020 【 素材集めとアルラウネ 】
週末、ルースは久しぶりに霧の樹海を訪れていた。
普段ならミリーの屋敷を訪れ助手を務めるのが日課なのだが、用事があるとかで今日はお休みである。
それならば魔法具の審査会に向けて素材集めをしようと思い立ち、久しぶりに樹海に足を運んだのだ。
「ミリーさんが完治して本当に良かったよ」
樹海を探索しながらふと思い出したように言うと、すぐ隣でクロが「はぁ」と溜息を吐く。
「ほんに唐突じゃな、お主……緊張感の欠片もないのかや? そうは言っても樹海の奥地じゃぞここは……」
「いや、仮面を外した素顔のミリーさんを思い出したらついね……」
怪我をしてから何年も経っていたから完治できるかどうか少々不安だったのだが、魔力拡散薬の効能が思ったよりも高く、固まってしまっていた魔力塊を完全に除去することが出来ていた。
「フルフルポーションもきちんと仕事したみたいだし、本当に良かったよ」
不躾とは思いつつ念のため彼女の身体を探査したところ何の異常も見られなかった。
「……名前はともかく、確かに効能は凄まじかったからのぉ、古傷ばかりか退化した筋肉まで正常な状態に戻っておったぞ? 魔法薬とて万能ではない、傷は癒せても対価として体力をゴッソリ奪われるはずなのだからな……」
クロの言葉にルースがうーんと考え込む。
「含有してる魔力がそれを補ったんじゃないかな、エリクサーみたいにさ」
「……ポンポンと規格外な物を作りおってからに……あの闘いでそんな物使われておったら我は簡単に討滅されておったぞ?」
クロが言う闘いとは千年前のことだろう。
「ははは、さすがに【闇の獣】様相手にそれはないでしょ、即死級の範囲攻撃をバンバン放ってきてたじゃん」
「そうは言うがのぉ、お主……黒雷を完全に防がれた挙句、ゾンビアタックなんぞされた日には我とて対抗手段はないぞ?」
確かに致命打を与えても即座に復活される光景を想像すると自分も相手なぞしたくないと思う。
エリクサーは希少性が高すぎて現実的ではないが、生産効率の良いフルフルポーションならばそれが可能になってしまう。
ともあれ、これ以上はクロの愚痴に発展しそうな雰囲気なのでさっさと話題を変えるのが吉である。
「しかし、ミリーさんの様子が少し変じゃなかった? 何と言うかこう、よそよそしいと言うか、態度が固いと言うか……」
「……お、お主の勘違いではないか? 長年の苦しみから解放されたのじゃから、多少態度が変なのは当たり前のことではないかのぉ?」
「うーん、まぁミリーさんに関してはそうなんだろうけど……セレナさんは明らかにおかしくなかった?」
呼称もなぜか様付けに戻っていたし、終始表情も硬かった気がする。
お茶を用意している時なぞ、あの完璧メイドさんがカップを落としたり、何でもない所で躓いたりと、完全にドジっ子メイドにクラスチェンジしてしまっていた。
「クロは何か心当たりとかない?」
「わ、我に心当たりなぞ有る訳なかろう? そもそも我はあの銀髪侍女と言葉を交わしたこともないわ」
「そうだよね……その依り代を作ってから、クロがちょくちょく出掛けるようになったから、もしかしたらと思っちゃってさ……ゴメンゴメン」
――ギクギクッ
「それはそうと、今更な話なんだけど……クロって女の子だったの? 以前、性別はないって言ってなかったっけ?」
ルースの隣には小柄な少女が数歩先行する位置取りで歩いている。
黒地に金糸の刺繍が施されたチーパオから伸びる四肢は雪のように白く、頭のシニョンはどこぞの格闘ゲームに出てきたチャイナ娘を彷彿させられる姿だ。
明らかに違うところと言えば、腰のあたりから伸びた尻尾であろう……歩くのに合わせて艶やかな毛並みをした黒い尻尾が左右にユラユラと揺れている。
