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「君では侯爵家の妻として相応しくない」と三百人の前で婚約破棄された病弱令嬢ですが、実は王国唯一の古代魔法言語解読者でした。今更「戻ってきてくれ」と言われても、もう遅いです

作者: uta
掲載日:2026/03/16

【お知らせ】

この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています

あらかじめご了承の上、お楽しみください

「君との婚約は破棄させてもらう。君では侯爵家の妻として相応しくない」


三百人の招待客が息を呑む音が、シャンデリアの煌めく大広間に響いた。


私——リディア・クレセントは、壇上でその言葉を聞きながら、不思議なほど穏やかな心地でいた。


(ああ、やっぱりこうなったのね)


隣に立つレオナルド・ヴァンシュタイン侯爵子息は、金髪を靡かせながら勝ち誇った笑みを浮かべている。その腕には、蜂蜜色の巻き毛を揺らすセリーナ・モーリス男爵令嬢が縋りついていた。


「お前のような病弱で地味な女より、セリーナのほうが侯爵家に華を添える。分かるだろう?」


レオナルドの碧眼が、私を見下ろす。七年間の婚約期間、彼がこちらを見る時は常にこの目だった。道具を、駒を、使用人を見る目。私はとうに慣れていた。


「レオナルド様……わたくし、リディア様には申し訳ないと思っておりますの。でも、この気持ちだけは抑えられなくて……」


セリーナが可憐に涙を拭う仕草をする。翠の瞳の奥には、隠しきれない侮蔑と優越感が滲んでいた。この女が私の薬を隠したことも、侍女に命じて私の食事に下剤を混ぜさせたことも、私は全て知っている。


知っていて、黙っていた。


(だって、どうせ死ぬのだから)


十五歳の時、王国でも稀な『星蝕病』と診断された。治療法はない。ゆっくりと、しかし確実に命を蝕む病。医師からは「あと半年」と告げられている。私は残された時間を数えながら、クレセント伯爵家の長女として、政略結婚の駒であることを受け入れてきた。


会場のあちこちで囁き声が漏れる。


「まあ、リディア様が婚約破棄ですって……」

「やはり病弱では侯爵家は務まりませんわね」

「セリーナ様のほうがお綺麗ですし、当然ですわ」


同情か、嘲笑か。どちらにせよ、私には関係のないことだった。


私は静かに左手の婚約指輪を外した。サファイアの冷たい輝きが、シャンデリアの光を反射する。


「お気になさらず、セリーナ様。——お受け取りください、レオナルド様」


差し出した指輪を、レオナルドは嫌悪の表情で受け取った。


この男は知らない。この指輪の台座に刻まれた古代魔法言語を解読したのが私であることを。三年前に紛失したとされる『建国の秘宝』の在処を示す暗号文を読み解いたのが、この『病弱で地味な令嬢』であることを。


全ての功績は、この男のものとして報告されている。


王宮の書庫管理を密かに手伝い、誰も読めなくなった古代魔法言語を独学で習得し、王国で唯一の解読者となったのは私だ。病床で過ごした十年間、王国図書館の蔵書を全て読み尽くしたのは私だ。


けれど——


(でも、もういい)


「ふん、やはり君は従順だな。これが最後の美点か」


レオナルドが嘲笑う。


「どうぞお幸せに」


私は微笑んだ。心からの、本物の微笑みだった。


「あら、あっさりしたものですわね。七年間の婚約でしたのに……やはり愛がなかったのかしら」


セリーナの嫌味にも、もう何も感じない。


「当然だ。あれはただの政略婚約に過ぎなかった。今夜から君が僕の唯一の女だ、セリーナ」


レオナルドがセリーナの腰を抱き寄せる。会場にどよめきが広がった。


私は壇上を降り、三百人の視線の中を歩いた。背筋を伸ばして、一度も振り返らずに。


「お姉様……! お待ちください、お姉様!」


会場の端から、妹のフィオナが駆け寄ってきた。明るい亜麻色の髪を揺らし、快活な瞳に涙を浮かべている。


「フィオナ、大丈夫よ。——ええ、本当に大丈夫」


「でも、あんな……あんな酷い言い方……!」


「私はね、今とても清々しい気持ちなの。……不思議でしょう?」


フィオナは言葉を失ったように私を見つめた。


大広間の扉を開けた瞬間、夜風が頬を撫でた。春の匂いがした。


(残り少ない命、もう誰かのために生きる必要はない)


