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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【日間73位!】感情をもたぬ戦闘兵器は、仲間の夢を継ぎ、心に灯をともして旅立つ

作者: お芋ぷりん

短編3作目!

良ければ、感想と評価をして頂けると嬉しいです!

 




 ゆるりと、風が吹き抜けた。


 何もかも静寂だった。静かすぎて、逆に耳が痛くなる感覚さえ覚える。


 剣戟の音も、爆発音も、頭上を飛び交う魔法すら――全て、遠い過去のよう。そこかしこで絶えず上がっていた断末魔でさえ、今はもう何も聞こえない。


 雨が降ったのだろう。足元にはいくつもの水溜まりが出来ていた。


 映るのは、空とも陸ともつかぬ、鈍く濁った灰色。


 血の匂いが僅かに残るが、それすら薄れてきている。この一帯を覆っていた咽せ返るような死の気配も、今は泥のように静かだ。


 まるで、ここで起きた惨劇が――全て、泡沫の夢だったかのように。


 ふと、雲の切れ間から()の光が差し込む。


 天から伸びる光の下には一人の少女。


 荒れ果てた大地の中で、彼女の姿は異様なほどに浮いていた。


 銀糸のような髪が風になびく。酷く端正な顔立ちは、精巧な人形と見紛うほどだった。それはまるで、地獄に佇む神像のように――冷たく、そして美しい。


 風にさらされ、ぼろぼろに裂けた衣服が微かに揺れる。胸元には、肌と一体化した楕円形の紅い魔石。魔術回路らしき紋様が、腕や腹部、脚部といった素肌の随所に刻まれていた。


 けれど彼女の顔には、表情というものがなかった。


 〝無〟――さながら魂の通っていない人形のように、ただ、そこに居た。


 視線は遠く、焦点は合っていない。何かを見ているようで、何も見ていないような目。


 やがて風が()ぐ。足元の水面が小さく波打ち、静かに音を立てる。


 彼女はその場に、ただ立ち尽くしていた。


 そして――


 まるで壊れたオルゴールが、唐突に動き出すように。


 その口元が僅かに動いた。


「――なぜ、生き延びたのが私だったのだろう」


 その声には、熱も、感情もなかった。


 整いすぎた抑揚。無機質な音の羅列。


「……本当に生きるべきだったのは。感情を持たない私ではなく――生きる事を、誰よりも強く望んでいた、彼女だったというのに」


 その独白に感情はない。されど、言葉の先には、誰かを想う意図が表れているかのようだった。


 足元の水面に、小さな波紋が広がる。


 ひとつ、またひとつと――消えては、揺れる。


 ……その現象が何によるものなのか、識別名〈殲滅型カゲロウ四号〉は、理解していなかった。



 ◆◇◆



「っ……」


 意識が浮上し、四号は目を見開く。


 大地の振動も、怒号も、血の匂いもない。鼓膜を揺らすのは、涼やかな風の音と小さな鳥のさえずり。窓辺から差し込む陽光。頭上には見覚えのない天井があった。剥き出しの(はり)が視界に映る。


 どうやら、いつもの天幕ではないらしい。見知らぬ家屋(かおく)の中だ。


 即座に状況の解析を開始する。


(——目標:魔王軍の殲滅。しかし魔王との戦闘中、魔法の相克爆発を確認。その際の衝撃により、この身は宙に放り出された。後の事は……思い出せない。一つ確かなのは、任務が未完了である事)


 ベッドから身体を起こそうとすると、全身に()()()()が走った。


 視線を下にやる。軽く捲れ上がった薄布の下には、清潔な包帯で手当てされた上半身があった。


(上半身の火傷、魔術回路の損傷は軽微。外傷に比べ、内部の損傷は深刻ですね。左右前腕部は骨折、胸椎及び左大腿部にはヒビが入っている……)


 普通なら怪我の診断は医師や治癒師に頼むところを、四号は自ら行う。


 怪我も診断も、彼女にとっては慣れ親しんだ日常の一つだ。


(ですが、このような怪我……動けないほどでは――)

「あぁーっ!」


 再び立ち上がろうとした直後。


 部屋の扉が開き、人間の少女が駆け込んできた。年齢は十歳前後。淡い金髪を三つ編みにし、薄緑のエプロンドレスを着ている。


「お姉ちゃん、起きたんだ! 体は大丈夫? どこか痛くない?」

「問題ありません」


 反射的に答えると、少女がパッと花が咲くように顔を綻ばせる。


「なら良かったっ!」

「っ……」


 そのあどけない笑顔が、記憶の中の()()と重なる。


 と、その時だ。


「――フィリカ! 一人で入るんじゃないよ!」


 女性の鋭い怒声が突然部屋の中に響いた。


 そうして扉の影から姿を現したのは、白い短髪の老婆だった。杖をつきながら、のそのそと少女に近寄る。


「全く、アンタって子は……どうして約束を守れないのかねぇ」

「えへへ……ごめんなさぁい」

「……貴方がたは?」


 状況から察するに、怪我の手当をしてくれたのはこの二人なのだろう。


 適性存在ではないにしろ、警戒は必要だ。四号は情報収集に専念する。


「あたしゃあ、ロイズ。こっちは孫のフィリカさね」

「よろしく! お姉ちゃんの名前は?」

「名前……」


 そう聞かれて呟く。


 この少女が訊いているのは――人間の中では一般的な、姓と名の事だろう。しかし、戦闘兵器にそんなものは存在しない。そして、今後も必要ない。


 しかし、戦闘兵器でありながら、自らに名前を付けた者の名が、ふと脳裏を過ぎった。


「お姉ちゃん?」

「……いえ、私に名などありません。あるとすれば、個々を表す記号――識別名〈殲滅型カゲロウ四号〉が私の名です」

「しきべつ名? せんめつがた……?」

「…………」


 識別名を答えると、少女(フィリカ)は眉に(しわ)を寄せて首を傾げた。その傍らで、皺くちゃな肌を更に歪めた老婆(ロイズ)が、険しい顔付きをしていた。


「よく分かんないや。四号さんって呼ぶのも変だし、カゲロウお姉ちゃんって呼んで良いかなっ?」

「それはシリーズ名ですが……いえ、好きに呼んでくれて構いません」

「うん! えへへ~、ずっとお姉ちゃんが欲しかったんだ~!」


 嬉しそうに擦り寄ってくるフィリカ。


 どう呼ばれようと、〈殲滅型カゲロウ四号〉の存在意義は変わらない。


 魔王軍を討ち滅ぼす事――それこそが、自分が造られた意味なのだから。


「ところで、ここはどこでしょうか? なぜ私はここに?」


 淡々と尋ねると、フィリカが唇に指を当てながら喋る。


「えっとね〜、ここは〈ファルジリア王国〉の小さな村だよ!」

「〈ファルジリア王国〉……」

「近くの湖で、カゲロウお姉ちゃんを見つけたんだ〜。おばあちゃんと遊んでたら、急に空から落っこちてきたの!」

「……空から?」


 身振り手振りを駆使しながら、フィリカは一生懸命説明しようとする。


「うん、バッシャーンって! ほんとびっくり! 傷だらけだったし、急いで引き揚げたの!」

「成程、どおりで。落ちた先が湖で助かりました」


 そしてもう一つ、分かった事がある。


 〈ファルジリア王国〉ーー魔王軍との主戦場・ハラル平原から、国境を一つ挟んだ先にある小国だ。戦線復帰を考えるなら、馬車で五日程は掛かる距離である。そこそこ遠くまで吹っ飛ばされたものだ。


