30、夜の始まり
ソファーに寝そべっていたエストは、玄関ドアの開く音で目を覚ます。
「ただいま~」
そして、アイシャの声に跳ね起きた。
眠そうに目をこすりながら、やや寝ぼけた声で尋ねる。
「……おかえりなさい、遅かったんですね。どこかに行ってたんですか?」
「ええ、ちょっと市場に寄り道しちゃってね~」
アイシャは笑顔で、飛び跳ねるように部屋へと入ってきていた。
明らかに浮かれている。表情が、行動が、雰囲気が、明らかに普段とは違っていた。
「嬉しそうですね。何か良いことでもあったんですか?」
それを聞き、アイシャの足が止まる。
彼女はしばらくその場に固まると、薄く染まった頬に手を当て、締まりのない笑顔で答えた。
「……べ、別にそんな事ないわよ」
そう言うと、ぎこちない足取りで、自分の部屋へと歩いてゆく。
いったい何があったんだろう?エストは少し気になったが、何となく詮索するのも面倒だと思った。
悪い事じゃなさそうだし、別にいいか………。
とりあえず、自分に課せられた義務だけは、果たしておこう。
「えーと、ロージンさんからの伝言で………」そう口を開いたが、アイシャは上の空だった。
その言葉など、まるで耳に入っていないかのように歩いてゆく。
「あ、あの~……アイシャ?」
呆然とたたずむエストを後目に、アイシャは部屋へと消えていった。
部屋のドアを閉める、と同時に、アイシャはベッドへとダイブした。
そのまま枕を抱え、まるで悶えるように、ベッドの上をゴロゴロと数回転する。
(───手を繋いじゃった!)
あの時の光景が、自然と何度も頭の中で再生していた。その度、テンションの針が振りきれる。
自分でも感情を抑えなくてはと思ったが、とても抑えられるものでは無い。
くだけて言うなら、嬉しくて仕方がなかった。
別に告白されたわけじゃ無い。そんな事はわかってる。
だけど、手を繋いでくるという事は、つまりはそういうことなんだろう。
この感情を、どうすればいいのかわからない。
だから、とりあえずベッドの上を転がってみる。
彼女が現実に引き戻されたのは、その数秒後、ドアの前にたたずむエストの姿を見た時であった。
エストの顔は若干青ざめ、明らかに引いている様子である。
視線が合った瞬間、エストは申し訳なさそうにつぶやいた。
「ご、ごめんなさい……」
「───────!!」
「一応、十回ほどノックしたんですが、返事が無かったので……」
「ち、違うの!これは全然違うの!だから大丈夫!」
アイシャは顔を真っ赤にし、枕をぶんぶんと振りながら、意味不明な言い訳をする。
「苦しいのなら、病院に連れて行きましょうか?」
「く、苦しくなんか無いから、大丈夫よ!」
「では……、心の病院のほうでしょうか?」
「心なんか、全然病んでません!」
エストも、アイシャの使うヒーリングが、命を削ると揶揄される魔法であるのは知っていた。
魔法の使いすぎで、ついにアイシャの心が壊れてしまったのではないかと、本気で心配していたのだ。
エストは疑いの眼差しをアイシャへと向ける。
アイシャはそれに苦笑いで返すしかなかった。
「本当に……平気なんですか?」
「ええ、全然平気よ」
「じゃあ、どうして………」
「そ、そんな事より、部屋に来るってことは、何か用があったの?」
それを聞き、エストはきょとんと目を丸くさせ、自分に課せられた義務を思い出す。
「そ、そうでした!実はロージンさんから、伝言を頼まれていたんです!」
どうにか話が逸れたと、アイシャはホッと胸をなで下ろした。
「すぐに評議会へ来るように、だそうです」
「評議会に?」
「ええ、今夜は評議会も騎士団も、全体配備だそうですよ」
それを聞いてアイシャは全てを理解した。
1ヶ月後なのだ。クロエの石化から、明日でちょうど………。
◇◆◇◆◇
