006 【 婚約者 】
魔鉱石の査定を終え、現金を受け取ったルースは狩猟ギルドを後にした。
ギルドの計らいのおかげで午前中の予定が空いてしまったので、市場でも見てみようかと思いブラブラと街を歩いていく。
しばらくして――。
「もしかしなくてもこれって……」
〈あぁ、尾行されておるのぉ〉
銀仮面としてデビューした当初、少々やらかして目を付けられてしまった。
カイトの正体を探って来る者、取り入ろうとする者、ギルドを通して接触を図ろうとする者がそれこそ湧くように現れた。終いには領主からもアプローチがあったが正体がバレるわけにはいかないので全て丁重にお断りしておいた。
お次に現れたのは尾行者である。
最初の内は無視を決め込み撒くだけに留めていたのだが、毎度毎度尾行してくる連中には流石にうんざりしたので接触して丁寧にお願いしたところ、理解してもらえたようで後を着けてくる者はパタリといなくなったのである。
遠目に監視をしている者の存在は相変わらずだったが、それくらいは許容範囲なので放置することにしていた。
〈プロとしての矜持を粉微塵にされ、あれほどの恐怖を刷り込まれたというのに、まだお主を着け回す空け者がおるとはなぁ……自殺志願者という奴かのぉ〉
「言い方っ! 僕はそこまで酷いことしてないからね?」
傍から聞いたら誤解されるような言動は止めてもらいたいものである。
〈そうかのぉ? 確か……逃げ出した連中を逆に追い掛け回した挙句、次元魔法で全員を隔離、そ奴らの五感を封じてそのまま異空間に放置した……じゃったかなぁ〉
「うっ……」
クロがくつくつと笑いながら続ける。
〈しかも、そのまま閉じ込めたことを忘れていて三日後にそ奴らを出してやったら精神が崩壊しておったなぁ〉
「……あれはさすがに可哀想だったらから、急いで神酒を精製して直してあげたじゃないか」
さすがに精神崩壊は万能薬でも治療は不可能である。
樹海の奥でマンドラゴラを見つけておいて正解だった、おかげで神酒を作ることができ、不本意ながらも彼らを救うことが出来たのだから。
因みに隔離されていた間の記憶はきれいさっぱり飛んでいたので不都合な事が露見する心配は皆無だ。
〈お主、知っておるかのぉ……狩猟者どもに陰で何て言われておるか〉
勿体つけるようにそう言うクロ。
聞きたくはないが聞いておかないと気になって眠れない言い方である。
「……あまり聞きたくない感じなんだけど……何て?」
〈銀の悪魔――難癖をつければ四肢を破壊され、ちょっかいをかければ精神を消滅させられる。挙句、神代の秘薬で無理やり蘇らせ、悪魔のような笑みを浮かべて洗脳する外道である……じゃったかのぉ〉
「うぅぅぅ……やってらんねぇよ、畜生っ! じ、事実無根とは言えないけど、流石に盛りすぎでしょ、それ……」
〈まぁ、良いではないか、おかげでお主にちょっかいをかけてくる者が減ったんじゃからなぁ〉
確かにそうなのだが、間違ってはいないのだが、何とも納得がいかない。
クロの認識についても後で話し合いが必要だろう。
それはともかく今は件の尾行者だ。
まず、こちらに意識を向けていた者の内、尾行してくる者に限定してマーキングする。
「魔力探査……目標補足……マーカーロック……」
更に別の魔導式を起動してカイトの虚像を作り出してそのまま歩かせ、自分は目立たぬように路地に飛び込んだ。
因みにこの虚像を作り出す魔導式はつい最近開発したばかりの新作だ。過去の行動をトレースしてあるので一時間ほどは怪しまれることはないだろう。
続いて、周辺警戒のためにパッシブ発動していた探索魔法の魔導式を組み替えて、対象の映像を投射する。
――ヒュンッ
次元魔法で繋がった先のライブ映像が目の前に出現する。
「……この人達って、一昨日助けた領軍の騎士達かな?」
その見覚えがある姿はラムスと王女を警護していた騎士達である。
