29、過酷な宿命
その露店にある書籍は、魔導書を中心としたものであった。
その辺は、今は引退したとはいえ、さすがは元魔導士の露店といったところか。
アイシャはあちこちに積まれた本を、興味深げに目を通している。
太郎もそれら魔導書のいくつかに、目を通してみた。
この世界の文字は読むことができる。だが、読めはするのだが、その本に書かれた意味を理解することは、到底できなかった。
例えるならば、物理や化学、或いはコンピュータープログラムの専門書を読んでいるような気分であった。
所々に、元の世界でいうπやΩのような、理解のできない記号らしき文字もある。
ある程度の予備知識がなければとても理解できるものでは無い。
どこかに自分でも読める本はないものか?
そんな太郎の視界に、何やら聞き覚えのあるタイトルの本が入ってきた。
───使える魔法陣百選
どこかで聞いたタイトルだったが、どこで聞いたのかは思い出せない。
まあいいや、と思いつつ、その本を手に取ってページをめくる。
上に乗った者を、短時間だけ性転換させる魔法陣。
上に乗った女子の胸を、短時間だけ巨乳にさせる魔法陣。
自分に恋している人間の、下半身だけを呼び出す魔法陣。
………全然使えねぇ。とりあえず、この著者の頭が腐っていることだけはわかった。
とはいえ、その本の内容は雑誌ちっくで、太郎にとって読みやすい本であるのは確かだった。
時間もあったので、何となく惰性でページをめくってゆく。
「魔法陣に興味があるのか?ひょっとして結界士かな?」
「うわあぁ!」
気が付けば、エルシオーネが脇に立ち、太郎に問いかけてきていた。
太郎は思わず悲鳴を上げながら一歩飛び退く。
「い、いえ、俺は騎士でして………」
「何だ。騎士か……」
エルのその言葉には、少しトゲが感じられた。
太郎も少しは聞き及んでいるが、この世界の騎士と魔導士は仲が悪いようであった。
「騎士なのに、魔法陣に興味があるのかな?まあ、騎士団もやっと自分たちの非力さを自覚して、最近は戦闘に魔法を取り入れ始めているとも聞く。とても良い傾向だと私は思うがね。君も剣術に限界を感じたクチかな?」
「いや、俺はそういうわけでは……」
困ったような顔をする太郎を見て、いくらか罪悪感を覚えたのか。エルは太郎を眺めながら「ふむ」と一息つく。
その顔は年老いてはいるものの、目鼻立ちは整っているように見て取れた。
きっと若い頃は、それなりの美人だったのだろう。
「言い過ぎたかな。すまない。君は騎士なのに、魔導士に敵意を持ってはいないようだね」
「そ、そんな。敵意だなんて……、それに俺はまだ騎士団に入ったばかりの新人でして」
「そうなのか。では、まだ洗脳されていないといったところか」
エルの声は高く澄み、そして張りがあった。
その姿さえ見なければ、まるで隣りに若い美女がいるような錯覚にさえ陥る。
「ところで、君はアイシャの何なのだ?」
「何って………友人、ですかね?」
「友人………か」
エルは勘ぐるような視線を太郎に送り、続けて質問を投げかけた。
「君は私をどう思う?」
「……………?」
それは全く脈絡のない質問であった。
その質問の意味がわからず、太郎は固まる。
返答に窮した太郎を見て、エルはすかさず聞き直した。
「例えば、私を女として見ることができるかな?女として……そうだな、一夜を共にすることができるかね?」
(───何を言ってるんだ!このババァは!?)
