10、地獄の特訓
太郎の前に、三途の川が流れていた。
川端には桟橋がかかり、昔話っぽい服を着て、胸元をはだけさせた色っぽいおねーさんが、こちらを手招きしていた。
まるで吸い寄せられるように、フラフラ~っと、そちらへ向かう。
お兄さん、渡ってかない?
太郎はうんうん、と素早くうなずき、彼女にうながされるまま船へと向かう。
この川を渡ったら、ガチでヤバイ事になりそうな気がしたが、何かもう、どうでも良かった。
むしろ対岸に渡ったら、すべてが解決する、楽になれるような気がした。
しかし、船へと足を伸ばした瞬間、彼の首根っこがむんずと掴まれる。
振り返ると、そこには笑顔を浮かべたアイシャの顔。
そして、女性とは思えない力で、背後へと引っ張られる。
やめろ、やめてくれ!向こうに渡りたいんだ!
もう、あそこに戻るのは嫌なんだ!!
しかし、容赦なく引き戻されてゆく。
あ、悪魔だ!この女は悪魔だぁぁ!
その瞬間、太郎の目は覚めた。
◆◇◆◇◆
薄ぼんやりと、今の現実が色を取り戻してゆく。
松明のゆらめく炎に照らされて、冷たい石造りの天井が視界に映った。
そして彼の脇には、どこかやるせない表情でヒーリングをかけるアイシャの姿。
「ケイメン、やりすぎよ!」
叫ぶアイシャの視線の先には、ケイメンがつまらなそうに立っていた。
その脇には、彼と同じくらいの背丈の土人形が立つ。
先ほど、太郎をフルボッコにし、魂を黄泉の世界まで吹っ飛ばした奴である。
その恐怖を思い出し、太郎は思わず身震いした。
どうやら、自分はクロエのところで覚醒したらしいのだが、全く記憶に無い。
マナってやつは、どうすれば出せるのか、全く覚えちゃいない。
体の痛みが和らぎ、傷が癒えてゆく。
それは再戦のカウントダウンであった。
傷が癒えれば、また戦わねばならない。あの土人形と。
ヒーリングをかけるアイシャが恨めしく思えた。
だいたい何なんだ。こいつらは。
勝手に呼び出し、魔王を倒せとか。
使えないなら人柱とか奴隷とか。
怒りが沸々と湧き出てきた。
アイシャを押しのけて立ち上がる。
小さな悲鳴を上げて、アイシャはしりもちを突いた。
こうなったら、やけくそだ。
転がる鉄剣を拾い上げ、両手で構える。
ケイメンは「ほう」と、少し驚いたような顔をすると、ニヤリと笑った。
右手を振るうと、それに呼応するかのように土人形が太郎に向かって走る。
───怖い。
だが、やられっ放しは、もう嫌だった。
強い決意を持って、迫り来る拳に向けて剣を振るう。
ガッ、と硬い響きを立て、土の拳に刃がめり込んだ。
次の瞬間、拳から肩口にかけて亀裂が走る。
土の破片を散らしながら、土人形は大きくよろめいた。
衝撃に手が痺れる。だが太郎は剣を離さない。
柄を強く握り直すと剣を振り上げ、渾身の力を込めてそれを肩口へと見舞った。
先程よりも大きな衝撃音。
肩口から胸元あたりまで、刀身がめり込む。
土人形の全身に亀裂が走り、その体は一時停止した。
…やったか?
これ以上ない手応えであった。
肩で息をしながら、太郎は土人形を見る。
そこには、細かい土を落としながら、わずかに震える土人形の姿。
太郎は勝利を確信し、その顔にわずかな笑顔が映る。
だが、そんな顔に向け、突如として土人形の左手が振り上げられた。
あれ、何、まだコレ、動いてるよ?
