プロローグ
スマホの画面がスクロールされて、予期せず広告が目に入る。
エースチーム面目躍如という扇情的なタイトルだった。
凛々しく刀を構える少女が映し出されている。
自動再生で意図せず動画が流れ出した。
『異人による民間人への殺傷事件は年々増加の一方。しかし、心配ご無用。なぜなら、私たちには彼女たちがいるからです』
艶やかな黒髪と凛とした赤い眼差し。
端正で美しい顔立ちは、頼もしさを感じさせる。
武者鎧を現代的にアレンジした白亜のアーマーもまた、彼女に風格を与えていた。
強者の雰囲気を漂わせる彼女の前に、黒い怪人が現れた。
硬質化した皮膚が中世の騎士を思わせる鎧のようになっている。目は怪しく黄色く光り、他者を委縮させる恐ろしさがあった。
特撮やアニメ、ゲームなどに出てくる怪人のような存在を、公的機関は異人と名付け、適切に対処している。
なぜならば。
『グギャオオオオオ』
人語とは思えない奇声を発して、異人が少女に襲い掛かる。
理由は不明。目的も。
しかし、異人たちは人間を攻撃してくる。
ゆえに、必要だった。彼女のような存在が。
すなわち――人々を守る偉人が。
一刀両断。もはや見惚れてしまうほどの太刀筋。
恐ろしき怪物が、ただの一撃で叩き斬られた。黒い靄のようなものが溢れ出して、姿が消えていく。まるで初めからいなかったかのように。
『ご覧ください、この活躍を。彼女たちの強壮さを! 何も不安に思う必要はありません。我々偉人統制局が誇る最強のヒーローチームたちが、あなたたちの安全をお守りします。ですがもし、あなたが世界の平和に貢献したいという素晴らしい思想の持ち主であるのならば、朗報です。こちらから寄付金のご応募が――』
「ズク……シズク」
「っ、え?」
スマホから目を離す。リビングでは、父親が温和な笑顔を浮かべていた。
「父さん、今日早いんだ。あまりぼーっとしてないで支度するんだよ。悪いけど自転車は準備できないからね」
「うん……わかった。いってらっしゃい」
父親の後ろ姿を見送ったシズクは、食パンを一口かじった。
改めてスマホを見る。今度見たのは時計だった。
時刻は朝の八時に差し掛かろうとしている。
「まっずい!」
急いでパンを口の中に放り込む。
慌ててコーヒーを飲み干すと、洗面所へと急いだ。
急いで歯を磨き、顔を洗い、青い髪をポニーテールへと整える。
白い肌に異常がないかチェックをして、最後に青い双眸を見据えた。
「ヨシッ、急がないと!」
部屋からカバンと黒い竹刀ケースを持ち、外に向かった。
「変なCMなんて見るからこんなことに!」
キコキコと車輪の回る音が、閑静な住宅街に響いている。
偉人統制局のプロパガンダに呪詛を送りつつ、シズクは自転車を立ち漕ぎしていた。
焦りつつも、まだ若干の余裕がある。
最短ルートを安全運転で向かえば、ギリギリ遅刻せずに済む――。
はずだった。
「……え?」
馴染みのルートに通行止めの看板が。
どうやら道路工事をしているらしい。こういう場所はあちこちにある。
原因は主に、異人による破壊活動。
「まずいまずい!」
急いで迂回路へ移る。致命的なタイムロスだ。
都会ならまだしも、田舎では一本道を迂回するだけでも結構なロスになってしまう。
ゆえに、ハンドルを握る腕とペダルを漕ぐ足に力が入った。
交通量の多い道路へと出て、夢中で速度を上げていく。
たまの遅刻なら、そう目くじらを立てられることもない。
しかしシズクは遅刻の常習犯だった。
遅れるわけにはいかない。遅刻で高校を留年するとかシャレにならない。
シズクは無我夢中で自転車を漕ぎ進めて、
「はぁ、はぁ……ん?」