しかし、よくよく見れば肩口に着けたマントの徽章が領軍の騎士の物ではない。
「蒼い徽章つけていた連中は、王女様の護衛騎士ってところか……」
思い返してみれば、一昨日の立ち回りの時にも領軍とは異なる徽章を付けた者たちがいた気がする。どうやらあの時も王女の護衛騎士が混じっていたようだ。
目的は銀仮面の正体を探り、部下として雇うつもりといったところだろうか。
〈どうするのじゃ? あの時みたいに異次元に閉じ込めてしまうのか?〉
「いやいや、さすがにそれは拙いでしょ、相手は王女様付きの騎士だよ? ロイド兄さんに迷惑が掛かっちゃうじゃないか」
迷惑の行先が領主やラムスだけならば別段気にもかけないが、自分に良くしてくれるロイドを巻き込むわけにはいかない。
それに王女様にはなんの遺恨もないのだ。
〈ならば放置プレイかのぉ〉
「プレイってなんだよ、プレイって……僕の記憶を漁って変な事覚えるのは止めてくれないかな」
〈くっくっくっ、ほんにお主は揶揄い甲斐の有る奴じゃのぉ〉
「もう少し威厳を持とうよ、威厳を……仮にも世界を恐怖のどん底に陥れた最終ボスなんだからさぁ」
〈そのようなこと、最早記憶の片隅にもないのぉ、楽しいのが一番じゃ〉
「クロさん……最近はっちゃけ過ぎじゃないですかねぇ」
とは言え、実害はないし、こういった掛け合いも最近では日常になりつつある。
それを心地良いと思う自分もいたりする、だがそれを言うと調子に乗るのは目に見えているのでここは黙して放置が最善であろう。
ともあれ――。
「原因はきっと一昨日の件だろうからね、このままカイトの幻を追っかけてもらえば問題ないよ」
〈なんじゃ、やはり放置プレイではないか〉
「だからプレイじゃないから、プレイじゃっ!」
思わず全力で突っ込んでしまった。
路地裏で変装を解いた後は、ルースの姿で街をブラついた。新しくできた市場を見て回り、魔獣素材専門となった第一市場の方も覗いてみた。
その間、護衛騎士はそのまま放置プレ……放置したままである。
そろそろ虚像が消える頃なのできっと慌てふためいていることだろう。
ともあれ――
市場の近くにあった食堂で早めの昼食をとると、ルースはクライスラー伯爵家の屋敷へと足を運んだ。
午後一番に屋敷を来るように言いつけられていたからだ。
聞くところに依れば、どうも今回自分に用事があるのは王女様らしい。まぁ、まず間違いなく用向きは先日の王命の件だろう。婚約者同士の顔見せといったところだろうか。
考えるだけで憂鬱になって来る。
屋敷を訪れると、嫌そうな顔を隠しもしないアーロンに案内され応接室へと通され時間まで待つように言われる。
当主への挨拶はどうするのか、と訊ねてみたが必要ないと素気無く断られた。
察するに御当主様は庶子の顔など見たくもないようである。
「約束の時間まで一時間以上か……流石に暇だね……」
応接室にメイドの姿などない、当然の如くお茶など出してくれる筈もない。
ロイド兄さんも外出して不在のようだ。
仕方なく、次元収納から自前の飲み物を取り出して口に運ぶ。
「それはそうと、王女様が連れてきた護衛騎士って新人ばかりだったのかなぁ」
ふと一昨日の光景が思い浮かんだので、暇つぶしにクロに話を振ってみた。
〈仮にも王女に付ける護衛に新人はあり得んのではないか?〉
「だよねぇ……でも、その割にグレートディル相手に大分苦労してたから新人の訓練を兼ねていたのかと思ってさ」
だが、それだと領軍の騎士も弱かったことに説明がつかない。両軍ともに新人集団では護衛の意味がなくなってしまう。
〈お主、本気で気付いてないようだから言うが、あれはディルの最上位種じゃぞ?〉
「へっ? ディルの最上位種ってエルダーホーンのことだよね? えっ、あれってグレートディルでしょ? 簡単に角が切断できたし……」
エルダーホーンディルといえば、角の強度は硬さを誇る魔獣の中でも屈指に分類されていた筈だ。如何に謹製の魔剣だとてああも簡単に切断出来るわけがない。