「ほんにいきなりじゃのお主は……」
クロ曰く、意識せずに依り代に宿ると女の子の姿になってしまうらしい。どうも魂に刻まれた姿らしく、本人も最近になって性別があったのだと自覚したようだ。
「何じゃ、お主……もしかせんでも我に惚れたのか? 何なら我と番になって子でも作ってみるか?」
後ろを振り返り、スリットの隙間から太腿をチラチラと見せびらかす黒髪の少女。
しかし、如何にも小学生然とした年恰好では小さい子が背伸びをして大人ぶっている微笑ましさしかない。
「はいはい、可愛い女の子が番とか子供を作るとか言っちゃいけません、そういう事はもう少し大人になってから言おうね」
「……か、可愛いかの……我……」
「ん? まぁ、普通に評価してもかなりの美少女だと思うよ?」
その見た目ならば、ルースに限らず多くの人間が同じ評価を下すと思う……幼女なので期待値という意味でだが――。
「……こ、この姿は……お主の……こ、好みなのかや? ルフィリアの小娘と比べてどうなのじゃ?」
「好み云々はともかく……ルフィリア様よりはクロの方がよっぽど好感が持てると思うよ?」
確かにルフィリアは類稀な美少女ではあるが、その生れの高貴さもあってどこか作り物めいた美を感じてしまう。
ルース的にはクロのような健康美溢れる姿の方が余程好感が持てるというものだ。ふと、元気いっぱいに走り回っていた親戚の女の子を思い出してしまう。
「そ、そうか……そうなのじゃな……」
慌てて前を向いて足早に歩き出すクロ。
その口調はどこか楽し気で、左右に揺れる尻尾はどこかリズミカルだ。
「クロっ! ちょっとストップっ!」
「な、なんじゃ? つ、番の話かや? ならば我は……」
何かを言いかけるクロを手で制し、パッシブに設定してあった感知魔法をアクティブに切り替えると数十メートル先に反応がある。
こんなに近づくまで反応がなかったことから察するに目的の魔獣である可能性が高い。
「多分、相手はもうこちらに気付いてる……魔力の挙動からすると完全に僕たちを獲物認定してるみたい、半端なく隠密性が高い奴だから魔力視で確認するようにね」
「……うぅ……」
顔を上気させて蹲る黒髪の少女。
その姿に「クロでも警戒するほど強いのだろうか」とルースは警戒を強める。
次元魔法を起動して周囲を具に探査すると、巨大な蛇の姿をした魔獣がゆっくりと木々の間を縫うように近づいてくる。
間違いなく今回のターゲットのひとつ、ランクAの魔獣――アサシンパイソンだ。
「クロなら毒は効かないと思うけど尻尾の締め付けは凶悪だから背後に回るなら注意してっ!」
「わ、分かったのじゃ……」
言うより早く駆け出すクロ。
「僕はこの魔剣の性能を試してみるとしようかな」
相方の背を見送りながら、ルースは腰に差してあった魔剣を手にする。
それはトリスメギストスの名で出品するために制作したばかりの新作魔剣――いや、形からすると魔刀といったところだろうか。
新素材の黒魔鋼を使用しているので刀身は忍者刀のように黒塗りである、刀独特の刃紋が反りのある刀身を彩っている。
付与した魔化は剛性強化と刃先の高速振動の二つ、ミスリル製に比べ付与できる数は少なく魔力伝達性能は低いので燃費は悪いが、剛性が高く瞬間出力は高いので威力で言えばミスリルより高い。なので黒魔鋼は言うなれば魔剣に特化した素材と言えるのだ。
今日はその黒魔鋼製の魔剣のお披露目だったのだが――
「我に恥をかかせおってからにぃ! この低能の蛇めがぁ!」
完全にオラオラ状態の格闘娘。
木々の間から顔を覗かせたアサシンパイソンの頭をタコ殴り状態である。
「乙女の純情を台無しにしおってっ! 許さぬぞっ!」