車内で唖然とするドライバーと目が合った。
「やばっ、たははー」
シズクは愛想笑いを浮かべて、脇道へと逸れていく。
ドライバーは茫然と自転車を見つめていた。
「おっはよーシズク」
「お、おはよう……」
精神的な疲労感に参りながらも、教室でクラスメイトとあいさつを交わす。
ギリギリ間に合ったが、危うかった。いろんな意味で危な過ぎた。
着席すると、友人であるキハナがスマホを見せてくる。
「ねー知ってる? シズク!」
「今日は何?」
ミーハーな彼女はいつも何かしらの新情報をシズクに共有してくる。
そこには、自身が遅刻しかけた原因となったあの少女が写っていた。
「チーム白夜が近くに来てるんだって!」
「……なんでこんな田舎に?」
「さぁ! でもきっと超重要な特別任務とかなんだよ! カッコいいよね白夜! 特にチームリーダーのナガレ! 私たちと同い年なのにあの強さ! 憧れちゃうねえ!」
「そりゃだってスーパーパワーがあるんだし」
偉人は大まかにわけて二種類いる。潜在的な特殊能力を持っている超能力型と、特別な武装――パワードアーマーなどを装備して戦う無能力型。
ナガレは前者だと公表している。
つまり、あのサムライアーマーは飾りでしかない。多少便利な機能はついているかもしれないが、あの斬撃の由来は彼女の体質――生まれ持った才能だ。
シズクにはどうしても、すごいとは思えなかった。
「相変わらず塩いねーシズクは。ヒーローにさ。嫉妬とか?」
「そんなんじゃないって」
「そいつはシット! ってことだね!」
「……意味わかんないんだけど」
つまらないダジャレ的な何かを聞いていると、チャイムが鳴り響く。
今日もまた、いつもと変わらない日々が始まった。
シズクの日常は、取り立てて語るところのない平々凡々なものだ。
休憩中はキハナと会話をして、授業中は勉学に励み、スマホを見ながら昼食を摂って、あっという間に放課後だ。
むしろ、ここからの時間の方がまだ刺激的かもしれない。シズクは高校に入ってからというもの、あることを始めた。
その名も――バイトである。
「よし、今日も頑張っちゃうぞー!」
多感な十六歳はいろいろと物入りだ。
特にシズクの場合は他人よりも切迫した事情がある。
あれやこれやに金がかかり過ぎるのだ。
そして、そのことを両親に相談するわけにもいかない。
(だって私とは違うしね……)
このことで悩まさせたくない。
そんな思春期真っ盛りな乙女が見つけ出した答えがこのバイトだ。
ありふれた書店でのバイトなので、特別感のある仕事というわけではない。
それでも、シズクの退屈な日夜では十分に刺激的だ。
「さくっと終わらせて、家でゲームでも……」
と、バイト先へ自転車を漕いでいる途中だった。
――けて。
その声を聞いて、思わず急ブレーキをかける。
歩道の人々が何人か注目してきたが、それだけだ。
誰も耳を澄ませない。
誰にも聞こえていない。
「き、気のせいかなーあはは」
言い訳するように呟いて。
――たすけて!!
今度ははっきりと聞こえた。改めて周囲を見回す。
誰も気付いていない。歩道では高校生が他愛のないおしゃべりをして、車道では車がエンジン音を響かせている。
知覚しているのはシズクだけ。この場でたったひとりだけ。
気を取り直すように頭を横に振った。
「大丈夫大丈夫。白夜も近くにいるらしいし? なんとかなるでしょ」
のんびりしてはいられない。今度はバイトに遅れてしまう。
ただでさえ遅刻が多いと店長に言われている。
これ以上遅れると、クビになってしまうかもしれないのだ。
「さぁてバイトバイト。今日も楽しくレッツ労働……」
――だれか! 助けて! パパ、ママ!!