前世では終ぞ遭遇することはなかったが、出会えば英雄パーティーと呼称されたあの面子でも苦戦は必死だっただろう。
〈まぁ、1000年前に比べれば、保有する魔力量は十分の一といったとこじゃがのぉ〉
魔獣の強さは保有する魔力に比例する、部位の強度とて然りだ。
それならば簡単に倒せたのも納得がゆくが――。
「ちょっと待って……じゃぁ、ギルドでロベルトさん達の態度がおかしかったのって……」
思わず嫌な汗が額から吹き出る。
〈うむ、災害級の魔獣をポンと目の前に出されたのじゃ、普通の者ならば言葉を失うじゃろうなぁ〉
楽し気に腹を抱えたように笑う漆黒の獣。
どうやらやらかしてしまったようだ。魔獣の査定額を含め、ギルドに顔を出し辛いことこの上もないではないか。今後要らぬ追及を受けるのは避け得ぬだろう。
それはともかくとして――。
「角も全部査定に出しちゃったよぉ、今からでも角を返してもらえないかな、まだお金を受け取った訳じゃないからセーフだよね、ね?」
〈気にするとこ、そっち? ブレなさ過ぎじゃろ、お主っ!〉
クロの呆れ声が脳裏に響く。
「最強高度の素材だよ? 売っちゃったら勿体ないでしょ」
何とか返してもらう算段を思案していると、突然応接室にノックの音が響き渡った。
――コンコン
「失礼しますね」
そう言って入ってきたのは先日の王女様である。
背後には鋭い目つきをした女騎士が一人付き従っている。
王女様は静々と目の前までくるとドレスの端を摘まみ上げ、可憐な仕種で名乗りを上げる。
「私はロメリア王国第三王女、ルフィリア・ロード・ロメリアと申します」
魔獣から助けた折に会った時も感じたが、改めて見ても王女に相応しい美貌の持ち主だ。
確かルースの一つ上、14歳だと聞いている。
今はまだ幼さが垣間見える年頃だが、もう数年もすればさぞや社交界を賑わす美人に成長することだろう。
「……」
王女様の背後から女騎士の射殺すような鋭い視線が向けられる。
先に名乗りを挙げさせるとは何たる不敬か、と彼女の目が語っているようだ。
「失礼しました王女殿下……殿下の美貌に目を奪われておりました、無礼を平に御容赦ください……私はルースと申します」
片膝を突いて頭を垂れ無礼を詫びる。
「家名を名乗らぬとはいったいどういうことですか、殿下に対して失礼でありましょう」
女騎士がズイっと前に出て咎めてくる。
王女様が家名まで名乗ったのに対して、ルースが名乗らないのはどうも非礼にあたる様だ。
「私は伯爵家の三男とは言え、庶子で平民でございます。それ故、家名を名乗ることを禁じられているのです。お気に障ったのであれば謝罪いたしますので平に御容赦ください」
「エクレア、そのくらいにしなさい。ルース様にも事情がおありなのです、供の者が口を出すことの方が余程無礼ですよ」
王女様の仲裁に女騎士が「失礼しました」と短く詫びて背後に下がった。
しかし、ルースに向けられた鋭い視線は相変わらずで、納得がいっていないのは一目瞭然である。
無礼を働けば容赦はせぬぞ、とその目が物語っている。
「護衛の騎士が出過ぎた真似をしました、先日の魔獣襲撃の件で彼女は少々過敏になっているのです、ルース様には御容赦していただけると嬉しいですわ」
王女様は14歳――前世でいえば中学生である。
その年でこうも堂々とした受け答えと対応ができるのは流石王族としか言えない。まさに英才教育の賜物なのだろう。
「常識に疎い私に非があるので、騎士様の苦言も当然のことです、どうかお気になさらぬよう、お願いします」
そのあと、一言二言挨拶を交わしソファへと場を移す。女騎士は王女様の背後で直立不動だ。
そこへ頃合いを見計らったように侍女が現れ、お茶と菓子を用意して「御用がございましたらお呼びください」と告げて退出していった。
「それで王女殿下が私のような平民にどういった御用件でしょうか」
