003 【 王都からの使者 】
応接室で待っていると、アーロンが王都からの使者を伴って入ってきた。
カイゼル髭をした細身の紳士――この壮年の紳士がワーレン子爵のようだ。
背後には護衛と思しき若い騎士が一人、木製の小箱の様な物を手に付き従っている。
それを出迎えるのは当主のガリウス、次男のロイド、それにルースを加えた三人だ。
嫡男ではなく次男を伴っているのは、ラムスは少々奔放なため、使者に対して粗相しないようにとガリウスが慮ったのだろう。
それとも、当の本人が堅苦しいことは嫌だと辞退したのかもしれない。
「ワーレン卿、遠路はるばるようこそ参られた……こうしてお会いするのは暮れの夜会いらいですかな?」
ガリウスがソファーから立ち上がり手を差し出すと、ワーレン子爵がにこやかな笑みを浮かべその手を取る。
「クライスラー卿におかれましては御壮健なようで、なりよりですなぁ……先日の魔獣討伐の武勇が王都まで伝わってまいりましたぞ」
その後も、ひとしきり挨拶を交わすと、ガリウスが隣に控えた次男に目を向ける。
「こちらは次男のロイドです」
「お初にお目にかかります、ワーレン子爵様……クライスラー家、次男のロイドと申します、以後お見知りおきを……」
右手を胸に当て、貴族式の礼をするロイド。
貴族教育を施されているだけあって、洗練された流麗な立ち振る舞いである。
「はははっ、君の噂は耳にしているよ。次女のミランダが君のことを文武に優れた貴公子だと褒めそやしていたからね……なるほど、娘の言葉通りのようだ」
ワーレン子爵がうんうんと頷いて続ける。
「うちのミランダは今年で十五歳、君は十八歳と聞く……どうだね、もし良かったらうちの娘を嫁に貰ってくれないかな? 自慢になるが、うちの家内に似て、ミランダはとても器量良しだぞ?」
「次男の身でそれは、大変に光栄ですね。ですが、文も武も未だ修行中の若輩の身故、嫁を貰うなど考えたこともありませんでした」
「はっはっはっ、うちの娘は君に気があるようだったからなぁ……社交辞令ではなく、真剣に検討してくれれば私も嬉しいよ」
「ワーレン卿、立ち話もなんであろう、先ずはゆるりと寛がれよ」
ガリウスが結婚話をやんわりと遮り、客にソファを勧めて侍女に目配せを送る。
メイドがお茶の支度をする間、三人は当たり障りのない世間話を続ける。
その間ずっと、ルースはソファの背後に直立したまま、さながら空気のような存在だ。
〈ルースよ……我は無性に黒雷を落としたい気分なんじゃが……ちょこっとだけ、試しても良いかのぉ?〉
(いやいやっ、黒雷ってクロの得意技だったヤツじゃんっ! うちらが散々苦労させられたヤツじゃんっ! 本気で止めてね? ……ていうか、僕の中に封じられてるのに、まさか使えちゃったりするとか言わないよね?)
物騒な物言いに思わず言葉を失うルース。
〈くっくっくっ、冗談じゃ、冗談……四割ほどじゃが〉
(使うのが冗談なの? それとも使えるのが冗談? ……ていうか、何気に冗談成分の方が少なくないかな?)
〈気のせいじゃ、気のせい……三割ほど〉
(更に一割下がってるじゃんっ! 洒落にならないからっ! もし出来ても、絶対ダメだからっ!)
〈もしかせんでも……それはフリというヤツかのぉ?〉
(フリじゃないからっ! 全力でダメなヤツだからっ!)
