18話
式典の襲撃事件から一週間が経った。犯人は未だ確保できず、王宮を守る第一騎士団の騎士は相変わらず城内を駆け回っていた。
そんな中、エルネスタはいつも通りアニカ王太子妃の執務室でその補佐をしていた。王太子妃の侍女ともなれば、単に身の回りの世話をするだけではない。高官としての顔ももっている。それがエリート侍女と呼ばれる所以だ。もちろん、執務だけを補佐する女性文官も一緒に執り行っている。
王太子妃の仕事は王妃の補佐が主であり、王族、王宮主催の催し物の一切を取り仕切っているのだが、先の式典での出来事で多くのものを調整せざるを得なかった。
基本、筆頭侍女のテレジアはアニカの側を離れないため王太子妃直々の指示書などの書類はエルネスタが走り回る。
「エル、これを第一騎士団の総実務室のスケルエ秘書官にお願い」
「はい」
「ついでにこれも。えっと、宮廷料理長へキャンセルになったお茶会の日時変更とメニュー確認の書類ね。今のところは以上よ」
「はい。では行ってきます」
エルネスタは執務室を出ると淑女の範囲を超えない程度の速さで歩いていく。距離的に料理長室の方が近いためまずはそちらに向かう。王太子妃の執務室は北棟三階の端にあり、最奥の王族の居住区に近いためどこへ行くのもかなりの距離がある。だがエルネスタは慣れた足取りで西棟へ繋がる渡り廊下を通り抜け軽やかに階段を降りていく。
一階には厨房があり、そのすぐ隣に料理長室があった。しばらくは大きな夜会や茶会は行わないというので、すでに調達済みの食料調整など料理人の頭を悩ませるかもしれない。保存のきかないものは孤児院や医療院、教会などへ無償で配られることになっているが、その選別をする旨の指示をアニカから預かっている。
「失礼します」
エルネスタが料理長室へ入ると総料理長と副料理長数名が大きなテーブルで紙を広げて話し込んでいた。
「これはユリザ嬢。そろそろキャンセルした分の食料分配指示書をもって来る頃かと思ってましたよ」
ニヤリと笑ったのは料理長だ。
「すでに調整を始めてるんですか? お仕事が早いですね」
「食材を無駄にはできませんからね。孤児院に配るものはいい機会ですから新人の腕を磨くために甘いものを作らせてみようかと思っていたところです」
「そうなんですか? とっても素敵なアイデアですね」
さすがは王宮の総料理長だ。王宮で働く料理人にとって総料理長は雲の上の存在でもある。元々宮廷料理人になるのはかなりの狭き門だ。十代半ばから始まる修行は王宮内食堂や騎士棟食堂で数年間腕を磨く必要がある。国外の視察や騎士団の遠征にも同行をするなど、なかなかハードな面ももっている。もちろん夜会などの時は総出で何日も前から準備にかかっている。夜会が続けば休み返上でやり遂げなければならない。
それら全般を管理しているのが総料理長であるが、莫大な仕事量を副料理長数名とそれぞれの部門長とで動かしている。
「これが王太子妃様からの指示書です。決定しだい報告書の提出をお願い致します」
「了解した。明日には出すよ。おお、そうだ。これをどうぞ」
「まあ、フロランタンですか?」
「パティシエ部門の若いもんが作ったんだが、今日の午後に食堂に出す焼き菓子だ」
「ありがとうございます」
エルネスタは紙袋を受け取ると一礼してから料理長室を後にした。ほのか香る甘い匂いがなんともいえない。料理長室へ行くとこうやって何かしらおこぼれをもらえるのも楽しみの一つだ。
次にそのまま第一騎士団詰所にある騎士団総実務室へと向かう。第一騎士団まではなかなかの距離だ。中央棟まで行き、そのまま正面入り口を目指す。そこを抜けて王宮門側に騎士棟がある。縦にも横にもそして奥行きもある王宮は正面入り口まで行くのも一苦労なのだ。ちなみに王宮門を出れば雑務を処理するいわゆる役所の建物が連なっている。少なくとも一般人はそこまでしか入れず、王宮門を通ることはできない。
しかしエルネスタにとってはその距離など何の苦にもならない。用事を済ませるために動き回っている彼女がいつも涼しい顔して戻って来るので王太子妃執務室にいる文官からは呆れに近い驚きをされるほどだ。
正面入り口から東へ位置する第一騎士団の騎士棟は五階建ての大きな造りとなっている。入り口には警備担当の若い騎士が二人立っていた。
「お疲れ様です。王太子妃室のエルネスタ・ユリザと申します。王太子妃様よりスケルエ秘書官にお渡しする書類をお持ちいたしました」
「お疲れ様でございます。どうぞお通りください」
「ありがとうございます」
手習書のような気品溢れる淑女の挨拶をしたエルネスタに騎士たちの頬が赤く染まる。
第一騎士団所属ともなれば貴族の子弟が多くエリートといってもいいのだが、そんな彼らでも王族付きの侍女とそうそうお近づきにはなれない。
エルネスタは美人ではあるが地味顔だ。ましてや薄化粧しかしていない上に暗色系のドレスという普通の侍女見習いとして出仕している貴族令嬢のような華やかさはない。それでもその肩書きと品格ある所作で騎士たちから「高嶺の花」扱いされているのだが、それは彼女の知るところではない。
