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19、失われた居場所

 話は今より数時間前にさかのぼる。

 太郎が政庁にいた頃、ルディアはファンゴー剣闘商会の独房に入れられていた。


 太郎とアウランの試合に水を差した罰であった。

 その首輪には鎖が付けられ、壁へと繋がれている。


 ”繋がれた”のは、何年ぶりの事だろう。

 南方にいた頃、兄に言い寄っていた娼婦と喧嘩になり、殴りつけて、その鼻を折ってやった事があった。

 あれ以来の事だろうか。あの時は、すぐに兄さんが助けに来てくれた。


 ───今回も、きっと兄さんが黙っていない!


 二人が奴隷となってほどなく、アウランは剣闘のスター選手となり、その地位を保持し続けた。

 商会のボスも無視できぬほどの、実力と名声を積み重ね続けたのである。


 南方で奴隷として売られた頃、周囲には自分と同じ境遇の女の子たちが沢山いた。

 だが、ある者は娼婦として、ある者は単純な労働力として、それぞれ身売りされて行ってしまった。

 女だてらに剣闘士となり、闘技場でその命を散らした者も、一人や二人ではない。

 ルディアがそうならなかったのは、ひとえにアウランのおかげであった。


 ルディアは鉄格子を見上げる。

 色にとぼしいこの独房で、その先にある青空だけが、やけに鮮やかに見えた。


 ───だけど、兄さんは、あの力を観衆の前でさらしてしまった。

 ───この先、私たちは……


 そこまで考えた時、ガチャリと鍵を回す音が聞こえ、扉が開かれる。

 ルディアはそこに兄の姿を望んだが、姿を現したのは小汚い中年の看守であった。


 「何だ。起きてたのかよ」と、ゲスな笑みをたたえながら言う。

 続けて「ほらよ」と、ルディアに向け、乾いたパンを放り投げた。


 このような、ぞんざいな扱いを受けたのは久しぶりだった。

 ルディアは男をにらみ付けて言う。


 「覚えてなさい。こんな事をして、兄さんが黙っていないから!」


 それを聞いた男は、”待ってました”とばかりに、口元の笑みを強めて答える。


 「いくらお強い兄さんでもなァ、死んじまったら、もう口出しもできねぇよなァ……」

 「───え?」


 その言葉の意味を理解するのに、ルディアはわずかばかりの時間を要した。

 呆ける彼女を見るとニヤリと笑い、楽しむかのように男は続ける。


 「信じられないってか?今ごろ、お前の大事な兄様はなァ、奴隷墓地で他の死体と一緒におねんねしてる頃だろうよ」


 奴隷墓地───それは城壁の外にある、墓地とは名ばかりの巨大な”穴”であった。

 通常、身よりの無い奴隷は、死ぬとここに投げ込まれ、土をかぶされる。

 そして、穴がいっぱいになったら、また別の場所に穴が掘られる───


 「───う、ウソだ!」

 そう叫んではみたものの、男の余裕ある表情に、それが真実であることを薄々感じ取ってしまう。

 ルディアの両目には、涙がにじみ始めていた。男はルディアに顔を近付け、その表情をよく観察しながら、満足そうな笑みをたたえる。


 「そもそも、お前ら兄弟は、売られてきた頃から気に食わなかったんだよ。奴隷のくせによォ、俺たち平民を見下したような目で見やがってよォ……」


 それを聞き、ルディアは男をキッとにらむと、ツバを吐きつけた。


 「うぶっ、このヤロー!」

 激高した男が、ルディアの頬を平手打ちする。

 そして息を荒立たせながら、彼女の顔を何度も蹴りつけた。


 「なめんなよ、この奴隷がァ!お前はもう、特別じゃねェんだ!」


 男の階級は平民といえど、その生活は奴隷にも等しいものであった。

 他人から虐げられることはあれど、このように虐げることは滅多に無い。


 貧困が性格を歪ませたのか。いや、元々性格が歪んでいるため貧困に落ちたのか。

 男は自分の行動に、言いようの無い興奮と快感とを感じていた。


 歪んだ笑いを浮かべ、ルディアの顔を靴底でグリグリと石壁へと押しやる。


 「へへへ……思い知ったか?」と勝ち誇るように言い、”さて、次は何をしてやろうか”と考えを巡らせる。

 しかし、その歪んだ思考はすぐに停止させられた。ピシッと小気味よい音とともに、その背中に激痛が走ったのだ。

 思わずうずまり込んだその背中に声がかかる。


 「おい、私の商品の価値を、あまり下げんでくれよ」