あまりの問いに真っ白になり、返答に窮する太郎を見て、エルはわずかに吹き出した。
初めて、老婆の顔に笑みが浮かぶ。
「………だろうな。わかっているよ。ちなみに私の年はいくつに見える?」
「そ………、そうですね、55歳………くらい?」
本当は70と答えたいところだったが、さすがに相手は女性。本音を言うのははばかられた。
自分にとってギリギリのところで、サバを読んで答えてみる。
「ほう、実は三十路を少し越えたばかりなのだ」
「へえ、三十路………って三十路ぃぃぃ!?」
太郎の叫びが周囲にこだまする。
周囲の視線が一斉に集まった。
「どうかしたのですか!?」
「アイシャ、何でもない。戻って本を読んでいろ」
「はいっ!」
駆け寄ってくるアイシャを手で制し、エルは言う。
まるで忠犬のように、それを聞いたアイシャは即座にUターンして元の場所に戻り、再び本を手に取った。
そんな彼女の様子を見ながら、エルは続ける。
「まあ、驚くのも無理はない。私の外見はこれだからな」と、やや自嘲気味に言う。
太郎は返す言葉がない。というか、この老婆は自分をからかっているのではないか、とすら思う。
「内気法が何故、自分の命を削る魔法と言われているかわかるかね。それはマナと一緒に、自分の生命力を患部に注ぎ込むからだよ。使えば使うほど、老いも早まる」
「─────!」
「私もかつては”神の手”と呼ばれ、もてはやされた時期もあった。しかし、今では後悔しているよ。私は今まで、何人の患者を救ったかわからん。しかし………だ、こうなってしまった私を、今では誰も治療してはくれない………。いや、治療法など無いのだから、仕方のない事なのだがね」
視界の隅に、本を読むアイシャの姿がとまった。
こちらの様子が気になるのであろう。本の脇からチラチラとこちらに視線を送っている。
思わず目が合った瞬間、彼女はわずかに微笑んだ。
「───そうだ。アイシャも、私と同じ運命を背負っている。十代の生命力にあふれる時期はまだいい。体の変調もさほど無いだろう」
それを聞きながら、俺は何てことをしちまったんだ───と、太郎は頭を抱える。
知らぬこととはいえ、何度も彼女にヒーリングをしてもらった事を思い出したのである。
彼は思わずエルに尋ねた。
「アイシャは………知っているんですか。その事を………」
「ああ、彼女は全てを知って内気法を修得する決意をしたのさ。私は弟子は作らない主義だったのだがね。一晩中、家の前に座り込まれて面倒くさくなってしまってな。まあ、これも彼女の運命だったのだろうよ」
言いながら、エルはゆっくりと歩き始めた。太郎もそれに従う。
「私の命も、どれほど持つかわからん。まあ、あんなのでも一応は弟子だからな。アイシャの今後が気がかりでも……ある」
彼女は天幕の中央まで歩き、イスの手前で立ち止まる。
そしてしばらく沈黙すると、太郎に背中を向けたまま告げた。
「………どうか、アイシャを大切に………してやってくれないか」
「は、はい………」
太郎の答えを聞くと、エルはイスに座り込み、フードを目深にかぶり直した。
「金はいいからな。好きな本を持って行くように伝えてくれ。挨拶もしなくていい」
「すみません………少し、彼女に素っ気なさすぎじゃありませんか。大切な弟子だったら………」
「すまんな。アイシャの若さを見ていると、嫉妬で気が狂いそうになる。大切な弟子に酷い言葉はかけたくない」
「そうですか………、すみませんでした」
太郎は一礼をして、その場を立ち去った。
少し離れた場所では、熱心な様子で本を読んでいるアイシャが見えた。
何とも複雑な師弟関係に思えた。
年も若く、女性でもない太郎にとって、いささか理解しがたい所はある。
だが、元の世界でも美容関連商品があふれているように、女性にとって若さの維持とは、何物にも代え難い大切なものなのかもしれない。
脇に立った太郎に気付かないほど、アイシャは食い入るように本を読んでいた。
横目でその本をのぞき見る。
───上に乗った女子の胸を、短時間だけ巨乳にする魔法陣。
そこには先ほど太郎が読んでいたあの本の、そのページが広げられていた。
思わず脱力感を覚え、腰くだけを起こしかける。
(………気にしていたのか)
そんな彼の気配を察したアイシャは、軽い悲鳴を上げると即座に本を閉じた。
本を後ろ手に隠すと、太郎のほうを向く。
「ゆ、ゆゆゆ勇者様、いつからそこに?」
「………今きたところだけど、………何を読んでたの?」
さりげなく、気付かないふりを装ってみた。
「あ、ああ、魔法陣のですね、回復魔法についてちょっと………」
本のタイトルを太郎に見せつつ、アイシャは弁解めいた説明をした。
太郎はわずかに苦笑いを浮かべ、エルの伝言を彼女に伝えた。
「そ、そうですか。でも、いいんでしょうか………」
「師匠がそれでいいって言うんだから、いいんじゃないか?」
アイシャは少し寂しそうに、エルのほうを見た。
エルは座ったまま、わずかに手を上げ『行け』と合図を送る。
アイシャは彼女に一礼すると歩き始めた。先ほどの本を手に持って。
(結局、あの本をチョイスしたんだな……)
そう思いつつ、自分の心に悪戯心がわき上がってくるのを覚える。
少しからかってみようか。
「でも、結界士でもないのに、何でその本を選んだんだ?」
「それは、エストにあげようと思いまして……」
「回復魔法ってどのページ?俺も見ていいか?」
