007 【 一路王都へ 】
第三王女が王都へ帰ってから一か月後、ルースはいよいよ王立学院へ入学するべく王都へと旅立つことになった。
王都への転居届や学院への入学願書など、諸々の煩雑な手続きなどはルースに代わり、兄のロイドが全てやってくれた。
〈下種な家族に囲まれながら、あのように真っ当に育つとは……トカゲがドラゴンを生んだといったところかのぉ〉
悪口なのか誉め言葉なのか、微妙に判別がつかない台詞が脳裏に木霊する。
(ドラゴン云々はともかく、ロイド兄さんには足を向けて寝られないよね、生活費の件も含め)
これはつい最近になって判明したことなのだが、ルースが屋敷を追い出された際、ルースの身柄をローナ預けるように掛け合ってくれたのが他ならぬロイドなんだと知れた。それに加え、生活費の件も同じくロイドが手筈を整えてくれていたとのことである。
それが知れたのは先日屋敷に訪れた際に次元魔法で偶然耳にしたメイドたちの会話からだ。
それとなく生活費を届けてくれていたメイドに確認したところそれが事実なのだと判明した。ただ、彼女はロイドに 「くれぐれも秘密にするように」 と言われていたようなので、直接礼を言うのは止めておいた。
何かあった時には全力でロイド兄さんの力になることで恩返しをしよう。
〈くくっ、恩には恩を、裏切りには報復を以って返す……我がそういうのは大好物じゃぞ? 確か、お主の世界の言葉で 『目には目を歯には歯を』 じゃったかのぉ?〉
(微妙に使い方が違うんだけどね……それにクロが言うと一抹の不安を感じるんだけど、気のせいかな?)
報復という言葉に妙に力が込められていた気がしてならない。
「どうしたんだい、ルース……さっきから表情がコロコロ変わっているようだけど……何か心配事でもあるのかい?」
窓の外へ向けていた視線を戻すと、対面の座席に座るロイドがこちらを心配そうに見つめていた。 「なんでもないよ、ロイド兄さん……魔導列車に初めて乗ったから緊張してるだけだよ」
ルースとロイドが居るのは魔導列車の客車、それも貴族専用の一等客室だ。
話には聞いていたが乗るのも見るのもこれが初めてのことだ。
となりの従者用の客室には護衛の騎士とロイド専属の侍女と下男が詰めている。
「ふふふっ、私も初めて魔導列車に乗った時はとても緊張したよ。しかも、とんでもない速さで走るからね、窓の外を流れる景色を見たときは腰を抜かしそうになったよ」
さもらん、魔導列車の平均速度はおよそ60km/h、馬車の平均速度が15km/h位で、馬単騎なら30km/hといったところなので、それを超えた速度で走る魔導列車はこの世界にしてみれば驚異的な速度であろう。
「といっても、魔導列車が開通したのは二年前、私が大学に入った次の年のことだらから、私もそれほど多く乗っているわけじゃないけどね」
肩を竦めてみせてからロイドが続ける。
「列車には食堂車もあるからね、食事をしながら眺める景色を楽しみにしているといいよ」
前世の記憶があるルースにしてみれば、列車の旅も列車その物も然程興味を惹かれることはない。
だがしかし、それが魔導技術による物とするならば話は別だ。
実を言うと、先ほどから次元魔法を駆使して列車を隅から隅まで探査している最中なのである。
(へぇ、これはこれは……人の発明が行き着く先って存外似通うものなんだなぁ……科学と魔法のコラボって感じかな)
基本的な仕組みや理論は蒸気機関車そのものだ。
石炭の代わりに魔鉱石を使い、火系の魔法式で水を温め、約1700倍に膨張する蒸気の力をピストン、カム、車軸へ伝え回転運動へと変換している、まさに前世で言うところの科学技術だ。
(そこかしこに魔法式を組み込んでいるようだけど、科学の理論をメインにしているのはコスパを考えてのことなのかな?)