因みに、固辞したのだが王女様のたってのお言葉でルースはソファに腰を下ろしている。
だが、エクレア卿はそれが気に入らないらしく、先ほどから睨みっぱなしだ。
根が小心者のルースとしてはそろそろ胃に穴が空きそうである。
「殿下などと堅苦しい敬称は不要です、まだ正式でないとはいえ私たちは婚約者同士なのです、できれば名前で呼んで頂きたいですわ」
愛らしい笑みを浮かべ、コテリと首を傾げる第三王女。
とても中学生の少女とは思えない破壊力だ。
「で、では……ルフィリア様とお呼びさせて頂きます……ど、どうかよろしくお願いします」
思わずしどろもどろになってしまう。
「えぇ、こちらこそ、よろしくお願いしますね、ルース様」
バックに満開の花が咲き誇る様を幻視する中、クロの平坦な声が脳裏に木霊する。
〈あざといのぉ、我もあのような笑顔を振り撒けば待遇が改善されるのかのぉ〉
(クロは少し黙ってようかっ! そもそも、僕の中に封じられているお前には待遇もなにも関係ないだろ?)
それから数時間――ルースはエクレアの殺人視線に見守られながら、クロと脳内ボケ突っ込みをこなしつつ、王女殿下と歓談をするという、ある意味苦行ともとれるひと時を過ごした。
夕刻になり解放される頃にはルースの精神は擦り減りボロボロ状態である。
〈お主に会うためにこんな辺境まで足を運ぶとは、あの娘も酔狂よなぁ〉
クライスラー家を辞し、門を潜ったあたりでクロが先ほどの感想を述べてきた。
「まぁ、いきなり婚約させられたんだから、お相手が気になるのは当然じゃないかな、僕だって気になってたしね……悪い意味で……」
〈あぁ、それであの娘、お主のことを根掘り葉掘り聞いておったのじゃな、なんぞ尋問でもしておるのではないかと思ったぞ〉
「はははっ……尋問は流石に言い過ぎだよ……でも女神様に何て言われたのか分からないけど、彼女に僕の品定めのニュアンスがあったのは否定できないかな」
王族の責任として、王家に不利益となる者は当然ながら、利益を齎さない様な者を迎え入れるわけにはいかないのだろう。
事前に相手の素性、能力を探るのは至極真っ当な所業だ。
クロの話が続く。
〈人の美醜は我には分らぬが、お主の態度を見る限りあの娘は悪くないのであろう?〉
「悪くないどころか、とびっきりの美少女だったと思うよ? 頭も良いし、部下に対する態度を見る限り性格も良さそうだしね。彼女の婚約者に選ばれるなんてすごく光栄なことだと思うよ、普通なら……」
〈その割には、お主は然程喜んでいるようには思えんのだが……気のせいかや?〉
「……クロはたまに鋭いよね……」
本性は魔獣の親玉のような存在だというのに妙に人間臭く、時に感情の機微に敏感なところがある。
「何て言うのかな……相手が王族っていうのもあるけど、一番の原因はリーナのことがあったからかな」
前世で裏切られ、陥れられたのが自分で思うよりも大きなトラウマになっているようだ。
笑顔を向けられ優しくされても、どうしても裏があるのではと思ってしまう。
それが王族となれば猶更だ。
〈よし、我がそ奴を消し去ってくれる〉
「いやいや、もう千年前のことだからね? 生きてるわけないから!」
そんな他愛もないやり取りを交わしながら、ルースはクロの存在をありがたいと心の片隅で感謝していた。
side ― ルフィリア・ロード・ロメリア ―
我がロメリア王国は大陸東部、やや中央よりに位置する600年の歴史を誇る緑豊かな国です。
大陸北部はアトラス山脈と広大な樹海が広がり、これが大陸のほぼ三分の一を占めています。
そして、我が国より東には小国が群居し、西には四大国と呼ばれる大国が大陸の東部を分け合う形で居を構えています。
四大国とは北のギルム帝国、西のアルカンス王国、南のベナス評議国、そして東のカイゼルト魔導公国のことです。この四大国の歴史は古く、1000年前に存在したライナス帝国と呼ばれる大国が滅亡した頃に興った国なのだとされています。
