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27話

「……ところで婚約者は大丈夫なんだろうな?」


 暗い路地の一角で息を潜めて娼館を張り込んでいた二人だったが、アレックスは思い出したかのように口を開いた。


「怪我のことなら───」

「馬鹿、ちげーよ」

「………………」

「ここんところ忙しすぎて、ゆっくり会うこともできてなかっただろう?」


 事件がらみでかかりっきりだったのは確かだ。寝泊まりも騎士棟仮眠室となっていた。忙しくなり会う時間もないことはわかっていたものの、だからといって仕事に手を抜くわけにはいかない。

 彼女には今までのことを省みて挽回するとは言っているが、やはり優先すべきは事件解決なのだ。何より、それがエルネスタを傷付けた犯人確保へ繋がると思えば尚更だ。あの時の苦い記憶は思いのほか彼の心に傷を作っていた。


「……わかっている。だが」

「あのな、それじゃダメなんだって。お前って奴はまったくよー」

「あいつだって忙しい、はずだ」

「はずだ、ってなんだよ。そんなの関係ないだろう? 忙しくともせめて少しの時間会ってやるのが婚約者だろう。同じ王宮にいるんだからなんとかできるはずだ。いつまでも手紙や花束とかじゃ可哀想だろーが」

「あ?」

「…………いや、待て。お前、まさかそのどれもやってないってことはないだろうな?」

「……ないな」

「お前は馬鹿か! いや、馬鹿なんだろうーな! 何やってんだよ!」


 小声で精一杯避難してくるアレックスにリオは意味がわからないとでもいう顔をした。


「あー、あり得ねー。ここまでドアホだったとは」

「さっきからうるさいぞ」

「じゃ、何か。お前は婚約者に対して会うどころか、手紙一つも送ってないってわけか? あー、何も言うな。忙しいのはわかる。俺だって忙しい。だが俺は領地にいる母親に手紙は書いたぞ。寝る前の五分を使ってな。で、出仕前の五分を使って可愛いリリーナの顔を見るために早朝デートをしている!」


 アレックスはビシッと人差し指をリオに向けた。

 ちなみにリリーナとはアレックスの恋人だ。王宮の衣装室にいる子爵令嬢の女官である。余談だが彼女考案の衣装は機能性にも長けて評判が良く、デザイン性も高いため王宮で仕事をする侍女や女官から人気だ。またその衣装に憧れて王宮勤めをしたいと希望する令嬢も多く、一つのステータス現象を生んでいる。

 室長の補佐もしているため忙しい身だがアレックスとの仲をゆっくりしっかりと育んでいる。ちなみに公にしていないため、それを知る者は少ない。


「いいかリオ、時間ってもんは作るもんなんだよ」

「……なんとかしようと思ってはいるが、だが向こうもな……忙しいというか」

「忘れたのか? お前は彼女に暴露してんだろーがよ。他に好きな奴がいると。だったらあちらさんからは言いにくいってもんだ。未練があるのはわかるが婚約したんだからちょっとは気遣ってやれよな」

「未練はない」

「はあ? いやいや。婚約者に何もしてないってのが未練タラタラに見えなくもないぞ」

「……未練というものは本当にないんだ。この数年思い出しもしなかったしな。……そんなもの最初からなかった気もする」

「はいぃ?」


 初めから手の届かない存在だった。届くとも思っていなかった。想いの成就さえ願っていなかった。そんな恋だったのだ。


「……なあ、一応改めて聞いておくが。お前、好きだったんだよな?」

「そうだな」

「なのに最初から未練はないと?」

「そうだな」


 雲が月を掠めて漂っている。暗い路地の隙間を通ってリオの顔をわずかに照らした。未だ扉を凝視したままでいるその顔はなんの表情もない。アレックスは口を閉ざしてしばらく窺うようにリオを見ていたが、なんともいえないため息をこぼすと星のない空を見上げた。


「……実のところ前から思ってたんだが、それって恋じゃないと思うぜ?」


 リオから想う人がいると打ち明けられたことを思い出す。頑なに気持ちを告げようとせず、ただ守っていきたいと言うだけで終わらせようとする友をただ歯痒く思った。

 その相手がすでに伴侶を決めていたというのもあるが、そんな綺麗事や生温い感情でキッパリ割り切れるものじゃないはずだ。

 理性の範囲内で激しい葛藤や恋慕の嵐を抑え込んだとして、やはり想いを断ち切ったことにより未練というものはどうしても生まれる。時間とともにそれは消えていくものだと思うが、最初からないというのであればその根本的なものが崩れてくる。

