02話
リオ・バルト・ロッズ。
二十五歳でレーウ騎士団の副官まで上り詰めた若き騎士だ。長身のエルネスタよりも大柄で、一見冷たく見える切れ長な目と短く刈り上げた黒髪が似合う。典型的な騎士として登場しそうなその見た目は、かなりの美丈夫ともいえるが近寄りがたい印象が強い。おそらく、彼の額から右目に走る大きな傷と貴族でありながらも異色の経歴をもつせいかもしれない。
彼はロッズ辺境伯の庶子として生まれた、と表向きはなっているが実情は前辺境伯の庶子。つまり現辺境伯とは親子ほどの年の離れた弟となる。
実母はすでに亡くなっていて、それに伴い引き取られたようだが、突如現れた存在にも関わらずロッズ家に温かく迎え入れられたという。すでに現辺境伯にはリオより年上の嫡男がおり、またその弟もいる。そのため彼は必然的に騎士として生きることを選んだと聞いている。
貴族の子弟は十歳を過ぎた頃から寄宿学校に入り様々なものを学ぶものだが、彼は違った。本来なら寄宿学校を終えて、勉学に励む者は学院へ、文官を目指す者は宮廷へ、騎士を目指すのなら見習いとして騎士団へ入団する。
しかし彼はその過程を飛ばし、幼き頃より騎士見習いとして騎士団や海兵団を渡り歩き、身を以て鍛錬を積んだ。平民ならまだしも貴族ではかなり型破りである。
だが身分的にも実力的にもその力を認められ、国の精鋭部隊であるレーウ騎士団の副官に就任した時もそこまで反発はなかったらしい。図らずもレーウ騎士団では家柄より実力がものをいう世界だ。しかもロッズ家は多くの騎士団長を輩出させている名家でもある。庶子とはいえ、その血統に誰も異議など言えるはずもない。まして任命したのは国王その人だ。
最悪なことにこの婚約も国王から持ちかけられたため、そこに「否」という選択はできるはずもない。
「お話というのは?」
エルネスタが切り出したのは渡り廊下に差し掛かる手前にある小さなバルコニーに足を踏み入れたときだった。
「今夜のことだ」
「今夜? ああ、イーグ国の王弟殿下の歓迎会ですか?」
「そうだ。一緒に出てほしい」
「え」
リオはバツが悪そうに目を反らした。国主催の盛大なパーティーであり、しかも他国の王族を歓迎したものだ。高位貴族しか出席できず、念入りに準備されたものだった。リオにしてもエルネスタにしても家柄的には出席したとておかしくはないが、出る出ないの話などまったくなかった。
「急に言われても……。私はアニカ様の準備がありますし」
「……十分承知している」
無理を言っている自覚はあるらしい。反らした目が申し訳なさそうにエルネスタに返される。だが正式なものであるからこそアニカの準備も手を抜けないのだ。
「お父様に何か言われましたか?」
「いや、そうではない。ただ騎士団の副官として出席することになった」
「団長様ではなくて?」
リオはさも面倒くさそうに頷く。
「各団長も出席する予定だ。それで事足りるはずだったが、急遽副官もと声がかかった」
「急遽って……」
「つい先程だ」
「……………」
ロザエ王国には四つの騎士団と三つの海兵団がある。
王族直属の近衛騎士団、王宮には第一騎士団が、王都や地方を含めた町には第二騎士団とその管轄の警備団が配置され、港や海の治安を守っている第一海兵団、第二海兵団、第三海兵団とがある。
そしてもう一つ王宮を本拠地にしている騎士団がある。それがレーウ騎士団だ。
そこは少数精鋭集団で国家的犯罪などを受け持つ、完全な実力主義の「特殊部隊」という立ち位置でいいだろう。
地方に散らばっている騎士団は、この日のために団長または団長代理が王都に入っている。そんな不在を守るのが副官の務めであるが、その副官の出席を急に指示されたとて到底間に合いはしない。おそらく王都に所在がある騎士団の副官くらいしか出席できないだろう。
「一体誰が………」
「……陛下だ」
「……………」
なぜだか婚約の件に関しても、最近国王に振り回されている感がする。大柄で豪快で若い時は騎士としても名を馳せており、今でもいい意味で王族らしくない。人柄もよく、いつもにこにこ笑っている印象だ。
エルネスタは幼き頃よりその国王に可愛がられてきた。王子しかいないせいでもあるだろうが、父に連れられて王宮へ行けば、必ずといっていいほど忙しい時間を割いて会いに来てくれたものだ。
「………単にリオ様を出席させようとしているだけ、とか?」
「もしくは二人で出席させ、多くの目に晒させ婚約を広めたい————とかだろうな」
エルネスタの眉がピクリと動く。王太子が軽狸なら国王こそ本家の古狸だ。やはり親子だと感心させられるが、そんな茶番に付き合うほど暇ではない。現に昼からはアニカの準備でびっしり詰まっている。とてもではないが、己の支度までは手が回らない。
「おそらく今頃王太子妃殿下にも根回ししてるだろうな」
エルネスタは小さなため息とともに項垂れた。結局、何をどうしようもすでに決定事項ということだ。エルネスタはリオに恨めしそうな目を送る。