「それで、私が運び込まれてから何日が経過しましたか」

「うーん、どうだったかな〜? おばあちゃん、分かる?」

「十日だね。あの怪我じゃ、仕方ないねぇ」


 しばし沈黙が下りる。


 その重みの中、四号は胸元の紅い魔石に手を伸ばす。


 戦列を離れて十日。それは明確な軍規違反、懲罰の対象となる。任務遂行の遅延、指揮権限の消失。何より、戦況が不明だ。


「戻らねばなりません」


 あそこで、()()はまだ戦っている筈だ。


 四号は無理やり身体を起こそうとすると、フィリカが慌てて手を伸ばしてきた。


「だ、だめだよ! まだ寝てなきゃ!」

「睡眠も、療養も不要です。回復術式は常に稼働しています」


 左腕の包帯をほどくと、淡い輝きを放つ紋様――魔術回路が肌に浮かび上がっていた。


 焼け爛れた箇所の肉が、ぐにぐにと蠢き、火傷痕が少しずつ縮小していく。


「す、すごい。傷がちょっとずつ小さくなって……」

「それでは――」


 もはや説明は不要と、フィリカを押し退けようとした次の瞬間、四号の視界がガクッと傾いた。


「カゲロウお姉ちゃん!?」


 床へ身体が落ちる直前に、ロイズに身体を支えられる。


「全く、しょうのないヤツだね」


 ロイズは溜息を吐き、四号をベッドに寝かせると、呆然としていたフィリカに声を掛ける。


「フィリカ。あたしの部屋からポーション取ってきな。ついでに食べ物も適当にね」

「う、うん。分かったよ、おばあちゃん」

「ゆっくりで良いからね」


 パタパタと、フィリカが部屋を出ていく。


 ロイズは部屋の扉を閉めると、隅にあった椅子を持ってきてベッドの前に腰掛けた。


 怯えと微かな敵意を孕んだ目。ロイズが震える声で訊いてくる。


「さっきの紋様……もしかして、魔術回路ってヤツかい?」

「ええ」


 肯定すると、その白い肌が更に青白くなった。


「って事はアンタは――〈アビシャル帝国〉の魔導人形(アルカドール)……?」

「よく分かりましたね」

「……ババアにもなると、どうにも耳ざとくなってねぇ」


 ロイズは近くの棚の救急箱から包帯を取り出し、魔術回路を隠すように左腕に巻いていく。


「魔術回路は禁忌だとか、感情がないとか……色々噂は聞くよ。アンタらが、冷酷で残忍な戦闘兵器って事もね」

「事実です。……それで、貴方の目的は脅迫ですか? もしそうなら排除も視野に入れますが」


 四号は表情を変えぬまま、右手を手刀にして掲げる。


「……ある意味そうさ」


 それを見て、包帯を巻き終えたロイズは生唾を吞むと、キッと目を細める。


「あの子に何かしたら……ババアでも、命くらい賭けるよ」

「……であれば無用な心配です。私の殲滅対象は魔王軍、並びに魔王本人のみ。一般人に労力を割くほど暇ではありません」


 果たして命を賭すほどの価値があるのか。人間というのはまるで理解不能だ。


 淡々と行動目標を告げた四号は、静かに手を下ろす。


「……なら良いんだ」


 一瞬だけ、ロイズの目から力が抜けた。まるで、崖の(ふち)で踏みとどまったように。


「怪我が治るまではここに居な。それがあの子の願いさね」

「……よくは分かりませんが、身体の損傷具合を考えるに、ここで療養するのが合理的なようです」


 軍規違反だが、身体をまともに運用できなければ意味がない。回復術式は問題なく機能している。数日あれば完治するだろう。


「ただし治ったら、すぐ出てっとくれ」

「はい」

「それと、あの子の前で戦争の事は一切口にするんじゃないよ」

「はぁ……構いませんが――」

「おばあちゃーん! 持ってきたよ~っ!!」


 その時、扉の外側から元気な声が響いた。ロイズが「今開けるよ」と言ってドアノブを引くと、フィリカがお盆を持ってやってきた。


「お待たせ~。怪我を治すには栄養を摂らなくっちゃ!」


 湯気の立つスープ、焼いたパン、蒸した根菜。色とりどりの料理の皿と液体入りの小瓶が乗っている。


「量は不要です。そのパンだけで十分です」

「えー、なんで? いっぱい食べないと元気になれないよ?」

「最低限の栄養を摂取できれば、七日は不眠不休で動けるので――」


 グキュルキュル~!


 と、タイミングが良いのか悪いか。盛大に腹の虫が鳴った。


 部屋に沈黙が落ちる。フィリカがじっとこちらを見つめる。


「……他のも食べる?」

「…………エネルギーがあるに越した事はありません」


 食欲を意識した事はなかったが、流石に空腹期間が長かったようだ。


 四号は観念して提案に従うのだった。



 ◆◇◆



 フィリカとロイズの世話になって、二日が過ぎた。


 傷の回復は順調で、完治とまではいかないが、こうして外に出歩ける程度にはなっている。


 現在、四号は自分が墜落したとされる湖へと足を運んでいた。言い出しっぺはフィリカ。何度も懇願され、ロイズが同行する形でようやく承諾した。


 外出の際、ロイズからは黒い外套を手渡された。


「これで少しは目立たなくなるだろうさ。その銀髪までは隠せないけどねぇ」


 それを羽織ったのは、必要性を理解したからではない。ただ、戦闘服が破れたままだと、余計な注目を集める事になるからだ。


 万一、正体が露見しても――排除すれば済む話ではある。しかし、無駄な衝突は避けるべきと判断した。


 道中、すれ違う村人達の視線は刺さるようだったが、ロイズの説明があったおかげか、事態はそう荒れなかった。


「あはははっ! 冷た~いっ!」

「フィリカ! 深いとこには行くんじゃないよ!」

「はーい!」


 湖の浅瀬で、薄着のフィリカが水を跳ね上げながらはしゃいでいる。彼女の声が反射して、林に響く。


 四号は木陰に座ってロイズと並び、その光景を眺めていた――が、その意識は既に別の場所にあった。


(……この調子だと、あと一日……いえ、二日で全快ですね。しかし――)


 右手をそっと胸元に当てる。


(軍規違反から十日以上。未だ電撃の懲罰はなし。一体なぜ? ……軍に、何かあったのでしょうか)