 この暗い曇り空の上にあるだろう星を手が届かないと知っているからこそ手を伸ばしてみたかのような想い。


「……恋…ではない、か」


 それは薄々ではあるがリオも感じていた。特にエルネスタと出会ってわずかばかりの時間を過ごすようになってからは。


 確かにそれは恋というよりも憧憬、もしくは崇敬に近かったのかもしれない。

 突如天から降りてきた女神のような存在。そんな彼女を敬いはすれど誰がたやすく想いを告げることができるだろうか。目を奪われたものの一目惚れかと言われれば少し違う。そこにあるのは庇護欲にも似た浅はかな情感だ。

 ずっと国を守るのが使命だと思った。そのために生きてきた。そしてその理由を見つけたと思ったのだ。そこには一人の男として愛する人を守りたいというよりも彼女を含めた国を守っていきたいという思いだった。


「ま、あれだな。憧れっていうか、いい歳して初恋っぽいものだったんだろうがそれが美化されて残ってるんだろうーな。で、それをご丁寧に婚約者殿に言ってしまった。────って、お前はガキかっ」

「うるさい」

「そんなもんに勝手に操を立て白い結婚を宣言か」

「宣言はしてない」

「じゃあ、あれだ。他に好きな奴がいるけどやることはやるって宣言だな」

「…………………」

「お前の言ったことはそういうことだよ。未練もクソもない初恋もどきを言ってしまったんだから、これから巻き返していくのは大変だろうーな。自業自得だ、ザマーミロ」


 呆れたように辛辣な言葉を投げかける友に一言言ってやりたいがその通りなので口を閉ざすしかない。


 エルネスタの冷めた視線を思い出す。最初から何もかも間違っていた。反省だってしている。自分が悪かったし、その分挽回はするつもりだ。すでにその件では一度謝罪はしている。


 だが、誠意を見せると決めたはずなのに手紙を送るという発想がなかったのは痛い。己がどれほどの朴念仁なんだと地味に落ち込む。

 婚約者という肩書きがあるのだから落ち着いた頃に会えればいいと軽く考えていたが、それは世間一般の常識とは違うようだ。しかし女性の扱いなど知らないのだ。母親や妹の記念日は兄たちに任せっきりだったし、誰かのために時間を割くこともなかった。

 エスネスタに向き合うことを決めていたはずがすべてにおいて甘く考えていた。


「手紙は……。なんて書けばいいんだ?」

「……そこからかよ」

「手紙など書いたことがないんだ。仕方ないだろう」

「あー、なんかお前が書くと報告書になりそうで怖い」

「手紙なんてそんなもんだろう?」

「かあぁーっ、話になんねー!! ひとまず手紙より花束でも贈れよ。カードも忘れるなよ」

「カード?」

「……お前な」


 この歳になって基礎中の基礎をレクチャーする羽目になるとはとアレックスは首を振った。しかも、これが皆から羨望されているレーウ騎士団の副団長様なのだ。付き合いの長い方だが、ここまで鈍感だと思いもしなかった。


 確かに色恋云々はかの想い人以外聞いたこともなかったし、それさえも蓋を開ければちょっとした憧れを大恋愛でもしたような初恋だと盲信し、とはいえ未練はないとほざく唐変木だ。

 何よりそれを婚約者に言ってしまうという素直なのか気が利かないのか抜けたところがある。


 騎士としてはこれ以上もない心強い存在であるが、こと恋愛においては十代以下の青くさくなる前の子どもと同じではないか。

 遠い目をしたアレックスは友の婚約者に思い切り同情した。こんな馬鹿野郎ではあるが悪い奴ではないのだ。そこだけはわかって欲しいと切に願うが、いまいちこの馬鹿野郎がまたやらかさないか不安しかない。


 それでも。


 この馬鹿野郎が本当の意味で恋を語れるような、そして愛する人だと言えるような存在になって欲しいと、今はまだ曇って見えない遠い星々に願った。





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