琥珀色の瞳に、初めて自由の光が宿った。


星が瞬く夜空を見上げながら、私は静かに決意する。


——この命の終わりまで、私は私のために生きよう。


その頃、大広間では誰も気づいていなかった。リディア・クレセントという令嬢が、王国で唯一、古代魔法言語を解読できる人物であることを。そして彼女の離脱が、やがてヴァンシュタイン侯爵家に、いや、王国全体にどれほどの波紋を広げることになるのかを。


◇◆◇


三日後、王宮から緊急の使者がヴァンシュタイン侯爵邸を訪れた。


「隣国との和平交渉に必要な古文書が解読できません。レオナルド様、至急お力添えを」


レオナルドは青ざめた。


「どういうことだ! なぜ古文書が解読できない!」


古文書の解読。それは全て——全て、リディアに任せていた。彼女がいなくなって初めて、自分がどれほど彼女に依存していたか思い知らされた。


「私が読めると報告しただろう!」


「では、レオナルド様に解読をお願いできれば……」


沈黙が落ちた。


レオナルドは唇を噛んだ。解読などできるはずがない。全ての翻訳作業は、リディアに丸投げしていたのだから。


「彼女を呼び戻せばいい」


軽く言った彼に、使者は深刻な顔で首を振った。


「リディア様は既に王都を発たれました。行き先は——不明です」


レオナルドの顔から、血の気が引いていく。


「リディア・クレセントを探し出せ! 何としても連れ戻すのだ!」


しかし、クレセント伯爵家は既に全ての縁を断ち切っていた。


「娘を道具として使い潰そうとした家との縁は、これきりです」


エドワード・クレセント伯爵からの、冷淡な返答。レオナルドを見る目は、初めて会った時から今まで、一度も温かくなかったことに——レオナルドは今更気づいた。


「くそっ……くそっ……!」


崩壊の足音が、確実に近づいていた。


◇◆◇


王国の南端、潮風が吹き抜ける小さな港町。


私は『月蝕亭』と書かれた古い看板を見上げていた。蔦の絡まる石造りの建物は、どこか時間から取り残されたような佇まいをしている。


「いらっしゃい。——おや、随分と遠くから来なすったね」


扉を開けると、銀白色の髪を緩く結い上げた老婦人が微笑んでいた。深い皺が刻まれた顔には、穏やかな光が宿っている。


「少し、本を見せていただいても?」


「どうぞ、ゆっくりしていきなさい」


店内は埃っぽくも懐かしい紙の匂いに満ちていた。壁一面の本棚には、王都の大書店でも見かけないような希少本が並んでいる。


私は一冊の背表紙に目を留めた。古代魔法言語で書かれた詩集。王宮の書庫にも収蔵されていない、珍しい写本だった。


「……お嬢さん、その本が読めるのかい?」


振り返ると、老婦人——マーガレットが、不思議そうに私を見つめていた。


「ええ、少しだけ」


少しだけ、というのは嘘だった。私は王国で唯一、古代魔法言語を完全に解読できる人物だ。


けれど、それを誇ることに意味はない。どうせあと半年で死ぬのだから。


「そうかい。——どこか泊まる宛はあるのかい?」


「……いいえ」


「なら、うちの二階を使いなさい。店番を手伝ってくれるなら、宿代は要らないよ」


押しつけがましさのない、さりげない優しさだった。


私は——少しだけ、泣きそうになった。


◇◆◇


港町での日々は穏やかだった。


朝は潮騒で目を覚まし、日中は古書店の店番をして、夜は星を見ながら眠る。誰も私の過去を詮索しない。病弱な令嬢としてではなく、レオナルドの婚約者としてでもなく、ただの『リディア』として扱われる。


(こんな風に生きられるなら、もっと早く逃げ出せばよかった)


そう思ってから、苦笑した。もっと早く逃げ出していたら、こんな穏やかな諦念は手に入らなかっただろう。全てを諦めたからこそ、今の平穏がある。


——その日、店に一人の青年が訪れた。


「すみません、探している本があるのですが」


深い藍色の髪と、夜空のような濃紺の瞳。質素な旅装だが、どこか只者ではない雰囲気を纏っている。裕福な商家の若主人、といった風情だった。


「どのような本をお探しですか?」


「古代魔法言語で書かれた、小さな詩集です。母の形見で——十年間、読める人を探しているのですが」


十年。


その言葉に、私の胸が微かに痛んだ。


「見せていただけますか」


青年が差し出した本は、掌に収まるほど小さな装丁だった。表紙には金箔で紋章が押されている。アルヴァレス王国の——。


(王家の紋章?)