満天の星空の下、1台の馬車が街道を疾走していた。
鞭を振るう御者の背後に乗り込んでいるのは、太郎とルディア。
二人は召集を受け、騎士団本部へと駆けつけている最中であった。
制服の上に着込んだ装備は、胸当てや籠手など軽装と呼べるものであった。
一昔前の騎士といえば、フルプレートの重装備が当たり前であったが、散開戦術が見直された今日、その装備は機動性が重視され、軽装なものへと移行がされている。
太郎は左腰に長剣を、ルディアは両腰に一本づつの短剣を、それぞれ携えていた。
太郎は頭をガクリと垂れ、見るからに重いオーラを漂わせている。
ショックだったのだ。あの時のアイシャの反応が。
それは太郎の早とちりであったのだが、女性経験が皆無に等しい彼に、そんな事が推察できるはずも無い。
彼は、アイシャに嫌われてしまったものと、完全に思い込んでいた。
そんな彼の様子が気になるのか、ルディアは窓の外を眺めながら、時折横目で太郎の様子をうかがっている。
太郎が陰気なのは、いつもの事だった。
だが、今日は普段にも増して、気落ちしているようにも見える。
「ああああああああぁぁ……!」
太郎は突如として立ち上がると、叫び声を上げ、頭を抱えながら天を仰ぐ。
やがて、数秒間停止すると、ガクリと再び座り込んで頭を垂れた。
………明らかにおかしい。
ルディアは、太郎が急に心配に思えてきた。
常日頃から薄々思ってはいたのだが、自分は少し、彼につらく当たりすぎなのかもしれない。
確かにリーザの行動は、見ていて目に余るものがある。それを見ていると、自分の感情が抑えられなくなってしまう。
だが、太郎にはリーザのアプローチを受け入れる様子は無かった。
むしろ迷惑そうにしている感すらある。
お風呂場でのあの出来事も、エリィが言うには、本当に何も無かったみたいだし───
そう考えていると、太郎が不憫にも思えてきた。
自分にも少し、反省する点があるのかもしれない。
責任を感じた彼女は、思わず彼に声をかけた。
「………だ、大丈夫?」
それを聞き、太郎は体をピクリと震わせてルディアを見る。
そこには心配そうな目で、こちらを見つめる彼女の姿があった。
「……ああ、大丈夫だよ。気にしないでくれ」
「何かあったの?帰りも遅かったし……」
女の子にフられて落ち込んでいる……とは、男として、口が裂けても言えはしない。
太郎は困ったように頭をかく。
その様子を見て、ルディアは何かを察したように目線を落とした。
「あ、あの………ね」
「……………?」
「………ごめんなさいっ!」
「な、何だよ、突然!?」
「最近……私、あなたにつらく当たりすぎていたかも……」
「い、いや、それは………」
確かにそれは感じていたが、自分の落ち込んでいる原因はそこでは無い。
「今のあなたを見て、少し反省したわ。これからはもう少し、あなたに優しくするように……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!それは関係ない!そんな事、どうでもいいから!」
「………どうでも、……いい?」
太郎としては、ルディアを気遣って言ったセリフであったが、その言葉選びが最悪すぎた。
「あなたが落ち込んでた原因って、私じゃ……」
「違うよ、全然違う。何とも思ってないから!」
「へ、へえ……何とも思ってないんだ……ふぅん………」
その顔はかろうじて笑顔を保ってはいたが、そのこめかみには血管が浮き出始め、言葉にはトゲが立ってくる。
それを敏感に察した太郎は、恐る恐るルディアに尋ねた。
「あ、あの………ルディア……さん?」
だが、彼女は答えない。
ぷいっと、顔を窓へと背けると、徐々にどす黒いオーラを放ち始める。
それ以上、何も話しかけられない雰囲気であった。
彼は苦笑いを浮かべつつ、思う。
(───俺、何か悪いこと言ったか?)