そして、我が国にとって最も関係が深いのは国境を接するカイゼルト魔導公国です。
彼の国はその名が示す通り魔導技術を信奉する国であり、自国こそが大陸において最も進歩した技術保有国なのだと公言して憚りません。
事実、その保有する優れた技術は他の国の追従を許さず、我が国においても魔導国が開発した魔導列車を輸入し、国内の主要都市を結ぶ交通網を建設している真っ最中なのです。
その技術力故、魔導国は四大国の中でも頭一つ抜けた国力を持っている、というのが我が国を含めた共通認識となっています。
その故あって我がロメリア王国もこれに習い、魔導技術を積極的に取り入れ、追いつき追い越せという標榜の元に技術の発展に国を挙げて注力している最中です。
そういった国策があるからこそ、霧の樹海に接するクライスラー領は魔鉱石の生産地として我が国において重要な土地となっているのです。
過去に婚姻により王家とクライスラー家の繋がりを強化しようという動きがあったのですが、貴族派の横やりが入り立ち消えになったという経緯があります。
幸い彼の地を治めるクライスラー辺境伯は王族派で王家との関係も良好です。
そこで王家は静観する構えを取り、貴族派は触らぬ神に祟りなしとそれ以上の手出しを控えたため、長年の硬直状態が生まれました。
ですが、ここへ来て大きな動きが生じてしまいました。
原因の発端は女神教が齎した親書にあります。
親書曰く、辺境伯領に英雄の器を持つ者あり、彼の者クライスラー家第三子にして、将来王家に益を齎す者なり、速やかに彼の者を保護し厚遇すべし――と。
この親書により、王家は難しい舵取りを迫られることになりました。
功無き者に綬爵はありえず貴族派の横やりは必至、とは言え親書を軽んじれば女神教の信者が騒ぎ出すでしょう。
もし仮に綬爵を強行したとして、その少年が言葉通りの存在であったのなら王家は先見の明ありと称賛されるでしょう、ですが万が一凡愚であった場合、王家は致命的な打撃を受けることになりかねません。
そこで宰相のウォーレン卿が考えた施策が――騎士爵の綬爵、第三王女である私との婚約、ただし知らせるのは内々に控え、公表は少年の成人を待ってから行う、というものでした。
この方策ならば女神教に対して面目も立ちますし、貴族の横やりが入る心配はありません。何とも言っても時間が稼げます。
しかし、それとて問題がないわけではありません。
少年が成人になるまでの二年以内に、その器量を見極めねばならないという少々過酷な課題があるからです。
彼の少年が嫡男であったのならまだ救いはあったのですが、継承権のない三男に加え庶子だというのです。過去の例を調べるまでもなく、身分の差は歴然、平民と王女の婚姻などあり得ないのです。
そこでウォーレン卿は二年後見極めが出来なかった場合に備え保険を掛けました。
その保険とは彼の者の綬爵はなかったものとし、私の婚約相手も嫡男にすり替えてしまおうというものでした。
これならばクライスラー家の面目を潰すことはありません。それどころか結果として縁戚を結ぶことになるのですから双方にとって益となることでしょう。
貴族派は反発するでしょうが何れ行動を起こさなければならなかったのですから、女神教という口実がある分、こちらが有利なのは間違いありません。
当の女神教には残念ながら少年は英雄の器ではなかったのだと事後報告するつもりなのでしょう。
流石はウォーレン卿です。
「貴方の目が見て、ルース様はどういった人物に映りましたか?」
クライスラー家でルース様との会談を終えた私は手元の防諜魔法具が正常に作動していることを確認してから、護衛騎士のエクレアに訊ねました。
「そうですね――あの者からは魔力の圧を一切感じませんでした、魔力を抑えている素振りはなかったので魔力は凡庸なのでしょう、足運びも素人同然だったので武術の心得は皆無かと……」