「あーもう!」
シズクは自転車を漕ぎ始めた。道行く車を抜かしながら。
※
小さな女の子が、夕日で照らされた路地を必死で走っている。
その後ろを追いかけるのは黒い怪人。すなわち異人。
動機は不明。狙いも定かではない。
しかし漆黒の騎士もどきは執拗に子どもを追いかける。
そこに戦略的意図は感じられない。ただの漠然とした破壊衝動だけしか。
疲労が限界に達したのか、子どもが転倒する。
努力虚しく一瞬で追い付かれてしまった。
「ひっ……いや!」
騎士もどきが迫る。
そこには何の躊躇もない。人とは異なるからか。或いは別の理由か。
しかしもはや理などどうでも良かった。
乱雑に伸びた手が、女の子の首を容赦なく刈り取る。
そんな未来は訪れなかった。
驚く表情が反射している。
磨き上げられた刀身に。
「平気?」
その声を聞いて。
少女は見上げる。
自分を助けに来た者の姿を。
瞳に映るのは怪人の拳を片手で受け止めるヒーロー……。
「え?」
というには、割と一般的な姿をしていた。
少なくともニュースで見るような格好ではない。
黒いパーカーにズボン。子どもを案じて振り向く顔には黒マスク。そしてグラス。
まるで不審者情報に載ってそうな風貌だった。ヴィランと呼ぶ方が相応しそうだ。
それでもその推定不審者は騎士もどきを蹴り飛ばす。
「危ないから下がってて!」
「うん……! ありがとう!」
どのような風体でも、この時ばかりは関係ない。
女の子にとっては、紛れもないヒーローだったのだから。
※
百円ショップで買った伊達眼鏡を通して、シズクは騎士もどきとの距離を測る。
相手の動きを窺いながらゆっくりと動く。衣類量販店の黒パーカーとズボンから、衣擦れの音が聴覚に届く。
静かに吐いた息が、雑貨屋で購入した黒い布マスクを通り抜けた。
刀を両手で握りしめる。唯一市販品ではない装備。
模造刀ではない。朝陽家に代々伝わる家宝の真剣だ。
ちらりと腕時計を確認。急がないとバイトに遅刻――。
「グオオオッ!」
「ちょ、いきなり!」
殴打が飛んできて、刀で弾く。
常人であれば素手で刀を殴ればタダでは済まない。
しかし相手は異人。この程度ではビクともしない。
そもそも結構力を入れて蹴ったのに、特段ダメージを受けた様子はない。
普段のように加減しているわけではないのに。
「こいつ、結構面倒くさいかも」
たまに出てくる厄介なやつだ。
シズクが分析している合間にも、敵は待ってくれない。
両の腕を使って、交互に殴打してくる。単調だが動きが早い。
全てを弾く。まともに攻撃を食らうわけにはいかなかった。
異人のパンチはコンクリートも容易く貫通する。
もっとも、それ自体はそこまでの脅威ではない。
むしろ別の意味で問題だった。が、
「そろそろこっちのターンに……しまッ!」
突然拳の威力が上がって、防御に失敗し、体勢を崩してしまった。
すかさず放たれた追撃に、シズクの反応が遅れる。
拳が胴に入って、アスファルトを水切り石のようにバウンドした。
「くッ……いった……ぁ」
うつ伏せから立ち上がろうとして、目に入る。
擦り切れで穴が開いた左袖が。
外傷は見られない。そんな心配は最初からしていない。
「はぁ~~」
ため息を吐いて立ち上がる。天を見上げると、夕日が煌々と輝いていた。
左手で頭に触れる。どのみち、時間はない。いろんな意味で。
「仕方ない。ちょっと本気……出そうか」
決意表明のように呟いて。
シズクの目の色が変わる。比喩的表現ではなく、本当に。
青い瞳が緑色へ変化していた。
そこへ異人が突撃してくる。
さっきと同じように振るわれた拳を、先程よりも速くシズクが弾いた。
豊かだったシズクの表情は真顔となっている。
精神が研ぎ澄まされ、戦いに集中していた。
攻撃を弾く。その動作自体に大きな変化はない。
だが今度は騎士もどきが後退させられていた。
自分よりも一回りも小さい少女の刀を、異人は制することができない。
とうとう、攻撃の合間を縫って刀身が騎士もどきの身体を捉えた。
一度当たればリズムが崩れる。
立場が逆転し、シズクが一方的に斬りつけていた。
しかし相手は倒れない。単純に硬くそして生命力もある。
であるのなら。
「倒れるまで、斬ればいい」
何度も何度も叩き斬って。
ようやく騎士もどきが膝をつく。
「終わりだよ」
シズクは刀を振りかざし、斜めに振り下ろす。
黒い靄のようなものが騎士もどきが漏れ始めて、消えていく。
最初から何もいなかったかのように。