 そこには2人の男を従えた、長身痩躯の紳士が立っていた。

 口元には男爵っぽい八の字のヒゲをたくわえ、両手に鞭を握りしめる。

 そして、その冷たい眼差しが男を見下ろしていた。


 それはファンゴー剣闘商会のボス、”カルボン・ファンゴー”であった。


 彼を見た看守の顔色が変わる。

 真っ青な顔でひれ伏すと、両手を合わせて許しを乞い始めた。


 「ヒイィ、旦那様、お許しを!」


 カルボンはルディアを見る。そして怒りの表情をあらわにした。

 ルディアの顔は所々赤く腫れ、口元からは血がにじんでいる。


 「よりによって顔を傷つけるとは……、この馬鹿者がッ!」


 カルボンは怒りにまかせて鞭を振り続けた。

 ボロ雑巾のようになった看守が動きを止めた時、やっとカルボンの怒りは鎮まったようである。

 息を整えながらルディアを眺め、彼は部下に命ずる。


 「鎖を外せ。私の部屋に連れて行く」


   ◆◇◆◇◆


 カルボンはファンゴー剣闘商会の三代目総裁であり、弱小であった商会を、一代で都市ナンバーワンにまで育てた男である。

 剣闘奴隷の運営だけでなく、最近は娼館の経営にまで手を広げ、都市の商工ギルドの要職も務める大物であった。


 ルディアはそんな彼の執務室へと連行されてゆく。

 階段を上りつつ、カルボンは背後のルディアを後ろ目で見やった。


 ───腹立たしい!


 彼女の兄──アウランには、どれほどの損をさせられたことか。

 欠陥品をつかまないためにも、購入奴隷の健康面には気を配り、医師のチェックを欠かさずしているが………


 ───まさか狂戦士だったとは!


 それは完全な盲点であった。

 アウランを問いただしはしたが、彼は『元の雇用主はその事実を知らない』と言い張った。

 その証言が取れぬのでは、売り主に損害賠償もできない。


 まあいい。最後の試合で、奴はけっこうな金を稼いでくれた。

 後は、この妹に………


 カルボンは乱暴にドアを開け、室内へと入る。

 イスにドカッと腰を下ろすと、机の前にルディアを立たせた。

 そして苛立たしげに、指で机を叩きながら言い放つ。


 「その顔の傷が癒えたら、君には娼館へ行ってもらう」

 「………え?」

 「君たち兄弟には、だいぶ損をさせられてしまった。これからは君に働いて返してもらおう」


 兄が死んでしまった以上、何となく納得のいく結末だと、ルディアは思った。


 ───しかし、


 もしも兄が生きて帰ってきてくれたのなら、兄を生かしてくれるのなら、自分は喜んで娼館へ行くことだろう。

 だが、兄は死んでしまった。もう、この世界のどこにも居ない。


 ───嫌だ、行きたくない!


 暗い表情で、無言のままうつむくルディアに、カルボンは苛立ちをつのらせる。


 奴隷とは、主人の命令に二つ返事で従うものだ。

 ましてや、自分はこの商会のボスではないか。


 奴隷であったとはいえ、この女の境遇は、少し優遇されすぎていたようだ。

 この辺で、わからせてやらねばならぬ。自分の立場というものを。


 机を叩く指を止めると、カルボンは立ち上がり、背後の窓を眺めながら告げる。


 「仕方があるまい?私はね、アウランのこの先の活躍を見越して、君たち2人を買ったのだ。それがまさか、彼があんな欠陥品だったとは……。最後の試合に勝って、わずかばかりの金を稼いでくれたのが、せめてもの救いだったがね」


 そこでルディアの表情がピクリと動く。


 「え……?兄さんが、勝った……?」


 ルディアは聞いていた。”最後の試合、自分が勝てばお前は解放されるのだ”と。

 それまでは、死んでしまったのだから、当然試合には負けたものと思い込んでいた。


 「じゃあ、私は、解放………」

 「ん、何だ?聞こえんな」

 「兄さんが勝ったのなら……、私は奴隷から解放される約束ではないのですか!?」


 カルボンはその言葉を聞き終えると、ゆっくりと彼女に向けて振り返る。

 その顔に、残忍とも呼べる笑みをたたえ、彼は嫌らしく告げた。


 「解放………?知らんなァ」


 その表情と声色から、ルディアは全てを察する。

 自分たち兄弟は、この男に騙されたのだと。


 「フフン、勝ちといっても、負けに等しい結末だった。最後は狂戦士の力まで出しながら、奴はあの小僧に、勝利を恵んでもらったんだよ。噂の”南方の黒獅子”があの程度とはな。まあ、欠陥品に相応しい結末だったか」


