後編
「ん……」
目が覚めると、そこはまた知らない場所でした。とても大きくて、綺麗なお部屋です。大きなベッドに、大きな窓、整えられたカーテンに、欠けのない家具たち。埃っぽさはどこにもない、お手入れがされているお部屋です。
わたくしは知っています。お部屋を綺麗にすることがどれだけ大変なことか。窓を曇りなく拭きあげること、家具の上の埃を払うこと、床に塵一つ落ちていないこと、寝具に汚れがなく、シワがないこと、シミ一つないカーテンや手垢ひとつない水差し。それらは決して当たり前のことではないのです。誰かの努力の上に成り立っているのです。
こんな綺麗なお部屋で眠るのは、一体いつ振りのことでしょう。また涙が出てきてしまいました。
「どうした?どこか痛むのか?」
身体を起こして目を擦っていると、横から聞き覚えのある声が届きました。
「ここは、殿下のお家でしょうか?」
「そうだな」
「殿下が、連れてきてくださったのですか?」
「あぁ、お前が気に入っていた抱っこで連れてきた」
「まぁ…、重かったのではありませんか?わたくし、大きくなりましたから」
「鍛えているから問題ない。馬車も使ったしな。…それで、さっきのことはちゃんと覚えているな?」
「はい。殿下がお庭に来てくださるほんの少し前のことからなら、覚えています。それより前は、分かりません」
「それだけ分かれば大丈夫だ」
わたくしの寝ていたベッドの隣に置かれた椅子に座っていた殿下は、少し笑ってわたくしの頭を撫でてくれました。頭を撫でられるのは、とても気持ちが良いです。でも…。
「何故泣く?どこか痛むのか?」
さっき拭ったのに、また涙が出てきてしまいました。優しくされると、胸が苦しくなってしまいます。
「痛く、ありません。殿下がお優しいから、嬉しいのだと、思います」
殿下が頭を撫でるのをやめて、ハンカチを取り出して渡してくれました。他の拭くものはシーツくらいしかなさそうですし、大きなものよりは小さなものの方がお洗濯も簡単ですから、ハンカチを借りることにしました。真っ白なハンカチに、どんどん涙が吸い込まれていきます。
「リリーから、大体の話は聞いた。それと、少し調べさせた。アデライド、お前からも話を聞きたい」
「話…ですか」
「公爵家で、どんな風に生活していたか教えてくれ」
「…家のことを、家族以外に話すことはいけないと言われています」
「アデライド、お前を助けたい。そのためには、辛いと思うが、お前自身から話を聞かなければならないんだ」
「話すのはいけないことです。約束を守らないのは悪い子のすることです。悪い子はお仕置きされてしまいます。わたくしは悪い子ですけれど、約束を破ったら、もっと悪い子になってしまいます。たくさん悪い子になったら、お仕置きもたくさんになってしまいます。わたくし、お仕置きされるのは嫌なのです…。痛いのは、もう嫌です…」
あぁ、やっぱりおかしいのです。お仕置きのことは話せないはずなのに、ポロポロ溢れるように話せてしまいます。
「怖いのです」
お仕置きも、話せてしまうことも、何もかも分からなくて怖いことだらけです。わたくしは、一体どうしてしまったのでしょう。
「わたくしは6歳ですのに、16歳の大きさになってしまっていて、誰も、知っている方がおりません。わたくし、本当にアデライドなのでしょうか。眠って、起きても醒めないなら、これは夢ではありません。わたくしには、何が起きているのか全くわかりません」
なんだか頭の中がぐちゃぐちゃです。何を言いたいのか、何を言わなければいけないのか、分からなくなってしまいました。こんな不出来では、お仕置きから逃れるなんてできっこありません。
わたくしはますます怖くなって、ベッドの上で膝を抱えて縮こまりました。体が大きくなっても、怖くて震えてしまうのは変わらないのです。
「アデライド……、アディ、俺の名前はライオネルだ。分かるか?」
「ライオ…ネル様…?」
「そうだ。聞いたことはあるな?」
顔を少しだけ上げて、ライオネル様の顔を見ました。金色の瞳が、私を見つめています。
ライオネル様。この名前は知っています。この国の人間なら誰でも知っている名前です。それに、金色の髪に金色の瞳は、とても特別な色です。