何とか反撃しようとアサシンパイソンは擬態を発動させようとしているが、姿が消える間もなくクロに殴られ魔法が解除されている。
終いには開けた場所に引きずり出され尻尾の先を持ったクロに振り回されている始末だ。
――ズシーンッ……ズズーン
小柄な幼女が可愛い掛け声と共に体長十数メートルはある魔獣を鞭のように地面に叩きつける様は傍で見ていると何ともシュールだ。
「……か、怪獣大戦争?」
魔刀を手にしたまま呆然とその光景を見やるルース。
素材集めということで手加減はしてくれているみたいだが、完全に弱い者いじめの鬱憤晴らし状態だ。
「……気楽そうに見えてストレスが溜まってたのかな……」
あの姿なら普通に食事も出来るみたいだし、今度屋台巡りに連れて行ってあげよう、そうルースは心に刻んだ。
――凡そ十分後
目の前には口からダラリと舌を覗かせたアサシンパイソンが横たわっていた。
外傷はないが完全にこと切れている、死因は内臓破裂と脳の損傷といったところだろうか。
(鱗や牙なんかは大丈夫そうだけど……内臓と頭にある擬態器官は諦めた方が良さそうだな……)
アサシンパイソンの目の前には黒髪の格闘娘が得意げに胸を反らしている。
「どうじゃルースよ、我一人で仕留めてやったぞ」
「厄介な奴だったから助かったよ、流石クロだね」
こういう場合叱るのは絶対駄目だ、褒めて誘導してやるのが吉である。断じてストレスが溜まったクロが怖いからではない。
「でも、念のためもう一匹狩ろうと思うんだけど、次は手を出さないで見ててもらえるかな? この魔刀を試してみたいからさ」
「分かったのじゃっ!」
ルースが頭をそっと撫でてやるとクロが気持ちよさそうに目を細めブンブンと尻尾を振る。その姿はさながらワンコだ。
それから半日、ルースはクロを伴って樹海の奥へと歩を進め魔獣狩りに勤しんだ。
道中結構な数の魔獣と遭遇し、当初の予定であった魔刀の性能確認もできたのだが、アサシンパイソンにはついぞ出会うことがなかった。
「うーん、念のためもう一匹アサシンパイソンを手に入れておきたかったけど……仕方ないか」
幸い頭にあった擬態器官は無事だったので魔法式の抽出はできそうだ。問題なのは内臓にあった色素袋の方である、こちらは破裂していて完全に使い物にならなくなっていた。
「まぁ、体表に残っている色素を集めれば余裕はないけど何とかなりそうかな」
「なぁ、ルースよ……こ奴は岩亀だったと思うのじゃが……我の記憶違いではないよな?」
顔を向けると、クロが振り返った格好で固まっている。
格闘娘の指がさす先には体長数メートルほどの亀に似た魔獣が巨躯を横たえ息絶えている。
鈍い黄金に輝く甲羅は真っ二つになっており、流れ出した黒紫の体液と内臓が池を作っている。かなりグロテスクな光景だ。
因みに甲羅の部分はアダマンタイトが含まれているので学者の間ではアダマンタイトタートルと呼称されていたりもする。
「こ奴は強化の魔法を使いよるから我の爪でも傷ひとつつけられなんだのじゃぞ?」
クロの言う通り岩亀は強化の魔法を使うので甲羅の部分に限りアダマンタイトの数倍の硬度を誇っていた。なので倒すならば甲羅の隙間か頭を狙うしかない、ただ動きは鈍いし攻撃力はさほどでもないので倒すこと自体はそれほど難しい魔獣ではない。
落とし穴に落としてひたすら火系統の魔法で甲羅を熱してやるだけなので簡単だ。
「魔力量が少ないから切れたんじゃないかな? 前、クロが言ってたじゃん、今の魔獣は千年前に比べて魔力量が十分の一位だって……」
「……そうなのじゃが……」
尚も納得いかんと不服顔の格闘娘。
「ほら、半年前にラムスを襲ったホーンディルの角だって以前作ったなんちゃって魔剣で切り落とせたじゃん、あれと同じで弱体化してるんじゃない?」