なんやかんやと、ルースたちが脳内でやり合っていると――。
「して……そちらの少年が件のルース殿ですかな、クライスラー卿」
ひとしきり会話を終えたワーレン子爵が徐に切り出した。
「……ルース……ワーレン卿にご挨拶せよ」
「ルースと申します……」
ガリウスの目が余計なことを言うなよ、と物語っていたので、名前だけ口にして頭を下げる。
「こ奴が話にあった、三男で庶子のルースです……今年で十……十二だったか?」
いちお実子のはずなのだが、どうやら庶子ということになっているらしい。しかも、年齢すらも記憶にないようだ。
ワーレン子爵が品定めするように視線を投げかけてくるが、それも瞬きほどの時間だ。
「さようですか……では、用件をすませましょうか……」
その言葉を受けると、背後に控えていた護衛騎士が前に進み出た。
手にしていた木箱の蓋を開けて捧げ持つ青年騎士。
子爵はそれにツカツカと歩み寄り、箱に向って礼をすると、箱の中から封蝋がなされた巻紙を取り出した。
そして、ガリウスに確認させてから徐に封を切る。
「アウグスト・ロード・カイゼル・ロメリア陛下に代わり、このセシル・フォン・ワーレンが王命を伝える」
芝居がかったその台詞に、ガリウスがワーレン子爵の前に進み出る。
そして、片膝をつくと王家の封蝋がなされた巻物に向って頭を垂れた。
ロイドがその右、半歩下がった場所に同じく片膝をつく。
ルースもそれに倣い、二人の背後に回って頭を垂れた。
「ガリウス・フォン・クライスラー辺境伯に告げる」
一拍おいて、続ける。
「ひとつ……ガリウス・フォン・クライスラー辺境伯が第三子、ルースに騎士の爵位を授ける。尚、綬爵については成人を迎えてからとし、その準備として来季から王立学院への入学を命じる」
「……っ‼」
くわっと目を見開き、顔を上げる辺境伯。
「ふたつ……それに伴い第二王女ルフィリア・ロード・ロメリアとルース・フォン・クライスラーとの間に婚約を結ぶものとする、この件についても正式な発表は成人後とする」
「そんなバカなっ! なぜそのようなことをっ!」
王命の――その信じられない内容にガリウスが思わず腰を浮かす。
子爵がこれに静かに――しかしはっきりとした声音で戒める。
「コホン……これは王命ですぞ、ガリウス殿……控えられよ」
「こ、これは失礼つかまつったっ! 私としたことが……許されよ……」
失態に気付き即座に謝罪するガリウス。
しかし、矛先を変えるように背後をチラリと振り返り、ルースのことを親の仇でも見つけたかのように睨みつけてくる。「これは一体全体どういうことだ?」とその目が物語っているようだ。
〈くっくっ、これは愉快じゃ……くふふっ、これはもしかせんでも 「ざまぁ」 とかいうヤツかのぉ〉
脳裏で場違いな笑い声をあげる闇の獣たるクロ。
思わず腹を抱えて笑い転げる漆黒の魔狼の姿を幻視してしまう……何ともシュールだ――。
(そんな目で睨まないでくれませんかねぇ、お父様……こっちが聞きたいくらいなんで……あと、クロはしばらく黙っとこうか!)
ルースにできることない。
ひたすら石化したように彫像と化すことのみであった。
王命の伝達が終了すると、ルースは即座に部屋を追い出された。
どうも、本人を除いた残りのメンツで話し合いを行うようだ。
かと言って帰ることも許されておらず、別室で待つように言い渡されている。
(さっきの件だけど……クロには何か心当たりとかない?)
〈我はずっとお主の中にいるのじゃぞ……心当たりなど、あるわけなかろう?〉
(……だよねぇ)
やはりクロも知らないようだ。
〈お主こそ、何か心当たりはないのか? 何ぞ故あって、王女の番いに選ばれたのじゃろ?〉
(うーん、僕は貴族教育とか受けてないから、貴族の慣習とかルールみたいなものは全く分からないけど……普通に考えても、あんな風に一方的に婚約者を選ぶことは異常だと思うよ? そもそも王女様なんて会ったことないし……というか、全力でお断りしたい)
第三王女とはいえ、王族が降嫁するとしたら、それなりの地位にある貴族家の――それも次期当主に内定している嫡男が選ばれるはずだ。
伯爵家の三男――しかも庶子と公言している者に騎士爵を与えたうえ、王女を降嫁させるなど異例中の異例だろう。
というか裏にどんな策謀があるのか、と疑わずにはいられない。
「情報が少なすぎて……まったく見当が付かないや……」
ルースがああでもない、こうでもないと一人頭を悩ませていると、一人の人物が訪ねてきた。
煌めく様な金髪にスラリとした体躯の貴公子。
先ほど応接間で一緒だった次男のロイドである。
「こんなところで一人待たせてしまって、悪かったね、ルース」
「いえ、ロイド様に気にしていだだくほどの事ではありません」
「こうして久しぶりに会ったというのに、様付けはやめてほしいな……ルースは私の弟なのだがら、小さい頃のように 『兄さん』 と呼んでくれると嬉しいかな」