「ライオネル・デュリス様…?」
「正解だ」
ライオネル様が笑顔でわたくしの頭を撫でて下さいました。
この国でライオネルと言えば、誰でもデュリス王国の第一王子を思い浮かべます。わたくしの知っているライオネル様は、7歳でもっと小さかったのですが、似ていると思います。
「アディの知っているライオネルより大きいだろうが、これが17歳の俺だ。分かるか?」
「分かり…ます。わたくしの知っているライオネル様より大きくなっていますが、分かります」
「ちょっと大きくなってはいるが、ちゃんとアディの知っている人間はいる。リリーもそこに控えている。大丈夫だ」
「リリー!」
ライオネル様の示す先を見ると、壁際にリリーが立っていて、微笑んでくれました。ずっと部屋の中にいてくれたのに、全く気付きませんでした。
「大きくなった俺は、昔よりも色んなことができるようになった。今の俺なら、アディを守ることができる。アディに痛い思いはさせないし、怖い思いもさせない。エバートン家には、もう戻らなくていい。だから、話してくれないか?」
「でも……」
「もちろんリリーも保護する」
「お嬢様、殿下は私の家族も保護してくださるそうです。今迎えに行っていただいております。ですから、もう大丈夫です」
「そう…なの…?」
「他に守りたい者はいるか?」
「……いません……」
わたくしの大切なものは、あの家には何もありません。リリーと、その家族は大切ですが、随分前に追い出されてしまいました。わたくしに優しくしていたからです。せめてもの償いにと、あのネックレスを渡すのが限界でした。
「本当に、帰らなくても良いのですか?無理やり連れていかれそうになっても、守ってくださるのですか?」
「ここは、俺の離宮だ。俺に忠誠を誓った騎士達が守っている。俺とアディの望まない者は、彼らが毅然とした態度で追い払う。魔法も通さないよう結界も張られている。だから、安心していいんだ」
「意地悪、されませんか?メイドも、味方ですか?」
「この離宮にいる人間全て、俺とアディの味方だ。今まで気づいてやれなくて悪かった。これからは、絶対に守ってやるから」
ライオネル様がベッドの端に座り、わたくしを抱きしめてくれます。とても力強く、けれど優しくて暖かい腕です。男の人に、こんなふうに抱きしめられたのは初めてですが、とても嬉しくて、安心します。
けれど、ライオネル様の身体は、少し震えていました。
「ライオネル様、寒いのですか?体調が悪いのですか?」
「違う。俺は、今まで気づかなかった自分に、そしてアディを傷つけ続けた奴らに、怒りが込み上げてたまらないんだ」
「わたくしは家から出ませんでしたから、仕方のないことです」
「それでも、だ。悔しくてたまらない…!」
わたくし、こんなに誰かに思われたのは初めてです。こんなにわたくしのことを考えてくださる方は、リリーの他には初めてです。
しばらくわたくしを抱きしめた後、ライオネル様はわたくしの記憶が曖昧になった原因を教えてくれました。
「腕輪…ですか?」
「これだ。見覚えがあるだろう?」
真っ二つに割れた黒い腕輪を、ライオネル様はサイドテーブルに置きました。見覚えはあります。
「わたくしの腕輪です」
「自分でつけたわけじゃないだろう?つけさせられた腕輪だ」
「何故知っているのですか?」
「リリーが話してくれた。この腕輪は、あの茶会でアディの妹のキャロラインが俺の弟の婚約者に内定した後、公爵の手によって無理やりつけられたのだと」
その通りです。わたくしが王子様に選ばれなかったことをたくさん叱りつけた後に、この腕輪を着けられたのです。何の腕輪かは分からなかったのですが、すごく嫌な感じがしました。着けたくなかったのですが、逃げられませんでした。
「これをつけた瞬間に、アディの髪の毛は色が落ちたように灰色になり、反抗できなくなったようだと言っていた。その変わりに、キャロラインの髪の毛は輝くようなプラチナブロンドとなったと。合っているか?」
「合っています。この腕輪は、魔力を吸って、対のものへと送るのだと思います。そこに、従属、服従や、隷属のような効果が加わったのだと予測されます。付けている間は魔力をかなり吸われていたので、詳しくは調べられませんでした」
