14.おまけ―焔の神器に関する、天威師と聖威師の悩ましい談話 前編―
お読みいただきありがとうございます。
本話の時系列は過去に戻ります。
焔の神器を見た後、天威師と聖威師がしていた会話です。
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(あーあー、これからどうするんだろ、ホント)
生温かい風が吹く庭園で菓子を摘みつつ、日香は遠い目を虚空に投げていた。座しているのは大きな丸卓。他にも大勢が同じ卓を囲んでいる。
「あっはっはっは! いやー、これはヤッバイねぇラウ兄上、秀峰兄上、高嶺。ヤバヤバだよぉ!」
「何を呑気なことを言っているのだ、紺月太子! ヤバいだとか不味いだとかいう次元ではないぞ、世界の危機だ!」
ケラケラ笑うティルを睨み付け、秀峰が頭を抱えている。無表情の高嶺がいそいそと焼き菓子の包みを差し出した。
「秀峰兄上、そう御心を乱されずに。兄上の好きな甘い菓子がありますよ」
「菓子など食っている場合か!」
「父上の謹製です」
「……食べる」
ミレニアム帝国当代皇帝にして生来の荒神、そして秀峰たちの父でもあるレイティ・ヴェル。彼の料理は絶品中の絶品だ。生まれながらの荒神は手先が器用であり、製菓もお手の物である。その味はまさしく至福の一言に尽きる。
「それにしても、ここに来てとんでもないモノが出現しましたね!」
「うふふ、テアお姉様もそう思われまして? ええ、ええ、異次元級にぶっ飛んでいますわねぇ、あの神器」
ラウの妻テアが元気に菓子を頬張りながら言い、ティルの妻ミアが優雅に紅茶を飲みながら賛同する。テアは騎士を彷彿とさせる装いで、ミアはレースやリボンがふんだんに使われたドレス姿だ。
「神器か。形式上はその体にしているが……実質的に、選ばれし神がフルードの内に常駐していることになる」
紅茶に赤ワインを加えているラウがボソリと言った。菓子を上品に割って口に運んでいる月香は、どこか達観した顔で遠くを見ている。
天界での5年半ほどに渡る修行を終え、フルードが地上へ戻って来た。だが、それを寿ぐ間もなく、得体の知れない何かに捕らえられ、神格を出さなければ生き地獄へ真っ逆さまという絶体絶命の危機に陥った。
その際フルードの呼び声に応え、颯爽と窮地を救ったのがあのブツだという。
焔神フレイムの全てを完全複写され、もう一柱の焔神として顕現した存在。彼が顕れた瞬間、焔神の神格は細分し、真焔神と正焔神に分かれたそうだ。それすなわち、彼もまた本物の焔神だということだ。今は焔の神器と一体化しているため、神器という体裁でフルードの中に宿っている。
フルード越しに神器を――正焔神を視た日香たちは、速攻でそのヤバさに気付いた。コイツ、フルードのためなら何でもする、と。それはもう文字通り何でも。真焔神と同じ存在のはずなのに、あちらが持っている常識だとか配慮だとか、そういうものが綺麗さっぱり抜けている。
「フルードにも言ったが、これは由々しき事態だ。自分は神器だという名目で行動された暁には、天威師には干渉ができぬ。我らは神器相手には動けぬゆえ。そもそも、アレはフルードの言葉しか聞かぬであろう。……万一アレが暴走した場合、そなたらで対処可能か?」
「不可能ですね」
「無理でしょう」
秀峰の問いに即答したのは、当波とライナスだ。日香たちと共に、大神官と神官長たちも丸卓を囲んでいる。聖威師側からの参加者は、渡来佳良、唯全当波、オーネリア・サンドル、ライナス・イステンド。
「こら。神官府の長たる者が、簡単に匙を投げてはいけません」
「尽力はいたしますが、非常に難しいと存じます」
佳良が当波とライナスに苦言を呈し、オーネリアが控えめに言い直す。
「神官府の長だろうが聖威師だろうが、無理なものは無理です」
「だとしても言い方があるでしょう、ライナス」
「言葉を繕ったとて中身は同じですよ、佳良様。オーネリア様もそう思われませんか?」