魔法の力を直接運動エネルギーにせず、気化による膨張という自然現象を介しているところに少々非効率感を覚える。
魔導技術のみでも新幹線並みの速度が出る乗り物を作れそうな気がするが、そこはそれ新幹線のような速度を出す必要があるのならともかく、時速60km程度で良いなら蒸気機関で十分だ。
きっと必要コストとパフォーマンスを測りに掛け、安全性を考慮した結果行き着いたのが魔導蒸気機関なのだろう。
〈ふん、この程度の速度なぞ大したことないではないか、我でも余裕じゃぞ?〉
(いやいや、クロじゃ比較対象にならないでしょ、当然のように瞬間移動みたいなことしてたじゃん)
〈ふふふっ、そうじゃろ? そうよなぁ、このような玩具では到底我とは比較にもならぬよなぁ〉
得意満面、鼻息荒く返すクロ。
その声音に思わずドヤ顔を浮かべる黒い狼の姿を幻視してしまう。
うん、これからはチョロさんと呼んでやろうか。
〈むぅぅ……何ぞ小ばかにしたような感情がお主から伝わってくる気がするのじゃが……〉
(はははっ、それはチョ……クロの気のせいだって)
そんな他愛もないやり取りを経ながら、ルース達一行は予定通り五日の旅程で王都へと無事にたどり着いた。
「へぇ、これが王都かぁ……当然だけどクライスラーの領都とは比べ物ならないくらい賑やかだね」
ゴシックな駅舎をでると、そこは大きな広場となっていた。
ロータリーの周りには列車の乗客を待つ馬車が並んでいる。
石畳の道路に並ぶ街灯には魔法の光が宿り、広場に虹を掛ける噴水にも魔導技術が使われているようだ。
まさに王都の玄関口に相応しい美しい街並みだ。
クライスラー領と王都では産業革命の前と後を見ているような気分にさせられる。
「屋敷へ行く前に私は大学へ顔を出さなければならないけど、ルースはどうする? 良ければ街を散策してみるかい? 駅前には沢山の商店があるからね、ルースが気に入りそうな魔法具店なんかも何軒かあったはずだよ」
街の光景に見惚れているとロイドが声を掛けてきた。
背後ではクライスラー領から付いて来た下男が迎えの馬車に荷物を積み込んでいる。
「良いのですか?」
クライスラー領にも魔法具を扱う商店が何軒かあったけど、残念ながら興味をそそられるような魔法具はあまり多くなかった。
王都ならばクライスラー領にはない魔法具が数多くあるだろうと期待していたのだ。
「あぁ、私の用事に付き合わせるのも可哀想だからね。侍女のロレッタを残すから、彼女に案内してもらうといいよ」
「僕ひとりで散策しては駄目ですか」
「構わないけど、ルース一人で大丈夫かい? 王都は初めてなのだから迷ったりしたら大変だよ?」
ロイドにしてみれば、13歳の子供を一人にするのは気が引けるのだろう。
しかし、前世も含めればルースはすでにアラフォーである。それも根っからの庶民なのだ、侍女をお供にウインドウショッピングなど御免被りたい。
「駅前のお店を何軒か覗いてみるだけなので、僕一人でも大丈夫です」
「うーん……この辺なら治安も良いし、遠くへ行かないと約束するなら許可してあげようか」
「ありがとうございます、ロイド兄さん」
ロイドはこの辺の地理を簡単に説明し、注意事項を幾つか述べてから馬車に乗り込んだ。
そして、三時間程したら戻って来るからこの場所で待っているように、と言い残して去って行った。
〈お主は目を離すととんでもないことをしでかすからのぉ、あ奴が心配するのも無理からぬことじゃのぉ〉
「しでかしたのはカイトだから、ロイド兄さんが心配しているのはルースの方だからね」
思わず大きな声を出してしまい周囲に注目を集めてしまう。
〈オマワリさーん、ここに変質者がいますよぉ〉
(変質者じゃないからっ! あと、僕の記憶を漁るの禁止っ!)