 胸に埋め込まれた魔石は、魔導人形(アルカドール)の核だ。そして個体の位置情報であり、同時に制裁装置でもある。


 軍規を破った個体には、遠隔から()()()()()を与えられる筈だった。


 現に――それを受けた個体を、四号は一人だけ知っている。


 その顔を思い浮かべた瞬間――


「ふにゃ~」


 奇妙な声に、意識が現実へと引き戻された。


 すぐ目の前に、フィリカが立っていた。顔をひん曲げたまま、こちらを見上げている。


「…………なにか?」

「カゲロウお姉ちゃん、ぜんっぜん笑わないよね」

「我々は戦う為だけに造られた存在。感情はもとより、〝笑う〟などという機能は持ち合わせていません」

「えー? でもカゲロウお姉ちゃん、きれいなんだから笑ってた方が絶対良いのに! ほら、こうやって……!」


 フィリカは両頬を指で引っ張り、ニコーッと笑顔の真似をしてみせる。


 が、四号は一切の表情を動かさずに答えた。


「その動作の有用性が確認できません」

「うー、手厳しいなぁ。ほんとに感情ないの?」

「ありません」

「あっ! 今ちょっとだけ眉が動いた!」

「機能的誤差です」

「……むむぅ」


 突き放すように返すと、フィリカが膨れっ面で俯いたかと思えば――


「いいもんっ! いつか絶対、ぜぇ~~ったい笑顔にしてみせるから~っ!」


 そう叫んで、浅瀬の水面へと駆けて行った。


「……理解不能です。なぜそこまでこだわるのか」


 その疑問に答えたのは、隣にいたロイズだった。


「あの子はさ、自分が〝笑わせる側〟でいたいのさ」


 くぐもった声で、言葉を吐く。


「戦争で両親を亡くしてね。一度、心が壊れちまったのさ。泣いて、喋らなくなって……それでも、周りの笑顔に少しずつ救われていった」

「それが、私になにか関係が?」

「あるさ」


 ロイズは鼻を鳴らし、少しだけ視線を落としてから続けた。


「今度は自分が、誰かの支えになりたいんだろうさ。無表情で、何も感じないアンタに――かつての自分を重ねてるのかもしんないねぇ」

「…………非合理的です」

「だろうね。でもね、人間ってのはそういうもんなのさ」


 ロイズは、しみじみとした声でそう言う。


「誰かに何かをしてやりたいって気持ちがなきゃ、生きていけないヤツもいる。フィリカは――そういう子なんだよ」


 四号は言葉を返さなかった。


 それが共感なのか、ただ沈黙しているだけなのか。心のない自分には判別がつかない


 ただ――


(……あの少女を見ていると、彼女の姿と重なる時がある。兵器として矛盾を抱えた、あの理解し難き仲間を――)



 ◆◇◆



 ――ルミナ。


 〈強襲型カゲロウ三号〉。私の〝姉〟とも呼べる個体だった。


 魔物の魔石と人間の遺伝子を掛け合わせ、カプセル内の培養液と魔法で急成長させる、それが、私達――魔導人形(アルカドール)の造り方。


 寿命は約十年。感情は持たない。 戦い、壊れ、廃棄される。それが当然の〝生命()〟だった。


 しかし、彼女だけは違った。不慮の事故が、全ての始まりだった。


 製造時、施設に落ちた雷でカプセルが破損。成体になる前に〝生まれ落ちた〟彼女は、本来なら即座に処分される筈だった。


 だが、彼女は異常なまでに優秀だった。身体能力、魔力量、戦術判断――いずれも設計を大幅に上回っていた。


 しかし、本当の異常はその先だった。


 ……彼女には、〝心〟があったのだ。


 命令を無視しては、任務中に前線を離脱した事は数知れず。物見遊山と称し、ふらりと他国の村へ現れては、人間と交流を図っていたのだという。


 軍規違反として雷魔法による罰が与えられた際も、彼女は平然と言った。


「三度目は、流石に慣れたよ。ちょっとくすぐったいくらいだもん」


 そう言って笑う表情に、痛みの色はまるでなかった。


 ある日、そんな彼女が私に問い掛けてきた。


「ねぇ、名前って、自分でつけちゃダメなのかな?」


 問い掛けのようでいて、最初から答えなど求めていなかった。


「人間ってさ、泣いたり笑ったり、怒ったりできるんだよね。なんだかスゴく眩しいんだ。色とりどりの光が瞬いてるみたいで――ああ、ボクもそうなりたいなぁって」


 その目には、確かな憧れが宿っていた。


「だから、今日から〝ルミナ〟って名乗る事にするね!」


 魅力という光を放つ人間の如く。


 その名は、兵器としての己を否定するように、彼女自ら掲げた旗印だった。


 その後、待機中に一度だけ彼女に連れられて村へ行った事がある。


 心のない私には理解できなかったが、〈強襲型カゲロウ三号〉は小さな子供達と手をつなぎ、花冠を編んでいた。


 人間の子供が言った。


「お姉ちゃんの髪、ふわふわしてて好きぃ」

「……そ、そう? えへへ、ありがと」


 彼女は照れて、私の方を振り返った。


「どう? 今のボクが兵器に見える?」


 ――まったく意味が分からなかった。


 ……しかし、その光景が今でも頭に焼きついて離れない。


 研究者達は彼女を〝危険な欠陥品〟と断じた。「他の個体に悪影響を与えかねない」と。


 だが、戦果が全てを捻じ伏せた。


 圧倒的な戦闘能力。知略、魔力、判断力――それらは全て、規格を逸脱していた。


 彼女は、非合理の塊だった。


 だから私は、そう切り捨てた。 あれはただの異常で、個体差のバグ。そう考えることで、自らを納得させた。


 ……しかし今、〈強襲型カゲロウ三号〉の笑顔が、フィリカの表情と重なる。


 当時の私は、ただ彼女の異常さだけに目を向け、己の中に芽生えかけた疑問から目を逸らしていたのかもしれない。



 ◆◇◆



 翌日の昼も、フィリカに連れ出されていた。


 澄み切った空気、木々を優しく揺らす風。


 外に出ていると、治癒が加速しているような錯覚を覚える。


 しかし、既に回復は終わりに近かった。回復術式による治癒は完了寸前。これ以上の滞在には――合理的な意味は、もうない。


(……ここに残る必要はありませんね。それはそれとして、完璧を期すのに越した事はないでしょう)


 自分にそう言い聞かせるように、四号は手を引く少女を見下ろす。


 フィリカ。


 その笑顔を見ていると、まるで異物があるかのように、胸の奥がチリッと疼く。


 まさか――この直後、自身の存在意義を揺るがすような出来事が起きるとは、この時は想定すらしていなかった。



「……何やら騒がしいですね」


 村の通りを歩くうち、空気の異変に気付く。


 浮ついた声に、驚きの声が混ざっている。


「なにかあったのかな? おばあちゃんは何も言ってなかったけど……」

「騒ぎの中心は……あそこですね」


 数人の人間が、井戸の周りに集まっていた。フィリカと共に近付く。


 〝井戸端会議〟――人間はそう呼ぶらしい。その中で最も大声を上げていたのは、粗野な風貌の中年男だった。


「――ホントだって! 行商の帰りに、ふと小耳に挟んだんだよ! 魔王が遂に倒されたんだってなっ……!」

「おいおいマジかよ!」

「ああ! なんでも、辛そうに戦う赤髪のアルカリドール? って奴が、相打ちで倒したらしい!」


 その瞬間、世界が一瞬止まったような錯覚に陥った。


 否、錯覚などではない。四号の内部で、何かが切り替わったのだ。


「…………」


 足元がふらつく。


 制御不能な魔力暴走のように、心臓の辺りが微かに痛んだ。


「カゲロウお姉ちゃん? 大丈夫……?」


 何故だか、フィリカの声が遠い。


 いや違う。耳に届いているのに、言葉が意味を成さない。


 気付けば、四号はその男の元に駆け寄っていた。


「……その話は確かですか」

「んあ? さっきも言ったろ。行商の帰りに――グェッ!?」

「カゲロウお姉ちゃん!?」


 襟を掴んだ。反射的に、強く。


 いきなり現れて尋問し始めた四号に、周囲の男女はおろか、フィリカでさえも酷く驚いていた。


「勇者ではなく、赤髪の魔導人形(アルカドール)が、魔王と相打ち。……それは本当ですか?」

「お、俺も人づてに聞いただけなんだよ! 帝国は滅ぼされて、魔王も討たれたってぇっ!」


 そこまで訊き出すと、四号は掴んだ襟元から手を力なく離す。


 男は尻餅をついたまま、怯えたようにこちらを睨んでいる。


「……これまで、ですね」


 小さく呟いて、フィリカの元へ戻る。


「カゲロウ、お姉ちゃん……?」


 フィリカは何かを言いたげだったが、四号はそれを遮るように、静かに告げた。


「……世話になりました」

「……え?」


 その一言と共に、左右脚部の魔術回路に魔力を流し込む。


 回路の紋様が淡く光り出し、靴裏から強風が噴き出す。


(もはや隠れる必要も……迷っている時間もない)