屋敷の離れに住んでいた頃、家族はもちろん、使用人からも無視されていたルースだが、ロイドただ一人だけは他と違っていた。
思えば、この五つ年の離れた兄だけは、黒髪だからとルースのことを忌み嫌うことなく、普通に接してくれた。
いや、普通以上に、会えば気軽に声を掛けてくれたし、何かと気に掛けてくれていた気がする。
彼はクライスラー家唯一の良心であり、冷遇されるルースの居場所だったと言える。
「お久しぶりです……ロイド……兄さん……先ほどは碌に挨拶も出来ずすみませんでした」
ルースが恐る恐る言葉を紡ぐと、ロイドが満面の笑みを浮かべる。
「ふふふっ……こうしてルースに兄と呼んでもらうのは何年ぶりだろうね」
「……それで先ほどの件ですが……どういった事情があるのですか?」
「私としては久しぶりにルースと語らいたかったのだけど……そうも言ってられないようだね」
そう言うと、ロイドはソファへ座り、ルースにも座るように促す。
そして、真面目な表情に切り替えて口を開いた。
「結論から先に言うと、今回の件には、どうも教会が絡んでいるらしい」
「アルス教がですか?」
訝し気に返すと、ロイドがすぐさま首を振る。
「いや、アルス教ではなく、女神教の方だね」
アルス教とはその名の通り太陽神アルスを崇め祭る宗教である。
力を標榜する神であるためか、主に貴族や上流階級の民がその主な信者だ。
因みに件の洗礼の儀が取り仕切るのもアルス教である。
対して女神教とは月夜神の女神ルナを崇める宗教だ。こちらは祭る主神が慈愛と豊穣を司る神ということもあり、信徒の殆どを農民や下級の平民が占めている。
〈うーむ、どうやら話が見えてきたぞ……お主の現況を見るに見かねた女神がテコ入れをしてきた結果がアレ、といったとこかのぉ〉
そんなクロの予想を裏付けるように、ロイドの口から答えが紡がれる。
「私には詳しい事情を教えてもらえなかったけれど、どうも神託を受けた女神教の巫女様が王家に働きかけたみたいなんだ」
一呼吸おいてロイドが言い含めるように続ける。
「ただ婚約については使者殿も内密にと念を押していたから、くれぐれも他言しないようにルースにも気を付けてほしい。これも王命みたいだから、破れば極刑もあり得るから本当に注意するようにね?」
その後は、諸々の手続き、それに今後の方針や身の振り方などの説明を延々と聞かされ、家に帰りついたのは夕方だった。
〈面倒ならさっさと逃げてしまえば良いではないか、お主ならどこへ行っても一人で暮らして行けように――そもそもクライスラー家になぞ、何の未練もあるまい?〉
そんなクロの甘い囁きが脳裏に木霊する。
「ロイド兄さんがいなかったら、僕もそうするんだけどね」
唯一家族と思える兄の顔を思い浮かべ、ルースは一人溜息を吐いた。
(気に掛けてくれるのは嬉しいんですけど……権力者は勘弁してくださいよ、ルナ様……)
side ― ロイド ―
「はぁ……王家に先を越されてしまったかな」
ルースの背中が門の向こうへ消えるの見送ってから、私は独り溜息を零した。
まさかこんなにも早く王家が動き出すとは思っていなかった。
ルースは王立学院に通わせてもらってなかったので、その才能が他の貴族や王家の耳に入ることはないだろうと甘く見ていたのは事実だ。
しかし、情報が漏れないように狩猟ギルドや領内の商人には手を回しておいたし、ルースがギルドや商人に持ち込んでいる物資――殊に魔獣の素材と魔鉱石の出所は露見しないように私が巧妙に隠してきたつもりだったのだが――。
「まさか女神教が嗅ぎつけてくるとはね……いくら何でも、それは予想できないよ」
ルースが幼い頃から、私は彼の異常性に気が付いていた。
その容姿の故、両親から疎まれ、読み書きなどまともに教育されていなかったというのに、ルースは一人本を読んでいたのだ。
私はこの五つ年の離れた幼い弟に強い興味を惹かれた。
ちょっと会話をしただけでも、彼が明晰な頭脳を宿してことは直ぐに理解できた。
試しに領内で行われている魔鉱石の取引について、軽い気持ちで意見を求めてみたところ、私でも驚く様な答えが彼の口から返ってきたのには心底驚かされた。
それは経済というものを理解していなければ出来ないような意見だったからだ。あまつさえ言外に込めた意までも先回りして理解しているようであった。
本人は自分の才能を隠しているようであったが、天然なのか、それとも幼さ故なのか時折言葉の端々で漏らしてしまう姿にはとても好感を覚えたのを今でもはっきりと覚えている。
だというのに、ルースは五歳の洗礼の儀の折、無能という烙印を押されクライスラー家から追い出されてしまった。
それを聞いた時、私は憤慨した。
「クライスラー家の宝をみすみすドブに捨てるのですか?」
と、父上に直訴したのだが――相手にもされず、そんなバカなことあるかと一笑に付されてしまった。