騎士棟へ入り、受付で記帳を済ます。そこでまた許可を取ってから、総実務室へと向かうとちょうど書類を差し出す相手のフレス・スケルエが出てきたところだった。
「スケルエ秘書官殿」
「これはユリザ様。どうされました?」
「これを渡しに来ました。お茶会などが中止や延期になりましたので騎士団の方々へお願いしている警備の変更一覧です」
「そうですか。ありがとうございます」
にこやかに笑うフレスは騎士団所属の文官だ。といっても元騎士だったため体格はいい。彼の場合は実践訓練中の事故で視力に障害がでたため一線から外れたと聞いている。眼鏡をかけているが、日常生活など問題はなく今は事務方として働いている。
彼だけでなく騎士団の実務を担っているのはこうした一線から退いた騎士たちが多い。
バタバタと騎士が行き交う一階のロビー近くのため、騒がしいことを申し訳ない顔しながらフレスは眉を下げる。
「騒がしくてすみませんね。未だ犯人確保もできず騎士たちも少々苛立っているようで……」
「いいえ。騎士団も通常の任務のほか、様々な案件をこなしながらですからお疲れでしょう」
「ええ。しかしまだ訓練ばかりの見習いの若い騎士などは、他の騎士が捜査に駆り出された穴埋めとして様々な部署へ回されているので、いい経験にはなったかと思います」
先ほどの総料理長と同じ言葉が返されてきてエルネスタはつい笑う。できることなら式典のような事件は回避されるべきなのだが、怪我の功名とでもいうべきかただでは起きない逞しさを感じた。
だが国の失態であることには変わらない。騎士団も威信をかけて解決に挑んでいるはずだ。そう思いながらロビーを駆けていく騎士たちを眺めていたエルネスタの目の端が黒い影を捉えた。二階から降りてくるその人物に気づかないふりを決め込もうとしたが、スケルエが「お疲れ様です」と頭を下げたものだから同じようにならう。苦し紛れだがスケルエの影に隠れてみる。
「ああ、フレスか。……そこにいるのはユリザ嬢か。久しぶりだな」
黒い人物と一緒にいた青年が手を挙げて、エルネスタに気付くと声をかける。諦めた彼女は笑顔を貼り付けて恭しく挨拶をした。
「お疲れ様でございます。ウィザリア副団長」
第一騎士団の副団長のアレッシオ・ウィザリア。ウィザリア公爵家の嫡男で彼の母親は国王の姉である。つまり王族の血を引いており王位継承権をもつ人物だ。シルバーブロンドの髪を後ろへ流し深い紺青の瞳が冷たい印象を与えるが、何よりその造形の美しさに騎士であることを忘れそうだ。父親である現公爵と似ており後ろ姿では見分けがつかないらしいが、それはそれで公爵の凄さがわかるエピソードではある。
まだ二十代であるが第一騎士団の副団長に抜擢されるほどの実力があるのは事実で、多くの騎士の目標となっている。
そんな彼と一緒に降りてきたのは言わずもがなリオであった。
「来てたのか」
スタスタと近づいてくるリオに軽く頭を下げて頷く。
「もう用事は済ませたので戻るところです」
立ち去ろうとするエルネスタにアレッシオが思い出したように声をかけた。
「リオにはすでに伝えたが……、こんなところでなんだが婚約おめでとう」
「……ありがとうございます」
本当にこんなところだ。それでもにこやかに淑やかにお礼を言う。
「ああ、そうでしたね。私からも言わせてください。ロッズ様、ユリザ様、ご婚約おめでとうございます。とてもお似合いのお二人です」
追加攻撃かのようにフレスが追随してくる。それにも同じようにお礼を言おうしたエルネスタだったが、その前にリオが先に口を開いた。
「ああ、ありがとう。……だが面と向かって言われるのも照れるな」
はにかんだように笑い、それでもしっかりと受け止めているリオがしらじらしくて、エルネスタはぼそっと付け加えた。
「……まだ正式には婚約式もしておりませんから照れる以前に慣れないですね」
「そうだな。その婚約式の際には招待状を送らせてもらうよ」
「ですが、まだ未定なのでお待たせするかと思います」
「まあ、陛下にもせっつかれてるし、そろそろ具体的に進めていこうと話し合ってるところだ。な?」
「……ええ。ですがリオ様はとてもお忙しい身でありますから無理はしてほしくありませんの」
「だからとはいえ、今まで後回しにし過ぎてきたからな。そこはしっかりとスケジュールを組んでやるつもりだ」
「……ですが、今はいろいろと立て込んでいるようですし。どうかお仕事を優先させてくださいね」
「それはもちろんだが、お前とのことだって優先していくつもりだ」
「いえいえ。私のことはお気になさらず」
なんだろうか。一見仲良く思える二人のはずが、その後ろにバチバチとした火花が見えるのは気のせいか。
「いつも気を遣ってもらって悪いな」
「いえいえ。おほほほ」
「用事も済んだのなら一緒に出ようか。それではウィザリア殿、スケルエ殿。失礼する。さあ、行こうエル」
「……ええ。では失礼致します」
去っていく二人を黙って見ていたフレスが引き攣った笑みを浮かべて上司に問いかけた。
「えっと、とても仲のよろしいお二人……、でいいんですよね?」
歩いていく二人の後ろ姿にはどこにもおかしいところはない。
「……そういうことにしといてやろう」
アレッシオは微妙な返答しかできなかった。




