01話
ロザエ王国はレイバイン大陸の西にある細長い形をした大国だ。国の北部と南部が半島として出っ張っており海に囲まれた貿易が盛んな国でもある。
王都デルネインは国の中部にあり、城下町の市場は大陸一の品揃えを誇り、多くの行商人で賑わう商業都市でもあった。
そして王都はもとより、多くの町・村にまで騎士団をはじめ警備団が配置され、その治安の良さでも有名である。数代前の国王が無法地帯をなくそうと手がけた警備体制がここにきて実った結果であろう。
大きな戦争も数十年勃発していないが、それは安泰したロザエ王国だからであり、国によっては大なり小なりの紛争を繰り広げている。
そして三年前、王太子であるクレイグが他国より妃に迎えたのが、「薔薇の君」と呼ばれた美貌の王女アニカであった。未だ子はないがその仲睦まじい二人の姿は国でも有名であった。
エルネスタがその王太子妃の侍女として仕えてまだ間もないが、前任が姉のシルビアであることもあり王太子妃の信頼を得るのにも時間はかからなかった。
アニカ王太子妃の筆頭侍女はエルネスタの遠縁にあたる三歳年上のテレジアだ。エルネスタよりも童顔で小柄ではあるが、侍女としては頼りがいのある先輩だ。覚えの早いエルネスタではあるが、まだ彼女には敵わない。他に数人の侍女がいるが、彼女らは概ねテレジアからの指示を受けて動く側仕えという位置である。
侍女という一番近くで仕える彼女達ではあるが表向きの慎ましやかな顔とは別に、王族を守る盾としての顔もある。そのため軽い防衛術を王宮仕えの彼女らは最低減求められる。もちろん貴族令嬢が行儀見習いとして仕える場合も例外ではないが、彼女たちは花嫁修行を兼ねており見習い期間を過ぎると去っていくことが多いため、軽い自己防衛を嗜みとして身につける程度だ。
そんな中、公にはされていないが王族に直接仕える侍女は貴族の令嬢であるにもかかわらず高い戦闘力を備えている。
エルネスタもそれに漏れない。彼女の実家は国でも名を馳せる大貴族ユリザ侯爵家だ。父親は国王の侍従をしている。古くからユリザ侯爵家は侍従として王の近くに仕えてきた。兄のギルベルトも父の片腕として動き、次期侍従になるために日々励んでいる。
国政には直接関わることはないが国の中枢に近いユリザ侯爵家にはもう一つの顔があった。
ロザエの【月】。
それは表舞台に立たず、影として動く存在。
王族の警護はもちろん、国の暗部も担い、現宗主は父親のユリザ侯爵である。彼らは政を担う大臣などにも隠され国王や王太子、王の近い親族や宰相にしか受け継がれない程の機密な存在であった。
エルネスタも幼き頃より【月】として生きるための訓練を受け、剣術はもちろん暗殺術・医薬学術・語学といったものを叩き込まれていたが、表向きは侯爵家令嬢の肩書きを持つ身だ。名家令嬢として姉とともに厳しく淑女教育もされた。
王太子妃付き侍女として彼女が選ばれたのも、それが大きな理由でもあった。テレジアもユリザ家の血を引く分家である伯爵令嬢だがしっかり訓練を受けた侍女だ。訓練期間は本家のエルネスタよりも短いが、それでも騎士並みに剣は扱える。ロザエ王家ではそんな隠れた精鋭がすぐ側で仕えている。
アニカ王太子妃は北方の寒冷地である島国ベスレ王国から輿入れした。そのせいか彼女の肌は透き通るように白い。エルネスタはその肌に化粧を施す度ため息が漏れそうになる。
「アニカ様の肌は化粧するのももったいないですね」
「まあエルネスタ、私はすでにお肌の曲がり角を迎える歳なのよ」
「ええ? お肌の曲がり角ってそんなに早くくるものなんですか?」
「そうよ。私は二十三ですもの。すでに突入してるわ」
「……二十三歳で曲がり角」
何気にショックを受けているエルネスタを見てアニカは面白そうに笑う。
「だから、あなたも人の手入ればかりしてないで自分の手入れもしっかりとしないとだめよ」
「これは私の仕事ですから」
朝の光がレースのカーテンごしに部屋へとこぼれ、白を基調にした調度品が一層明るさを増していた。
「今日も暑くなりそうですね。アニカ様、御髪はどうされますか? あげてしまわれますか?」
後ろではテレジアがアニカの髪を櫛でときながら聞いてきた。暦では夏はまだ先ではあるが、ここ数日は蒸し暑い日が続いている。薄い生地の軽装を着込んでいるとはいえ王太子妃である。エルネスタから見れば、十分暑そうな服装のアニカが不憫でならない。
「髪は軽く編むだけでいいわ。夜のパーティー以外正式な公務もないし、面会も今日はないでしょう? 飾りはなくていいわ」
「畏まりました」
テレジアは慣れた手付きでアニカの緩やかな波を描く金色の髪を編み込んでいく。エルネスタは薄いベージュの口紅を塗り終えると、満足気に立ち上がり鏡越しにアニカの顔を確認し、にっこりと笑った。
「これでいいですか?」
「ええ、十分よ。ありがとう」
アニカに軽く頭を下げて、テレジアの後ろへと下がる。ちょうどその時部屋がノックされた。テレジアが振り返り頷く。