 四号は外套を脱ぎ捨てると、風魔法の反動をそのまま推進力に変え、土煙の中へと走り出した。



 ◆◇◆



 そうして無休で疾走し続ける事、数時間――


 四号は、主戦場であったハラル平原へと足を踏み入れた。


「…………とても静かですね」


 終戦してから数日は経過しているのか、周囲には人ひとり居なかった。


 足元は少しぬかるんでいて、周囲には水溜りが散見している。死体や遺留品がどこにも無いのも、恐らく魔王軍討滅戦に参加していた各国の軍が回収していったからだろう。それでも、この地に染み付いた血の匂いが、風に運ばれて微かに鼻腔をくすぐる。


「他の個体は、どうなったのでしょう……」


 そう言って辺りを見渡しつつも、やはり頭に浮かんでいたのは〈強襲型カゲロウ三号〉の姿だった。


 辛そうに戦う赤髪の魔導人形(アルカドール)といえば、彼女しかいない。


(まだ、彼女には話す事が――)


 鈍色(にびいろ)の空の下、四号は荒れた平原を進み続ける。


「――む?」


 そうして平原のちょうど中心に来たところで、視界にある人物が移り込んできた。


「…………貴方は」

「来たか、待ってたぜ」


 岩の上で腰かけていた人間の男は、四号に気付くなり、岩から飛び降りた。


 その顔には見覚えがある。


 ただの人間ではない。魔導人形(アルカドール)と同等の力を持つとされる、他国の勇者だった。


「確か一度話した事があったな。その長い銀髪……間違いない。()()()()()が言ってたのは、あんたの事だな」

「――――っ」


 会話した記憶は確かにあった。


 しかし、それよりも。


「なぜ、彼女の名を……」


 勇者の口から期せずして飛び出した〈強襲型カゲロウ三号〉の名に、深く気を取られていた。


「共に魔王と戦った戦友なんだ。覚えてなきゃ、失礼ってもんだろう?」


 肩を竦めながら、勇者があっけからんと言う。


 四号は茫然自失としながらも、頭に残っていた言葉は、たった一つだった。


「…………彼女は、〈強襲型カゲロウ三号〉は今、どこに…………」


 〈アビシャル帝国〉の現状を尋ねるよりも先に、その問いが口を突いて出ていた。


「…………」


 縋るような言葉に、それまで軽快に喋っていた勇者が一転して黙り込む。いたたまれないといった様子で、視線を逸らした。


「――――」


 それは静かに、されど雄弁に。


 残酷な現実を物語っていた。


(彼女は、死んだのか…………)


 なぜだろう。また胸が痛む。


 村を飛び出す前と同じ……いや、それ以上の痛みが断続的に、それどころか更に強く胸を打つ。


(怪我はほとんど治った筈……そもそも胸部に怪我などない。ならこの痛みは、一体――)


 そんな四号を見兼ねて、勇者は意を決したように口を開いた。


「実は……ルミナさんから、遺言を預かってる」

「ゆい、ごん……?」

「……彼女が、あんたにだけで遺した言葉だ」


 近くまで歩み寄ってきた勇者はわずかに躊躇うようにして、拳ほどの水晶玉を取り出す。


想晶珠(メモリア・オーブ)、音を閉じ込める魔導具だ。もし自分に何かあったらと、決戦の前夜に渡された」

「……これに〈強襲型カゲロウ三号〉の、最期の言葉が…………」


 差し出された水晶玉を、四号はおそるおそる受け取る。


 無色透明な筈の水晶の中で、赤い光が一瞬揺れた気がした。


「それに魔力を込めれば、彼女が遺した言葉が聞けるだろう」


 勇者が踵を返す。


「…………貴方は聴いたのですか」

「言ったろう? 彼女があんたにだけ遺した言葉だと。そんな野暮な事はしないさ」


 勇者は肩越しにそう言うと、先程腰掛けていた岩場まで戻った。


 そのまま去らないのは、まだなにか用事があるからなのだろう。


 四号は、手の中の水晶玉に魔力を注いだ。僅かに熱を帯びたそれを耳元にかざすと、流れ出す音声に耳を澄ませる。


『――やぁやぁ、元気してる? ボクはチョー元気ぃ!』

「……っ」


 聴こえてきた声は――記憶のままの明るさを保ちながらも、どこか懐かしさを帯びていた。


 まるで、彼女がいま目の前で直接語り掛けてくるかのようだった。


『キミの事だから、どこへ行っても「非合理的ですね」とか言ってるんだろうね~。……ほんと、いつもすぐツッコんできて、内心グサーッとくる事もあったんだよ?』


 からかうような声色に、その際の記憶が思い起こされる。


 それでも、水晶玉から聴こえる声は次第にトーンを落としていった。


『……だけど、もうそうやって話せなくなるかもしれないから。この遺言を残す事にするね』


 一陣の風が吹く。


 周囲の温度が変わった気がする。


『実は明日、魔王と直接対決する事になってね。どうやら、ボク達を造った後方待機面のバカ共が、連合軍の上層部に無理を通したらしくてさ……』


 聴こえてくる声に、あからさまな苛立ちが入り混じる。


『まったく……現場の恐さも知らないで、よくそんな事言えるよね。こっちは命懸けだってのにさ……!』


 嚙みつくような語気。それすらも、彼女らしかった。


 姿は見えずとも、コロコロと表情を変える顔が目に浮かぶ。


 四号の唇が、ほんの僅かに緩んだ。


『……っと、流石に「前置きが長いです」とか思ってる頃かな。そろそろ本題に入るよ――』


 不意に、胸の奥が軋んだ。


 動揺はない。しかし、その考えに反して鼓動は高まる一方だった。


『いつか話した〝世界の果てを見に行きたい〟って夢――覚えてるかな。戦争が終わったら一緒に行こうって言ってたやつ』


 そっと寄り添うように、その声が一段と優しくなる。


『……もし、ボクが帰ってこれなかったら、その夢、キミに託したいんだ。ボクの代わりに、世界を見てきてほしい』

(それは――)


 想定の範囲を、遥かに超えていた。


 彼女の性格ならば、何があっても生き延びて願いを叶える筈――という信頼にも似た確信。


『本当は戦いたくなんかないし、死ぬのはもっとイヤだ。生きて世界中を旅したいし。……でも、魔王は強い。キミなら分かるよね。何度も戦って、知ってる筈だから』


 そんな確信すら、崩れ落ちようとしていた。


『奴等が〝軍最強〟と称するキミなら、勝てるかもしれない。でもボクは――良くて相打ち。最悪、死ぬと思う。だから……』

「……違います。私より、心を持つ貴女のほうが……」


 水晶を握る手に自然と力が入った。


 その言葉の意味も、なぜ口から漏れたのかも解らない。


 ただ、どこか深い場所から零れたものだった。


『――完全無欠で、冷徹な兵器。キミはそういう存在として重宝されてきた。だけどね――ボクは、そんな完璧なキミに、ほんの少しの〝綻び〟が生まれたら良いなって……思ってたんだ』


