23話
「……まあ、あの逃げ方はなかなか上手かったな」
レヴィンが一連のことを思い出している中、目の前のハインツが腕を組んでウンウンと笑った。相変わらず人を馬鹿にしたかのような笑いで腹が立つが、その前に彼はなんと言った?
レヴィンはハインツを怪訝そうに見るとニヤリと意地悪な顔で返された。
「はは、やっぱ気付かなかった?」
「まさか……」
「そう! ちゃんとこの目でずっとキミを見守ってあげてたんだからね〜」
信じられない言葉に頭が真っ白になる。逃げるどころか最初からすでに捕まっていたという事実が理解しようにも認めたくない。
「あのさ、彼女が十日間逃げるように言ったのは僕らからじゃなくて、キミを殺そうとする奴らからってことだったんだけど、……ねえ、エタ、やっぱこの子勘違いしてたじゃんよー」
そう戯けるようにエタ──エルネスタを呆れたように見上げる。
「そこはちょっとぼかして言ってあげないと、彼が本気で動こうとしないでしょ?」
こちらもキョトンとした態度でそれが悪いことをしたという態度でもない。手のひらで動かされるとはこういうことをいうのだろうか。死ぬ思いで逃亡していた数日はいったい何だったのだろうか。呆然とするしかなかった。
「……だが俺を殺しに来た別の奴らがいたはず」
「ああ、あれね。あいつらはいわゆる組織でも殺し屋的な存在だろうな。最初の男たちとは明らかに違ってたからな」
組織にそういった連中がいることは知っていた。何度か姿を見たことがあったが殺伐とした雰囲気を隠そうともしない暗く陰気な人間が多かった気がする。
「今のところ二人送ってきたなー。消すたび新手が送り込まれてきたから、これからも狙われるかもなー。……というより、舐めきっていたガキからのまさかの返り討ちってことで、あっちは目をまん丸にしてるはずだな。実は僕だけど。うん、こりゃ笑える。ははは〜」
つまりのところ、この掴み所のない男が刺客を倒した結果、これからも狙われ続けることになったというわけだ。しかも過大評価されて、より格上の殺し屋が出てくる可能性も高くなったということではないか。この状況は助かったというよりも最悪なことになったとも取れる。
「………………」
頭では理解はできたが気持ちの整理がつかない。そして時間が経つにつれ、しだいに体のあちこちが痛みを訴えてきた。一番痛みを感じるのは足だ。転げ落ちた時に捻ったのだろう。そして腕にはいくつもの切り傷があったが、大きい傷らしきものには手当がしてあった。額に手をやるとそこにも包帯が巻かれていた。
「一応簡単な処置はしたけれど、他に痛いところはある?」
エルネスタがそばまでやってくると顔を覗いてきた。
「……右足が動かない」
「ちょっと診せて」
右足の靴紐を解いて巻脚絆をゆっくり解かせる。外くるぶしが赤く腫れ上がっていた。エルネスタはゆっくりと動かしながら確認していく。
「──っ!?」
「ちょっと我慢ね。……骨まではいってないようね。でもしばらく安静が必要かも……」
エルネスタは腰に下げていたバッグから簡易医療品を詰め込んだ袋を取り出して、さまざまな色紙に包まれたいくつかの薬品を並べていった。
「相変わらず、たくさん持ち歩いてんねー」
ハインツが呆れたように言う。確かに小包にされているとはいえ十種類近くある。
「その場で調合できる方が便利だし効き目抜群だもの」
とはいえ、それは調合できる腕があってこそだ。
「まあ、キミのそれは趣味でもあるからね。まったくお貴族の令嬢がやることじゃないと思わない?」
レヴィンに聞くが、そもそも普通はお貴族の令嬢ならこの場にいることなどない。ましてや、その姿はいかにも闇に潜む殺し屋家業かのようだ。
エルネスタはいくつかの薬品を少量の液体で合わせると、それを腫れている足首に塗った。その上から布を被せて油紙を重ねて包帯を巻いていった。
「熱をとって腫れを抑える効果があるの。しばらくするとスッとしてくるわ。あと、これは痛み止めの飲み薬よ。飲んで」
目の前に赤黒い丸薬が差し出された。いかにも苦そうだ。
「ほら、水なしでそのまま飲んで。飲みにくいなら口の中で噛んでもいいけど、それこそかなり不味いから覚悟してね」
「…………」
「それ、一気にいっちゃったほうがいいよー。噛んだら痛みを忘れるぐらいの激不味さで転げ回るからねー」
ハインツがご丁寧に説明をしてくれたおかげで、余計に覚悟をする羽目となった。エルネスタは容赦なく口元へと丸薬を近づけるとレヴィンが躊躇する間も無く押し込んだ。