「6歳の頃だろう?そんな小さい子につけるような物ではないぞ…」
「王子様に選ばれなかったから、仕方ありません…」
「王子の婚約者に選ばれるだけが人生じゃないというのに…」
ライオネル様は額を押さえて、唸り声をあげられました。
わたくしの両親の考え方は、そんなに珍しいものではないと思います。王子様に選ばれたい子供以上に、親の方が目をギラギラさせていたのを覚えています。わたくしは、それに怖気付いてしまったのです。
「リリーは、アディが腕輪をつけられて数日後に、アディやエバートン家のことについて口に出すことも文字に書くことも許されない制約魔法をかけられて、追い出されたのだと言っていた。それでも、アディのことが心配で、学園に下働きとして入り、見守っていたらしい」
「そう…なの!?」
驚いてリリーを見ると、恥ずかしそうに笑って頷いていました。
貴族の学園に、何故リリーがいたのかは不思議だったのです。リリーは貴族ではありません。平民と言われる部類で、そもそも公爵家にいたのも不思議なことだったのです。先代の公爵夫人、私のお祖母様が、リリーのお母様に恩があったために雇っていたのだそうです。ですが、お祖母様がお亡くなりになっていたため、追い出すという事ができたのだと思います。
「その腕輪が壊れた後に、アディのことを口にできるようになったそうだ。きっとリリーの制約魔法の魔力も、腕輪で賄われていたのだろうな。胸糞悪い」
「そう…なのですね。あの、この腕輪は、何故壊れたのでしょう?」
「それは…」
この腕輪は、何をしても外れなかったのです。腕にピッタリとくっついていて、何かに打ちつけようが、ナイフで突こうが、欠けることすらなかったのですから。
ライオネル様の顔を見ると、すごく嫌そうな顔でわたくしの左腕を見ていました。もしかして、ナイフが刺さっていた場所でしょうか?
「殿下、差し支えなければ、全てを見ていた私が説明してもよろしいでしょうか?」
「リリー…、しかし…」
「何もわからないままでは、お嬢様の不安も消えません。私は大丈夫です」
「…では、頼む」
「はい」
ライオネル様の許可を得て、リリーがゆっくりと近づいてきます。ライオネル様が椅子から立ち上がってリリーに座るように促すと、とんでもないと遠慮しましたが、ライオネル様は座った方がわたくしも安心するだろうと言い、さっさと近くのソファに座ってしまいました。
「リリー、座って」
「……では、失礼致します」
わたくしの場所からは、リリーも、ライオネル様も、どちらのお顔も見えるので安心します。
「お嬢様は、ダルラン侯爵令息と婚約しておりましたが、その仲は決して良好ではありませんでした。婚姻によって公爵家に婿入りし、ゆくゆくは公爵家を継ぐことだけを考えたダルラン侯爵令息は、必要以上の愛想笑いをせず、灰色の髪色をしたお嬢様をよく思ってはいらっしゃらなかったのです。人前でも平気でお嬢様を貶めるようなことを口にされていました。お嬢様が反論しないのをいいことに、有る事無い事言いふらしていたんです。それを本気にした周りの方まで、お嬢様のことを意地の悪い令嬢だというようになってしまって…」
リリーの話をまとめると、わたくしはとても嫌われていて、学園ではほとんど1人で過ごしていたそうです。それはどれだけ悲しいことなのかは、あまり想像がつきません。何故なら、わたくしはずっとひとりぼっちのようなものだったからです。家族とも仲良くありませんでした。リリーだけが、わたくしの話し相手だったのです。そのリリーが追い出されてしまったあとは、誰もが想像する通りのことしか起きていません。
それでも黙って婚姻するのが貴族なのでは…?と思ったのですが、ダルラン侯爵令息様は、なぜかわたくしの妹のキャロラインと、その婚約者の王子様と共にいるようになり、わたくしをさらに貶めていたのだそうです。公爵家のブランドより、王子殿下に従うことで将来的に自分の家を陞爵してもらう方に魅力を感じていたのだと…。ですから、あの時、わたくしの全てを否定し、婚約破棄を告げたのだそうです。
全く覚えてはいませんが、さすがに大きくなったわたくしがかわいそうだと思いました。