 ほんの僅かな沈黙が流れる。


 自分の心臓の鼓動さえ、大きく聴こえた。


『感情なんて兵器には要らないって、奴等は言うけどさ。でももし、キミに心が芽生えて。何かを好きだって思える日が来たら……それって、スゴく素敵な事じゃないかなって』


 その言葉には、笑いがあった。悲しみも、優しさも、すべてが滲んでいた。


『だからその瞬間の為に、この名前を贈るよ……』


 漏れる小さな吐息。


 僅かな溜めの後、彼女は静かに告げた。


『――〝フラクタ〟。合理的なキミに、感情という〝欠陥〟が芽生える事を願って――――』



 ◆◇◆



「――――」


 四号は、呆然とその場に立ち尽くしていた。


 手にしていた水晶玉は、指先から滑り落ちそうな程に力なく握られている。呼吸が荒くなっていることにも気付かぬまま、両の頬に――なにか温かいものが(つた)っていた。


「……遺言は、聴けたようだな」


 遺言の再生が終わったと察したのか、勇者が近付いてくる。


 そして、彼我の距離があと数歩分となった時。


「っ――!? あんた、それ……!」


 立ち止まった勇者が、目を大きく見開いた。


「…………なにか?」


 四号はようやく勇者の姿を捉える。


 その視線はもっぱら、こちらの顔に寄せられていた。


「あ、あんた……気付いてないのか?」

「……要領を得ませんね。私になにか異常でも?」

「い、いや……そうじゃない。気にしないでくれ」


 勇者は軽く首を振り、誤魔化すように表情を整えた。


「それより、これからどうするつもりだ?」

「未定です。ただ……〈アビシャル帝国〉は、もう存在しないのでしょうか」


 今更ながらに湧き出た疑問。


 それを口にすると、勇者は間髪入れずに頷いた。


「ああ。決戦前、魔王が放った爆裂魔法で全部消し飛んだ。あんたたち魔導人形(アルカドール)を造ってた施設もろとも、な。俺の知る限りじゃ、生き残ったのはあんただけだ」

「……そうですか」


 軽く息を吐く。


 祖国は滅び、創造主たる研究者たちも逝った。残された使命もない。


 にもかかわらず、だ。


 ――先程のような、胸のざわめきは一切ない。まるで氷上に吹く風が、何一つ引っ掛からずに通り過ぎていくかのようだった。


「だが結果的には、それで魔王は全力を出せず、ルミナさんに敗れたんだ。皮肉な話だよな」


 勇者は肩をすくめて、苦笑する。


 しかし、こちらの視線に気付いたのか、すぐに真顔に戻った。


「悪い。不謹慎だったな」

「いえ、そのような事は……」


 だが、それが何に向けた言葉だったのか、四号自身にも解らなかった。


 ただ、確かに理解していたのは。


 ――殲滅対象は死に、尽くすべき国も滅んだ。彼女も、もう居ない。


(私は……存在意義を失ったのですね)


 曇天に目をやる。


 もはや魔導人形(アルカドール)としての価値はない。暗闇を照らす松明を失った、ただの空っぽな兵器だ。


「……話が逸れたな。もしあんたが望むなら、ルミナさんの墓に案内する。気持ちの整理も――」

「必要ありません」


 即答だった。


 勇者はぎょっとしたように目を見開く。


「…………良いのか? あんたには、今――」

「私は人間とは違います。兵器に――整理すべき感情など存在しません」


 そう言いながら、四号は無意識に水晶玉を握り直していた。


「………………そうか」


 勇者は一拍、沈黙したのちに。


「俺には、とてもそうは見えないけどな」


 逆に、鋭い眼差しを返してきた。


「何が言いたいのですか」


 こちらの問い掛けには答えず。


 勇者は身を翻し、背を向ける。


「俺はもう行くよ。またどこかで会えたら、その時は――ルミナさんの話をしよう」


 そのまま、こちらを振り返る事なく去っていった。


 残されたのは、沈黙と、微かな風の音。


「……兵器に対し妄言を吐くとは。まったく、理解不能です」


 ぽつりと、呟く。


 だがその声が、どこか震えていた事に――四号自身は、気付いていなかった。



 ◆◇◆



 それから、どれほどの時間が過ぎたのか。


 帰るべき国も、与えられた使命も失った四号は、気付けば村の路地に立っていた。


 辺りは暗く、家屋の隙間から生活の光が漏れている。


(……なぜ、ここに?)


 答えは出ない。ただ立ち尽くしていると、足音が近付いてきた。


「…………カゲロウお姉ちゃん?」


 おずおずと話し掛けてきたのは、金髪三つ編みの少女――フィリカ。


 その顔には驚きと僅かな安堵が浮かんでいた。


「今までどこ行ってたの……? わたし、心配してたんだよ?」


 上目遣いにそう言って、フィリカがそっと擦り寄ってくる。


 無言で応じると、フィリカは何か察したのか、一瞬だけ俯き――すぐに笑顔を浮かべた。


「……ま、良っか。戻ってきてくれただけで、わたしは満足だから……! ほら、うちに帰ろっ」

「…………はい」


 フィリカに腕を引かれるまま、四号は特に抵抗もせず足を踏み出した。


 家屋の玄関をくぐると、皺だらけの老婆の顔が出迎える。


「……なんだい、帰ってきちまったのか」


 ロイズだった。不機嫌な態度を隠しもしない。


「もう、おばあちゃん! カゲロウお姉ちゃんは疲れてるんだよ? そんな言い方しないでよ……!」

「勝手に出てったんだ。これくらいは言わせてもらうよ」


 ロイズはぶっきらぼうに吐き捨てながらも、こちらを肩越しに一瞥(いちべつ)し――


「部屋はそのままにしてある。フィリカがどうしてもって言うもんだからね。さっさと寝な」


 こちらの事情も訊かずに、奥へ引っ込んでいった。


「もう、嬉しいくせに。おばあちゃん、素直じゃないんだから」


 フィリカが微笑みながら呟いた。


 それは的外れな発言だったが、否定する気にもなれなかった。


 四号は、ただ無言でかつての部屋へ向かう。


 扉に手を掛けたその時、不意に戦闘服の袖が惹かれた。


「……ねぇ、今日は一緒に寝ちゃ、だめ?」


 こちらの態度から何か察したのだろう。


 フィリカが寄り添うような眼差しを向けてくる。


「お断りします」


 しかし今は、お願いを聞くよりも考え事を優先する事に。


 袖を掴む手をそっと払いのけると、フィリカを扉の外に閉め出す。


 駄々をこねてくる事も予期していたが、しばらくして足音が遠ざかっていった。


(…………これから、私はどうすればいい)


 命令はない。任務も、目的も何もかも失った。


 思考が虚空を彷徨う。


 敵と戦い続ける為に、魔導人形(アルカドール)に睡眠は不要。


 ――その筈だった。


 しかし、ベッドに横になった瞬間、異変があった。


 胸の奥が重く、肉体が軋むような違和感。指先の力が抜け、目蓋が抗えぬほど重くなる。


(……ルミ……ナ)


 どこかが壊れているのかもしれない。


 だが、その答えを知る前に、意識は闇に沈んだ。



 ◆◇◆



 身体の自由が、まるで効かない。水上に浮かぶように意識が揺蕩(たゆた)っている。


 こんな捉えどころのない感覚は生ま(造ら)れて初めてだった。


 ――これが記憶の整理現象……夢を見るという事なのか。


 見える景色が徐々に明確になっていく。


 この光景は、そう……〈強襲型カゲロウ三号〉――ルミナが〝世界の果てを見たい〟と語った時の夢だ。


 ある日、彼女は忽然(こつぜん)と姿を消した。一週間以上も、軍を脱走したのだ。


 しばらくして戻ってきた時、研究者たちは当然の如く罰を与えた。しかし彼女は、痛みに呻くどころか、逆に目を輝かせていた。


「――スッッゴく面白いね! 海って!!」

「…………戦線から二週間近く離脱してまで得た答えがそれですか」


 唐突な感想に、私は目を合わせずに返した。


「その甲斐があったよ……! 見上げた空はどこまでも高くて、太陽は眩しくてさ。足元には果てしなく広がる青い海。波がきらきら光ってて、塩の匂いを風が運んでくるんだ。しょっぱくて、ちょっとくすぐったくて、でもスッゴく……生きてるって感じがした!」