「────!!」
驚愕な表情を貼り付けたたま彼はそのまま糸が切れたよかのように倒れ込んだのだった。
「あらら……」
ハインツはツンツンと動かなくなった体を突く。
「ね、これさ、痛み止めなんかじゃなく毒薬だったんじゃないの? まるでそんな感じの死に方にそっくりなんだけど」
「何言ってるのよ。でもまあ、ある意味痛み止めの効果はあったわね」
「いやいや、痛み止め通り越して完全に気絶してるし」
「気絶したのなら、その間は痛みを感じないから同じよ」
「……キミってそういうとこあるよね」
エルネスタの無意識なSっぷりにハインツは半目になる。優しそうな顔してやること言うことが時折えげつない。もちろん本人には悪意などはないが。
「この子は特段訓練された感じじゃないけど、咄嗟の判断とその瞬足はなかなかいいもんがあるね」
「でも、まだ『谷』に落とすにはちょっと心配だから、あとはハツにお願いね」
「おいおい、また僕に押し付けるわけ? この子の足取りだってずっと僕にさせてたくせに」
「私は忙しいのよ」
「まるで僕が暇かのように言うね」
「そうでしょ?」
ハインツはもって返す言葉が続かない。決して暇ではないが、王太子妃の侍女を務めるエルネスタが「表」の仕事に追われているのは確かだ。その点、自分は「病弱王子」であるため自由行動しやすい。しかも側に置いている侍女や侍従や側近に至るまで『月』の人間であるのだ。最悪何かあれば背格好が似ている側近を身代わりに己は別行動だってできる環境なのだ。
「はぁー、僕ってさ。キミにいいように使われるためにここに戻ってきたかのもって思う時があるよ」
「何言ってるのよ。一応は王子様なんだから王宮にいるのは普通だわ」
「だからね、一応じゃなくても王子なんだけど」
「それにハインツには優秀な配下がたくさんいるんだから、この子をきっちり育ててくれるわ」
「あー、はいはい。元から僕よりそっち目当てね」
「あなたみたいに育ったら扱いにくいし、何より可愛くないもの」
「……あそ」
両手で頭をゴシゴシ掻きむしって項垂れたハインツは諦めたように立ち上がった。
「──だってさ、聞いてたかな?」
振り返り暗闇へ向かって声をかけると音も立てずにフラリと三人の影が現れる。まるで闇から生まれたかのような全身が黒装束の人影が二人に近づいて、そのまま膝を付き臣下の礼をとった。
「お嬢の仰せのままに」
静かに返事をしたのは一番年上であろう中年の男だった。
「ルジ、ごめんなさいね。ハツのお守りだけじゃなくこの子まで頼んじゃって」
「いいえ。性格に難のある誰かよりは随分楽かと思いますよ」
「そう言ってくれると助かるわ」
ルジと呼ばれた大柄な体躯の男は鋭い目元だけを残して顔を隠しているが、口調は穏やかである。ただし、一国の王子であるハインツを敬う気はさらさらないようだが。
「ああ、ヤダヤダ。ルジとエタってばさ、僕を落として楽しんでるでしょ?」
「まさか。本当のことしか言ってないわよ」
「そうだ」
「…………」
ハインツは両手を上げて首と振る。
「ねえ、ラドとシラは僕の味方だよねー」
他の二人にわずかばかりの期待を込めて聞いてみる。
「………………」
「うふ、私はルジの味方よ」
ラドと呼ばれた男はまだ若いが極端に口数が少ない。もちろん今回も黙秘だ。そして艶やかな声で答えたのはシラと呼ばれた女だ。年齢を感じさせない声質は若いのかそうじゃないのか計り知れないが、実のところ見た目さえも年齢不詳なのだ。わかっているのはルジにゾッコンであるということくらいだ。彼女はハインツの配下というよりはルジといたいがためにハインツの元にいると言ってもいい。
「……あのね、僕って実は王位継承をもった王子様なのだよ。そういう態度なら権力という武器でもって叩き伏せることもできるって知ってる?」
「病弱王子がどこまでソレを振り回せるのかしらね〜」
「見てみたいものだ」
バッサリとハインツを切ったエルネスタにルジも大きく頷いている。
「ルジ、この子をお願いね。私たちはもう行くわ」
「わかった」
ルジは返事と同時にレヴィンを肩に担ぐと、音も立てずに暗闇へと消えていく。それを追うようにラドが、そして妖艶なウインクをしてシラが後に続き再び静寂が広がる。
「あー、まったく。もっと敬ってほしいもんだよ」
「じゃあ、敬われるくらいの人間になることね」
「……ホント、シルビアに似てきたな」
ボソリと不満気に呟いたハインツの声を最後にその場は人の気配も消え暗闇だけが残った。




