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16話

 強烈な嫌味を残して去っていったエルネスタの後ろ姿が消えたのを確認して、リオは盛大なため息を漏らした。

 なんとなくしてやられた感が漂う。いや、これはもう毎度のことのような気がする。今まで様々な人間を見てきたが、これほどの強敵はいなかった。無骨ではあるが、人を不愉快にさせるほど融通が利かないわけではないし、その辺は上手くやってきたつもりだった。だがエルネスタには通じない。


「……当たり前か」


 昨夜のアレックスの言葉を思い出す。


「確かに傲慢だな」


 最初に壁を作ったのは自分だ。まだ婚約式をあげていないとはいえ、この婚約──そしてその先の結婚は仮初でもなく正式なものとなるのだ。それは二人が夫婦となり末長くともに歩んでいくことを意味する。

 その最初で、まだ始まりもしないうちに自分は間違った。



────申し訳ないが、私には想う人がいる。



 そう言ったのは自分だ。言い訳をするならば、決してエルネスタを拒否したいがために言ったわけではない。


 ただ想う人が他にいることを告げることが誠意だと思った。

 だがアレックスの言うようにそれは本当の意味で誠意とよべるものだったろうか。この気持ちを秘めると決めたのなら、秘めたまま墓場までもっていくこそが正しかったのではないか。

 自分の言動は「婚約者に対する誠意」ではなく、「想い人に対する自分への誠意」であって、一方通行の片恋として一途に想っていた気持ちを綺麗なまま残したかっただけではないのか。


 だとすればなんと浅はかだったろう。ただの独りよがりのくせに履き違えていた。


 この数ヶ月間でエルネスタとの距離は未だ出会った頃と同じ、いやそれ以上に離れている気がする。お互い遠慮がなくなって、ある程度言いたいことも言える仲にはなったはずなのに、微妙な均衡を保っていることに気付かされる。


 リオは物思いに耽るように頬杖をつきながら目の前の食事を再開する。美味しいはずの料理がどこか味気なく思い、平らげていくスピードがぐんと落ちた。ただ機械のように口だけ動かして胃に流し込んでいく。


「守りたい、か……」


 まだ幼さが残ったまま引き取られたロッズ家。

 リオは一気に兄が二人、妹が二人になった。愛情の中にも厳しさのある義父となったのは、どうやら「歳の離れた兄」ということだったが、ロッズ家は温かく迎えてくれた。


 兄二人の後を追って寄宿学校に行くことはせず、まずはロッズ家の私設騎士団にて数年腕を磨いた。そして血統に左右されない力をつけるために平民と同じ扱いの準騎士としてのスタートを選んだ。そこでは貴族であることを時に馬鹿にされ、時に擦り寄られ、人間の強さや弱さも見てきたつもりだ。


 海兵団では海に投げ出され、丸一日漂流したこともある。峠沿いの山賊討伐では数メートルの崖から落ちて生死を彷徨ったこともある。泥臭い経験から培ってきた多くのものは確かに彼の身になってきた。できる限りの努力もしたし、その中で自らこの手に掴み取ってここまできた自負もある。そして精鋭と呼ばれるレーウ騎士団にまで上り詰めることができた。そうすることが送り出してくれた「親」に対する恩返しだと思ってきた。


 それを誇りとして国のために生きることは自ら選んだ道であったし、騒がしくも仲間と共に職務をまっとうしていくことが単に性にも合っていた。

 なんとなくこのまま独り身でも構わないと思い始めた時に彼女と出会ったのだ。


 それは三年前。いや、四年前になる。

 長い金の髪を靡かせながらはにかんだ笑みを見たのが最初だった。一瞬で目を奪われ、その姿から目が離せなかった。

 だがすでにその笑みは隣に佇んでいる夫になる人のものだった。まだ婚約者同士の当時の二人は絵に描いたように似合っており、多くの人に祝福されていた。

 

