同時に、個々の都市同士は、お互いにライバル関係にあるともいえた。
他の都市に弱みを見せることは、後に不利益となりかねない。
そのため、魔王軍襲来の情報は、信憑性も低かったこともあり、他の都市には知らされていなかったのである。
都市の首長が決定を下し、援軍が組織され、ここまでの派遣となると………
それなりの時間を要する。ここに援軍が到着するのは、少なくとも夜半過ぎになるであろう。
それまで、何としても持ちこたえなくてはならない。
続けて、ボンゴレアが騎士団の配備箇所を尋ねようとした時であった。
足早な靴音が聞こえ、おもむろに扉が開け放たれる。
そこに姿を現したのは、伝令の騎士であった。
「で、伝令、伝令っ!南西の暗黒球より、数十体のガーゴイルが出現!そ、その一部が都市へと侵入いたしました!」
それを聞き、その場の何人かが、驚きの声を上げた。
だが、ボンゴレアは想定の範囲内とばかりに沈黙を保つ。
数十匹程度であれば、何とか対処できる。
都市結界は発動されたのだ。これ以上の侵入を許さなければ良い。
問題は、都市結界がどの程度、魔物の侵入を防げるか……であろう。
彼は立ち上がり、窓の外を眺める。
相変わらず、結界の光が都市を昼間のように照らしていた。
あちこちで、非常事態の鐘の音が、狂ったように打ち鳴らされているのが聞こえていた。
◆◇◆◇◆
太郎とルディアは、馬車の中で都市結界の発動を見た。
突然の光に言葉を失う。馬も驚き、いななき声を上げ、馬車が左右に大きく揺れた。
御者が必死に馬を制している声が聞こえる。
二人は顔を並べて、窓から外の様子をうかがった。
「何だ………これは?」
城壁に沿い、その上空に向けて薄い光のヴェールが張られている。
周囲は昼間のような明るさで、民家から出てきた人々が、城壁を見上げている姿も確認することができた。
それは何とも幻想的な光景で、太郎はしばし見とれてしまう。
やがて、ルディアがボソリと口を開いた。
「都市結界……ね。私も見るのは初めてだけど」
そして、どこからか響く鐘の音を聞いた時であった。
突如として御者の悲鳴が轟き、車体が大きく揺れる。
ルディアは思わず窓を開け、身を乗り出してその先にある御者の姿を見た。
そこにあったのは、御者におおいかぶさるようにまとわり付いた、翼を持つ褐色の悪魔。
御者の首は、その半ばまでがぱっくりと割れており、翼の悪魔の顔は、返り血を浴び真っ赤に染まっていた。
赤く光る目。鋭い歯を噛み合わせ、悪魔はわずかな笑みをたたえているようにも見える。
彼女はすぐさま馬車の中に引っ込んだ。
そして太郎の胸ぐらを掴むと、狼狽する彼を無理矢理に引っ張り、馬車の外へと飛び出した。
二人は石畳を転がる。
その直後、大きな音を立てて馬車が横転した。
「い、いきなり、何を………」
カラカラと空回りする車輪の音を聞きながら、太郎は上体を起こしてルディアに尋ねた。
ルディアは何も答えなかった。その視線の先を追う。そして太郎は見た。
都市結界のヴェールを背景に、翼を広げ、宙に浮かんだ異形の悪魔。
その右手にあるのは御者の首。石畳へと、血がポタリ、ポタリとしたたり落ちる。
言葉を失った太郎に向け、ガーゴイルはおもむろに首を投げつけた。
「う、うわあああああぁぁぁ!!」
思わずキャッチしたそれを、太郎は慌てて横に投げ出した。
恨めしそうな顔をしたそれは路面を転がり、やがて草むらに停止する。
「ぁ……ぁ………ぁ……」
太郎は真っ赤に染まった両手を見つつ、うめくような声を上げている。
いったい何が起きたのか、目の前の出来事が理解できない。
───何故、何故、人間の首が取れているんだ、何故───!?
そんな彼を横目に、ルディアは両腰の短刀を抜き放ち、逆手に構える。
彼女は闘技場で、人の残虐な死を何度も見ており、それに耐性を持っていた。
そして何より、太郎の狼狽が、むしろ彼女にとっては良い方向に作用したのである。
───彼は今、使い物にならない。私が何とかしなければ───!
そう決意はしたものの、彼女にとっては初めての実戦、恐怖心が無いわけではない。
靴底に力を入れ、ぐっと地面を踏みしめながら、両足に走るわずかな震えを制御しようとした。
そして、駆け出す。
あの悪魔を、太郎に近付かせるわけにはいかない。
ルディアは地を蹴り、相変わらずの曲芸師のような身軽さで、跳躍しながら短刀を繰り出した。
だが、悪魔はふわりと上昇する。短刀は空を切り、彼女はその先に着地した。
その瞬間を狙っていたのであろう。悪魔はがら空きの背中に向けて急降下する。
だが振り向きざまに、彼女は鋭い蹴りを、背後へと飛ばした。
───ガッ!
