17話
「ね、美味しい?」
「……………」
俯きモグモグと口だけ動かしている少年にエルネスタは笑いかけた。反抗的な態度はそのままだが、昨夜よりもいくぶん落ち着いてきたようだ。ジャリジャリと腕の拘束具が音をたてて少々勝手悪そうだが、食事をする分には何も問題はない。
エルネスタが薄暗い地下に収容されている少年の元へとやってきたとき、彼はどうやら眠っていたらしく扉の開く音で目を覚ましたようだった。
部屋の灯りが灯されて、美味しそうな香りが鼻腔をくすぐってくるまではぼうっとしていた少年だったが、覚醒するとともに剥き出しの敵意を向けてきた。だが、エルネスタは意に介さずにっこりと少年へ笑みを向けて食事を差し出した。
「美味しいと評判なのよ、この城の食堂は。私はあまり使用しないんだけど、匂いにつられてつい食べてきたんだけど、やっぱり人気だけあってペロッと食べちゃったわ」
勝手に話しかけてくるエルネスタに少年は怪訝な顔を見せつつも、王宮に忍び込んでいたここ数日間、まともな食事にありつけなかったようで、彼女の手から匂ってくる香ばしい料理に目が離せないでいた。
少年の前に行き包みを開いてやれば、無意識だろうがゴクリと喉がなっている。しばらく、広げられた食事を凝視していた少年は迷いながらも手を伸ばしたのだった。
最初こそ警戒しながらゆっくり食べていた少年であったが、空腹には勝てなかったようで今は両手に握っているパンと肉を交互に口に入れている。エルネスタはそんな彼を優しい眼差しで見ていた。
ふと勢い余って喉に詰まらせた少年がウッと声をくぐもらせた。
「あ、飲み物ね。はい」
一緒に持ってきた水筒をサッと差し出すエルネスタに一瞬戸惑うものの、取り上げるように手にするとゴクゴクと喉に流し込んだ。
「私にも同じくらいの弟がいるんだけど、そんなとこよく似ているわ」
目の前で一緒に座り込んで顔を覗いてくるのが変な気分で少年は目を逸らした。そこに映るのは暗闇ではしっかりと見えなかった部屋の造りだった。窓もないため灯りがなければ真っ黒となる部屋であったため、どのような造りかはよくわかっていなかった。
想像していたような薄汚い独房のような感じではないと思っていたが、ここは簡素だとはいえ自分が今まで住んでいた家よりも断然ましな部屋だ。
足元は硬い石が並べられ冷たさを出していたがベッドはしっかりとしたものだし、清潔感のあるトイレも低い仕切りの奥にあった。少年からすれば快適以外なにものでもない場所だった。とはいえ、首、腕、足には壁から伸びた鎖に繋がれていたが。
「……俺をどうする気だ?」
そっぽを向いてボソリと呟く。美味しい食事を出され世話をされたとしても、あくまで自分は捕らえられた身だ。結末はわかりきっている。
「あなたは私がもらっちゃった」
「?」
意味がわからず訝しげにエルネスタを見る。思っていたよりも間近にいて慌てて後ろへ下がった。そうなってあらためて目の前の人物が高貴な身分だとわかった。派手な衣装で着飾っているわけではなかったがいかにも上品さを醸し出している。
「あんたは……」
「私? そういえば昨夜は挨拶も何もできなかったものね」
「!! ──昨夜のっ…」
「ああ、顔を隠してたからわからなかった?」
今度はしっかりとエルネスタを見返した。あまりにも昨夜の姿とは違いすぎる。どこから見ても貴族の令嬢だと思われる目の前の人物が昨夜の女と同一人物だとは到底信じられない。だが、そう言われればこの一風変わった感じがどことなく共通している気もする。
「それでね、さっきも言ったけど。あなたは私のものになったから」
にっこりととんでもないことを告げる。
「何を言ってる……?」
「え? だからあなたをもらったのよ」
エルネスタは少年が食べたものを片付けながら何でもないことのように言う。
「でも条件付きだから、ちょっとハードに鍛えるわね」
「……意味わかんねぇ」
ふふふと楽しそうに笑うエルネスタだがいきなり「もらった」やら「鍛える」やら言われても少年には何のことかさっぱりわかりはしない。