ケタケタと笑うクロに文句を言い、その場をそそくさと後にした。
そしてやって来たのは駅前通りにドンと居を構えていた魔法具専門店である。
クライスラー領には無かった四階建ての建物、しかも案内板に依ると一階から四階まで全て魔法具が陳列されているらしい。
「ようこそ、ラングレー商会魔導用具店へ」
ワクワクする気持ちを抑え、扉を開けて入店するとフォーマルな衣装に身を包んだ女性店員が出迎えてくれた。
商品が並べられた陳列棚、客を相手に魔法具の説明をする女性店員。
その光景は前世の某デパートを彷彿させられる。
「魔法具を見せてもらっていいですか?」
「……どうぞ、御自由に御覧になってください。商品に関する説明を必要でしたらお近くの店員に御声をお掛けください」
高級店っぽかったので、未成年一人では何ぞ言われるかと思ったが流石はプロである。一瞬、怪訝そうな表情を浮かべたが、直ぐに取り繕い影響スマイルでの完璧対応だ。
お子様相手でも手を抜かない女性店員に思わず感心してしまう。
「それでは少し見せてもらいますね」
早速、近くの陳列棚に歩み寄り、並べられた商品を品定めしていく。
興味を惹かれる魔法具があれば店員さんに使い方や効果を訊ね、次元魔法を使って構造を分析し、魔法式を読み取って解析する。
〈お主は本当に魔法具が好きよなぁ……しかし、人が作った物を見て何がそんなに楽しいのじゃ?〉
魔法具を物色しているとクロが呆れたようにそう零した。
(クロには分からないかなぁ、この楽しさが……他の人がどんな着想をするのか、それをどんな構造で形にするのか、どんな魔法式でその効果を得るのか……そんなふうに僕とは違う視点で作られた魔法具だからこそ見ていて楽しいのさ)
それがロマンというものだ。
〈ふーむ、我にはとても理解できん領域よのぉ……そもそも、お主が作る物に比べたらガラクタにしか見ぬのじゃがなぁ……〉
(ガラクタは言い過ぎじゃないかな……まぁ、魔法式はすごく原始的なものばっかだけどさぁ)
〈それみよ、お主だって我と同意見ではないか〉
(一階に置いてあるのは比較的安価な物ばかりだから多分庶民向けの簡単な魔法具なんだよ、上の階に行けばきっとすごい魔法具があるんだよ)
中央にあった階段を上り二階へと足を運ぶと、店の雰囲気がガラリと変わった。
石張りだった一階とは異なり、床には絨毯が敷き詰められ、陳列棚はガラス張りのショーケースへと代わっている。通路の間隔も余裕をもたせ、かなり広くとられているようだ。
その光景はどこか宝石店を彷彿させられる。
「お客様、よろしければ御案内しましょうか」
その声に振り返ると、スーツ姿の中年男性が立っていた。
口元に小さく髭を生やし、くすんだアッシュグレーの髪を髪油でオールバックに撫でつけた細身の男性だ。
「いえ、自分で見て回るので案内は必要ありません」
「二階より上にある魔法具は高価な物ばかりなので、壊されては困るのですよ」
見てみなさいとばかりに両手を広げ、店内にぐるりと視線を流す中年店員。
子供が相手だからと見くびっているのだろう、表情にも露骨に見下す色が浮かんでいる。
案内は声を掛けるための口実で、体よく追い出すのが彼の目的のようだ。
〈ルースを相手に喧嘩を売るとは……こやつは死にたいのかのぉ〉
やや低いトーンのクロの声が脳裏に響く。
クロが不機嫌になるのも無理はないが、こんなことくらいで死ぬだ何だと物騒な物言いは止めてもらいたいものである。
「僕は商品を見るだけなのでそんな心配は無用ですよ?」
ピクリと眉を動かす中年男性に更に続ける。
「そもそも、壊すも何もガラスケースに入っているんですから店員の許可がなければ触ることもできませんよね?」