鈍い音が響く。
悪魔はそれを、かろうじてブロックしたが、バランスを失ってしまう。
即座に間合いを詰めたルディアは、短刀を振るい、悪魔の顔を切り裂いた。
GIAAAAAAAA!!
だみ声のカラスのような絶叫が響く。
悪魔は両手で顔を押さえながら、ゆらゆらと力なく着地し、大地に片膝をついた。
すかさずその背中に飛び乗るルディア。まずその羽を切り裂き、続けてその背中に短刀を突き立てる。
何度も、何度も、その背中に刃を突き立てた。
初めて敵を倒した高揚感、また起き上がるのではないかという恐怖、太郎を守らねばという使命感。
それらの感情がごちゃ混ぜとなり、彼女は若干トリップしてしまっていた。
必死にもがいていた悪魔の動きは次第に緩慢となり、やがて地面をかく手が止まる。
それでもルディアはその手を止めない。
太郎は身動きひとつできず、その光景を呆然と、ただ見守っていた。
◇◆◇◆◇
目線の下には、淡い光にぼんやりと浮かび上がる都市。
石化したクロエの脇に立ち、それを見下ろす人影がある。
オールバックの銀髪に浅黒い肌、軽装の皮鎧をまとったそのダークエルフは、クロエを石化させた張本人、彼女の弟ダンデであった。
「姉さん、ついに始まったよ。ついに……」
口元に笑みを浮かべながら、まるでこの日を待ちわびていたかのように、ダンデはつぶやく。
クロエは何も答えない。しかし、彼女が生きてそこに居るかのように、言葉を続けた。
「見えますか?見えるよね、絶対に目を背けちゃいけないよ……」
そう言うと、愛おしそうに、クロエの冷たい頬を撫でる。
だが、何かを感じ取ったのか、表情を少し強ばらせると、ゆっくりと背後を向いた。
「………無粋な奴だな。いつからそこに居た?」
ダンデのその言葉に、背後の闇が動いた。
そして闇の中から染み出すように、黒の法衣をまとった魔導士が姿を現す。
「ハハハ、実に麗しい兄弟愛ですねェ。つい興奮しちゃって、気配が漏れてしまいましたか」
フードを目深にかぶっているため、その表情は見えないが、その声色は若い男性のものであった。
「ライノス、お前が何故ここに……?」
「今日は戦目付のような役所でして」
「………僕が裏切らないよう、監視しているのか!?」
「ハハハ、まさか。勘ぐっちゃいけません。魔王様もあなたが裏切るとは思っていませんよ。あなたが人間を恨む感情は本物だ」
両手をひらき、おどけるように言うライノスに、ダンデは嫌悪感を覚えた。
「それにあなたは旧魔王軍の四天王、”白銀のルキア”の息子でもある。だからこそ、魔王様も新参者のあなたに一軍を貸し与えた。そうでしょう?」
「ならば何故───!?」
「ですがね、今回の作戦は、モノリスの力を大量に消費する大遠征です。あなたがそれに見合った仕事をするか、私はそれを見極めるために遣わされたんですよ」
そう言い、ライノスは一息つくと、前に進み出て都市を見下ろす。
「こんな場所で高みの見物をしてていいんですか?もう戦闘は始まってるんでしょう?」
「フン、こんな自由都市相手では、僕が指揮するまでも無い」
「でも都市結界が張られてるじゃありませんか。こんな都市にも設置されてるんですねェ……」
「それも時間の問題だ。間もなくあれが出てくる」
「ふむ………まあ、いいでしょう。目的を無事に達成することを祈ってますよ。それにしても───」
フードの中で妖しげに光る紅い目が、クロエを向いた。
ライノスは彼女に手を伸ばしながら言う。
「石像になってまでも、何という美しさでしょうか。さすがはルキアの娘───」
その瞬間、殺意の風が、ダンデの周囲から巻き上がった。
「汚い手で姉さんに触るな!」
舞い上がった風が、無数の刃に形を変え、伸ばした右腕を襲う。
その右腕は、ズタズタに切り裂かれた───かに見えた。
だが、切り裂かれたのは、上にまとった法衣のみであった。
細く、色白な腕が、その場には相変わらず伸びている。
ライノスはダンデを見つつ、ゆっくりとその腕を引っ込めた。
「フフフ、怖い怖い……」
ダンデの肌はいっそう黒ずみ、その両眼には深い闇が宿る。
そして暗闇の中でも視認できるほどの、漆黒のオーラを漂わせていた。
「フフ、良い表情だ。その意気です。じゃあ、私は遠くで見守らせてもらうことにしますよ」
ライノスはそう告げると、ゆっくりと上昇し、やがて闇へと消えてゆく。
ダンデは彼の気配が完全に消えたことを確認すると、山の麓へ目を向けた。
都市の北西、そこに出現していた暗黒球が、この場所からでも視認できるほど巨大化している。
「………もうすぐのようだな」
そうつぶやくと、彼は風をまとい、都市へと飛び立つ。
何も言わぬクロエの視線が、その背中を静かに見守っていた。