◆◇◆◇◆
その頃、城壁の外では、無数の松明の火があちこちを動き回っていた。
当初、魔王軍の襲来は、デマであると半ば結論づけられようとしていた。
しかし昼過ぎ、事態が急変する。
城壁の外に漂う微弱な魔力を、魔導士が感じ取ったのである。
それは周辺に巣くう魔物のものとは完全に異質であり、城壁の周囲に複数感知されていた。
一転して魔王軍襲来は真実味を帯び始めた。
それにより、騎士団と魔導評議会は全体配備を決定し、太郎やアイシャにも急遽、召集がかけられたのである。
「おい、魔導士!まだわからんのか!?」
「うるさい、気が散るから黙っていろ」
「本当なんだろうな?魔力を感じたというのは」
「黙れと言っている。本当に騎士というのは、何の役にも立たぬくせに、口だけは達者なことだな」
「何だと貴様、もう一度言ってみろ!」
「おい、やめんか!喧嘩をしている場合では無いぞ!」
都市解放戦争以来の、大規模な騎士と魔導士との共同作戦であり、双方の連携は全く取れてはいなかった。
都市の周囲あちこちで、そのような会話が飛び交う。
やがて、そのうちの一隊が、森の中でその”暗黒球”を発見することとなった。
それは暗闇よりも暗い、漆黒と呼ぶべき球体であり、周囲に雷を帯びていた。
「これか、魔力の大元は……!」
「………いったい何なのだ、これは?」
その球体自体に、さほど魔力は感じられない。
問題はその奥底、球体の深淵部より漂ってくる魔力であった。
「これは………、門か!?」
「ゲート?何だ、ゲートとは?」
「恐らくは……、魔界からここへ、魔物を転送させようとしているのかもしれん」
それを聞き、球体の周囲に集まった、十名を数える騎士たちの顔が、サッと青ざめた。
「な、何とかならんのか?」
「………私の能力では無理だ。結界士を呼んで欲しい。結界士であれば、封印することが可能かもしれん」
それを聞き、隊長である中年騎士が、伝令を呼び寄せた。
若い騎士が、慌てて彼に駆け寄る。
「今の一連の状況を、政庁へ報告するのだ。そして結界士の派遣を要請せよ」
「はっ!」
敬礼をし、伝令が馬で駆け出してゆく。
「では、今の状況としては、我々は何もできない……ということだな?」
「………うむ。残念ながら」
それを聞き、隊長は隊員を少し下がらせ、暗黒球を囲むように部隊を配置した。
ピリッ……ピリピリピリッ………ピリピリッ………
沈黙の中、暗黒球をおおう微弱な雷の、不気味な音が響いてゆく。
どれくらいの時間が経った頃であろうか。
突如として若い騎士が剣を抜き放つと、大声で叫んだ。
「ええい、いつまで待てばいいのだ!こんな玉、剣で両断してしまえば良かろうに!」
「こらッ!勝手な抜刀は規則違反であるぞ!」
「………ッ、ですが隊長、待っている間に魔物が出てきたらどうするのです?それなら今のうちに……」
若者の言い分も一理あるように隊長には思えた。思わず魔導士を見やる。
その視線を受け、魔導士はやれやれ……と思った。
何事も、剣を振るえば解決すると思っている。
これだから、無知な騎士どもは嫌いなのだ……。
「それは物理的な力では、どうすることもできん。やれば後悔することとなるぞ。一応、忠告はしておく」
それを聞き、若者は一瞬たじろいだ。
だが、魔導士をにらみつけると、剣をグッと握り直す。
そして叫び声を上げつつ、暗黒球へと剣を振り下ろした。
直後、落雷の如き轟音とともに、剣を伝って若者の体に電撃が走った。
彼は悲鳴すら上げられず、白目をむいてその場に倒れ込む。
そんな彼の元へ、隊長が慌てて駆け寄った。
あの微弱な雷は、球体を守るためのものである事を、そこで初めて理解する。
「………まだ息はあるようだ。2名、彼を救護し、診療所へ運ぶように」
その命令に従い、近くにいた2名の騎士が若者を抱え上げ、馬に乗せ始める。
「他にもこの玉を見つけた班があるかもしれん。搬送後、政庁へ報告せよ。この玉には安易に触れてはならぬ──とな」
そう言いつつ、隊長は若者を力ずくで制止しなかったことを後悔していた。
もしかしたら、剣で暗黒球を消滅させることができるかもしれない……などと、淡い期待を抱いてしまったのだ。
規則違反を犯しても、結果が良い方向へ作用すれば、軍法会議には問われない。
そんな暗黙の了解とも呼べる風潮が、騎士団にはあった。
「ほれ、見たことか……」と、魔導士が皮肉のようにつぶやく。
それに隊長が抗議しようとした瞬間であった。
暗黒球の周囲をおおう雷が、その音を増してゆく。
周囲の者たちは、それに注目しつつも、恐怖を覚え、ゆっくりと後退りを始めた。
突如として、弾け飛ぶ雷───と同時に、暗黒球は急速な膨張を始める。
そして、まるでイナゴの群れように、暗黒球から翼を持つ何かが、天空へと無数に羽ばたいていった。
───驚きに、言葉も出ない。
暗黒球が消滅した事にも気付かず、彼らは頭上に滞空するその禍々しい存在を凝視する。
それは───翼の悪魔
その存在は書籍などで知ってはいたが、実際に見るのは、その場にいる誰もが初めてであった。
まるで獲物を値踏みするかのように、数十匹のガーゴイルは、彼らの上をゆっくりと旋回し始める。
やがて、そのうちの一体が発した甲高い雄叫びが合図であるかのように、騎士団めがけて急降下を始めた。
「ば……抜刀ォォォ───!!」
まるで悲鳴のような隊長の声が、周囲にこだました。