「そ、それはですね……」
慌ててアイシャはページをめくる。
「こ、これ!このページです!」
───男女の営みの後、急速に精力を回復させる魔法陣。
太郎の顔がこわばる。直後、その違和感を察したアイシャも、恐る恐るそのページをのぞき込んでみた。
それを見た彼女は真っ白になると、続けて涙目で必死に弁解を始める。
「ち、違うんです!これじゃないんです!これは─────」
そんな二人の様子を、口元にわずかな笑みを浮かべてエルシオーネは見送っていた。
あの少女に、内気法を伝授したのは間違いだったかもしれない。
何年後になるかわからないが、アイシャも確実に、自分の老化に絶望感を覚えることだろう。
自分もかつては”クラウの女神”と呼ばれる美貌を持ち、男性が群がってきた時期もあった。
しかし、老化が加速した二十代の半ば頃からか。そんな男たちが1人、また1人と周囲から去ってゆく。
───すまない。もう、君を女性として見ることができない。
最後の男が自分の元を去った時、彼女は自暴自棄となり、酒におぼれた。
自分の姿を映す、家中の鏡やガラスを叩き割り、泥酔しては、当時すでに弟子入りしていたアイシャに、虐待に近い行為もしてしまう。
男どもが口々に言った『年老いた君も、今と変わらず愛せる』などというセリフは、ただの口説き文句に過ぎなかったのだ。
今からでも遅くはない。力ずくでも彼女に、内気法をやめさせるべきだろうか。
何度も考えたその思いは、行動に移されることはなかった。
───ひとりは嫌だ。アイシャを、自分と同じ地獄に引きずり込みたい。
そんな禍々しい思いが、心の片隅に根付いていたからである。
うつむいたフードの隙間から、数滴の涙がこぼれ落ち、地面を濡らす。
自分は女神でも何でも無かった。
高慢で、嫉妬深い、ただの女だったのだ───。
◆◇◆◇◆
「違うんです!私は……ちょっと自分の胸が大きくなったところが、見てみたいかな───なんて……」
少しからかうと、アイシャは簡単に真実をゲロった。
「ほら、これです!このページ!!」
「わ、わかった、わかったから!近い近い!!」
太郎の顔に押し当てるように、アイシャは該当ページを見せてよこす。
やがてその本を引き戻すと、小脇に抱え、若干キレ気味に言った。
「わかっていただけましたか?」
「うん、よくわかったよ」
バストを気にしていることが………とは、あえて付け加えなかった。
アイシャは、何か勘ぐるようなジド目を送ったが、やがて前を向くと歩みを早める。
そんな彼女の後ろ姿を見ながら、太郎はエルとの会話を思い起こす。
あのか細い背中に、過酷な未来を背負っているのかと思うと、何となく悲しい気分を覚えた。
「怖く………ないのか?」
「───えっ?」
アイシャが振り返る。
そして意味がわからないといった様子で小首を傾げた。
「老いることが……」
「………先生に、聞いたんですね」
「ああ」
「怖くない……と言えば、嘘になります。実感がまだ無いというのが、正直なところでしょうか」
「やめればいいじゃないか。自分の肉親とかならともかく、命を削ってまで、どうして他人を助けようとしたりするんだ?」
「私にもわかりません。先生にも、修行中に何度か、やめるなら今のうちだ───と、忠告は受けました」
「自分でもわからないのに、どうして?」
「少なくとも───、私は、将来的に後悔するかもしれないからといって、目の前で苦しんでいる人を見捨てることはできません。これは、私の性格的なものなのでしょうか」
アイシャは少し困ったように返答していた。
まるで、詰問しているような気分になり、太郎は言葉を止める。
何を言っても無駄なのだろう。この優しすぎる少女に向かっては。
「ごめん………」
「い、いえ、全然気にしてませんよ!」
「そうじゃなくて、そんな大切な力を、俺みたいな奴に何度も使わせてしまって……」
「ああ、それなら大丈夫です。私は両系統の治癒魔法を使えますから。勇者様に使ったのは外気法です」
「………そうなのか?」
「私だって、ちゃんと使い分けてるんですよ。だから、勇者様が気にすることは、全然ありません」
本当なのか、嘘なのか、判別はつかない。
だが、アイシャが優しい嘘をついたように、太郎には思えた。
「行きましょう」と、アイシャは足を早める。
その背中を見つつ、太郎は自分の心臓が高鳴るのを感じる。
いつからだろう。彼女の存在が、何とも愛おしく思えてきていた。
───どうか、アイシャを、大切にしてやってくれないか
エルシオーネのその言葉が、太郎の気持ちの後押しをした。
太郎は決意をして、アイシャの脇へと歩み寄った。
そして、勇気を出して、彼女の手を握る。
「─────!?」
瞬間、彼女の体がこわばるのを感じた。
アイシャは本をドサリと落とすと、驚いた顔で太郎を見やる。
その反応が、拒絶であると、太郎は感じた。
思わず手を離す。
驚いた表情で固まったアイシャに対し、何を言えばいいのかわからなかった。
「………も、もう、ここからなら、一人で帰れるよな。じゃあ、俺はここで。ごめん!」
彼女の顔を直視できない。
太郎は顔をそむけつつ、そう叫ぶと、彼女と逆の方向へと走り出す。
アイシャは、あまりの出来事に反応ができなかった。
走り去る太郎を眺める顔が、徐々に赤くなってゆく。
そして両手を合わせるように、彼の触れた手の平を、逆の手でそっと撫でていた。