一瞬の疑問を押し殺し、私は本を開いた。


古代魔法言語の流麗な文字が、黄ばんだ紙面に連なっている。これは詩集ではない。もっと重要な——。


「『星が巡り、月が欠けても。二つの王家は手を携え、共に歩むことを誓う』」


私は声に出して読み上げた。


青年が息を呑む音が聞こえた。


「……読めた……本当に、読めるのか……!」


「『この盟約は、星蝕の夜に交わされ、星蝕の子によって再び結ばれるだろう』……続きもお読みしましょうか」


顔を上げると、青年は信じられないものを見る目で私を見つめていた。


「君は——どこでこの言語を?」


「病床の暇つぶしですよ」


軽く答えた。本当のことだった。


けれど青年は、その軽さを額面通りには受け取らなかったようだった。


「僕はクレイドと言います。——君の名前を、教えてもらえますか」


濃紺の瞳が、私を見つめている。私の『肩書き』ではなく、『能力』でもなく、——私自身を。


七年間、レオナルドは一度もこんな目で私を見なかった。


「……リディア、です」


名乗ってから、気づいた。私は伯爵令嬢という肩書きを名乗らなかった。ただの『リディア』として、この青年の前に立っている。


クレイドは微かに微笑んだ。


「リディア。——綺麗な名前ですね」


夕暮れの光が、古書店の窓から差し込んでいた。埃が金色に舞う中で、私は奇妙な予感を覚えていた。


この出会いが、私の『余生』を変えてしまうかもしれない、という予感を。


(いえ、そんなはずはない)


私には、あと半年しか残されていないのだから——。


◇◆◇


クレイドが『月蝕亭』に通うようになって、二週間が過ぎた。


「この詩の解釈なのですが」

「ああ、ここは二重の意味があります。表向きは恋愛詩ですが、裏には政治的な暗号が……」


私たちは毎日のように古文書を読み解いた。彼の母の形見の本には、両国の王家を繋ぐ古い盟約が記されていた。二百年前、アルヴァレス王国と私の祖国が交わした和平の誓い。それが今、隣国との関係悪化によって忘れ去られようとしている。


「この盟約を公にすれば、和平交渉の突破口になる」


クレイドの言葉に、私は頷いた。


「ええ。ただ、この文書だけでは証拠として弱いでしょう。王宮の書庫にある原本と照合する必要があります」


「王宮の書庫に、原本があると?」


「……おそらくは」


私は口を噤んだ。王宮の書庫管理を密かに手伝っていたことは、まだ話していない。三年前に紛失したとされる『建国の秘宝』の在処を示す暗号文を解読したのも、この盟約の原本の存在に気づいていたのも、全て私だけが知っている。


クレイドは静かに私を見つめていた。


「リディア。——君は、何者なんだ?」


問いかけは穏やかだったが、その瞳には鋭い光があった。


「『病床の暇つぶし』だけで、ここまでの知識は得られない。君は王宮に出入りしていたことがあるね? それも、かなり深い階層まで」


見抜かれている。この人は、私の虚勢を——全てを諦めたふりを、見透かしている。


「……私は」


言いかけた時、激しい咳が込み上げた。


「リディア!」


視界が揺らぐ。口元を押さえた手のひらに、赤い飛沫が散った。


(ああ、やっぱり。限界が近い——)


星蝕病の末期症状。私に残された時間は、思っていたよりも少なかったらしい。


薄れゆく意識の中で、クレイドが私を抱きとめる感触があった。


「リディア、しっかり! ——まさか、星蝕病か?」


彼の声が、どこか遠い。


「……知って、いるの……?」


「知っている。——そして、治療法も知っている」


最後に見たのは、夜空のような濃紺の瞳だった。決意に満ちた、強い光を宿した——。


◇◆◇


目を覚ましたのは、見知らぬ部屋だった。


白い天蓋。清潔なシーツ。窓の外には、見たことのない風景が広がっている。


「気がついたかい」


傍らに、銀縁の眼鏡をかけた男が座っていた。癖のある黒髪をオールバックに撫でつけ、鋭い目でこちらを観察している。


「私は……」


「アルヴァレス王国の王宮だ。君は三日間眠っていた。私はヴィクトール・シュトルム。宮廷医師だ。——そして、星蝕病を治療できる唯一の医師でもある」


心臓が跳ねた。


「治療……できる……?」


「ああ。時間はかかるが、君の病は治せる。王家の秘術と私の研究を組み合わせた治療法だ。完治までは一年ほどかかる。——やる気はあるか?」


治る。


あと半年で死ぬと思っていた命が、治る——?