「そのあとすぐに、お嬢様は何処からか懐刀を取り出して、腕輪に突き立てたのです」
「え…、わたくしが、壊したのですか?」
「はい。その勢いで、腕にまでナイフが刺さってしまわれたのです」
「信じられません。わたくし、何度も腕輪を壊そうとしましたが、傷一つつけられなかったといいますのに…」
「私も離れたところからでしたので、恐らく…としか言えませんが、お嬢様はナイフに魔力を纏わせておられたと思います」
「魔力…?でも、わたくしの魔力はかなりの量を腕輪に吸い取られていましたよ…?」
公爵家の娘らしく振る舞うために、残っていたわずかな魔力で色々と繕っていたので、余力という余力はほとんどなかったと思うのですが…。
「瞬間的に、残っていた魔力全てをナイフに込めたのではないか?そして、勢いよく腕輪に突き立てたから、腕輪が壊れた後に腕まで……。俺は見ていないから、推測でしかないけれど」
だから皆様、わたくしのことを驚いた顔や、悲しそうな顔で見ていたのですね。なんとも言えない雰囲気だったのは、覚えています。
「ではあの怪我は、お仕置きではなく、わたくしが自分でやったものだったのですね。それだけは、安心しました」
「アディ……、そんなに酷いことを、公爵家ではされていたのか…?」
「えぇと……」
わたくしは心底ほっとして口にしたのですが、ライオネル様もリリーも、とても辛い顔でわたくしを見つめています。
「さすがに、ナイフや…刃物は使われないです。魔力が足りなくて治せませんでしたから。叩かれたり、蹴られたり…。食事は、多分粗末なのだと思います。物置小屋に閉じ込められたり、たくさん怒られたり…です」
「お嬢様、身の回りのことをしてもらえない事も、お部屋が使用人のものと同じことも、他の家ではありえないことですよ」
「あぁ…そうでしたね。わたくしの今の手はとても綺麗ですが、本当はもっと荒れていて、水仕事は特に辛いのです。お掃除も、お洗濯も、お水が必要ですから」
「信じられない…アディがそんな扱いをされていたなんて……」
ライオネル様が両手で顔を覆って、俯かれました。リリーも目に涙が溜まっています。わたくし、そんなふうに思われるくらい、酷い扱いを受けていたのですね。キャロラインとは天と地ほどの差のある扱いだとは思っていましたが、王子様に選ばれたお姫様と、選ばれなかった私では、そうなるのが当たり前なのかと思っていました。
「でも、これからはライオネル様が守ってくださるのですよね?もう、あそこには戻らなくていいのですよね…?わたくしが、お仕置きされることは、なくなるのですよね…?」
「もちろんだ。絶対に帰さない!」
立ち上がったライオネル様は、ベッドに座ってわたくしの手を握りました。あったかくて安心します。
「あ……、でも、ライオネル様も王子様ですから、お姫さまを選んだのではありませんか?婚約していたら、わたくしがここにいるのは良くないです」
「俺には婚約者はいないから大丈夫だ」
「そう…なのですか…?」
「できればアディに婚約者になってほしいんだが、どうだ?」
「わ、わたくしが、ですか!?」
「あぁ。今からだってお姫様にはなれるぞ?」
「お姫様…」
「あぁ、お姫様だ」
ライオネル様が、わたくしの頭を撫でてくださいます。同じベッドに座っているのに、ライオネル様のお顔は、少し高い位置にあります。本当ならもっと見上げなければいけないはずなのに、なんだかよく分からなくなってしまいます。
「わたくしは、身体は16歳ですが、頭…?心……?中身は6歳です。だから、難しいと思います」
わたくしの当たり前が、当たり前ではありません。見た目は大きくても、中身は子供なのです。
「腕輪が外れた衝撃か、怪我のせいかは分からないが、記憶がなくなってしまった原因はそれだと思う。長期間腕輪をつけていた反動で記憶に影響が出るのかどうかまでは…今は分からないが…」
「腕輪をつけていると、頭がぼーっとするんです。もしかしたら、つけている間ずっと、わたくしは成長していなかったのかもしれません」
『アディ、俺が何を言っているか分かるか?』
「……え?」
ライオネル様が話されたのは、この国の言葉とは違う言葉でした。
「わたくしの名前しか、分かりませんでした…」
