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22、ペンと紙の魔法

 太郎たちが市長の執務室へと通されたのは、それより30分ほど後の事であった。

 太った体にイスがきしむ。ボンゴレアは少し眠そうな目で彼らを出迎えた。


 「お休み中のところ、すみません」と、太郎は頭を下げる。

 ボンゴレアはその言葉に、少し慌てた様子で返した。


 「な、何を言っているのだね。私はずっとここで状況の報告を聞いて………」


 いや、その後頭部の髪のはね上がりは、思いっきり寝癖ですよね?

 ………などと口に出して言えるワケも無く、太郎は苦笑いで返す。


 ボンゴレアはそんな彼の顔を見ると、ばつが悪そうにコホンと咳払いをして続けた。


 「で、昼間の件の、回答を聞かせてくれるとか」

 「ええ、よく考えたのですが、都市に協力させてもらおうと……思います」

 「ふむ、………だが、条件がありそうだな」

 ボンゴレアは横目でルディアを見ながら言う。

 太郎が無言でうなずき、本題へ入ろうとした瞬間であった。


 「失礼する!」


 勢いよく執務室の扉が開かれ、胸を張りながら、ズカズカと入室した男がいた。

 それは長身痩躯の紳士カルボン・ファンゴー、その顔には痛々しげな絆創膏が貼られている。


 その視界にルディアを認めた瞬間、彼は興奮した様子で叫んだ。

 「おお、まさしくこの娘だ。てっきり都市外へ逃げられたものと思っていたが、さすがは騎士団だな」


 その姿を見るとルディアの顔は紅潮し、まるで狂犬のような目で彼をにらみ付ける。

 その視線と、彼女の体が拘束されていない事に気付いたカルボンは、思わず数歩後ずさり、デュランを見て命じた。


 「おい、そこの騎士。こやつを拘束しろ。このまま私の屋敷に連れて行く」


 デュランは涼やかな笑みで、頭をかきながら困った感じで答える。

 「いや~、ですがね。僕に命令できるのは、騎士団の上司か、市長様だけでして」

 「なんだと?貴様らは市民に奉仕するのが仕事であろう。いったい誰の税金で飯を食ってると思っておる?私はカルボン・ファンゴーだぞ!私の商会が年間にどれだけの税金を納めているか知らんワケでもあるまい!?」

 「残念ですが、規則は規則でして」


 カルボンの剣幕に対しても、その笑顔は能面のように崩れることは無かった。それはもはや豪胆ともいえる。

 カルボンは苛立たしげに舌打ちをし、ボンゴレアを見た。


 「市長よ。この頭の固い騎士に命令してくだされ。この女を拘束するように!」

 「いや、カルボンよ。彼女には何か理由があるようでな。私はその言い分も聞こうと思っているのだ」

 「ハァ?言い分を聞く?奴隷のですか」


 そう言うとカルボンは大笑いを始めた。

 聞いた事が無い。よりによって都市のトップである市長が、奴隷の言い分を聞くなど。

 通常であれば、会話すらできない身分差ではないか。


 王族・貴族・平民・奴隷、大まかに四区分されたこれら階級は、この世界の根幹をなすものであった。

 中でも奴隷階級はその人権が厳しく制限されていた。そのひとつが告訴権の欠如である。

 すなわち、どのような被害を受けても、奴隷単体では被害の届出をすることができないのだ。

 届出をするならば、平民以上の階級の者にその意志を代弁してもらうしかない。


 可笑しくて仕方ないといったカルボンを尻目に、ルディアは語り始める。

 「私は……いえ、私と兄のアウランは、この男に騙されたのです。この男は、兄が最後の試合で勝利すれば、私を奴隷から解放するという約束をしました。私はその約束を、反故にされたのです!」

 「フン、よく言ったものだ。証拠はあるのかね?約束の証文でも持っているのか。あるいは立会人でも居たのかな?あるのなら出して欲しいものだ」


 カルボンは余裕であった。高らかに笑うと、今度は憤激した様子で叫ぶ。

 「市長よ。まさか奴隷の言う事を信じるのですか?こやつは主人を傷付けて逃亡した重罪人ですぞ!」

 「それは、この男が私を暴行しようとしたからです!」

 「よくもまあ、ヌケヌケとウソを言えるものだ!」

 「それはあなたでしょう!」

 「まあ、それが真実としてもだ。奴隷は主人の命令に服従するものではないか?嫌だからといって、主人を傷付けて逃げるとは言語道断ではないか!」

 「本来であれば、私は解放されていた身です。あなたの命令に従う義務はありません!」


 お互いに、かなりヒートアップしていた。顔を見合わせ、ギリギリとにらみ合う。

 やがて、苦笑を浮かべたカルボンは、ボンゴレアを向き、両手を広げて訴えた。


 「フフ……やめましょうか、不毛な議論は。そもそも、この女の首輪はまだ外れていません。いったい誰がこやつの代弁者になると言うのです?代弁者が居なければ、こやつの訴えは無に等しい」