 だが、不思議と横恋慕する気持ちはなかった。あの笑みは彼のそばにあってこそであり、素直に祝福もできた。そして国を守ることは彼女を守ることになる。そう思うだけでなぜか満たされた。

 そして時折その笑顔に癒され、励まされ、勇気をもらった。


 確かにそう思ってきた。

 守りたくて、これから先もその人以上に心に入ってくる女性とは出会うことはないと、出会わなくてもいいとさえ思っていた。


 だが狂おしいくらいの気持ちにかといえばそうではなく、ただ穏やかに温かいものが広がっていくような恋だった。

 それだけで十分だったのだ。

 この想いは初めから自分だけの内に秘めたものであることはわかりきっていたし、もとより気持ちと伝えたいなどと思ったことさえない。

 ここ数年は何も考えずに騎士としての務めに打ち込むことができたし、彼女のことを思い出すこともなかった。

 そんな中、青天の霹靂とでもいうような突如舞い込んできたエルネスタとの婚約。


 そこでふとあの時の苦い気持ちが胸をざわめつかせた。だからまだ忘れられていないのだと思った。そういう面持ちでいることに負い目があったからこそ飛び出したのが、エルネスタとの顔合わせで発したあの言葉だったのだ。


「……勝手な男だな、俺は」


 ふと次の料理を口にしようとしてフォークを皿に刺せばカチンと無機質な音がした。気付けば皿には何もなかった。


「………………」


 食堂は先ほどよりも人が少なくなっていた。ひとときの落ち着きの後、昼が近づけばまた賑やかになってくるだろう。

 穏やかな陽気は徹夜したこの身に眠気を誘うが、思考は先ほどのエルネスタとのやりとりが占めていた。

 ふと彼女が座っていた場所に目をやる。


 彼女は何者なのか。国王がわざわざ取り持った意味はなんであろうか。

 エルネスタの身のこなしは護衛を兼ねている侍女とはいえ、あまりにも素人感がなかった。特別な訓練を受けていたとは言っていたが、それでも余りある。そう思うとまだエルネスタのことを知らなすぎる自分が歯痒かった。

 どうして今まで知ろうとしてこなかったのか。この数ヶ月間が悔やまれてならない。


「……情けないな」


 昨夜の事件はまだ解決の糸口は見つかっていない。第一騎士団が主導で動くにしても、自分たちも別方向で捜査していく方針がとられることになったため、しばらくは忙しくなる。エルネスタとの時間もそうそう取れないだう。……だが。それではいけないと思った。

 自分の身勝手ですでに愛想など尽かされているはずなのに、それを払拭しようと焦ってる自分がいる。



────私はあなたの愛する女性のように『守りたい』と庇護欲を掻き立てられるような女でないことがわかったでしょう? 



 そう言った一筋縄にはいかない婚約者。

 それは彼女が言うように以前恋した女性とは正反対ではるはずなのに、同じように「守りたい」と思わせる危うさがあった。

 それはいったい何なのか。


 最初にあんなことを言った手前、未だ感じる微妙な距離感は仕方ないと思っていたがそれではいけないのだ。このままだと離れていく一方となる。それだけは避けなければならない。

 リオの眉間が歪んだ。


 あのときエルネスタの目の前で一方的に堂々と壁を作ったのはリオだ。そんな彼女はしばし呆然として、そして目を伏せ口を噤んでしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった自分は、そんな彼女に頭を下げるだけという不甲斐ないものだった。


 ここにきて今更その壁を取り崩したとて、肝心の彼女が新たに高い壁を作り、かつ背を向けているのが現状となっている。

 自業自得とはこのことだ。


「────壁は……壊してみせる」


 そんなことをしたとて馬鹿にされるかもしれない。呆れられるかもしれない。

 それでも、しっかり相手と──エルネスタと向き合う。それこそがまさに誠意というものだ。


 ふと必死になって彼女を逃さないように考えている自分がいる。複雑で不思議で言葉にならないこの感情は何なのか。あのときとはまったく違うものだ。


 リオはそんな自分に驚き、だが意外にも心地よく感じた。





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