外国語のお勉強もしていますのに、聞き取ることさえ出来ませんでした。
「アディ、悲しまないでいい。今のは、5年くらい前に交流が始まった国の言葉だ。6歳のアディが知っているわけがない」
「そう…なのですか…?」
「あぁ。だが、俺の知っているアディは、この言葉をマスターして、スラスラ話していた。それを6歳のアディが分からないと言うことは、やはり記憶がなくなってしまっているのだと思う。16歳に成長したアディは、ちゃんといる」
「16歳になれるかは分かりません…」
「問題ない。ショックなことがあると一時的に記憶がなくなると言うのは、多くはないがあるらしい。そして、記憶が戻る人と戻らない人がいる。アディがどっちでも、俺は構わない。今はまず、公爵家から逃れるためにも、俺と婚約してここにいるといい」
「ライオネル様は、優しいのですね…」
「誰にでもではないぞ」
ぎゅっと抱きしめられると、手を握ってもらっていた時よりも暖かくて、安心します。
何かを思い出そうとして見ても、わたくしの頭は何も閃かないのです。6歳だということしか分からなくて、16歳になれる気が全然しません。でも、身体は16歳なので、なんだかすごくおかしな感じがしてしまうのです。わたくしがわたくしでないような、心配な気持ちになってしまうのです。
だから、抱きしめてもらうと、ほっとします。こんな人の婚約者になれるなんて、幸せなことです。
貴族同士の結婚では、10歳以上歳が離れているのは珍しくないらしいです。でも、高位貴族ではあまりないし、ましてや王族はもっとないと聞きました。ですが、わたくしとライオネル様の見た目だけは10歳以上離れているようには見えないので、問題にはならない、ということになるのでしょうか…?
「いえ!やはりいけません」
「アディ?」
ライオネル様の腕の中でモゾモゾして離れようとすると、ライオネル様が力を抜いて体を離してくださいました。
いつのまにか、リリーは椅子に座っていなくて、最初に見かけた壁の方に行っています。全く気づきませんでした。
「キャロラインが王子様と婚約したのですから、同じ公爵家のわたくしがライオネル様と婚約するのは良くないはずです。貴族間のパワーバランスが崩れてしまうから、王族との結婚は、一極集中してはならないのですよね?」
「アディはよく知っているな」
「キャロラインが婚約した時に、これでわたくしはお姫様にはなれなくなったのだと、お父様に言われたのです」
「なるほど……な。だが、直に弟とキャロラインの婚約は解消になるだろう。そうなれば問題はなくなるさ」
「婚約解消…ですか?」
「破棄か解消かどちらかは分からんが、そうなると思うぞ」
「あの…、何故分かるのですか?」
「それはな…」
わたくしの腕輪が壊れた瞬間、キャロライン自慢の金髪が、一気に艶のない白髪になったのだそうです。と言うのも、あの場にキャロラインもいて、ダルラン侯爵令息に付き添っていたらしいのです。キャロラインの王子様、第二王子殿下もいたそうです。全く覚えていませんが、わたくしはすごい人達に責め立てられていたのですね。
白髪になってしまったキャロラインは、悲鳴をあげて走り去り、第二王子はその後を追ったそうです。そこまで見ていたのはリリーで、ライオネル様はその走り去る2人とすれ違いながら、わたくしのところまできてくださったのだそうです。
「キャロラインはどうして白髪になってしまったのでしょう…?」
「あいつは魔力が多いと評判だったんだ。魔法は下手だがな。アディから奪った魔力を、自分の見栄えをよくするために使っていたんだろう。魔力のあるものは多少はやっているが、有り余る魔力に目が眩んで、必要以上に注いでいたんだろうな。魔力に頼り切って、実物には全く手入れをしていなかったとしたら、アディからの魔力供給がなくなって、魔力で作った完璧な外見が全て消えたんだろう。元は白髪ではなかったかもしれないが、頼り切っていた魔力がなくなって、向こうにも反動があったのかもしれない」
「ですが、また手入れをしたら良いのでは?」
「見た目は多少どうにかなるかも知らないが、問題は魔力だ」
「魔力ですか?」