 そこで、太郎はボンゴレアの視線を感じる。

 一呼吸おいた後、太郎はその視線が彼の助け船であると察した。

 すかさず手を上げてカルボンへと訴える。


 「俺が……ルディアの代弁者になる」

 「………何だ、貴様は?」

 「カルボン、君も観客席から見たハズだ。アウランと戦った異世界の勇者だよ」


 ボンゴレアの言を受け、カルボンは思い出した。

 印象の薄い顔であるため忘れていたが、確かにアウランに勝利を譲ったあの小僧ではないか。


 「ほう、あの時の。だが、異世界人が代弁者たり得るのかな?」

 「彼は既に住民票を作成しておる。階級は平民であるが、この都市の市民には間違いない」

 「では、代弁者としての資格はあるのですかな?よもや、赤の他人が代弁者となるワケではありますまい」

 「俺は、あの試合の最後で、アウランから今後ルディアの保護者となるよう依頼を受けている」

 「フン、それは証明できるのかね?」


 そこで、太郎の頭に、アイシャとケイメンの顔が浮かんだ。

 あのような別れ方をしてしまい、あの二人は自分に協力してくれるのだろうか?

 いや、たとえ協力が得られないとしても、この場ではハッタリを通すしかない!


 「クラウ魔導評議会のアイシャ、ケイメンがその場に立ち会っている。証言してもらう事も可能だ」


 そこでカルボンは一瞬、苦虫を噛み潰したような顔を見せた。

 すぐに笑顔を作るが、その顔の端々は見るからにひきつっている。


 「ならば、貴様が代弁者となれば良い。裁判となったところで、私の勝ちは揺るがぬ。何の証拠も無いのだ!」


 そこで、満を持したかのように、ボンゴレアはイスから立ち上がった。


 「カルボンよ。私は、この奴隷を解放しようかと思うのだが、どうかね?」

 「突然、何を言われる?気でもふれられたのか!?」

 「君は商工ギルドの要職を担う、私の良き協力者だ。このような裁判を起こされては、ファンゴー剣闘商会の名に傷が付いてしまう。そうではないかね?」

 「………たとえそうでも、私は構いませぬ」

 「よく聞いて欲しい。君のためを思って言っているのだ。奴隷ひとりを手放せば、商会の名誉が守られるのだぞ」

 「………市長よ。私は構わぬ!」


 ボンゴレアは、暗に”ルディアを解放せよ”と命じていたのだが、それはもはやカルボンに通じてはいなかった。

 プライドが高く、蛇のような執念を持つこの男のはらわたでは、ルディアから受けた屈辱により、怒りの炎が煮えたぎっていたのである。


 「そうか、君がそこまで言うのなら仕方あるまい。だが……ひとつ忠告させてもらおう」

 「………何でしょうか」

 「実はだな。彼らの他にも、君の商会を告発しようとしている者がいるのだ」


 それを聞いた瞬間、紅潮していたカルボンの顔からサッと赤みが引いた。


 「君の商会では、一部の奴隷に必要以上の虐待を加えているとか。私も信じたくは無かったのだがね。一応、調べさせてもらったよ。確かに君の商会は、他の奴隷商会に比べ、奴隷の死亡率が突出していた……」


 そこでボンゴレアは、”死体検案書”と書かれた冊子を数冊、机の上に置く。


 「これは、君のところで亡くなった奴隷を数体、奴隷墓地から引き上げて調査した結果だ」


 カルボンはその一冊を手に取り、ページをめくってゆく。

 彼の体には震えが起こり、ページをめくる度、その顔はどんどん青ざめていった。


 太郎もそれを手に取ってみた。ペラペラとページをめくるうち、その中の人体図が目にとまる。

 そこに朱書きされていたのは、死体の損傷状況であった。痣や傷に、指の欠損など、その人体図はほぼ真っ赤に染められた状態である。

 太郎は思わずリアルに想像してしまい、吐き気をもよおして冊子を机に戻した。


 「さらにだ。商会の内部の者から、君が脱税をしているという告発もなされているのだよ。これらの告発は、今のところ私の力で封じ込んでおるのだがね。あまり無用な裁判が提起されてしまっては、私も封じ込んだままにするのが難しくなるかもしれぬ」

