22話
ザワザワと水の流れる音と風の吹く音が耳に聞こえてくる。初めは遠くにそれを感じていたが、だんだんとその音が近づいてきた。いや、そうじゃない。自分の意識が戻ってきたのだ。そこでレヴィンはハッと起き上がろうとしたがズキンとする頭の痛みに小さく唸った。
「目が覚めた?」
降ってきた声にすぐに反応できず首を傾げる。パチっという音と小さな炎に目を向けるとその先に人影が揺れていた。
「……あんたは──」
フードを脱いで顔を覗かせたのは以前と同じように半分顔を隠したままの女──エタ──エルネスタだった。
状況がわかっていないレヴィンに応えるようにエルネスタは口を開く。
「崖から落ちたのは覚えてるかしら? 無意識でも川岸まで辿り着けたことは褒めてあげる。そこであなたを引き上げたんだけど、そのまま気を失ったのよ」
レヴィンがあのとき指先に感じたものは彼女の手だったのだとどこか納得したものの、今の自分が追われている立場だということを思い出して顔を強張らせた。
「大丈夫よ」
それを察知したかのようにエルネスタはクスリと笑った。
「あなたを追っていた連中は────」
「片付いたよ」
すぐそばから聞こえてきた声にレヴィンが振り向く。真後ろにしゃがんで手のひらをヒラヒラと振っていたのはハツと呼ばれたあの男だった。
まったく気配もしなかった。こんなに近くにいるのなら、いや、いつからここにいたのかは知らないが、それさえも気付かなかった。
「やっと戻ってきた。案外手こずったのかしら?」
「いやそうでもないよ。ちょっと遊んでやっただけ」
「……相変わらず悪趣味ね」
「たまには同業者レベルとやり合わなきゃ腕が鈍るしね」
ハツ──ハインツは軽い運動でもしてきたかのようにケロッと笑うと、レヴィンの額を指で突っつく。
「さぁて。ひとまず『おめでとう』かな?」
「?」
ハインツの言葉が上手く飲み込めないレヴィンはただ固まる。
「だって十日だったよね? ギリギリだったけど逃げ延びたわけだし」
確かにそんな話があった。だが、その前に命を狙われる羽目になって逃げる相手が変わってしまったのだ。もう期限の十日が来てたことさえ気付かなかった。
「確かめたかったのはわかるけどさ、会いに行っちゃダメでしょ。親切にも殺されちゃうよーって教えてあげたのにさ」
ハインツは再びレヴィンの額を突く。
「……………」
レヴィンはグッと唇を噛み締めた。本当にこの男と女の言う通りだった。
『赤い鼠』のリーダーであるコルラードと会った翌日、彼はその足で自分を送り込んだ組織の隠れ家まで行った。この王都にきた時に一度だけ行ったことのある場所だったが、表向きは小さな金物屋だ。予想通り驚いた顔をされたが、表面上は生きていたことを褒められ、ちょうど帰国する予定があるからと一緒に帰るように言われた。
その場のやり取りの中での違和感で、レヴィンは自分が消されるのだと確信した。すぐさま逃げるのは得策ではない。騙されたふりしながら様子を見ることに決めたのだ。
しばらくはゆっくり休めと部屋を与えられたが、逃げないように監視する意味もあったんだろう。数日隠れ家に押し込められていたのは、おそらく組織とのやりとりがあり、また王宮の情報がどうなっているのかを探っていたためで、まだレヴィンの命が使えるものかどうか見定める必要があったからだ。その間何食わぬ顔で店の手伝いや食事の用意など命じられるまま過ごし、けれど逃げる算段を頭に組み込みながら、見つからないようにこっそり反撃のためのいくつかの武器を仕込んだ。そう思えばある意味、その時間は彼らがレヴィンの逃亡準備を与えてくれたようなものだった。
また店が金物屋というのも運が良かった。目を盗んで手作りの小型の武器を少しずつ仕上げていき、いつ襲われていいように服の中に入れ込む。