「…………そうですか」


 彼女がどうしてそこまで感動しているのか、想像も理解も出来なかった。


 けれど、彼女のその熱量――心を突き動かすものの正体が、脳裏にこびりついて離れなかった。


「あの水平線の向こうには、いったい何があるんだろうね……! 綺麗な所かな? それとも地獄みたいな場所なのかなっ?」


 想像に期待を膨らませる彼女の横顔は、兵器にあるまじき輝きを放っていて。


「ねっ、もし戦争が終わって、二人とも生き残れたら……ここを抜け出して旅に出ようよっ! 世界の果てを、一緒に見に行こう!」


 その瞬間の彼女は、まるで〝自由〟をそのまま(かたど)った存在のようだった。


 しかし、私は――


「……命令には逆らえません」


 軍に、創造主の意に背くようには造られていない。


「大丈夫、ボクがなんとかするよ! 命令に縛られるだけの人生なんて、つまんないじゃん!」


 めげる事なく、笑って手を引いてきた彼女の手は温かかった。


 ――だが。


「やはりお断りします」


 私は、帝国の敵を滅ぼすため造られた兵器。


 どこまでいっても、彼女の自由を妨げる足枷にしかならない。


「……………………そっか。残念だな」


 微かな呟き。その目尻が、ほんの僅かに落ちる。


 その変化の意味が、当時の私には解らなかった。


「――なぜ、私なのですか?」


 だから、問い掛けた。


「なぜ、私にばかり……話し掛けてくるのですか」


 自分の内に巣くう、名もなき疑問を突き止める為に。


「ん~……そうだなぁ」


 彼女は顎に手を当てて考え込む。


 そしてふと、少しだけ寂しげな笑みを浮かべた。


「他の子たちはさ、ボクの話を聞いても、なんの反応もくれなかった。でも、キミは……ちょっとだけでも、考えてくれたでしょ? それがスゴく、嬉しかったんだ」


 その時の表情が、どうしてか記憶に深く焼き付いたまま消えない。


 そして、彼女がこの世を去った今――ようやく理解する。


 なぜ、私にだけ遺言を遺したのかを。


 あの日、彼女の手を取るという選択肢が、確かに存在していたのだ――



 ◆◇◆



 目を覚ました瞬間、胸の奥に圧迫感が残っていた。枕元の布が、かすかに濡れている。


 彼女――ルミナは死んだ。それは確かに事実だった。


 しかし、四号は悲しいとすら思わなかった。


 感情という機能(バグ)は、本来魔導人形(アルカドール)に備わっていないのだから。


 ――けれど。


(生き残るべきだったのは、やはり彼女だった。感情も、目的もない私ではなく)


 静かに身体を起こし、ベッドの縁に腰掛ける。


(……今はまだ、ここで過ごすしかない。答えが出るまでは)


 そうして一息吐いた、その時だった。


「……?」


 床に触れた足先に、わずかな熱が伝わる


 それは床だけではない。部屋全体が、どこかじっとりと暑い。


 鼻をかすめたのは、焦げた木材の匂い。耳を澄ませば、微かに人の悲鳴が聴こえてくる。


(……まさか、火災?)


 状況を確かめるべく、四号は扉へ向かった。


 取っ手に手を掛ける。熱が伝わるが、構わず開け放つ。


 玄関を通って外へ出た瞬間、視界を埋め尽くしたのは――真紅の世界だった。


「これは……」


 村が燃えていた。


 辺りの家屋が次々と炎に包まれ、フィリカの家も飛び火している。空は黒煙に覆われて上手く見えず、火勢は風を煽られて村はずれの森にまで広がり、全てを飲み込もうとしていた。


「なぜ、このような事態に……」


 灼熱の空気が、遅れて喉や皮膚を焼き始める。


 周囲に村人の姿はどこにもない。


 その時、低く怒鳴る声が、井戸のある方向から聞こえた。


「早く吐けッ、下等生物どもがっ!!」

(今の声は……)


 四号は足音を殺して火の回りの少ない小屋まで移動し、柱の陰からそっと顔を覗かせた。


「隠れても無駄だ! ここに居る事は分かっている!!」


 井戸の前に立っていたのは、()()()()外見の男だった。


 しかし、村人ではない。――ましてや、人間ですらなかった。


 褐色の肌、細長い耳。そして側頭部から生えた羊のような角。


 派手な黄金の鎧に、蒼く長い髪。


 正真正銘、魔族だった。


(……魔王軍。生き残りが居たのですか)


 その背後には、部下と思しき魔族たちが整列し、村人たちを囲んでいる。


 数十名が、地面に膝をついていた。その中には、フィリカとロイズの姿もある。


(敗走した筈の魔王軍が、なぜここに……?)


 その疑問に答えるように、蒼髪の魔族が怒鳴る


「魔王様を倒した魔導人形(アルカドール)の仲間は今どこにいる!!」


 四号の視線が鋭くなる。どうやら、自分を探しているようだ。


魔導人形(アルカドール)? 知らないねぇ、そんなヤツ」


 恐れ知らずなのか、ロイズが肩を竦めて吐き捨てる。


 その反抗に、蒼髪の男はニヤリと笑う。


「嘘を吐くと為にならないぞ。コイツのようにな――おい!」


 蒼髪の男が顎をしゃくる。


 そうして、後ろの女魔族が引き摺ってきたのは、ボロボロになった行商人。


 ルミナの訃報を知るキッカケとなった男だ。


「酔って愚痴を漏らしていたところを、たまたま拾ってな。最初は渋っていたが、苦痛を与えればペラペラと喋ったぞ。銀髪の魔導人形(アルカドール)に脅されたとな」


 数人の村人たちが息を飲み、視線をフィリカに向ける。


「え、な、なに……? わたし、何も知らないよ……!?」

「クククク、そうかそうか。オマエが知っているって事だな」


 蒼髪の男がフィリカに歩み寄ると、ロイズを除いた他の村人は蜘蛛の子を散らすように逃げた。


「なぁガキ、銀髪のヤツは今どこにいる?」

「……し、知らないもん! 帰って!!」


 気丈に返すフィリカ。だが、その身体は酷く震えていた。


「帰る? ふざけるなっ!!」

「あぅっ!?」


 怒声と共に、蒼髪の男はフィリカの襟を乱暴に掴み上げる。


「フィリカに何するんだいっ! その手を離しなっ!!」

「老いぼれは引っ込んでいろっ!!」


 ロイズが飛び掛かるが、やはり老人。蒼髪の男に呆気なく蹴り飛ばされ、地面を転がった。


「おばあちゃんっ!!」

「魔王様がいなくなって、オレは……オレはッ、居場所を失ったんだ……ッ!」


 顔を歪ませ、狂気の表情で叫ぶ蒼髪の男。


「だからっ……魔王様を殺したヤツと、その仲間はァッ――全員殺すッ!!」

「か、っは……ッ」


 フィリカの襟が締め上げられ、荒い息が漏れる。


「さぁ、言え! 銀髪の魔導人形(アルカドール)はどこにいる!!」

「っ……し、知らないっっ」


 息も絶え絶えに、フィリカはそれでも四号の居場所を口にはしなかった、


 蒼髪の男は溜息混じりに襟を離し、静かに剣を抜く。


「そうか……なら、死ぬしかないな」

「ひっ――!?」


 刃がフィリカの首にあてがわれる。


 その光景を、四号は――ただただ黙って見ていた。


 フィリカは自分の命を救ってくれた恩人だ。


 だが、それだけだ。〈アビシャル帝国〉は既に滅び、命令を下す者もいない。今の四号に、動く理由など存在しなかった。


「い、いやっ……死にたくないよぉっ……!!」


 震える声で、フィリカが叫ぶ。


 その姿が、またもやルミナの表情と重なる。


「まだ、やりたい事があるの! お願い、殺さないで……!」


 泣きながら懇願しながらも、フィリカの瞳は村はずれの森に向いていた。


(……彼女なら、どうしただろう)