 「わ、わかりましたッ!!」


 もはや蒼白となったカルボンは、執務机に両手をつき、ボンゴレアへと勢いよく頭を下げた。


 「この奴隷………ルディアの解放に同意いたします!」

 「ありがとう。始めに言ったように、君は私の良き協力者だ。君が傷付くことは、私が傷付くことでもある。賢明な判断であった。理解してくれて嬉しいよ」


 ボンゴレアはカルボンの手を握り、笑みをたたえながらそう話す。

 カルボンが顔を上げることは無かった。ただ、顔中から吹き出した冷や汗が、ポツリポツリと机上に垂れ落ちていた。


   ◆◇◆◇◆


 その場で、ルディアの解放に関する誓約書は作成された。


 白紙に、スラスラとカルボンが文字を書き、サインをする。

 さらにその下に、ボンゴレアがサインをし、最後に市長印が押された。


 ボンゴレアは、出来上がった書類を眺めると、ルディアへと提示する。

 「カルボンが君を解放する誓約と、私がその立会人になったという書類だ。確認するといい」


 ルディアはしばらくその書類を見つめると、うなずいて答えた。

 「はい。確かに、そのように書いてあります」


 「おめでとう。これで君は晴れて自由の身となった」


 太郎は、その光景を執務室の片隅で見守っていた。

 何というか、全然ドラマチックな絵では無い。それは、淡々とした事務作業であった。


 しかし、この瞬間、少女の運命は180度方向転換した。

 そして、それを為し得たのは、剣も魔法も使えるようには見えない、肥満体の醜男であったのだ。


 「カルボンよ。都市の住民台帳は明日にでも変更させておく。君のところも、奴隷台帳から彼女を削除しておきたまえ」

 「はい、戻りましたら直ちに。それから、首輪の鍵はすぐに持参させましょう」


 カルボンはそう言うと、一礼をして部屋から退出していった。

 階段を降る足音が聞こえなくなった頃、ボンゴレアは太郎を見て言う。


 「……これで良かったのかな?」

 「は、はい。ありがとうございます」

 「気にすることは無い。言ったであろう、君が私の味方である以上、便宜を図ることもできるとな。ただし……ひとつ覚えておいてもらいたい事もある」


 そう言うと、ボンゴレアはイスに座り直し、腕組みをしながら太郎へと告げる。


 「私は、今の逆をすることも可能なのだよ」


 その言葉の意味を理解した瞬間、太郎の体に鳥肌が立った。

 すなわち、この男は、誰かの身分を奴隷に落とす力も持っているのだ。

 太郎はその言葉を、自分への恫喝として受け取る。


 「ははは、そう怖がらんでも良い。君が私の味方である以上、そのような事はせぬ」


 そして、誓約書をピラピラと振りながら、笑顔で続けた。


 「不思議だとは思わないかね?たった一枚の紙が、人の運命を変える。言うなれば、ペンと紙による魔法だよ。まあ、私は本物の魔法は使えないのだがね……」


 ボンゴレアは低い笑い声をもらす。


 太郎は目の前で行われた”権力の行使”に、ただ圧倒されるだけであった。

 そして、目の前の男の存在を、恐ろしい───と感じていた。


   ◇◆◇◆◇


 太郎とルディアは、市長の部屋を退出し、政庁の待合室で鍵の到着を待っていた。

 ほどなく、そんな彼らの元へ、ファンゴー剣闘商会の使いが到着する。


 鍵を持参したのはカルボンではなく、若い秘書官の男性であった。

 恐らくカルボンとしては、もうルディアの顔も見たくないといった気持ちなのであろう。


 太郎は受け取った鍵を、ルディアへと差し出すが、彼女は首を振って言った。


 「鍵穴が見えない。あなたが外して」


 そう言うと、天を仰いで目を閉じる。

 太郎は、その首元に見えた鍵穴へと、それを差し込んだ。


 カチャッ………


 わずかな金属音。やがて、その首輪は二つに分離し、乾いた音を立てて床へと落下する。

 彼女は恐る恐る、自分の首へと手を当てた。ゆっくりと撫でるように、その感触を確かめる。


 その表情には、何も浮かんではいなかった。


 「嬉しく………無いのか?」

 「嬉しいわ……。でも………」


 ルディアは目を伏せ、床に転がる首輪を見つめる。

 彼女が感じていたのは、嬉しさでも悲しみでも無かった。


 それは”虚しさ”と呼ぶべき感情であったろう。


 「たった、これだけの事だったのね。10年間、私と兄さんが目指していたものは、たったこれだけの………」


 その場の雰囲気に、いたたまれなくなったのか。秘書官の男は、ばつが悪そうに首輪を拾い上げる。


 「これは回収するように言われておりますので」

 そう言うと、最後に太郎から鍵を受け取って、足早にそこから退出した。


 立ち去ってゆく男の後ろ姿を眺めながら、ルディアはつぶやいた。


 「あの首輪は、きっと新しい誰かの首に、またはめられるのね………」


 その言葉が、太郎の心を貫いた。


 今日、自分はひとりの奴隷を解放した。 

 何かを成し遂げたような気持ちもあったが、この世界は何も変わってはいなかった。


 解放される奴隷がいる一方で、新しい奴隷も生まれてゆく。


 きっと、権力者と呼ばれる者たちが、その根幹を改革しない限り、この負の連鎖は永遠に続いてゆくのであろう。




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