「ふふっ、貴方の評価はまず武がくるのですね……ならば人柄についてはどうでしょう」
こうして問答するのは私の感想と齟齬がないか確認するためです。
お互いの意見を補填し、擦り合わせる意味もありますね。
「礼儀作法に関してはギリギリ及第点、人柄については貴族にありがちな傲慢さがない温厚な性格でしょう。しかし、裏を返せば貴族としての誇りが低く、自分の意見を通すほどの気概も強い志もない、といったところでしょうか」
エクレアがしばし黙考してから私に視線を戻しました。
「姫様はどうお感じになったのですか?」
今度は私が考えを整理します。
「そうですね、聖紋を授からなかったそうですから魔法に関する才能はないのでしょう、人柄についてはエクレアとほぼ似たような意見ですね」
武術に関しては私には分からないので差し控えます。
「あとは年の割に理知的だと感じました、領地に関する質問や商業に関する世間話にも過不足なく受け応えできていましたし、文官方面の才能には恵まれているのかもしれません」
「御嫡男のラムス様と同様ではないのですか?」
エクレアが言いたいのは一昨日のことでしょう。
あの視察の折、ラムス様は私の質問に問題なく答えていましたが、それが他人の受け売りで自分の知識ではないことは直ぐに分かりました。
次男のロイド様は王立大学で主席を取るほどの秀才です、きっとラムス様の知識はロイド様に吹き込まれた上辺だけのものなのでしょう。
「時間も短く深いことまでお話できませんでしたのでそれについては即断できません……ですが、その可能性がないわけではありませんね」
それについてはもう少し時間をかけてから判断するのが良いでしょう。
「ただ、魔法具については並々ならぬ御興味をお持ちのようですね」
視線を下ろすとテーブルの上に置かれた魔法具が目に入ります。
それは先ほどの歓談の折にルース様よりプレゼントされた物です。
三年前に彼が自作した 『りんすいんしゃんぷぅ』 という物で、何でも洗髪薬を合成するための魔法具なのだそうです。
「子供の時に作った玩具を姫様に献上するとは無礼極まりないっ! 洗髪薬を作る魔法具など庶民でも購入できる程度の物ではないですかっ! そのような粗末な物を、仮とは言え婚約者に贈るなどと……」
エクレアが静かながら、怒髪天を突く勢いで怒り出す。
「まぁまぁ、それくらいのことで怒っていてはいけませんよ?」
「ですが姫様っ!」
「ルース様は庶子故、普段から平民として暮らしているそうです。価値観も金銭感覚も平民と同等なのでしょう、この魔道具だって平民にしてみれば高級品です、自作品とは言えそれ婚約者である私に贈ってくださったのですから、その好意は素直に受け取らねばなりませんよ」
「さすが姫様ですっ!」
エクレアが膝を突き、感動したようにこちらを見上げてくる。
弱き者に対する寛容さは為政者にとって必要なことだ。
「最後にもうひとつ、嫡男のラムス様についてはどう感じましたか?」
それを聞いた途端、エクレアの表情がすっと冷めたものに変わりました。
「武術のレベルは近衛騎士で比較するならば下から数えた方が早い程度でしょう。性格は傲慢で思慮に欠け短絡的で感情的、知性に関しては凡愚といったところですね」
「ふふふっ、エクレアは辛辣ですね」
ああいった男性はエクレアが最も嫌うタイプですから無理もありませんね。
「では姫様の御感想は?」
私はしばし考え、それに応えます。
「そうですね……伴侶とするならば王家にとってはとても好ましい相手でしょうね……領主としてはやや才覚不足の気がしますが、そこは御次男のロイド様をこちらに引き込めれば問題ないでしょう」
「ラムス様は扱うには易い御人ですからね……さぞや王家のためになってくれるでしょう」
「エクレア、貴方は感情が顔に出易いのですから注意しなければなりませんよ?」
