004 【 銀仮面 】
「ふぅ……実験は成功かな」
一息吐き、ルースは額の汗を拭った。
目の前にはブスブスと煙を上げる魔獣の亡骸が横たわっている。
体長五メルテ(メートル)を超える巨躯、盛り上がった筋肉の色は真っ青だ。額からは一本の角がは生え伸び、厳めしい相貌の中央には大きな眼窩が一つギョロリと覗いている。
〈エンシェントサイクロプスを魔法一つで瞬殺とはコヤツは再生能力が厄介なのじゃぞ? いったい、何なのじゃその腕輪は……〉
クロの呆れ声が脳裏に響く。
「作ってる時に言わなかったっけ? 魔法発動補助デバイス、『お助け魔ー君ver.3.1』 だよ」
〈……お主のネーミングセンスはこの際置いておくとして……我が聞いているのはその魔法具の能力の方なのじゃ〉
「一言で説明するなら五元魔法を効率よく使える魔法具だよ、僕は前世で次元魔法しか使えなかったからね、ずっと五元魔法が使ってみたかったんだ、ミスリルが手に入ったのは幸運だったよ」
発動できないこともなかったのだが、適性がなくてとても使えたものではなかった。
パーティーには四星魔導師のマリーがいたから、そもそも使う必要すらなかったのだが――。
だがら専ら防御と補助が海斗――ルースの役目だった。
それでも使えるようになりたいと、前世の頃からずっと研究を続け、完成したのがこの腕輪の魔法具だ。
〈「使ってみたかったんだ」、ではないわっ! 何んなのじゃ、その魔法式にその威力はっ! 全く別物ではないかっ! しかも、熱線が曲がっておったぞ?〉
五元魔法とは精霊魔法とも呼称され、それを簡潔に説明するならば、火、水、風、木、土の五つの属性に由来した魔法である。
ただ精霊といってもそれ自体に意志のようなものはなく、各属性に偏った性質を持つ魔元素のことである。
この精霊に干渉して魔法現象を発動させるのが五元魔法なのだが――発動時、人によってその効果に大きな差が生じてしまう。
その差が生じる故に適性云々といった話になるのだ。
そして、五元魔法の魔法式を分解すると、事象干渉、運動、効果の三つの工程に分けることができる。
例えば初級魔法とされる炎弾を魔法式で説明すると――。
まず魔力によって精霊に干渉し、炎を生み出す――これが事象干渉であるが、炎弾には炎を圧縮する魔法式も追加で組み込まれている。
そして、発現した炎弾を杖の向けられた方向へと真っすぐ打ち出す――これが運動である。
ちなみに飛距離と速度は魔力と正比例の関係にあるため、炎弾には飛距離と速度はあらかじめ定数として魔法式に組み込まれいる。
最後に、飛翔した炎弾がある程度の質量をもつ物体に衝突すると圧縮されていた炎が瞬時に膨張し衝撃と炎を周囲にもたらす――これが効果である。
この一連のプロセスを魔法言語を詠唱することで魔法式を構築し、そこへ必要な魔力を込めて魔法を発動させるのだ。
ちなみに魔法式をイメージとして完璧に記憶し、魔力で空間に念写することで魔法を発動させる手段がある、これが所謂 『無詠唱』 という技術であるのだ。
ルースはこの無詠唱という技術に、前世で培った情報技術の理論を加え、そこへ更に科学理論を交えることで、魔法式の改変、簡略化を可能にしたのである。
「魔法式を制御するOSと座標や運動式に関する演算システムの構築は前世で粗方形にしてたとはいえ、デバイスの作成は零スタートだったからね……ここまでこぎつけるのには本当に苦労したよ」
〈…………〉
突然クロが黙ってしまった。
しかし、何か言いたげな感情だけは、はっきりと伝わってくる。
「どうしたんだクロ? 急に黙って……」
〈はぁ……気軽に神話級の魔法具なぞ作りおって……〉
ボソリと呟くクロの声が脳裏に響いてきた。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、神話級は大げさだって……演算とか魔法式の転写にかなりの魔力を食われちゃうから、組み込んだ精霊石のサイズじゃ、さっきの魔法だと数発撃つのが限界だからね、まだまだ改良が必要だよ。そもそも……」
因みに精霊石とは次元魔法を応用して高温高圧で複数の魔鉱石を凝縮したものである。
〈褒めてなぞおらんわっ‼〉
話を遮るようにクロの大声がワンワンと木霊する。
どうやら機嫌がよろしくないようだ。
(ここはそっとしておこう……)
そう内心で呟いて、ルースは実験のために訪れていた霧の樹海を後にした。
――キンッ……ガンガンッ!