子供相手と侮った不躾な物言いなのだ、この位の返しは可愛いレベルだろう。
失礼な店員は無視して店内を回ろうとすると、オールバック店員が回り込みルースの行く手を塞いだ。
「当店は王都きっての高級店なのだ、子供の御小遣い程度で買えるような玩具とは違うのだよ、金も持たない様な平民の小僧が来るところではないのだよ、ここは」
もはや隠しもせずに侮蔑の表情を浮かべ居丈高に追い出そうとする男性店員。
お客相手にこんな物言いをするのだから、この男性はそれなりの立場にある店員なのだろう。
だが、一階の女性店員の方が余程プロだったように思える。
ともあれ――
懐から出すフリをして次元収納から数枚の大金貨を取り出して目の前の男性店員に突き出して見せる。
「多少値の張る魔法具の一つや二つ買える程度には持ち合せがあるので御心配なく」
因みに大金貨は金貨10枚分の価値があり、前世での金銭感覚に照らし合わせると、大金貨一枚が十万円程度の感覚だ。
「それじゃ、失礼して店内を見せてもらいますね」
さしもの中年店員も掛ける言葉を失ったらしく、こちらを睨みつけたあと、忌々しそうにその場を立ち去っていった。
〈くははっ……お主も存外やリおるではないか〉
これに懲りて接客態度を改めてくれることを祈るばかりだ。
「私が店内を御案内いたしましょうか、いぇ、是非とも案内させてください」
その言葉に視線を戻すとそこには青年の姿があった。
軽く御辞儀をしてにこやかな笑みを浮かべる若い店員さん。
余程良い事があったのだろう、そこにあるのは営業スマイルではない、紛うことなき素の笑顔だ。
そう思い店を見回すと、その階にいた従業員どころかお客さんまでも笑みを浮かべてこちらを見ている。中にはグッジョブとばかりに親指を立てている者の姿も――。
あの中年店員はよほど他の人に嫌われていたようだ。本当に改めてほしいものである。
「それじゃあ、お願いします」
断るのも気が引けるので案内をお願いしてみた。
二階から四階まで、青年は付きっきりで、それこそVIP待遇よろしく店内を案内し、懇切丁寧に説明をしてくれた。
王都一の有名店というだけあって、品数は豊富だ。
大型の魔法具に、希少な素材をふんだんに使用した高価な魔法具、いまいち用途が不明な物に、眉唾効果の変わり物まで、文字通り山のようにあったので、充実した暇つぶしのひと時を過ごせた。
ただ、興味をそそられる様な物があまりなかったのは残念だ。
でも、さすがに気が引けたのでひとつだけ魔法具を購入しておいだ。
腕輪タイプの物で、何でも魔力を込めればけたたましい音が鳴り響く防犯用の魔法具らしい。
どこぞで聞いた覚えたあると思ったが、前世の防犯ブザーそのままである。
お値段は大金貨一枚と銀貨数枚、前世の金銭感覚に換算すると驚きの十万円程である。何ともぼったくりな設定だ。
もし仮に、件の中年店員の絡みに始まり、打って変わった親切な案内を経て、魔道具を購入するまでの一連の流れがヤラセだとするならば――まさに一流の寸劇と言わざるを得ないが……流石にそれはないと思う、というか思いたい。
それはともかく二階へと降りてきたところで――。
〈先程のことでは懲りなかったようじゃな、あ奴は……〉
クロの言葉に目を向ければ――。
行く手を塞ぐように立ち塞がるオールバック店員の姿。
彼の背後には軽装鎧を身に着けた二人の兵士が控えている。肩口に着けた腕章から察するに王都の警備兵といったところだろう。
「コイツですっ! この小僧が盗んだ金貨を所持し、その上当店の魔法具を盗もうとしていたのです」
いったい何を根拠に、どのような判断を経ればそのような結論に至れるのか、是非ともその思考過程を聞いてみたいものである。
もはや呆れて物が言えないレベルだ。