先程の歓談の折も、ずっとルース様を睨んで敵意を向けていたようでした。
「できないようなら、最悪私の護衛騎士を辞めてもらうことになります、ですから本当に肝に銘じてくださいね?」
「はっ、畏まりました姫様っ! 我が最善を尽くしますっ!」
そんなに大きい声を出しては、防諜の魔法具も効果が半減してしまいますよ? 私はそう内心で零しながら苦笑いを浮かべました。
私がこう言ってもきっと改善しないのでしょうね、彼女は――。
まぁ、そんなエクレアのおかげで私の寛容さが相手に印象付けられるのですから、感謝してもいるのですがね。
――コンコン
そこへノックの音が響き渡りました。
入室を許可すると案内の侍女に遅れてエクレアの副官が入ってきました。
彼は私にお辞儀をした後、すぐさまエクレアの元へ歩み寄り彼女に耳打ちします。
侍女が退室し、エクレアの命を受けた騎士が去ってしばし経ってから――。
「件の銀仮面ですが……あっさり尾行を撒かれたそうです、その折未知の魔法を操っていたとの報告も……」
エクレアの報告に私はしばし黙考します。
ギルドや街で聞き込みをしても彼に関する情報は大して得られませんでした。
名前はカイト、四年前に狩猟者登録をしてからわずか数年で金級に昇格、ギルドに於ける貢献度大、クライスラー領の発展にも一役買っている。
しかし、彼の正体はおろか、誰一人仮面の下の素顔を見た者はなく、年齢以外住居も普段の行動も交友関係すらも不明、保有する聖紋すらも不明。
「何者なのでしょうか……せめて彼が仮面を被る理由を特定できれば正体を突き止める可能性も出てくるのですが……」
私たちを助けてくれたのですから犯罪者の線はないでしょう。
仮面を被るということは普段の彼を知る者が街に居るということの証左、素顔を隠すということは露見した時何らかの不都合が生じる立場にある人物といったところでしょうか。
「因みに、エクレアからみてカイト様の戦闘力はどの程度ですか? 推測で構いません」
「耳にした話が全て事実とするならば、私など足元にも及びません……私を含めた近衛騎士100人でも相手にならないかと……」
エクレアが悔しそうに顔を歪めました。
一昨日の襲撃事件での不在、それに加え騎士としての矜持がそうさせるのでしょう。
それでも隠すことなく本心を語るのは彼女の最大の美徳です。
「ともあれ、カイト様の正体に関しての調査は継続してください、必要ならウォーレン卿にお願いして諜報部を使う許可を取り付けます」
「確かに、彼の者の戦闘力は驚嘆に値します、近衛騎士団に迎えれば王国にとって大きな利益となりましょう、ですが姫様がそこまで肩入れをする理由が分かりません」
私はその問いに徐に答えます。
「確信はありませんが、カイト様こそが神託が示した英雄ではないかと私は思っているのです」
巫女が受ける神託も夢の形を取る関係上、少し記憶があやふやなになってしまう、といった話を耳にしたことがあります。
ならば、神託自体は真実でも内容に若干の齟齬が混じってしまうのは十分にあり得ることです。
「銀仮面が――あの怪しげな者が英雄だと姫様は仰られるのですか?」
巨大な魔獣を瞬殺した戦闘力だけでも英雄と呼ぶに相応しいでしょう。
それに、王女であることを名乗り謝意を述べたときも、彼は権力に阿ることなく毅然とした態度をしていました。邂逅は短い間でしたが、それでも彼が人格者としても優れているのが伺い知ることができました。
「何かの手違いでカイト様ではなく、ルース様が英雄の器なのだとされてしまったのかもしれません……それについて、神託の内容を仔細に問い合わせる必要がありますね」
どちらにも面識がある私だからこそ、それが真相なのだと思えてなりません。
きっとあの方こそが神託にあった英雄なのです。
私は意を決し、今後の方針について思索を始めました。
気長に付き合っていただけると嬉しいです