そんな事を考えた瞬間、その拳が振り下ろされる。
笑顔のまま顔はひしゃげ、彼は大きく吹っ飛んだ。
───その日、太郎は12回、三途の川のおねーさんとめぐり遭うこととなるのだった。
◇◆◇◆◇
昼と夜の狭間がやってきていた。
西の山に沈みかけた太陽は、名残惜しそうに空を赤々と照らす。
家路を急ぐ人々の影は長く伸び、間もなくやって来る夜を知らせていた。
そんな中、のしのしと、何かを背負って歩くリザードマンの姿。
その影が、大きな屋敷の前で止まる。
「オラ、ついただ。降ろすだよ」
リザドは、背負って運んできた黒い物体を、ドサッと投げ出した。
その物体は「うぅ…」と、うめき声を上げる。それは太郎であった。
地獄の特訓5日目の事である。
ヒーリングという魔法は、確かに傷や骨折などは癒してくれた。
しかし、疲労感はあまり回復してくれないようである。
夕方、特訓が終わる頃には、太郎は精根尽き果て、体は真っ黒に汚れた状態となるのであった。
塀で囲まれたロージンの屋敷、その門前で倒れ込む太郎。
今日もキツかった…と、訓練を思い出す。
とりあえずケイメンは、自分を本気で殺すつもりは無いらしい。
始めの頃は本気で殺されると思っていたが、生と死のギリギリの狭間で寸止めをしてくれているようだ。
相変わらず『死ね』とか『殺す』とか脅してはくるのだが、この5日間で、それが何となくわかってきていた。
何より、戦闘不能になると、すぐにヒーリングをかけてもらえる。
その安心感もあって、ここ数日は土人形との戦いに、全力で打ち込むことができるようになっていた。
だが、マナを使うことは、まだできていない。
『マナを使え。使わなくては、その土人形は倒せない』と、ケイメンは言う。
だが、今日は一度、奴を戦闘不能にしてやったじゃないか。
あの硬い胴体を両断できたじゃないか。
わずか5日間ではあるが、自分が強くなってきていることを、太郎は実感していた。
倒れ込んだまま、フフフ…と不気味な笑い声を上げる。
そんな彼を、往来する人々が奇異な目で眺めていた。
おもむろに、鼻水を垂らした子供が近寄り、彼を棒で突っつく。
直後、母親が駆け寄り、「近寄っちゃダメ!」と子供を抱きかかえて走り去った。
そんな事にも動じず、彼は笑い声を大きくすると、やがてゆっくりと這いずりながら敷地の中へと入っていった。
◆◇◆◇◆
太郎がまず向かったのは、玄関では無かった。
屋敷の脇に建つ風呂場へと向かう。
特訓初日、真っ黒な状態で家に入り、ソファーで寝ていたら、アイシャにめっちゃ怒られた。
あれ以降、特訓から帰る頃には、風呂を沸かしておくこととなり、太郎はまずそこで体を洗い、家に入る約束になっていた。
這いずったまま、屋敷脇の小屋へと入る。
入口の扉は開いていた。そこから薄い湯気が出ている。
みすぼらしい小屋ではあったが、この世界では個人宅に風呂があること事体、富裕層の証であるらしい。
一般民家には風呂など無く、公衆浴場を使うのが普通であるとか。
脱衣場の、すのこ張りの床に寝転がったまま、ゆっくりとボロ雑巾のような衣服を脱ぐ。
そして、気だるそうに、時間をかけて立ち上がった。
そして一歩、その足を踏み出した時、壁に立てかけられた鏡が目にとまる。
そこに映った自分の体に、太郎は思わず目を見張った。
あの貧弱な体が、ひと回り大きくなっている。
太ったワケでは無い。付いたのは筋肉だ。
しかも、腹筋が見事なほどに割れた、ムダな肉の無い引き締まったボディ!
これは…思春期男子の憧れ、細マッチョというやつではないですか───ッ!
思わずテンションが上がり、鏡の前で様々なポーズを取ってしまう。
何となく、今ならボディビルダーの心情が理解できそうな気がした。
やがて、鏡の前で悩ましげなポーズを取り、陶酔していた彼の耳に、水の音が入った。
ぴちょり、ぴちょり、というその音は風呂場の中から聞こえる。
…中に、誰か、いる!
そういえば今日、アイシャは特訓の場に来ていなかった。
連日のヒーリングに疲労がたまったようで、今日来たのは中年のおばちゃんであった。
おかげ様で、今日の特訓はいまいちテンションが上がらなかったワケだが…、そんな事はどうでもいい。
ばちゃり、という浴槽から出たであろう、水の音。
続けて、扉へと歩き来る足音。
───事故だ。見てしまっても…、これは事故だ!
血走った目をひんむき、木の扉を凝視する。
やがて扉が開かれ、吹き出る大量の湯気の中から細い足が伸びた。
「タロー殿、その格好は何じゃ?」それはロージンであった。
それを見た瞬間、太郎の魂は黄泉の世界まで吹っ飛び、その体は力なく崩れ落ちたのであった。