それを受けて、エルネスタが扉に近づくと別の侍女が小声で告げてきた。
「王太子殿下がお見えです」
「分かりました。ありがとうございます」
王太子妃が一通りの準備を整える化粧室には扉が二つある。一つは王太子妃の寝室へ続くが、そこは同時に王太子夫妻の主寝室へと通じている。もう一つはプライベートな私室。親戚縁者など個人的に親しい人物と会ったり、日中を過ごす部屋である。その隣にはロビーも兼ねた侍女控室があり、客人との窓口も兼ねていた。そこには常に三人以上の侍女が待機し、王太子妃の在宅に関わらず部屋を管理している。
エルネスタはロビーに入ると、外に面した主要扉の左右に立つ侍女に目配せをした。彼女らは両方から扉をゆっくりと開けていく。
「や、おはよ。エルネスタ。そしてパミーナ、ノーラ、シンディ」
芝居がかった台詞をわざとらしく言いにっこりと笑う王太子がいた。出迎えた侍女たち全員の名前を言うのも忘れない。ブラウンの長い髪を後ろに結び、実に爽やかな笑顔が似合う美男子だ。
「おはようございます。クレイグ王太子殿下」
「アニカはまだかい?」
「直に参られます」
「そう」
クレイグは遠慮無く足を進め、私室の扉を開けて備え付けられたソファに座った。
「いやー、参ったよ。昨夜は公務が長引いてね、アニカの温もりを感じることが出来ず独り寝となってしまった」
「まあ、それはお淋しい夜でしたね」
「エルネスタは優しいねぇ」
「ありがとうございます」
「シルビアだったら冷たく一睨みされて終わりだよ」
「そうでしょうね」
「………………」
「何か?」
「……やっぱり君たち姉妹は似ているよ」
「ありがとうございます」
「いや褒めてないけどさ」
見た目とこの軽い性格のせいで忘れがちではあるが、この王太子は頭の切れる頭脳派だ。口先も上手い。姉のシルビア曰く、「軽狸」。姉の言いたいことが何となく分かる気がするこの頃だ。
「先日からうちに滞在してるイーグ国の王弟なんだけども。あんまり好きじゃないんだよね」
「そうですか」
「だってさ、私に負けず劣らずの美形だろ?」
「負けず劣らずかは知りませんが、噂は聞いてます」
「ああ、エルネスタ。そこはもっとこうフォローしてほしいな。我が国の王太子殿下ほどではありません!ってな感じでさぁ」
「善処します」
「……いや、そこ突っ込むとこだから」
「それは申し訳ありません」
「ねえ、エルネスタ」
「はい」
「君が強敵なのはシルビアと違って純粋だからだと思うんだが」
「強敵の意味はわかりませんが、ありがとうございます」
「そこだよ、そこ。鋭いツッコミなのか天然なのか、わざとなのか、この私の明晰な頭脳でも判断がつかないんだ」
「それは残念でしたね」
「………………」
頬杖をついたクレイグが恨めしげにエルネスタを見上げた。
「やめてくださるかしら? それがエルネスタの魅力なのだから」
アニカが扉から現れ、ソファに座るクレイグをどことなしに冷たく見やる。だが、彼はパッと顔を輝かせて愛おしげにその名を呼んだ。
「アニカ! ああ、久しく会ってなかったっ」
「あら、毎日会ってるかと?」
「昨夜は淋しい一夜だったよ」
「それはそれはお可哀想に。どこぞの誰かと素晴らしい一夜を過ごされたかと思いましたわ」
アニカはクレイグの座っているソファを素通りして、さっさと部屋を出て行く。
「こ、こら。待ってくれよ。誤解なんだよ」
慌てて追いかけるクレイグだがその顔は笑っている。そんな王太子を呆れた眼差しでテレジアが見やった。
「相変わらず掴み所のない殿下だわ。きっとまたアニカ様を怒らせる何かをなさったのね」
「そのうようですね」
エルネスタも小さなため息を吐いた。
この王太子はよく妻を怒らせる。決してアニカの気が短いわけではない。むしろ穏やかでのんびりした性格だ。下々の者にも優しく、何か粗相をしたとて笑って許している姿を何度も見てきた。そんなアニカを怒らせる王太子はある意味すごいのかもしれない。
確かにあの軽い性格はどうかとは思うが、それを気にするアニカではないだろう。
「エルもよくあの殿下とまともに会話できるわね」
「いや、普通かと……」
「私は到底無理。無視が一番だわ」
「姉様も同じことをよく言ってたわ」
「シルビアは無視というより殿下の存在自体を世界から消してた感じだったわね」
「確かに」
シルビアはエルネスタより三歳年上で、アニカが輿入れした時から彼女に仕えていた。シルビアのことを大切な友人と言うくらい二人の仲は良好であり、王妃付きとなった今も時折部屋に遊びに来ては楽しそうに雑談している。
クレイグとアニカの後を追うように部屋を出ると、てっきり部屋付きの女騎士がいるものと思ったエルネスタはギョッとして立ち止まった。
「……エル、私は先に行ってるわ」
テレジアが苦笑混じりに小声で言い立ち去る。
「おはよう。少しいいか?」
そこにいたのはリオ・バルト・ロッズ。エルネスタの婚約者だった。
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