エルダーホーンディルも角に限り、魔獣の中では上位にランク付けされる硬度を誇る。千年前ならば角を切り落とすなんて芸当は不可能だったに違いない。
「まぁ、そういう事にしておこうかの、今は……我にその剣が向くことはないのじゃからな……こういう事は深く考えたら負けなのじゃ」
ブツブツ言いながらもテキパキと岩亀の遺骸を次元収納に放り込んでいってくれるクロ。
やはりストレスが溜まっているのかもしれない、ルースは食べ歩きに連れて行ってあげようと再度心に誓った。
「それで、あとは何の魔獣を狩る予定なのじゃ?」
「あとはアルラウネかな」
アルラウネとは植物の魔獣――いや、植物なので魔物と呼ぶべきだろう。
巨大な花の中央に人型の姿を持つ魔物だ。
ある程度の知能を持ち合わせ、前世では遭遇したことはないが言葉を操る個体もいるとのことだ。
確か学者の間ではアルラウネが進化したのがドライアドなのでは? といった学説があったのだが誰も信じていなかったと記憶している。
「それならば、この先の泉の側に大きな魔力反応があるぞ? あ奴らは水辺を好んで縄張りにしておったじゃろ? 獣特有の匂いもせぬしのぉ」
クロの言葉に頷き、探査魔法を起動すると確かに右前方数キロ先に大きな魔力を持った存在が居座っている。一所に留まったまま全く動きがないのでアルラウネの可能性は高い。
身体強化を掛けて木々の間を駆けていくと、少し開けた泉の傍にアルラウネの姿があった。
「それでお主が切り込むのかや? アヤツの花粉は猛毒じゃぞ?」
木々の隙間からターゲットを確認しながらクロが囁く。
「魔力耐性が高いから魔法で遠距離攻撃は非効率なんだよね、素材もダメになっちゃうだろうし……だから直接攻撃ってなるんだけど、毒攻撃が厄介なんだよね……どうしたもんかな」
「ふふっ、ならば我の出番じゃな、我に毒なぞ効かぬからのぉ」
薄い胸を反らしながら得意げになる格闘娘。
――そこへ
《このような場所に人の子が紛れ込むとは……数百年ぶりでありんすなぁ》
ふいに耳元に女性の声が届く。
「これは……念話?」
アルラウネに目を向ければ人型の部分がこちらを見据え小首を傾げている、その仕草は人と遜色ないほど自然だ。
アルラウネの人型の部分は謂わば餌になる魔獣を誘き寄せるための囮である、つまり提灯アンコウの提灯と同じ役割をしているのだ。
間近でみれば分かるが、作りは粗雑で人モドキといったところだ。当然中身はなく、本体は花の方であるのだが――。
「ほぅ、あれはドライアドの一歩手前まで進化した個体じゃな」
「えっ? ドライアドって精霊じゃなかったの? アルラウネから進化するなんて学説は確かにあったけどさ……」
「何じゃお主、そんな常識も知らんのかや? けったいな知識は持ってると言うのに呆れたものじゃな……」
「いやいや、魔獣研究家じゃないんだから、そんな【魔獣常識あるある】な事言われても知ってるわけないじゃん」
そもそもけったいな知識とは何ぞや、問い詰めたい気分だ。
《何を言い合っているでありんすか? 人と話すなぞ数百年ぶり故、良かったら姿を見せてくんなまし》
ここまで言われたら姿を見せないわけにいかないが相手は魔物だ、最低限の警戒は必要だろう、と思っていたのだが――。
「ほら、ルース早く出てこんか」
そう言ってクロがトコトコと無防備に出て行ってしまう。
その背中に声を掛ければ「大丈夫じゃ、さっさとついて参れ」と振り向かずに歩いていく。
仕方なく後にくっ付いて行くと、アルラウネが花を傾け人型の部分が間近まで降りてきた。
その姿はルースが知っているアルラウネではない、見た感じ造形的には人そのものだ。ただ皮膚は薄緑で衣服も纏ってはいない。乳房はあれど乳首はない、下半身はより合わさったツタ状になっている。