「すれ違った時のキャロラインの魔力は本当に僅かだった。あれは、アディから奪った魔力の残渣かもしれない。長年人の魔力頼みで生きていたとしたら、本人の魔力は残っているのかどうか…。魔力がなければ、王族との婚姻など許可できない」
「そう…ですね。魔力は大事です」
差別と言われるかもしれませんが、魔力は王族には必要なものなのです。魔力を使った儀式もありますし、民のために魔力を使うのも王族の仕事です。それが出来るからこそ傅かれているのですし、崇められているのですから、魔力がない人間が王族に連なるのはよほどでない限り難しいのです。
「そして、人の魔力を奪うのは大罪だ。家族だからといって見逃せるものではない。魔力が残っていようが、キャロラインは認められない」
ライオネル様の力強い瞳は、王族の威厳を感じさせてくれます。でも、その瞳が、悲しそうに揺れるのです。
「アディの魔力があり得ないほど減っているのは分かっていたんだ。だが、魔法の練習で魔力を使いすぎたのかもしれないと、それ以上深く考えなかった。もっと気にかけていたら、気付けたかもしれないのに。本当に申し訳ない」
悲しそうに、そして悔しそうに、ライオネル様は頭を下げました。
「王族の方が、頭を下げたらいけないんですよ」
今の身体の大きさのわたくしにはちょうどいいところに頭があったので、よしよしと撫でてみます。やっぱりわたくしの手が大きくて、不思議な感じです。
「自分が悪いと思った時に謝らないのは、人間としてダメだ」
「ですが、あの腕輪は、わたくしの家の中で起きたことで、家族みんながキャロラインの味方でした。使用人も、知りませんでした。唯一知っていたリリーは制約魔法で縛られ、わたくしも魔法で縛られて何も話せませんでした。少しの手がかりもなしに、腕輪の秘密に辿り着くことは、無理だったと思います。だから、ライオネル様には謝らないで欲しいです」
「アディ…」
「できれば、なでなでして欲しいです。わたくし、婚約者になったら、お勉強も魔法の練習も頑張ります。治癒魔法も、いろんな人に使いたいです。それで、ちゃんとできたら、褒めてほしいです。少しでいいから、甘えさせてほしいです。我儘ばっかりは悪い子になってしまいますが、その分たくさん頑張りますから!!」
「アディは悪い子じゃない!悪いことなんて一つもしていないし、我儘も言っていない!アディがしていたのは我慢ばかりだ」
泣きそうになりながら話していたら、ライオネル様がさっきよりももっとぎゅっと抱きしめてくれました。なでなではしてくれませんが、頭も抱えるように抱きしめてくれています。なんだかとても嬉しくて、胸がポカポカしてきました。
「6歳からずっと、アディは我慢ばかりだったんだ。これからは、みんなと同じような子供時代を過ごそう。たくさん遊んで、たくさん食べて、たくさん甘えるんだ。我儘だって言っていい。ダメな我儘の時は、どうしてダメなのかをちゃんと教える。きっと、子供時代をやり直すために、アディの記憶は消えてしまったんだ。辛かったことなんて、もう思い出さなくていいんだよ」
「ライオネル様…」
「アディ、俺はアディのことが好きだ。アディが大人になるまでちゃんと待つから、ずっと一緒にいよう。アディが頑張っても頑張らなくても、ずっと大事にするから!」
ライオネル様の言葉が嬉しくて、どんどん涙が出てきてしまい、何も話せなくなってしまいました。ですが、ちゃんと分かるように、ライオネル様の腕の中で、何度も頷きました。
身体と心の年齢が合わないせいで感じていた不安も、落ち着かなかった気持ちも、どこかへ飛んでいってしまいました。
リリー以外に好きだと言われたのは初めてです。とても、とても嬉しくてもっと胸がポカポカになりました。わたくしも、ライオネル様のことが大好きです。今は泣いてしまって言えませんが、あとで絶対に伝えようと思います。
その後、キャロラインの婚約は本当に解消され、第二王子殿下も謹慎を命じられたそうです。そして公爵家は禁止されている魔力奪取と、魔力譲渡を強制的に、しかも長期間にわたって行っていたことで、2階級貴族位を降格になったそうです。さらに代替わりを命じられ、親戚が当主になったらしいです。両親とキャロラインは領地の端にある屋敷に引きこもっていると聞きました。キャロラインの白髪は変わらず、肌もしみやシワがあり、私の魔力を使い続けた反動が強く出ているとか。
