19話
「いったいなんのつもりですか!?」
何気ないふうで第一騎士団から抜け出し、王宮の正面玄関となる入り口とは別の脇道へと入った二人だったが、人影がなくなったのを見計らったエルネスタは立ち止まってリオを見上げた。
「なんだ?」
「……しらを切るつもりですか?」
「人聞きの悪い。なんのつもりもなにも問題発言はしてないが?」
「ええ、そうですね。普通の婚約者という立場ならそうでしょう」
「俺たちだって普通の婚約者同士だろ?」
「……どの口が言うんですか。それにあれはなんです?」
「あれ?」
「私はあなたに『エル』と呼ばれるほど親しくはないでしょう」
「何を言う。婚約者なんだから愛称で呼んでもいいだろう」
「ですから、普通に婚約をしている場合はそうでしょうが、私たちは事情が違うでしょう」
「いいや、そこら辺に転がっている婚約と一緒だと思うぞ」
よくもまあ、のらりくらりと涼しい顔で言えるものだ。頭痛がしてくる。
「……あなたは『王命で婚約させられましたが愛する人は別にいます』でしょうが、私は『婚約しましたが他に愛する人がいると宣言されました』なんですよ!?」
「……なんだそれは」
「今流行りの長タイトルの小説よ!」
「……確かに長いタイトルだな。タイトルでネタバレしてていいのか?」
市井で流行ってるとはいえ、それを実は王太子妃がハマって読んでるとはいえ、こちらにまでオススメされて読まざるをえなかったとはいえ、まさかまさかで自分も楽しんで読んでしまったとはいえ、それが失言であったとエルネスタは口を噤んだ。
「それで?」
「何がです?」
「タイトル通りであればバッドエンドに思えるが?」
「……おおよそはハッピーエンドです」
小説のターゲットは恋に恋する乙女や恋を夢見る乙女、または困難を乗り越えて結ばれるような胸きゅんな物語が好きな人だろう。ここでいう「乙女」とは年齢は関係ない。女性の心にはいくつになっても「乙女」が眠っているのだから。
だから幸せな結末が望まれるし、登場人物の幸せな瞬間に胸を躍らせて多幸感に浸りたい。
「そういうことならいいじゃないか」
「いいとは?」
「俺たちだってハッピーエンドになるかもしれないだろ?」
「………………」
目の前の騎士様はお花畑にいるんだろうか。エルネスタは頭痛に加え目眩もしてきた。
「いったいあなたはどうされたんですか? 忙しすぎて寝不足となり今も白昼夢を漂っているとか? なら早く目を覚ましてください」
「寝不足は否定しないがしっかりと起きているし、むしろ頭は冴えているぞ」
確かに受け答えはしている、起きていることは間違いではなさそうだ。だが、あまりにもいつもと違う気がする。
「……言っときますけど。先ほどの小説ですが「元サヤ」ではなく、別の人とのパッピーエンドの場合もありますから」
「別の人?」
「ええ。いつまでもその現状に居座るよりも、別の誰かとの道を選んで幸せになったり、またはずっと自分を想ってくれていた人と再会し恋が芽生えて不毛な婚約者に見切りをつけるとか」
「待て、なんだそれは」
「そう考えれば、その選択肢は実のところ堅実的で現実的な気もしてきました」
「待て待て」
変な方向へ飛んでしまい、リオは一旦遮った。
「あー、その婚約者が反省し、しっかりと向き合った場合は……、どうするんだ?」
「小説の話ですから」
「……そうだが、念のため聞いておきたい」
風が二人の間を通り抜け、エルネスタの後ろに結んだ長い黒髪も揺れる。
「…………私とあなたは正式な婚約式を挙げてないとはいえ、一応はすでに婚約者ということになっています」
「ああ」
「けれど、あなたには他に想う方がいらっしゃいますよね?」
「……あの時はそう言ったな」
「ええ、顔合わせでわざわざそう言って頭を下げました」
「根にもってる言い方だな」
「根にもつ方が当たり前かと」
それどころか、常識的にその場で婚約話もなかったことにされてもおかしくないほどだ。
リオは木の幹に背を預けて腕を組んでいたが、体を起こすと頭を下げる。
「悪かったと思っている。あんなことは言うべきではなかった。申し訳ない」
「……やはり白昼夢を」
「しっかり起きているぞ!」
エルネスタは未だ怪訝な目でリオを見上げている。