黙って命令通りに動いているように見せているレヴィンに彼らは何の疑問ももたずにいた。子どもだと思って舐めきっているのだろう。レヴィンはそんな悔しさをおくびにも出さず従順に、そして何も知らない無邪気な子どもの顔で過ごしていた。
「明日、帰国する」
唐突に言われたのは夕食も終わり片付けをさせられているときだった。
「早朝に出るから準備しとけよ」
「やった! やっと帰れるんだ!」
さも嬉しそうに笑顔を見せたレヴィンに男らは意味深な笑みを返す。レヴィンは急いで片付けを済ませると部屋へ入り、扉を背にして大きく息を吐いた。その顔からはあどけなさが消え、目は冷たく光っていた。
「…………………」
いよいよだ。明日、命運が決まる。
死ぬ気なんてない。でも限りなく生き残る可能性が低いこともわかっている。それでもただで殺されてやるものか。
朝日が昇ると同時に組織の人間二人とレヴィンは隠れ家を後にした。その際、隠れ家に残る人間と同伴する者が軽く頷きあったのを彼は見逃さなかった。何よりも帰国するくせにあまりにも身軽な二人があからさますぎる。
王都の中心地から辻馬車を拾って王都門まで行くと全員一旦降りて通行証の確認がある。先の事件の煽りか騎士の姿も多く、朝の早い時間帯だというのに列が並びチェックするまで約一時間を要した。
王都門からは行先別の多くの長距離用の辻馬車が待機しており、それぞれ乗り込むのが通常だ。レヴィンたちはその一つに乗り込み、いくつかの中継地を通り過ぎたところで下車した。すでに日が傾きかけており、なんの変哲もない小さな宿場のみの場所だったが、そこからは徒歩で裏街道を抜けて行くと言われた。
山道を登って行き夕闇が近づいた頃、獣道に差し掛かったところで先に歩いていた二人が立ち止まった。
「悪く思うなよ」
そう言った男の一人の手にはナイフが握られており、それを目の前に突き付けられた。レヴィンは想像通りの展開に小さく笑う。
「……やっぱり俺を消す気だったんだな」
「よくもまあ騒ぎのあった城から上手く逃げおおせてくれたもんだ。大人しく捕まってくれてたらいいものを」
実際には拘束され屈辱を味合わされただけだが、ご丁寧にそれを言うつもりはない。
「最初から俺を嵌めるつもりだったんだな」
「お前くらいのガキを使うのが丁度いいんだよ。簡単に使い捨てられるしな」
這いつくばってしがみつきながら生きてきた自分たちのような子どもを今まで都合のいいように扱ってきたのだろう。だが別にめずらしい話でもない。裏社会から買い取られたような子どもは奴隷も同じ。何もせずとも見捨てられた子どもなど先は見えている。そんな子どもを使い捨てするためにわずかな生きる希望を持たせる。
自分もまんまとそんな偽りの希望に騙された一人だ。
だが子どもだって大人が思っているほど馬鹿じゃないのだ。考える頭だってもっている。たとえ無駄な足掻きであっても、癇癪を起こし諦めが悪いのは子どもの特権なのだ。
「おい、早く終わらせようぜ」
「……じゃあな、あばよ!」
ナイフを持った男がそれを振り上げる。その一瞬前にレヴィンの右手が動いた。とたん白い粉が男たちに向かって飛び散った。
「うぐっっ!」
「なんだっ!?」
粉が目と気道へと入り、痛みと苦しさで呻く男たちに、今度はレヴィンの左手からいくつかの小さな石塊が放たれた。それは男たちの太腿へと命中し、新たな呻きが生まれる。その隙に彼の足は地を蹴った。来た道とは別の右手の方向へと走り出したレヴィンにすでに後方となった男たちの焦った声が届く。
彼は身を隠せるような背の高い草むらと追っ手を妨げる木々のある方へと向かっていく。ここの地理には詳しくないが、走りながらその特徴を頭に入れつつ、とにかく今は男たちから遠ざかることだけに集中した。
ただ今を乗り切っても、組織から別の奴が来るはずだ。ここからがスタート開始と言ってもいい。
これから本格的に殺しに来るだろう人間からどう逃げおおせるか、レヴィンは唯一の希望を求めるように夜空の月を見上げたのだった。