わたくしはライオネル様に連れられて王妃様にお会いしました。王妃様は私の置かれた環境を酷く嘆いて、涙をこぼされました。しかし次の瞬間には般若のような恐ろしい顔になり、国王に物申してくるわ!とおでかけになりました。
王妃様は、第二王子殿下を可愛がり、甘やかしてばかりの国王陛下を怒鳴りつけ、ライオネル様が次期国王になる確約と、わたくしとの婚約を認めるように言いつけたそうです。わたくしは記憶がなくなっていますし、わたくしの生家は法を犯して家格も下がったので、婚約を反対する貴族も多くなると予想したのです。それに対抗すべく、先に国王陛下の許可を得てしまおうと画策されたのでした。
国王陛下は激怒する王妃様に強く出られなかったそうで、全て許可をし、さらに第二王子を再教育すると約束したそうです。王妃様が強すぎて驚きましたが、ライオネル様は全く驚いていませんでした。「この家で一番怒らせてはいけないのは母上だからね」と。わたくし、しっかり覚えました。
婚約は認められたものの、わたくしは6歳までの記憶しかありませんし、心も6歳のままですから、詳細な婚姻の予定はたてませんでした。
知らなかった美味しいお菓子をいただいたり、お庭をお散歩しながらお花を眺めたり。新しいドレスを着させてもらったり、絵本を読んだりしました。お勉強のことも忘れてしまったようなので、学園はしばらく休学することになりました。ライオネル様も1年はお休みして、来年からまた通うことにしたそうです。
でもお勉強はしたいので、6歳の子供が学ぶことは、王妃殿下からの教わるようになりました。王妃殿下が忙しい時は、リリーも教えてくれます。リリーは、わたくし付きの侍女になってくれました。わたくしがお願いする前に、ライオネル様がリリーを雇ってくれていたのです。
他にも何人か侍女がいますし、お城で働く人はたくさんいますが、みなさんわたくしに優しくしてくれます。話しかけたらお返事してくれますし、笑ってくれます。誰もわたくしのことを叩いたりしませんし、怒鳴る人もいません。初めは緊張しながら生活していましたが、今はもう初めて会う人でなければ緊張しなくなりました。こんなに安心して過ごせるのは初めてのことです。
嬉しくて、怪我をした人や、具合の悪そうな人に治癒魔法を使ったら、とても喜ばれました。治癒魔法を誰彼かまわず使うのはよくないとライオネル様にも王妃様にも言われたので、日にちを決めて病院に行くことにしました。重い病気の方を一度で治すのは難しいですが、お怪我の方は一度で治せました。みなさんとても喜んでくれて、すごく嬉しかったです。
神様の御使いとか、女神様のようだと皆様が言うので、流石にそれは言い過ぎですと伝えたら、ライオネル様が「いい子だと褒めているんだよ」と教えてくれました。わたくし、悪い子とばかり言われていましたのに、今ではいい子と言われるようになったのです。リリーや王妃様にも聞きましたが、「すごくいい子です」と言っていただきました。こんなに嬉しいことはありません。もう、悪い子なんかじゃないのです!
−− −− −−
事件から2年後。
俺とアデライドは結婚し、その後4人の子供に恵まれた。国民のために惜しげもなく治癒魔法を使うアデライドは、デュリス王国の女神と呼ばれ、国民に愛された。
アデライドの記憶は生涯戻らず、本当に6歳から人生をやり直した。ただ、流れる時間と精神の成長は一致せず、精神の成長が明らかに早かった。覚えていなくとも、一度成長した記憶はどこかに残っていたのだろう。1月かからずに1年分の成長を遂げ、半年ほどで16歳相当の精神に成長した。
学問も恐ろしいスピードで会得し、事件から1年経たずに学園に戻った。同じく復学した俺と共に卒業し、それを待っての結婚となったのだ。
16歳相当になったアデライドの成長は、そこからは時の流れと同じになり、一緒に歳を重ねた。身体に精神が追いついたアデライドの、「ライオネル様が大好きです」は、何度聞いても幸せな気持ちにさせてくれた。
俺はいつまでもアディをお姫様のように扱い、時間の許す限り側で時を過ごした。