「おいガキっ! 盗んだ金貨を持っているそうだな、その上さらに魔法具を盗もうとするとは、ふてぇ野郎だっ!」
だらしない身なりに野卑な物言いはチンピラでございますと言った方が納得ができそうである。
「詳しいことは詰め所で聞いてやるっ! 覚悟するんだな」
「お、お待ちくださいっ! おの少年は盗人では……」
先の青年が割って入ろうとするがもう一人の兵士に突き飛ばされてしまう。
「念のため言っておきますが、僕は金貨を盗んでませんし、魔法具を盗もうともしてませんよ」
できれば他の店員さんに迷惑を掛けたくないので穏便に済ませたいのだが――。
「へへっ、盗人は皆そう言うんだよ――だがな取り調べすりゃぁ、直ぐに嘘がバレるんだぜ」
下卑た笑みを浮かべる兵士に、それをさも愉快そうに見下ろす中年店員。
どうやら彼らはグルのようだ。兵士が言う取り調べとて、到底まともなものとは思えない。
(さて、どうしたものかな……)
〈滅ぼしてしまえば良いと思うぞ? こういった輩は死んでから後悔すればよいのじゃ〉
クロの物言いも頷けなくはないが、流石にそれはいろいろと拙いし、過剰防衛甚だしい。
とそこへ――
「これはいったい何の騒ぎですか? 」
突然響き渡った声に場にいた全員の目がそちらに向いた。
モーゼの海割りさらながに登場する金髪の貴公子。
それはルースが良く知る人物である。
「ロイ……」
思わず名を呼びかけると、ロイドが視線で黙っているように、と言ってくる。
「警邏の兵までいるようだが……いったい何があったのかね?」
「こ、これはクライスラー様っ! お目汚しをさせてしまい、大変申し訳ございません」
中年店員が慌てて前に進み出て深々と御辞儀をする。
「それで……?」
「は、はいっ、盗人が当店に押し入りましたので兵士の方に御足労いただいたのでございます」
兵士二人は先程の態度とは打って変わり、真剣な表情で直立不動の姿勢である。
「そこの少年が盗みを働いたと?」
「さようでございますっ! その者は当店の商品を盗もうとしたばかりでなく、懐には盗んだと思われる金貨まで所持しているのでございます」
それに警邏の兵が追従する。
「はっ、我々は市民の通報を受けて駆けつけたところでありますっ!」
ロイドは一同をグルリと眺め、それぞれの顔を見てから再び視線を戻す。
「事情はわかりましたが……その少年が盗人だという確かな証拠があるのですか?」
「しょ、証拠は……そ、その者が手にしている魔法具ですっ! あれは当店の商品に間違いありません」
ルースが手にしてた商品を目敏く見つけたオールバックがここぞとばかりに捲し立てる。
そして、ある事ない事を口早に並び立て、台詞の節々にロイドを持ち上げる言葉を混ぜる。
少しでも早く場を収めたいのがありありと伺える
「お、お待ちください、クライスラー様っ! その少年が持っている魔法具は盗んだものではありません、購入いただいた物にございます」
声を上げたのは先程突き飛ばされた青年だ。
突き飛ばされた折にどこかにぶつけたのだろう、額には薄っすらと血が滲んでいる。
「お、お前は黙っていなさいっ!」
青年を叱りつけ、見苦しく言い訳を重ねるオールバック。
「ぬ、盗んだ金貨で購入したのですから盗んだのと同じございますっ!」
「では、その少年が金貨を盗んだという確かな根拠があるのですか?」
比して、ロイドの態度は泰然自若――18歳という年齢からは想像もできない風格を漂わせている。
「そ、それは……」
尻すぼみに黙り込むオールバックに、ロイドが止めの一言を口にする。
「あなたが盗人と呼ぶその少年の名は、ルース・フォン・クライスラー……クライスラー家の第三子、つまり私の実の弟です」