 四号の脳裏に浮かんだのは、〈強襲型カゲロウ三号〉――ルミナ。


 戦って死ぬ為に造られながら、誰よりも死を恐れ、生きる事を強く望んでいた。


(ルミナなら……迷わず助けに行った筈)


 研究者たちは、彼女を〝欠陥品〟と呼んだ。


 兵器でありながら、誰よりも人間らしくあろうとした。


 四号の拳が震える。奥歯が軋み、胸の奥で、ざらついた熱が疼く。


(……でも私は、ルミナにはなれない)


 それでも、四号は踵を返す。


 だが、その時――


「カゲロウお姉ちゃんっ、助けてぇぇぇぇぇぇっ!!!!」


 叫びは、言葉ではなかった。本能からの、魂の叫びだった。


「っ!!!!」


 その瞬間――四号の身体は、忽然と掻き消えた。


 雷鳴のような走りが、炎の中に軌跡を描き――


「グアアアアアアアアッ!!?」


 蒼髪の男の右腕が、炎のなか宙を舞った。


 切断された右腕が地面を転がり、蒼髪の男が絶叫する。


「が……あ、ああああっ……!」


 地に膝をつき、血塗れの断面を抑えながらのたうち回る。剣は既に手から滑り落ち、戦意は見る影もない。


 その男の前に、四号は姿を現した。フィリカを左腕で抱え、右手の先には真空の刃が伸びている。


「お姉ちゃんっ!」


 傍らで、フィリカの歓喜の声が上がる。


 その最中、苦悶の表情を浮かべる蒼髪の男は尚も四号を睨みつけ、歯を剥く。


「オマエかッ……魔王様を殺した、魔導人形(アルカドール)の仲間は……!!」

「……ええ。貴方たちの目的は、私なのでしょう。彼女に手を出さないでください」


 静かに言いながら、四号はフィリカをロイズのもとへと預ける。


 すると、蒼髪の男の瞳が憎悪に燃え上がった。


「そうか、なら——死に物狂いで守ってみせろ! オマエたち、やれ!」


 その咆哮を合図に、魔族の残党たちが一斉に剣を抜き、四号を取り囲んだ。


 だが、四号は微動だにしない。


 左手を高く掲げると、前腕部に刻まれた魔術回路が青白い光を灯した。


 その手の平に浮かび上がったのは、拳の十倍近くある巨大な水球。それが破裂すると、村と周辺の森へと伸びていた火の手が、瞬く間に全て鎮火した。


「なっ……」


 フィリカも、ロイズも、村人たちも呆然とする。


 直後、魔法行使の隙を突いて、数名の魔族が斬りかかってくる。


 四号は一瞬で行動を起こした。


 両脚部の魔術回路に魔力を注ぎ込み、風魔法で跳躍。同様に、左右の手の甲から真空の刃を形成し、斬撃の連鎖で敵を瞬時に沈める。


 その最中、視界の左後方で魔法詠唱に入った魔族を見つけると、四号は真空刃を解除。突き出した両手の魔術回路に魔力を集束させる。


「【絶波衝弾ディフュージョン・ブラスター】」


 炎と氷——相反するエネルギーが両掌に収束し、破壊の砲撃を化す。放たれた一撃は地面を扇状に大きく抉り、詠唱者を消し飛ばし、背後の家屋をもろとも吹き飛ばした。


「な、なんだあれ……」


 誰かが呟く。


 戦慄、沈黙、驚愕。


 その全てを背に、四号は尚も冷徹に戦場を闊歩する。


 その時だった。


 ロイズとフィリカを狙って、蒼髪の男が火炎球を放った。


「っ――!!」


 咄嗟に動いた四号の身体が、二人の前に踊り出る。


 轟く激しい爆発音。


 次第に煙が晴れていく中、フィリカが悲鳴を上げる。


「カ、カゲロウお姉ちゃんっ!!?」

「アンタ、あたしらを守って……っ!?」


 四号の左半身は焼かれ、その膝は地についていた。


「この程度……さしたる問題ではありません」


 痛みに悶える様子も見せず、平然と告げる四号。その右上腕と腹部に刻まれた魔術回路の光は、警告のように淡く脈打っていた。


「や、やったぞ……!」


 蒼髪の男が大いに笑う。


 部下を半分も失ったが、彼の目には勝機が見えたのだ。


「もう動けまい……オマエたち、ヤツにトドメを刺せ!」


 だが、その刹那——


「見くびられたものですね」

「なにっ!?」


 四号の姿が掻き消えた。


 烈風の如く戦場を駆け、残存する魔族を次々と斬り伏せる。真空の刃が肉を裂き、血を咲かせ、僅か数秒で敵は全滅した。


「なっ、なぜだ……! あんな大怪我を負って、なぜまだ動けるっ……!?」


 蒼髪の男の顔に、果てしない恐怖が浮かぶ。


 四号は、淡々と語った。


「魔王軍の一員なら知っている筈ですが……私たち魔導人形(アルカドール)は、痛覚を極限まで鈍らせて設計されています。故に、瞬時に魔法を展開できる技術を――激痛が伴う〝魔術回路〟という禁忌を、全身に刻めたのです」

「そ、そんな馬鹿な……!」


 周囲の村人たちも、四号の異質さに沈黙する。フィリカですら、息を呑んで立ち尽くしていた。


 四号は、蒼髪の男へと歩み寄る。


「ま、待てっ――!」

「なんでしょう」

「オマエの力、実に気に入った! オレと共に来い。このナナルクスと、新生魔王軍を立ち上げるのだ! そうすれば、オマエには最高司令官の席をやろう!」


 ヘラヘラと笑いながら、蒼髪の男――ナナルクスは後ずさる。


 残された左手を、背中に隠したまま。


 四号は無言で真空刃の出力を上げた。更に一歩、また一歩と距離を詰める。


 そうして彼我の間が半歩分に迫った瞬間――


「くっ……!! せめて、奴らを道連れに――!!」


 ナナルクスの左手がフィリカたちに向いた瞬間——真空の刃が、二度閃いた。


 伸びた左腕が右腕と同様宙を舞い、次いで全身が下から真っ直ぐに裂ける。


「ぁ……が、ぁっ……?!!」


 男の断末魔の声と共に、鮮血が噴水の如く噴き上がった。


 その赤は、四号の白い頬を染め上げる。


 動じる事なく、四号はフィリカの方へ向かう。


「……怪我は、ありませんか?」


 そしてその言葉に、フィリカは「ひっ……!」と声を上げて尻もちをついた。


「…………」


 なぜ、怯えられたのか。四号には解らなかった。


 やがて、村のあちこちから声が漏れ始める。


「化け物だわ……」

「ロイズ婆とフィリカちゃんが受け入れなければ、今頃こんなことには……」

「あいつのせいよ、全部」


 誰一人、感謝の言葉は口にしなかった。


「…………っ、ちょっと……みんなっ――」


 フィリカが言葉に詰まり、ようやく怒りを見せた後、四号は静かに首を振る。


「私が脅したのです。あの少女と老婆を責めるのは、あまりに筋違いでは?」

「え…………」


 それだけ口にすると、四号は踵を返し、歩き出した。


「ぁっ…………」


 戸惑うフィリカの傍を通り抜け、ロイズと肩が並ぶ。


「…………ありがとう」


 俯き震えながら、ロイズが小さく呟く。


 四号は無言を貫き、そのまま近くの川沿いへと足を運んだ。


(やはり……私は、関わるべきではなかった)