「簡単に言うとね。あなたを殺すなんてちょっともったいないと思ったのよ。まだ弟くらいだし、どうにかならないかなって。それで許可をもらったの。あなたをもらう許可をね。それはすんなりいけたけど、なかなか厳しい条件が出てしまって。だからあまり時間がないけれど鍛えておかなきゃと思ってるの」
「………………」
いや、それでも意味がわからない。ただ嫌な予感だけはする。
「レヴィン・ダガーレ」
少年はピクリと固まる。
「リズボアード王国出身。この国に人買いに売られてやってきたのが三ヶ月前。そこを逃げ出し十二区域のギャング集団『赤い鼠』の仲間となる。それは表向き。──本当は人買いに買われてというのは名目でリズボアードの裏組織の指示によりこの国に入り、『赤い鼠』を隠れ蓑にして王宮を偵察するのが目的だった──」
黙ったままの少年──レヴィンであったが、驚愕に見開かれた瞳はそれが真実だと言っていた。
「──で、これも表向きで、裏組織の狙いはあなたをここで捕縛させるというのが目的、とまでは知らなかったみたいね」
「──っ!!」
レヴィンは固まり、ただ呆然とする。ゾクリと背中に何かが這うような感覚に口の中が乾いていく。
「まさか組織に裏切られるとは思わなかった? 気持ちはわかるけどそれが真実。実際あなたをここから逃したとしても、今度はその組織からあなたは命を狙われるはずよ。まあ、いわゆる口封じというやつね」
「……な、何を……」
何を言っているのか。………いや言っていることはわかる。ただ理解したくない、認めたくない。あまりにも信じ難い。
「……そうやって騙そうとしても無駄だ!」
「うーん、本当のことなんだけど。どうしたらいいのかしら。ねえ、王宮を偵察した後はどうする気だったの?」
警備体制や侵入しやすい場所、とにかくこの城について知り得たことすべてを報告するだけのことだった。
「偵察だったらわざわざ厳戒態勢の城で、ましてや外国の王族の式典に何も被せてなくてもいいわよね。リスクが大きすぎるわ。それにあなたはその式典で何が起こったか知ってる? 矢が降ってきたのよ。私もびっくりよ、肩をかすめていったんだから。でもそれをしたのはあたなじゃないわよね」
淡々と、でもまるで仲のいい友人に話しかけるように言ってくるエルネスタだが、その内容はレヴィンの考えも追い付かないほどの内容だ。
「当たり前だけど式典は中止。すぐに騎士団が犯人探しに動き出すことになったわ。そこで見つかったのが不法侵入している『あなた』──、というシナリオかしらね」
これは誘導だ。そう信じ込ませるための。しっかり考えれば辻褄の合わないズレを見つけられる。早く考えろ。これは誘導なんだ。誘導──、本当に誘導されたのは──。
──お前は選ばれた。この任務はお前しかできない。
そう言ったのは組織の幹部。別に忠誠心なんてない。それどころか憎んでいると言ってもいい。なのに、その言葉に騒めきだった。「選ばれた」という響きが心地よかった。他の人間よりも優れているという優越感を初めて味わったのだ。
「ねえ、私のとこに来ない?」
「………………」
「そうは言っても、こっちも血なまぐさい組織には変わりないんだけどね。いえ、あなたの知る裏組織よりももっとひどいかも……。それでもお金を積めば悪どいことも何でもするあなたがいたとことは違うわ」
目の前にいるのは本当に令嬢なんだろうか。令嬢のフリをした間者か。しかし、その所作には気格が見え隠れしている。いや、それよりもいったい自分は何を動揺しているのか。そんな嘘っぱちな話を信じろというのか。そうだ、誘導されて混乱しているんだ……。誘導されて……。
……あの悪趣味な口角の上がった憎らしい笑みをもつ男に……。
『お前は選ばれた』
──あいつに誘導されていた……?
カラカラに乾いた口の中には吸った空気がまとわりついて呼吸をしているのかさえわからない。
「レヴィン」
エルネスタが名前を呼ぶ。ゆっくり顔を上げると自然と視線が合った。
「私と賭けをしない?」