「なぜ……私を……」


「クレイドに頼まれた」


扉が開いて、クレイドが入ってきた。旅装ではなく、今は王族らしい正装を身にまとっている。やはりこの人は——。


「驚かせてすまない、リディア。僕はアルヴァレス王国の第二王子、クレイド・アルヴァレスだ」


「……知っていました」


正確には、疑っていた。本の紋章を見た時から。


クレイドは苦笑した。


「やっぱり気づいていたか」


「王家の紋章を見れば、分かります」


「でも、逃げなかったね」


「逃げる理由がありませんでしたから」


どうせ死ぬのだ。王子に見つかろうが、どうでもよかった。——そう思っていた。


クレイドは私の傍に跪いた。夜空のような瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。


「リディア。君に頼みがある」


「……何でしょう」


「君に、残りの人生を懸けてほしい。——僕と一緒に、この国で生きてくれないか」


心臓が、痛いほど鳴った。


「なぜ、私なのですか」


「君の古代魔法言語の能力が必要だから——と言えば、納得するかい?」


「……はい」


そのほうが、分かりやすい。能力を求められることには慣れている。道具として扱われることにも——。


「でも、それは嘘だ」


クレイドは首を振った。


「僕が君を助けたいのは、君の能力のためじゃない。君の知識のためでも、君の家柄のためでもない」


「では、なぜ」


「——僕は、君という人に生きていてほしいんだ」


静寂が落ちた。


誰かに、こんなことを言われたのは初めてだった。


レオナルドは私の能力を利用した。父は私を政略の駒にした。社交界の人々は、私を病弱で地味な令嬢としか見なかった。


誰も、『私自身』を見てはいなかった。


「……私はもう、誰かのために生きたくないのです」


声が震えた。


「七年間、婚約者のために生きてきました。その前は、家のために。でも、結局——誰も、私を必要としてはいなかった」


「分かっている」


クレイドは静かに頷いた。


「だから、誰かのためじゃなく——君自身のために生きてほしい」


「私、自身……」


「君が生きたいと思うなら、僕は全力で君を支える。君が学びたいと思うなら、この国の全ての書庫を開放する。君が休みたいと思うなら、穏やかに過ごせる場所を用意する。——全ては、君の意思だ」


私の意思。


二十二年間、一度も尊重されたことのないもの。


「……本当に?」


「本当に」


クレイドは微笑んだ。太陽のように眩しい笑顔ではなかった。ただ静かで、温かくて——私の心の奥にまで届く微笑みだった。


凍っていた何かが、溶けていく。


「私……生きたい、です」


声は震えていたけれど、確かにそう言った。


「生きて、もっと本を読みたい。もっと言葉を学びたい。もっと——」


涙が頬を伝った。こんなにも溢れる感情が、まだ自分の中に残っていたことに驚いた。


「もっと、この世界を見たいです」


クレイドは私の手をそっと握った。


「じゃあ、一緒に見よう。——ようこそ、アルヴァレスへ」


窓の外で、夕陽が沈んでいく。


私の『余生』は、ここから始まるのだ——。


◇◆◇


その頃、レオナルドの元には最悪の知らせが届いていた。


「セリーナ・モーリスの身元が虚偽であることが判明しました。持参金詐称、二重婚約、さらには詐欺罪の容疑で——」


「嘘だ……嘘だ!」


レオナルドは報告書を床に叩きつけた。


しかし、事実は覆らない。セリーナは男爵令嬢ですらなかった。没落商家の娘が、偽の身分証明で貴族社会に潜り込んだ詐欺師。レオナルドが『華を添える』と選んだ女は、最初から彼を騙していたのだ。


そして、古文書の解読ができないことで和平交渉は暗礁に乗り上げ、レオナルドが『自分の功績』として報告していた秘宝発見も、実際に解読作業をしていたリディア不在では証明できなくなっていた。