一瞬ポカンとする中年店員。
だが、告げられた言葉の意味に理解が及ぶと態度が一変する。
「ま、まさか……そんな……」
その顔色は青褪めるのを通り越してもはや真っ白だ。
「も、申し訳ございませんっ! こ、これは何かの手違いでございますっ! ど、どうか……どうか、命ばかりはお助けをっ!」
床に這い蹲り半泣きになって懇願する。
さらに見苦しいのがもう二人、警邏の兵士だ。
場の混乱に乗じて逃げるつもりなのか、そろそろと後ずさっている。
「お手を煩わせてすみません、ロイド兄さん……そちらの兵士二人もグルなので捕まえてください」
ロイドが視線を向けると、護衛の騎士がコクリと頷いて行動に出る。
二人の兵士は抵抗するがその技量はまるで大人と子供だ、剣を抜く暇も与えずに二人まとめて気絶させてしまう。
ルースは先ほどの青年に歩み寄る。
「先程は庇ってくださり、ありがとうございます、頭のケガは大丈夫ですか?」
「いいえ、とんでもありませんっ! 私は当然のことをしただけですから……ケ、ケガも大した事ありませんのでっ!」
それでも念ため、懐から出すフリで次収納から自家製ポーションを取り出して渡しておく。
青年は固辞したが、二度も助け船を出してくれたのだ、無理やり懐に押し込んで受け取らせた。
「機会があったらまた買い物に来ますから、その時は案内をよろしくお願いしますね」
「は、はいっ! 喜んでっ!」
前世の某飲み屋の店員よろしく声を張り上げる青年店員。
我ながら少々臭いやり取りだとは思うが、これは必要なプロセスだ。
「この店が我がクライスラー家に対して害意はなく、他の従業員も悪巧みに加担してないことはロイド・フォン・クライスラーの名において保証します」
言外に込めた意を察してくれたロイドが周囲の者に対し宣言した。
これで店が潰されることも、従業員が路頭に迷うことも回避できるだろう。
「しかし、お前たち三人は別だ、事情を具に問い質した後は極刑が待っていると心得よ」
庶子扱いとは言え、れっきとした貴族の子息、それを相手に濡れ衣を着せようとしたのだ。貴族相手に喧嘩を売ったのと同義だ。
流石にそちらは庇ってやる義理はない。
兵士との関係から察するに、普段からグルになって良からぬことをしていたのは間違いない。もしかしたら、同じような目にあった人もいたかもしれないのだ、これは自業自得の結果だろう。
〈ふははっ、これはアレだ……ざまぁ、というアレよなぁ、ルースよっ!〉
クロがひどく楽しそうだ。
やはりというか、Sの気質が闇の獣の本質らしい。
(容赦なかったもんなぁ、あの黒雷魔法……)
一撃必殺の致死攻撃、それも面で辺り一帯を消し飛ばす凶悪な範囲攻撃魔法を思い出し、ルースは思わず身震いをした。
side ― ロムス・ラングレー(ラングレー商会会頭) ―
ラングレー商会は創立以来300年の歴史を誇る、王国随一の老舗商会である。
しかも地方の主要都市に支店を構えているので、王国全土に我が商会の名が知れ渡っている。
ラングレー商会が主に取り扱っているのは日用品――つまり雑貨や家具など生活必需品と呼ばれる商品の数々だ。
七年前に父が引退し、私の代になってから特に魔法具の商売に力を入れている。
私の打ち出したその方策は見事に嵌り、五年前に王国が告知した『魔導技術推進施策』の援護もあって魔法具部門は右肩上がりに業績を伸ばしている。
ラングレー商会の名は更に売れ、私の名声もうなぎ上りだ。
そこへ、更なる儲け話が転がり込んできた。
それは第三王女、ルフィリア殿下の侍女から買取を依頼された魔法具に端を発している。
依頼された魔法具は洗髪薬を調合するという極々ありふれた物だったため、大した値段はつかない。だがしかし、コネ作りという意味もあるため、それなりの額を包んで献上しておいた。