ルースが樹海を出て街道の傍まで帰ってきたところで遠くから剣戟の音が伝わってきた。
〈どうやら、人が魔獣に襲われておるようじゃのぉ〉
クロの言葉に目を眇めてみれば、鎧を着た騎士が十数人、馬車を守るように魔物と戦っている様子が飛び込んでくる。
急いで駆け出すルース。
「アレって伯爵家の馬車か?」
近づくとまだ遠目ながら馬車に刻まれたクライスラー家の家紋が目に入った。よくよく見れば騎士たちの背後には剣を手にしたラムスの姿も見て取れるではないか。
ルースは慌てて木立ちの陰に隠れて様子を伺う。
騎士は全部で二十人程、その内半数近くが地に倒れ伏している。
彼らが相手にしているのは巨大な角を持った鹿の魔獣――グレートディルだ。
騎士たちが戦っているところは初めて見たが、彼らの技量では全滅は時間の問題のようだ。
〈……あのような生意気な小僧など、放っておけば良いと思うが……どうするのじゃ?〉
正直、ラムスの事はどうでもいいと思う、家族の情なんてものは皆無だ。
しかし、実兄を見捨てたとあってはロイドに合わせる顔がない。
それに家族の事情に護衛の騎士たちは全く無関係だ。
〈多分じゃが、あの魔獣はお主が樹海で物騒な実験をしておったから、樹海の外まで逃げ出したのだと思うぞ?〉
「うそ? もしかしないでも僕が元凶?」
急いで次元収納から仮面を取り出して身に着け、念のため外套も羽織る。
そして、変装が完了すると脱兎の如く駆け出した。
side ― ラムス ―
突然、王都から王命を携えたワーレン子爵がクライスラー領にやってきた。
父上は俺にも使者を出迎えるようにと命じたが、騎士たちの演習に立ち会う予定が入っていると言ってその役を弟のロイドへ押し付けた。
父上はあまり良い顔をしなかったが 「無骨な俺では無礼をしてしまうかも」 そう適当に言い訳をしたら存外簡単に受け入れてもらえた。
(ふん、父上も始めからそうしていれば良いのだ)
小難しい内政や使者の相手なんていう面倒くさいことは時期当主の俺ではなく、将来補佐役を務めるロイドがやればいいのだからな。
使者が我が屋敷を訪れた当日、アーロンからルースが来ると聞いた俺はアイツを屋敷の前で待ち構えることにした。
屋敷を訪れたルースは相変わらずみすぼらしい格好をしていた。
優秀な俺とは違い、聖紋も魔力もない役立たずの弟。
無能だからと屋敷を追い出された哀れな弟。
だというのにアイツの顔には嫉妬の色がない――生意気だ。
俺を見る目に恐れの感情がない――いけ好かない。
小賢しい言葉遊びでのらりくらりと俺の追及を躱す――本当に頭にくるガキだ。
だがアイツはゴミ同然の平民、俺とは所詮身分が違う。
俺が当主になったあかつきには無礼討ちにしてやろうではないか。
そう思っていたというのに――。
(なんでだっ! なんで無能のゴミが騎士に叙せらるっ!)