「くそっ……リディアさえいれば……!」


今更、彼女の名を呼ぶ。けれど、もう遅い。


リディア・クレセントは既にアルヴァレス王国にいた。そこで、彼女の真価を理解する人々に囲まれて——。


レオナルドが切り捨てた『病弱で地味な令嬢』は、もう二度と戻ってこない。


◇◆◇


一年後。


私は完全に健康を取り戻していた。


「おはようございます、リディア様」

「今日のお加減はいかがですか」


アルヴァレス王宮の廊下を歩くたび、侍女たちが笑顔で声をかけてくれる。私を『病弱な令嬢』として腫れ物のように扱った祖国の人々とは、まるで違う。


鏡に映る自分の姿も、一年前とは別人だった。


亜麻色の髪には艶が戻り、陶器のように白かった肌には健康的な血色が差している。目元の隈は消え、琥珀色の瞳には生きる意志の光が宿っていた。


「リディア」


振り返ると、クレイドが歩いてきた。一年間、彼は片時も私の傍を離れなかった。治療の苦しい時も、古文書の解読に没頭する時も、常に隣にいてくれた。


一年前、私は彼の申し出を受け入れた。両国の和平交渉に必要な古文書を解読し、その功績は正当に私の名前で称えられた。クレイドの母の形見の本に記された古い盟約は、二百年ぶりに日の目を見て、両国の和平の礎となった。


私は、『リディア・クレセント』として認められた。誰かの影ではなく、誰かの道具でもなく——私自身として。


「クレイド、あそこに人だかりが」


王宮の門前に、見慣れない集団がいた。旅装の——いや、みすぼらしい格好の人々。その中に——。


私は足を止めた。


「リディア……? リディアじゃないか!」


人混みを掻き分けて、一人の男が駆け寄ってきた。


金髪は色褪せ、碧眼には疲労と焦燥が滲んでいる。かつての華やかさは見る影もない。


——レオナルド・ヴァンシュタイン。いや、もう『ヴァンシュタイン』の姓を名乗る資格はないのだろう。


「リディア、頼む、助けてくれ! 和平交渉の失敗は僕のせいじゃない! お前がいなくなったからだ! お前さえいれば——」


彼は私の足元に跪いた。三百人の前で私を辱めた、あの男が。


「レオナルド」


私は彼の名を呼んだ。静かに、けれどはっきりと。


「私には、あなたを助ける理由がありません」


「なぜだ! お前は僕の婚約者だっただろう!」


「『だった』のです。あなたが三百人の前で破棄した婚約は、もう存在しません」


彼の顔が歪んだ。


「あの時は……そうするしかなかったんだ! お前だって分かるだろう!」


「ええ、分かります」


私は微笑んだ。穏やかに、けれどもう決して揺らがない笑顔で。


「あなたは、私より見栄えのする女性を選んだ。それは、あなたの自由でした。——そして今、私がどう生きるかは、私の自由です」


レオナルドは言葉を失った。


私は彼を見下ろした。一年前まで、私は常に彼に見下ろされる側だった。病弱で、地味で、価値のない女。彼はそう思っていた。


「あなたの功績として報告された古文書の解読。建国の秘宝の在処を示す暗号文。——全て、私が行ったものです」


「……何だと」


「あなたは一度も、私が何をしているか見ようとしなかった。私の能力も、私の価値も、私という人間も。——だから今、失って初めて気づいたのでしょう」


レオナルドの顔から、最後の血の気が引いた。


「でも、もう遅い」


私は背を向けた。


「どうぞ、お元気で」


振り返ることなく歩み去る。私の手を、クレイドがそっと握った。


「後悔はない?」


「ええ、全く」


私は笑った。心からの、本物の笑顔で。


「——私、初めて自分のために生きているの」


◇◆◇


青空の下、私たちは王宮の庭園を歩いた。


「リディア」


「はい?」


「僕と、この先もずっと一緒にいてくれるか」


足を止めて、クレイドを見上げた。夜空のような濃紺の瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。


「……それは、プロポーズですか?」


「そのつもりだけど」


「正式な形式を踏んでいませんね。両家の承諾も、王の許可も」


「必要なら全部用意するよ。——でも、まず君の気持ちが聞きたかった」


私は笑った。この人は、いつもそうだ。形式よりも、私の意思を尊重する。私の能力ではなく、私自身を見てくれる。


「お受けします。でも、条件があります」


「何でも言って」


「私のことを、ずっと『リディア』と呼んでください。肩書きではなく、能力でもなく——私の名前で」


クレイドは微笑んだ。太陽のように眩しい笑顔ではなく、静かで温かくて——私だけに向けられた笑顔だった。


「約束する。——リディア」


彼の腕が私を包んだ。


余命半年と告げられた少女は、もう遠い過去の自分。


今の私の前には、愛する人と歩む、輝かしい未来だけが広がっていた。


——これは、一人の令嬢が『解放』を手に入れる物語。


婚約破棄という理不尽から始まり、自分自身の価値を見出し、本当の幸せを掴むまでの——再生の物語。



【完】

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