目は白目部分が黒く、瞳はクロと同じ金色だ。
《そちらの娘御の気配は人……ではありんせんね……神獣様でありんしょうか?》
やはり念話を使って話しているらしく、口元は全く動いていない。
「何じゃ、お主……えらく中途半端な進化じゃの……何故そんな状態なのじゃ?」
クロが尋ねると、アルラウネが顎に手を当て小首を傾げる。
その仕草に全く違和感がない。
《それについては少々込み入った理由がありんすが……》
アルラウネの瞳がルースに向けられる。
《それよりも、そちらのオノコは人の子でありんしょうかえ? 少々変わった魂をしてはるようですが……》
「変わった魂? 僕が?」
寝耳に水なセリフにルースは困惑する、思い当たる事があるとすれば異世界出身という事くらいだ。
「そやつは女神の加護に加えて祝福までも受けておるからのぉ……変わっておるのも当然じゃ」
いやいや、それって当然なの? と聞き返したいが二人はルースを尻目に止まらない。
《これはこれは……そちらのオノコは使徒様でありんしたか……》
「いやな、魂的には使徒なのじゃが、我と結びついてしまっている故、使徒というより眷属に近い状態じゃな……特別な役目も負っておらんしのぉ」
次々に繰り出される新情報にルースは戸惑いっぱなしだ、「えっ? そんな事聞いてないよ?」という状態だ。
(うん、聞かなかった事にしよう……)
亜神だなんだと色々言っているけれど、自分には関係ない気がする。ルースはそう心に決め、昔馴染みのように話す二人を放置し周囲の散策をすることにした。
「すごい透明度だなこの泉……しかも樹海の中なのにこの付近だけは瘴気が全くない気がする」
泉の中を覗き込めばかなり深くまで見通すことが出来る。周囲の空気はとても澄んでいて一瞬、樹海にいるのを忘れてしまうほど清浄な雰囲気に包まれている。
泉に何か秘密があるのだろうか、ふとそんな考えに囚われていると背後からクロが声を掛けてきた。
「この辺りが清浄なのはアルラウネのせいじゃ」
クロの説明によると、クロと同じくアルラウネもまた女神によって生み出された眷属であり、瘴気を浄化するために存在しているのだとか……。
ただ、浄化できる瘴気の量は限定的なものなのでシステムの補助として生み出されたのだとか……。
「ど、どうしよう……前世で何度かアルラウネを討伐しちゃったことがあるんだけど……」
《それは仕方ありんせん……自我が芽生えるまではそこら辺の魔獣と何も変わりんせんから、そないに気にせんでくんなまし……わっちとて自我のないアルラウネには同族意識もありんせんし……》
そうは言っても何れドライアドへと進化するだろう女神の眷属を討伐するのは問題である。今後アルラウネに遭遇することがあったら全力で保護するようにしよう、そうルースは心に誓う。
《そんなことよりも……使徒様と神獣様に、折り入ってお願いがありんすが……》
オズオズと切り出すアルラウネにルースが食い気味に返事を返す。
「何でも言ってくださいっ! 全力で対処させていただきますっ!」
「……ほんにお主はバカがつくお人好しというか……多少なりとも警戒するべきではないか? ドライアドに進化して正式に眷属化した後ならばともかく、まだなりそこないのアルラウネの状態じゃぞ?」
クロは呆れているが、ルースとしては前世の罪滅ぼしの意味合いもある。
ここは何としてもアルラウネの願いを叶えてあげるべきだろう。
《ふふっ、ほんに変わったオノコでありんすなぁ……自分で言うのも何でありんすが、神獣様の言わはる通り、もう少し警戒した方が良いでありんすよ?》
そう言って人のように笑う仕草をするアルラウネに「問題ない」と告げて彼女の話を聞くことした。
「ふーむ、魂結晶を奪われたとはのぉ……それ故、そのような中途半端な状態なのじゃな?」