「なんだ?」
「そもそも、リオ様のパートナーは私ではなくていいのでは?」
「何を言っている」
「だって、妹君でもよろしいかと……」
「あれは夫であるロアン伯爵と出席する」
「違います。フローネ様の方です。今、王都に来てらっしゃるでしょう?」
「………なぜ知っている」
「お手紙をいただきました」
リオが軽く舌打ちした。確かにパートナーに妹を選ぶことはめずらしくない。エルネスタも兄であるギルベルトと何度か出席したことがある。
フローネはリオの二人いる下の妹で、エルネスタと同じ十八歳の少女だ。王都にあるロッズ家のタウンハウスに数日前から滞在していることを彼女からの手紙で知った。
まだ会ったこともないが、どうしたことかフローネはリオとエルネスタの婚約が決まった際、唯一反対した人物だ。
兄であるリオにとても懐いているため、事あるごとに「婚約解消」を求める内容の手紙を寄こしてくる。幼い頃に突如現れたリオを兄というよりも「理想の騎士」として見ているようだ。とても自分と同じ年齢だと思えない幼稚な思考だと思うが、貴族の令嬢は時に的外れな考えや行動を取ることがある。典型的な世間知らずのお嬢様の行動パターンはエルネスタも正直うんざりしていた。
家柄でいえばエルネスタの方が格上であるが、田舎で王女の如く育てられた彼女にとって、それは大したものではないのかもしれない。
「私たち、婚約といっても正式に婚約式もしていないですし」
「それはもう少しお互いに落ち着いたらということになっただろう」
「けれど、フローネ様からすれば結婚する気がない証しだとか」
「…………」
「ついでに、お涙ちょうだいの懇願書のようなお手紙も出さないように伝えてください? 私からでは全然効果がないようなので」
「嘆願書?」
「ええ。婚約解消してほしいんですって」
「婚約解消……?」
「そう。私とあなたの」
兄を慕って、その婚約が気に入らないのだとしても、わざわざ相手に手紙を出してまでそれを伝えることなど普通はしない。ましてや相手は家格が上であり、そもそも国王が決めた婚約だ。異議があるとしても本人ならまだしも、ただの妹が口を出すべきものでもない。それが幼い少女の我儘であれば可愛いものなのだろうが成人した十八歳の令嬢がすることではない。
「それは……、申し訳なかった。だがなぜもっと早く言ってくれないんだ」
「まあ些細なことですし、特に害もないですし。ただこう何度も続くと返事も書けませんし。……まあ、いい加減迷惑と申しますか……」
「しっかり言い聞かせよう。悪かった」
「お願いします。では」
「……待て」
話は終わりとエルネスタはくるりと背を向けるが、リオの無骨な手が腕をガシッと掴んだ。
「………話は終わっていない」
「ですから、フローネ様に」
「君でないと困る」
「別に困らないでしょ?」
「陛下の手前だぞ」
「主役はイーグ国の王弟殿下ですし、自国の騎士団のましてや副官のことなどに目くじら立てないでしょう。フローネ様ではないですが、そもそも私との婚約自体に不服があると示せるいい機会では?」
このくらいの嫌味はいいだろう。初対面での衝撃の告白に比べたらかわいいものだ。あれは一生愛のない生活を宣言されたようなもの。だからと言ってわざわざ告げる内容でもないはずだ。正直者だと感心するとでも思ったのだろうか。
エルネスタとて「普通の令嬢」と程遠いとはいえ、「普通に恋を夢見る女子」でもある。いや、そうであった。考えると自己嫌悪しそうで無理にそんな気持ちを頭から追いやっているが。
「………不服などない」
「大ありでしょう」
なんせ想い人とは違う女性との結婚なのだから。その恋を諦めエルネスタの手を取る以外選択肢はなかったとしても、ならばせめて足掻くだけ足掻いても格好悪くはないと思うのだ。
朝の光が差し込む長い廊下にそっと視線をやる。王宮奥の王族の居住区近くだけあって、使用人は少なくただ静けさが漂う。
「君は誤解している。確かに君に告げたように俺には想う人がいる。いや、いたと言ったほうがいい。だがそれは俺の一方的なものだ。その人はとっくに結婚しているし、どうこうするつもりもまったくない」
「…それは、その…、ざ、残念なことで……」
なんと言っていいか分からず、気の聞いた言葉がでない自分に呆れるが、片想いだったことを聞いたとて状況は変わらないしエルネスタ自身も憐れなままだ。例えこれから先どんなに生活が豊かでも、どんなに優しくされたとしても、女性として向けられる「愛」はないのだから。
「……今時、離縁もめずらしくはないし、……何かしらのご縁があるかもしれませんから、まあ、あまり気落ちしない方が………」
慰める立場でもないのに、余計なお世話な言葉がつい出てしまう。渇いた笑みを精一杯浮かべるが、こんな嫌味もこの際許されるだろう。