地方騎士とは違い、王家の騎士は爵位を持つれっきとした貴族だ。
陰では準貴族などと呼ばれているとはいえ、それでも今の俺より身分が上になってしまう。
やり場のない怒りに震えた俺だったが、父上から「くれぐれも内密にせよ」と念を押され、アイツの綬爵は仮初であり、その上俺が第三王女のルフィリア殿下の結婚相手に内定していると聞かされた時は爽快な気分になった。
溜飲が下がるとはまさにこのことだろう。
やはり王家は能無しのルースなぞ相手にはしていない、次期当主の俺こそ王家は必要としているのだ。
後日、父上の言葉を裏付けるようにルフィリア殿下がクライスラー領を訪問する旨が伝えられた。
父上はすぐさま俺にルフィリア殿下の相手を命じた。
それも当然だろう、俺は近い将来彼女の夫になるのだからな。
「…………!」
ルフィリア殿下に初めて会った俺は彼女の美しさに目を奪われた。
まだ幼さが残るものの、肌は透き通るように白く、結い上げた髪は絹のように輝いていた。
彼女が俺の妻になるのだと思うと、天にも昇る気持ちになり、嬉しさを堪えるのが大変だった。
翌日、俺はルフィリア殿下を伴い、領内を視察して回ることになった。
クライスラー領が誇る騎士団の演習、狩猟ギルドそれに魔鉱石の競りが行われる競売場に魔獣素材の集積場など――それらを訪れる度に殿下からいろいろと質問されたが、ロイドが言っていた事をそのままに応えると、彼女は感心して聞いているようだった。
俺の役に立ったのだ、後でロイドのヤツを褒めてやるとしよう。
魔物素材を目にした殿下は実際に魔物を見てみたいと言い出した。
これは良いところを彼女に見せるチャンスだと、俺は馬車を霧の樹海へ向かわせるようにと部下に命じた。
だが、万が一にも王女の身に危険が及んでは一大事になると、部下は猛反対してきた。
騎士たちは演習で霧の樹海には何度も足を運んでいるし、俺だって騎士学校の課外授業で魔物討伐を経験しているのだ、大事になるわけがない。
いざとなれば俺がルフィリア殿下を守れば良いのだから問題などあるわけがないだろう。
それに街道から樹海が見えるところまで案内するだけなのだがら、魔獣が出たとしても所詮は雑魚だろう。
騎士が二十二人に加え俺がいれば赤子の手をひねるようなものだ。
だというのに――。
「なんでこんな大物が樹海の外にいるんだっ!」
「固まるなっ! 角で薙ぎ払われるぞっ!」
「おい、誰かひとり、領都へ救援要請に走れっ!」
GULAAAAAA!
騎士たちの怒号が飛び交い、魔獣の咆哮が響き渡る。
どうしてこうなった――大型の魔獣は滅多に樹海の外には出てこないんじゃなかったのか? 何でこんな凶悪な魔獣がこんなところにいる?
俺が自問している間にも、騎士たちが次々に魔獣の角に跳ね飛ばされて倒れ伏していく。
騎士の方こそ雑魚のようだ。
(こ、これは拙いぞ!)
嫡子の俺が死ぬわけにはいかない。
(そうだ俺の命は騎士とは比べ物にならないほど大事なんだ)
ならば、騎士たちを囮に逃げれば良いではないか、態々魔獣を討伐する必要などない。
俺とその妻となるルフィリア殿下さえ無事に逃げおうせれば何も問題はないのだ。
馬車を御したことはないが、きっと何とかなるだろう。
――ガキーンッ‼
俺がまさに行動を起こそうとしたその刹那、いきなり闖入者が現れ、騎士を襲おうとしてた魔獣の角を跳ね飛ばした。
「はぁ?」
俺は思わずその光景に目を疑った。
見るからに華奢で俺より小柄な人物が手にした剣で巨大な魔獣の角を軽々と弾き返したからだ。
怪しげな銀の仮面をした人物は右に左に巧みに攻撃を躱し、馬車から離れるように魔獣を誘導していく。
その流麗な剣技に俺は思わず目を奪われてしまった。
縦横無尽に振るわれる凶悪な角の一撃を巧みにいなし、突撃を易々と受け流し、返す剣で角を切り落とす、まさに達人の技だ。
それから数分も経たず、魔獣と銀仮面の戦いが決着を迎える。
仮面の男が軽く振り下ろした剣があっさりと魔獣の首を切断し、片角になった頭が地面に転がる。
あれほど騎士たちが苦戦させられたというのに、最後は実にあっけないほどに終わってしまったのだ。
俺は驚嘆した、が同時に歓喜もした――コイツを部下にできれば俺の未来は更に安泰ではないかと――。
だが、そう思ったのも一瞬のことだった。
馬車から姿を現したルフィリア殿下が銀仮面に歩み寄り、こともあろうにアイツの手を取ったからだ。
艶然と笑みを浮かべ、陶然とした表情で銀仮面に謝意を述べる第三王女。
その光景は、さながら物語に出てくる英雄と王女の姿を切り取ったかのようである。
それを目にした俺の中で暗い殺意の炎が生じる。
(アイツは俺の敵だ)
銀仮面も、そしてルースも――俺の邪魔をする奴は何れ排除してやる。
その決意を飲み込み、俺はルフィリア殿下の元へと足を運んだ。
気長に付き合っていただけると嬉しいです