しかし、これがとんでもない金の卵を産む魔法具だった。『りんすいんしゃんぷぅ』なるけったいな名をした魔法具なのだが、作り出す洗髪薬が規格外の代物だった。
従来の洗髪薬に比べ、汚れは格段に落ちるし、洗髪後に漂う芳香が何とも香しいのだ。しかも、洗った髪がサラサラになるというとんでもない効果までついてくるのある。
試しに先発薬を合成して売り出してみれば、最初こそ静かだった売れ行きだが――噂が噂を呼び、今では作る端から飛ぶように売れている。
ここ最近など、毎日のように貴族から問い合わせや注文が殺到している状態である。
ふふふっ、瓶詰めをする従業員を急いで増やさなければならないだろう。
洗髪薬で大儲けした後は、魔法具を複製させて魔法具そのものを高額で売り出せば更なる儲けが見込めよう。
これほどの儲けを齎すとは――まさに金の卵である。
(私は商業の神に気に入られているようだ)
そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの我がラングレー商会だというのに――駅前の魔法具店をまかせていた責任者がとんでもないことをしでかしてくれた。
その報告が私の元に届いたのは昨夕の事だ。
何でも貴族の子息に濡れ衣を着せ、警邏の兵士とグルになって有り金を巻き上げようとしたらしい。しかも、その相手という貴族がクライスラー辺境伯だというのだから尚のこと拙い。
魔法具に必要不可欠な魔獣素材や魔鉱石の主な産出地がクライスラー領なのだ。
彼の家を敵に回すことは魔法具、引いては魔導技術に関する産業において締め出しを食らうことになってしまう。
今や主力となりつつある魔法具部門で失敗すれば、我がラングレー商会が傾きかねない。
幸いにして、クライスラー家の御次男、ロイド様が事を穏便に収めてくれたおかげでギリギリ首が繋がった。
事件を起こした当事者の三人も温情を受けたらしく極刑のところを減刑され、終身刑の鉱山送りで済んだらしい。
「折角、私が目を掛けてやったというのに、あの馬鹿者めっ! 恩を仇で返しおってからにっ!」
怒りのあまり机をドンと叩くと、傍に控えていた番頭がビクリと肩を竦めた。
「……ロムス様……如何様に対処しましょうか?」
「うむ、そうよな……」
私は顎に手を当て思考にふける。
面識はないが、罪人に温情を掛けるあたり、ロイド様は温厚な方なのだろう。しかし、我が商会の面目を守ってくれたのは、何も温情からではないだろう。
飛ぶ鳥を落とす勢いの我が商会に、貸を作ったというところだろう。
「とり急ぎ慰謝料を届ける……額は大金貨で2000枚、私が直接クライスラー家の屋敷に持参する」
「そ、それほどの額ですか? 大事になっていないのにその額は少々多すぎなのでは……」
「馬鹿者っ! 大事になっていないからこそ、この額なのだっ!」
呑み込みが悪い番頭にヒントを与えてやる。
「クライスラー家は魔鉱石関連の施策に大枚を使っていると聞く……」
「はぁ……それは私も耳にしておりますが……はっ、もしやっ!」
やっと気が付いたのか、この愚か者が――。
「そう、これは慰謝料の名を借りた投資なのだ」
ロイド様はこのために大事にしなかったのだろう。
我がラングレー商会から投資資金を献上させるのが彼の真意の筈だ。
かなり痛い出費になるが、数年もあれば洗髪薬が損失を補填してくれるだろう。
クライスラー家にコネが作れることを思えば、翻って災いが福へ転じたとも言える。
「我がラングレー商会はこれから更なる飛躍の時を迎えるであろうな」
私は手にしたワインを虚空へと翳し、商業の神に感謝を捧げた。
気長に付き合っていただけると嬉しいです