アルラウネの説明によれば、数か月前、ドライアドに進化するべく泉の中で眠りについていたところ【魂結晶】と呼ばれる物を何者かに奪われてしまったらしい。
因みに【魂結晶】とはドライアドに進化するために欠くことが出来ない代物で、長い年月をかけて生み出した物なのだという話だ。
ドライアドに進化するためにも何とか取り返したいと思うものの、アルラウネは殆ど移動することが出来ない。
活動範囲は広くても百メートル圏内といったところだ、なので犯人を探そうにも完全に手詰まりである。
そして、為す術なく途方にくれていたところへルースたち、女神の眷属が現れたので藁にも縋る思いで願いを口にしたのだと言う。
《図々しいのは承知でお頼みしんす……わっちの【魂結晶】を取り戻してたもぅ》
そう言って頭を下げるアルラウネ。
その切実な姿をみると何とか取り返してあげたいと思うのだが、数か月前というのが微妙にネックだ。
ここから人族が住まう領域まで最短で凡そ300キロ――人の足で進める距離は一日で良いとこ10キロといったところなので長くみても一ヵ月あれば人類圏に戻ることができる計算になる。ただ、樹海のこんな奥地まで足を運ぶ狩猟者は聞いたことがないのでその可能性は低い。
「他のアルラウネが犯人ということは?」
《それはありんせん、あれはわっち専用でありんす》
何でも【魂結晶】は個々人独自の物らしく、他のアルラウネでは進化に使うことが出来ないようだ。
「ふぅむ……ならば考え得る存在は魔獣しかいないのじゃが……ここまで瘴気が払われた場所へ魔獣は入っては来ん……」
「え? アルラウネって他の魔獣を捕食してるんじゃなかったの?」
《それは自我が芽生える前でありんす、自我が芽生えた後は上位の存在に進化する故、生きるために必要なのは水と魔元素だけになるでありんすえ》
そうだったんだ、と感心するルース。
だがこれで手掛かりはなくなってしまった。
どうしたものだろうと考え込んでいるとクロが思い出したように口をはさんだ。
「あとは亜人位しか思い浮かばんが……亜人ではこんな奥地まではとても来れんじゃろうな」
亜人とは人族の間で広く使われている獣人族をさす蔑称だが、クロの言う亜人とはゴブリンやオークの事であろう。
ゴブリンやオークは人族と絶対的な敵対関係にあるため魔獣と一緒くたにされているが、存在自体は人族に近く、瘴気の有無はあまり関係がない。
それ故、クロが可能性の一つに挙げたのだろうが、今はそれどころではない。
「亜人だよ亜人っ! いや、亜人て言うと差別になっちゃうからダメなんだけど……クライスラー領の狩猟ギルドに鼠人族を使役して素材を集めてる狩猟者がいるって聞いたことがある」
ミリーはレムナリアの種を手に入れる際、クライスラー領のギルドに依頼したらしいのだが、その依頼に鼠人族を使役する狩猟者が絡んでいたと聞いた覚えがある。
「鼠人とな? 確かにあの連中は戦闘力こそ殆どないが隠形に長けておる……ここまで来れる可能性は高くはないが全くないとは言い切れんのぉ」
魔物除けの魔法具があれば短いながらも仮眠は取れるだろうし、食料さえ何とか出来れば長期間の行程も可能といえば可能だ、命賭けには違いないのだが……。
それに依頼が達成されミリーがレムナリアの種を手に入れたのも確か数か月前だと言っていた気がする。
そう思って周囲を見回せば、泉の畔にレムナリアの青い花がチラホラと見え隠れしている。
「これは調べてみる必要がありそうだね」
可能性としてはかなり細い線ではあるが、調べてみる価値はある。
ルースはそれをクロとアルラウネに説明して、久しぶりの我が家へとゲートを開いた。
気長に付き合っていただけると嬉しいです