私は仕方なく、使用人を引退したローナの元に彼を預けるように進言し、ルースが暮らして行けるだけの生活費の供与を何とか父上に約束させることはできた。
それにより、かろうじてルースとクライスラー家の繋がりが断たれることだけは回避できたのである。
私としては、父上が引退してある程度の権限が譲られるのを待ってから、彼を私の部下として連れ戻すつもりでいた。
そして、私の元で数年も学べばルースはきっとクライスラー領にとって有用な人物に育つであろうと考えていた――だが、ほどなく私のルースに対する評価はあまりにも過少だったのだと気付かされることとなる。
五年前、私は父上に魔鉱石増産に関する献策をした。
その献策とは――
一つ、魔鉱石の買取価格を他領より十パーセント引き上げること。
二つ、狩猟ギルドに資金を提供し、狩猟者が死傷した際には見舞金を支払うこと、またギルド名義の宿を開設し、領内に留まる狩猟者には格安で滞在できるように取り計らうこと。
三つ、騎士団が演習の折に倒した魔獣や、その折に手に入った魔鉱石については、クライスラー家が買い取る方式をとり、買取金の半分を騎士の臨時手当として与えること。
――以上の三つである。
施策は半年も経たずに功を奏し始め、二年後には大きな結果をクライスラー領にもたらした。
魔鉱石の産出量と領内に流通する魔獣の素材が三割程増し、それに伴い領内を訪れる商人が、増加し経済活動が目に見えて活発になったのである。
税収も一割増し、およそ二年で初期投資に費やした費用の回収が完了した。
私の提案した施策は想定していた中でも最短の期間で結果を出したのである。
だがしかし、その翌年――私の想定にない事態が発生した。
それは魔鉱石の産出量と魔獣の素材が一気に三倍にまで増加し、同時にクライスラー領の税収が更に一割増したのである。
この想定外の事態に私がすぐさま調査の手を入れると、驚くべき報告が上がってきた。
曰く、領内における魔鉱石及び魔獣素材の倍増には一人の人物が関わっている。その者、名を『カイト』と称し、銀髪に銀の仮面を着けた怪しげな風体をした人物であると――。
その報告を聞いた時、私は心底驚嘆した。
たった一人の人物がその結果をもたらしたというのだから当然である。
私は急ぎその人物の身元を洗うように命じた。
可能ならばクライスラー家の家臣として、次善として食客として招こうと考えてのことだ。
だが、件の人物の身元はようとして知れなかった。
尾行すればあっさりと撒かれ、接触しようと待ち伏せをしても容易く躱されてしまう。
ならばと、狩猟ギルドを通して面会を申し込んでも件の人物は権力に媚びず、頑として受け入れなかったのだ。
立場を傘に面会を強要することも考えはしたが相手の不興を買ってしまっては元も子もない。
さりとて煩わしいからと彼が領内から立ち去る気配もない。
何とも不可思議な人物のようだ。
途方に暮れた私だったが、ひょんなことから件の銀仮面の正体を知ることとなる。
それはルースに付けていた監視の記録と、銀仮面の行動記録に奇妙な共通性があることに気が付いたからだ。
それに気が付いたのは全くの偶然だった。
銀仮面の目撃情報がある時間帯は、必ずと言って良いほどルースの監視記録がなかったのだ。逆に、ルースの行動情報がある時間帯に銀仮面が現れたことは一度としてなかったのである。
言い換えれば、ルースと銀仮面が同時に存在した時間が皆無ということなのだ。
ルースと銀仮面なる人物が同一人物である――そう想定して調査を進めると、全ての報告が私の考えを肯定するものであった。
それを知った時、私は驚愕と感動で胸の震えが止まらなかった、クライスラー家は天より宝を授かったのだと――。
そして同時に例えようのない恐怖で身が凍る思いをした、クライスラー家は愚かにもそんな人物を冷遇してしまったのだと――。
それから私はルースを穏便に取り戻すべく――天より賜った宝を守るべく密かに根回しを始めた。
銀仮面に関する情報を封鎖し、ルースに関する情報も漏れないように手配した。
だというのに――。
「ルフィリア殿下をルースの婚約者にするとは……王家はルースの才をどこまで把握しているのだろうか」
女神教がどういった思惑で絡んでいるのか分からないが、王家がルースを取り込もうとしているのは間違いないことだ。
一つ気になるのは綬爵と婚約の件をルースの成人まで公表しないという点である。
ルースの才を見抜いた上、彼を全力で囲い込むつもりだというならば、多少強引でも他の貴族の横やりなど気にせず婚約を大々的に発表してしまうのが最善である。
「ルースの才に王家は未だ懐疑的……といったところかな」
ともあれ、王家が直々に動いてしまった以上、嫡男ですらない私にはどうすることもできない。
「しばし、静観する他ないか……」
私は天を仰ぎ見、一人溜息を吐いた。
気長に付き合っていただけると嬉しいです