「だから別に今更その相手と結ばれたいなどと思ってはいないし、もともとそんなこと考えたこともない」
「そんなあからさまに不機嫌にならなくても…。これでも慰めているのに。といっても自分の婚約者に言う言葉ではないし、私も相当不憫ですが———」
わざとらしく大きなため息をつき、わざとらしく悲しそうに笑うエルネスタにリオはますます不機嫌な顔になっていく。
「……お前も相当な性格だと思うぞ」
「……貴方には言われたくないです」
婚約してから数ヶ月だが、ここにきてお互い遠慮がなくなってきた。リオは最初こそ騎士らしく丁寧であったが、今では「お前」呼ばわりだ。エルネスタも大人しそうな見た目とは違って、言いたいことは言う性格を隠しもしなくなった。
しばらく静かな睨み合いが続いたが、リオが先に目を反らした。
「とにかく今夜は一緒に出てくれ」
「ですから———」
「さもなくば副官は急病となる予定だ。つきっきりの看病を婚約者にしてもらうことになる」
「……看病も可愛い妹君にお願いすれば飛んで来てくれますよ。では」
再び踵を返そうとしたエルネスタを再びリオが腕を掴んだ。
「…………」
「…………」
振りほどこうと力を入れるが、させまいとリオも力を入れる。武術を扱えるエルネスタであるが、リオもさすがは騎士の名に相応しく簡単には隙を見せない。
「離してください」
「出席するならな」
「……騎士らしくない振る舞いかと思うのですが?」
「騎士だからこそ、勅命には逆らえない」
「そんな大げさな」
確かに出席は王の意向であり、それを汲み取るのも臣下の務めであろう。だが、物事はそう単純ではない。
「あなたはもう少し受け流す術を身に着けた方がよろしいかと思うのですが」
「……国王相手にか?」
「どのような相手であろうともです」
エルネスタはにこりと笑うと掴まれた腕を今度は呆気なく振りほどいた。その素早さにリオの目が見開く。だがそれも一瞬で負けじと再び手を伸ばすが、それもスルリとかわし、スタスタと回廊を歩いて行く。
「待て」
「嫌です」
「待てと言っている」
「嫌だと言ってるのです」
────コホン。
突如咳払いが聞こえて二人の目がその相手へと向けられた。
いくつかある大きな柱から気配もなくひょっこり影が出て来た。腕を組み、何ともいえない苦笑いを浮かべているのはこの国の第三王子のハインツであった。
「あ、悪いね。続けていいよ」
どうぞ、というふうに手を伸ばすスラリとしたシルエットは、病弱だと言われる通りにとても細身だ。
ロザエ王国には三人の王子がいるが、表だっているのは王太子のみ。第二王子は幼少の頃に他国へ留学したまま未だ外遊と称して一向に国には帰らない放浪王子であり、この第三王子もまた病弱であるが故に幼少から療養するために王宮を離れていた。数年前に王宮に戻ってきたが相変わらず病弱であるがために要職には就いていない。つまり、戻ってきたとはいってもかなり影の薄い存在であった。
「──どうぞ?」
ニッコリとその先を促すが、かといって催促されたとて続けるわけにはいかない。
「ハインツ殿下。お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません」
リオが頭を下げて、騎士の敬礼をとった。エルネスタも同じように頭を下げる。
「続きしないの?」
「致しません」
視線をリオに向けながらもエルネスタが冷たく言い放つ。
「解決済みです」
リオもエルネスタを見下ろしながら憮然と言い放つ。
「ええ? じゃあ、結局どっちなの?」
「………………」
「………………」
呆れたように二人を眺めたハインツはやれやれという風に両手を挙げて近づいてくると、エルネスタの肩にポンと両手を置いて意味ありげに笑う。
「ねえ、エルネスタ」
「手を退けてくれませんか?」
「ふぅん〜。この僕にそんなこと言うの?」
「誰であろうと言います」
親しげな二人にリオの眉がわずかに動く。
「僕のために出てくれないかい?」
「……殿下は欠席でしょう?」
「君が一緒なら考えなくもないな〜」
「いえ考えなくていいですから」
「君のそんな顔が好きなんだよね」
病弱とはいえ口だけは元気で、この軽い物言いはまさに王太子である兄そっくりだ。
「失礼ですが殿下。このエルネスタは私と出席するのでご一緒はできません」
「振られたくせに」
「……私たちは婚約者同士ですのでそういう言い方はやめてください」
「でも嘆願書まで出してるのに」
「まったくもって正式なものではないし、ましてや私の意思でもありません。妹が勝手に」
「だからやはりその妹を誘うべきだよ。エルネスタは僕とね!」
「お断りします」
「ロッズ副団長、君には聞いてないよ」
「私は婚約者として断る権利があります」
「振られたくせに」
「ですからそんな言い方はやめてください」
意味のない小競り合いが間近で始まって挟まれたエルネスタは軽く天を仰いだ。