 ◆◇◆



 ぼんやりとかげる青い水面。


 そこに映る血濡れの顔を眺めては、四号は首を傾げた。


(怖がられた、という事でしょうか……)


 何も結論が出せないまま、川の水で顔の汚れを洗い流す。


(答えが出るまで世話になるつもりでしたが、もはやそれも不可能……さて、どうするべきか)


 歪んで映る自らの顔を最後に、四号が顔を上げると――


「カゲロウお姉ちゃぁ~~~~んっ!!」

「……フィリカ?」


 村のある方角から、フィリカが手を振りながら走る姿が見えた。


 時々こけそうになりながらも元気よく駆け、やがて目の前で立ち止まる。


「お、お姉ちゃんっ…………待ってっ」


 肩で息をしながら、フィリカはなんとか言葉を絞り出し――


「さっきはっ……怖がっちゃって、ごめんなさいっ!」


 申し訳なさそうに、頭を下げてきた。


 少しして顔を上げる。目尻には、小さな水滴が浮かんでいた。


「カゲロウお姉ちゃんは、わたしたちの命の恩人なのに……っ、わたしもっ……村のみんなもっ、酷いこと、しちゃったっ……ごめん、ごめんなさいっ」


 顔を真っ赤に腫らし、嗚咽(おえつ)を漏らしながらボロボロと涙を零すフィリカ。


 その震える肩に、四号は優しく手を置く。


「気にする事はありません。他者の命を奪う兵器、それが本来の私なのです。戦争で両親を失った貴方が忌避するのは、当然の帰結です」


 慰める言葉のようで、淡々と事実だけを述べる四号。


 なぜ、これほどまでにフィリカへ言葉を掛けるのか。なぜ先程、フィリカとロイズを庇ったのか。


 その理由が解りかけてきた。


「それでは」


 しかし、それでも四号はフィリカから手を離した。


 自分が居れば、また争いを生みかねない。先の魔王軍の残党が良い例だ。お互いの為にも、今度は関わるべきではないのだ。


 泣きじゃくるフィリカを置いて歩き出す。


 ――その時、衣服として体裁を保っていなかった戦闘服の袖が、強く引かれた。


「待って……っ」


 その声に振り返る。


 やはりフィリカだった。しかし、先程までと違うのはその眼差し――真っすぐ過ぎるほど揺るぎない光が宿っていた。


「ついて来てほしい場所があるの……!」


 フィリカはこちらの返答も聞かずに、袖を引いて歩き出した。四号もそれに続く。


 村に戻る様子なく、以前見に行った湖の方向ですらない。付近にある焼け焦げた獣道を、フィリカに連れられて突き進んでいく。


 やがて視界が開ける。


「っ……」


 突然吹いた風と眩しい陽の光に、思わず手で目を覆う。


 手を下ろした次の瞬間――四号の視界には、未だかつて見た事のない景色が広がっていた。


「ここは……」


 見渡す限り一面の花畑。


 青空の下で、先程起きた戦闘がまるで嘘のように、色とりどりの花を咲かせている。妙に鼻につく香りは、顔の強張りを不思議と奪っていくようだった。


「カゲロウお姉ちゃんに、この花畑を見せたかったの。私の大好きな場所。お姉ちゃんが来てくれなかったら、全部燃えてたかもしれない」


 言われて、四号は気付く。


 この場所は、村とそう離れていない。戦闘活動に支障が出るという理由で水魔法を使わなければ、火の手はここにまで及んでいただろう。


 この形容し難い、何故か目が離せそうもない花畑に――


「……どう、かな?」


 こちらの反応を窺うように、もじもじとフィリカが指を突き合わせる。


 四号は肩を竦めて、


「…………どうと言われましても。ただ、花が咲いているだけではないですか。これと言って目を見張る点が確認できません」


 淡々と、頭に浮かぶ言葉を羅列していく。


 その一方で――


「本当に何の変哲もない……ただの、風景で……」


 目に映る花畑の景色が、ぐにゃりと歪み始めていた。


「…………あ、れ……?」


 視界情報の故障ではない。


 目を拭えば、視界は回復する。しかし、またすぐ世界が〝なにか〟に溺れていく。


「これ、は……私の目から湧き出るこれは、いったい……」


 胸が締め付けられるような感覚。


 しかしなぜか、心地良いとさえ感じる不思議な感覚でもあった。


『――ここを抜け出して旅に出ようよっ! 世界の果てを、一緒に見に行こう!』


 不意に、ルミナの声が脳裏を過ぎる。


 気付けば正面に立っていたフィリカが、こちらの手を笑顔で握っていた。


「カゲロウお姉ちゃんにもあったね――人間(わたし)と同じ感情が」

「…………え」


 この子は何を言っているのだろう。


 兵器に感情など必要ない。初めから心を持たないよう造られたのが魔導人形(アルカドール)なのに。


「それはね、〝涙〟っていうんだよ」

「なみ、だ……?」

「うん。嬉しい時や悲しい時……綺麗なものを見て、胸がこう……ポワポワ~ってした時にも出るんだ」


 くしゃりと表情を崩すフィリカのその言葉が、不思議なほどにしっくりときた。


 今、この身に起きている変化そのものだったのだ。


 そう自覚するや否や、涙が更に溢れ出した。初めての涙だからか、全くもって止まらない。なんと不便なものなのだろう。


(――いや、本当は初めてじゃない。ルミナを失った時も、私は…………)


 四号は、自分が内側から壊れていくような感覚を覚えていた。


「これが、感情…………何かを美しいと思う気持ち…………」


 壊れた先から新しい何かに置き換わるような、未だ体験した事のない現象。


 そうして四号は――否。


「ルミナは、私にこうなって欲しかったのですね…………フラクターー〝感情という欠陥〟を持った存在に」


 フラクタは、ようやく〝感情〟というものを理解した。


「フィリカ」

「ふふっ……なあに?」

「私には姉と呼べる存在がいたんです……聴いてくれませんか? この名前をくれた、()()()()の話を……」


 生まれて初めての〝笑み〟を、その鉄仮面のような硬い顔に浮かべながら。


 ◆◇◆



 ふと、フラクタは考える。


 もし、この身に罪があるのだとしたら。


 それがあの日、彼女の手を取らなかった事に由来するのなら――何を以って、その罪を(あがな)えるだろう。


(――答えは決まっている。ルミナの代わりに、あの夢を追う事。世界の果てを見に行く事だ)


 ならば世界の果ては、どんな所なのだろう。


 あの花畑以上に美しく、安らぎに満ちた場所だろうか。それとも、戦場の延長のような、荒んだ大地が広がっているのだろうか。


(――どちらでもいい。この目で見て、感じたものを……ルミナ、貴女に伝える。それだけでいい)


 それが、自分だけが生き残ってしまった意味なのだとしたら――それが、せめてもの罪滅ぼしになるのなら。


「……ルミナ。私、生きてみます。貴女の分まで。見たかった世界を、この目と心に刻みつけてみせる」


 そう口にした時、風が頬を撫でた。


 暖かく、どこか懐かしい。まるで、彼女の小さな手がそっと触れたかのような感覚に、思わず目を細める。


 空は青く澄み渡り、遠く雲が流れていく。


 破れた戦闘服の袖がはためき、その音が静かな丘に響いた。


 足元の草が揺れる。土の匂いが、初めて訪れる土地のように新鮮だった。


 一歩。


 そして、また一歩。


 確かに地を踏み締めながら、フラクタは歩き出す。 


 その歩みの先には、まだ誰も知らない〝果て〟がある。


 だがフラクタは、なにも恐れなかった。その(こころ)に、温かな夢を灯していたから。


 ふわりとした感触が、全身を包み込む。


 その背を押す風はどこまでも優しかった。



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