けれど、確かに存在していたのだ。
その証拠が、物陰から駆け寄ってくる。
「ありが――」
「ちょっといいかな!?」
食い気味に言われて、女の子が固まった。
「ここに来たのは内緒ね? あなたはたまたま助かった。いいね?」
「ナイショ……どうして?」
「それは……特別な任務だから!」
「トクベツ?」
「そう、特別! だから秘密なの!」
毎度のことながら、この瞬間がシズクは苦手だった。
ドキドキしながら女の子を見ていると、戸惑いながらも頷いてくれた。
「うん、わかった! お姉ちゃんもビャクヤなの?」
「白夜? ……あー、そんなとこかな、うん」
良心が咎めるが、背に腹は代えられない。
「そうなんだ!」
「じゃあ、えっと……私は帰るから! すぐに大人が来てくれるはずだから、その人たちの言うことをちゃーんと聞いて、真っ直ぐお家に帰ってね! それじゃ!」
「ありがとう、ヒーローのお姉ちゃん!!」
女の子に手を振られながら、シズクはそそくさと退散する。
その姿はまるで、見咎められたコソ泥のようでもあった。
※
「こちら白夜。現着した」
そう無線で伝えるナガレの声質は固かった。
チームの空気は沈んでいる。
VIPの護衛任務中に異人反応の報告を受けたのが一時間ほど前。
任務の性質上、対象の安全が確保されるまで別行動が許されなかった。
つまり……反応地点にもし民間人がいた場合は……。
ナガレの視線の先には抉れたアスファルトがあった。
誰か地面に叩きつけられたのだろう。
その人物がどうなってしまったのか、想像に難くない。
「またか……」
「ナガレ様……」
忍び装束の少女が気遣うように名前を呼ぶ。
一流の忍びでもあるミヤビとは、付き合いが一番長い。
いくら気丈に振る舞おうと、彼女にはお見通しだった。
それでも、凛とした振る舞いを続ける。
チーム白夜のリーダーとして。
「フォーリナーを探せ。敵討ちをさせてもらう」
しかし優秀なはずのチームメンバーから、敵発見の報告が来ない。
サポートチームの防衛隊員からも何の連絡もなかった。
不審に思ったミヤビがスキャナーを使用。
「これは……!」
「どうした……」
「異人残滓を確認しました。撃破されているようです……!」
「何……?」
『民間人を捕捉』
無線と同時に足音を捉える。
振り返ると、小さな女の子が手を振っていた。
「わたしはここだよーっ!」
「生き、てる……」
ナガレは意表を突かれて駆け寄る女の子を見、即座に我に返った。
「どういうことだ。詳細を頼む、ミヤビ」
ミヤビはショートカットの茶髪を掻き上げる。
冷静な彼女も驚きを隠せないようだ。
「ウォリアータイプのフォーリナーが出現していたようです」
「報告よりも強敵だな。ウォリアーを倒すのは骨が折れる」
「うわあああビャクヤだ! ナガレだ!」
自分を認識して喜ぶ女の子に、片手を上げて応える。それもまた偉人の仕事だ。
しかし興味は異人消滅理由の方が上。
「一体なぜ」
「あのお姉ちゃんもカッコよかったし、やっぱりビャクヤはすごいねえ!」
「お姉ちゃん?」
ナガレの関心度合いが少女へと移る。
意向を先んじて汲み取ったミヤビが少女へと目線を合わせた。
「誰かいたのかな?」
「えっとね……あ、ナイショって言ってたんだった」
「内緒、か……」
「でも、その人も白夜なんじゃなかったっけ?」
僅かな情報からのミヤビの推論に少女が頷く。
「うん……でも……」
「秘密なのは白夜以外の人にって意味だったと思うよ。私たちは平気だよ。お友達だからね」
「そっか、ならダイジョウブだね。たすけてくれたんだよ! ちょっとヘンだったけど、カッコいいお姉ちゃんが!」
「そうなんだ。ありがとう」
ミヤビが少女を隊員に預け、端末を見せてくる。
周辺地域の被害状況レポートだ。
「このエリアの被害状況が、近隣に比べて軽度でして。事前調査では重要施設がないためだとして、気にも留めていなかったのですが」
「つまり、いるのか?」
「ええ。いるはずです。統制局の管理を逃れている野良猫が」
「野良猫か……」
ナガレは改めて周囲を見渡す。と、血相を変えて走ってくる民間人が見えた。
親らしき女性が慌てているのとは対照的に、少女の表情は晴れやかだ。
運よく助かっても、あんな風に笑って対面できることは極めて稀である。
「どんな奴かな……」
ナガレは空を見上げる。今宵の月はとても美しい。
ゆえに知る由もない。
書店で謝罪を繰り返すバイトが、この街のどこかにいることなどは。