 ルディアは両手を強く握りしめ、その体は小刻みに震え始めていた。

 自分を奴隷から解放するために、命をかけて戦った兄への侮辱───それは絶対に許せない事であった。


 両目にたたえられた涙の奥───その黒い瞳には、怒りの炎が宿る。

 もはや敵意を隠すことも無く、彼女はカルボンをにらみつけた。


 それを見て、カルボンは”良い表情ではないか”と、喜んだ。


 こういう表情をした者を最後に屈服させるのは、彼の至上の喜びであり、それはもはや性癖と言っても良かった。


 「君の兄さんは欠陥品であったワケだが……、君は大丈夫かな?娼館に出してから、欠陥品であることがわかったら大変だ。ここで調べておかねばならんなぁ。体の隅々まで……」


 そして部下へ「押さえつけろ」と命じ、ルディアの前に進み出る。


 ルディアの背後より、笑いながら男たちが歩み寄っていた。

 カルボンは目をぎらつかせながら、最終的に服従をした彼女の顔を思い浮かべ、心を躍らせる。


 だが、その目の前で、信じられない事が起こった。


 ルディアは突如として、背後の男へと、疾風のような回し蹴りを放ったのだ。

 まるでその場所に居るのがわかっていたかのように、その蹴りは男のアゴへとクリーンヒットする。

 男はうめき声すら上げず、笑った顔のまま、背後へと倒れた。


 「こ、この野郎!」

 慌てたもう一人が、ルディアに組み付こうと駆け出す。


 彼女はあえて、男の組み付きを許した。

 同時にその腕を取ると、体を回転させ、一本背負いの要領で男を投げ飛ばす。

 カルボンの真横───執務机に男は激突し、かすれるようなうめき声を上げて、床に倒れ込んだ。


 カルボンはあっけにとられ、ただ呆然と、その様子を眺めていた。

 やがて、その敵意が自分に向けられた瞬間、彼の体に恐怖がわき上がる。


 カルボンは曲がりなりにも剣闘商会のボスであった。

 その身のこなしを見て、彼女が素人では無いこと───しかもかなりの技量を持っていることを察する。


 ───な、何故、こんな小娘が……!?


 ルディアはかつて、兄への憧れと、自分でも金を稼ぎたいという気持ちから、剣闘士になりたいと願った時期があった。

 兄の目を盗んでは、馴染みの女剣闘士たちにお願いし、時にはかなりハードな訓練を積んだのである。

 絶頂期にあったアウランは多忙を極めており、かなりの間、それは発覚しなかった。

 最終的には兄に見つかってしまい、その夢は頓挫するのであるが、その後も訓練だけは続けていた。


 その実力は、多少の格闘術をかじった程度の男には、絶対に負けないほどになっていたのである。


 カルボンは蒼白な顔で、歯をガチガチ震わせながら、ゆっくりと後ずさりをする。

 やがて、机の上に、鞭が置かれていた事を思い出し、慌てて背後を振り返った。

 だが、その背中にルディアの蹴りが飛び、彼は顔面から机に激突して倒れ込む。


 ルディアは周囲を見渡した。

 伸びて床に倒れ込む男───その腰に付けられた短刀を見つけると、それを素早く抜き取る。

 そして、グッとそれを握りしめると、カルボンへと振り返った。


 ───殺してやる!


 刃をかざしながら、彼へと歩み寄ってゆく。


 「ひ、ヒィィ……、た、助けて、助けてェェ………」

 それまで自信満々であった彼の、あまりに情けない姿に、思わずためらいを覚える。

 同時に、ドアの奥から、複数の男のざわめく声が聞こえてきていた。


 この騒動の音を聞きつけられたのか。

 剣闘士が混じっていては厄介だと、ルディアは感じた。


 彼女は駆け出すと、窓を蹴破り、外へと飛び出る。

 その視線の先に見つけた太陽は、西へと傾きかけていた。


 屋根づたいに走るルディアの頬に、涙が伝ってゆく。


 ───私は、どこへ行けばいいんだろう?


 いや、行く場所など、もうどこにも無い。


 兄さんが死んだ瞬間、この世界に、私の居場所は無くなってしまったのだ。


 ならば、せめて─────、



 

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