「いや、本当に反省しているんだ。あんなことを言ってしまってはいたが、別にお前を受け入れないとか婚約が気に入らないとか、本当にそういうつもりで言ったわけではなかった」
「……ではなぜ?」
「婚約するにあたって嘘はつけないと思った。それが誠意だと思ったんだよ。──正直な話、その人のことは最初から諦めていたと言ってただろ? だから数年間はそれも忘れて仕事に打ち込んでいた。そんななかで婚約の話がきた。で、ふとあの時の気持ちを思い出したんだ」
リオは言葉を選びながら、でも正直に話していく。もう間違えてはいけない。
「なんと言っていいのか上手く説明できないのだが……、もう自分にはその人以上に大切だと思える人はできない、当時そう思っていた自分を思い出したとでもいうのか。数年間も忘れていたくせにだ。それがとても不誠実に思えてしまって。……まあ、とにかくそんな勝手な理由で不躾なことを言ってしまった。本当にすまない」
「…………」
静けさのなか遠くの喧騒が耳に入ってくるが、さわさわとした木々の揺らぎにかき消されていくのを感じながらも、エルネスタは冷静になろうと大きくゆっくりと呼吸をするが、それでも胸の鼓動はドクドクと鳴り止まない。
リオはしっかりとエルネスタを見据えていた。その瞳には彼女だけが映っている。
「この想いが現在進行形であるかないかといえば、ないと言える。……ただ、昔の俺には片恋とはいえ大切だと想っていた人がいたというのも事実だ。それをどう受け取るかはお前しだいだが、俺はしっかりとお前と向き合っていきたいと思っている。それが今の俺の正直な気持ちだ」
真摯な気持ちというのは伝わるものだ。リオが嘘を言っていないのはエルネスタにもわかる。
「───あなたは馬鹿ですか?」
「むっ。正直に言っただけだ」
「つまりは、昔好きだった人、……それは人によって数も違うでしょうし、恋人であったとか片想いだったとか中身も全然違ってきますが、それをいちいち報告する必要ありますか? それを言うなら私だって初恋はありましたよ。けれど、だからといってその時の気持ちを思い出したとしてもご丁寧に言うことなどしません」
結局のところ、この人は恋愛においてかなり無骨であり不器用であり、そして純粋だったということだ。
過去とはいえ大切だった女性がいた事実を素直に言うべきだと思った結果があの発言に繋がったわけだ。本当に大いに誤解を与える言い方だ。
思い起こせば、確かに今までのリオの態度は別にエルネスタを拒否しているものではなかった。どちらかといえばあの発言と王命に近い婚約だったため、エルネスタの方が拒絶反応のように過剰に距離をとっていたかもしれない。
「……あの発言の真意はわかりました」
「そうか。では今更ではあるが、よろしく頼む」
「………………」
「なぜそこで黙る」
「いえ、ただ……。今まであなたには他に愛する人がいるという目で見てきましたので、そのような人と結婚しなければいけないと思っていたので……、たとえ夫婦となっても冷めた関係だと覚悟していたので……」
「……そ、そうか。それは悪かった」
地味に責められている気がしてリオの目が泳ぐ。
「別に根にはもっていませんが、今まで私が感じていた憐憫や悲壮感やらはなんだったのかと思うと……、なんと言いますか……、ええ、別に根にはもってませんが……。せめて最初からしっかりとそういう説明をなさってくれたらとは思わなくもないと言いますか……」
「……つまりは根にもってるんだな」
「そのくらいの恨めし気持ちは許してほしいですね」
「恨めしい……」
右手を頬にやりながら考え込んでいるエルネスタだが、その顔はどこか今までの嫌味を含んだ笑みとは違うものが浮かんでいる。
それに気付くくらいには、リオ自身が彼女のことをしっかりと見つめだしたからだろう。
「……それで、婚約者が反省し、しっかりと向き合った場合は……」
「……そんなの、……まだわかりません」
エルネスタは横を向いて顔を背けた。だが、その頬はわずかに赤い。
「まあ、いいさ。どのみちこれからの俺は今までの挽回をしていかないといけないからな」
お互いの距離はまだ変わらずとも、そこにある空気はいくぶんの温かさに包まれた気がしたことを二人は感じ取った。