「言っていることが同じでも、表現を変えるだけで与える印象が違うものになるでしょう」
「印象を変えたところで、状況も結果も変わりませんよ」
バッサリと言い切った当波に賛同するようにライナスが頷き、佳良とオーネリアが嘆息した。
「そんなに難しいのだろうか?」
高嶺がコテンと小首を傾げて当波を見る。
「ええ。率直に言いましょう。フルード君以外にアレを鎮めるのは至難の技です。フルード君ならば一言で大人しくさせてしまうでしょうがね」
「そうか。あなたが言うならばそうなのだろう」
頷いた高嶺があっさりと納得する。その目には大きな信頼と思慕が宿っていた。
天威師の中で、最も強く天に還りたいと渇望している高嶺。まだ還れないのかと嘆くたび、同じく聖威師の中で最も大きな帰天願望を持つ当波が、もう少しだけ頑張りましょうと励ましていたのだ。
還りたくてたまらないのに還れない。自分と同じ葛藤を抱える当波のことを、高嶺は年の離れた兄のように慕っている。
当波に追随する形で、ライナスが割り切ったように告げる。
「我々が無駄な足掻きをするよりも、フルードによくよく言い含めておく方がよほど確実です」
「私もライナスに一票〜」
日香ははーいと手を上げて口を挟んだ。皆がこちらを見る。
「あの神器ね、フルード君のためなら何でもすると思うの。必要なら真の神格だって出すだろうし、もっと言うなら転化だってするかも〜」
場の空気が変わった。聖威師が揃って瞠目し、天威師は互いの意見を確認し合うように視線を動かす。
「日香、そなた……私たちがあえて口にするのを避けていたことにあっさり言及したな……」
「だが実際、あの神器ならばやりかねないだろう、秀峰。アレはそれだけの気を発していた」
「そうですね、ラウ兄上。私も同様に思います」
「あはははー、高嶺もかぁ。俺も俺もー」
「私もそんな気がします、ティル様! なぁミア」
「ええ、テアお姉様。月香はいかが?」
「私も日香に同意です」
天威師たちの意見が揃う中、呆気に取られた顔をしているのは聖威師四名だ。
「転化、ですか? 真の神格の表出に留まらず、転化までするとはさすがに……」
最後まで言えずに絶句する佳良。オーネリアがライナスを見た。
「フルードは転化のことを知っているのですか?」
「既に教えられているはずです。以前、焔神様が仰せでした。大公家と一位貴族の子女に匹敵する心技体と知識、情報を教え込む、と。フルードと同等の指導を受けたアリステルも知っているでしょう」
首肯するライナスの言葉に、当波が顎に手を当てて思案した。
「ではその点も含め、フルードに留意を促しておいた方が良いかな」
「あれぇ? 何か皆ビックリしてるけど、想定外だった? 君たちだって転化できるのに」
「はい、紺月太子様。完全に盲点でした。できると申しましても、実際にしようと考えたことはありませんので」
「あ、そうなんだぁ。やっぱり最初から至高神の俺らとは感覚が違うのかな」
頭をかくクレイスに、秀峰が何かを思い出すように宙を見て言葉を挟んだ。
「だが、前例が皆無ではないはずだ。過去には、幾柱かの高位神が一時的に転化したこともあると聞く。それに、以前白死神様からも伺った。遥か昔、ノリと勢いに任せて至高神化しようとしたとんでもない色持ちがいると。アレは本当にぶっ飛びすぎていて、我も相手をするのは御免だと仰せであった。そのまま口を閉ざしてしまわれたゆえ、それ以上は聞けなかったが……」
無言の戦慄が場を支配した。至高の神であり生来の荒神でもある白死神にそこまで言わしめる有色の神とは、一体いずれの神なのだろうか。オーネリアが真面目くさった顔を浮かべる。
「私は転化しようと考えたことはございません。する理由がありませんので。あなた方にお会いしたいと思ったとしても、超天へは天の神のままでも行けますから、あえてしようとは考えないのです」
「わざわざ至高神になろうとは思わぬのだな」
合いの手を入れたラウに、ライナスが苦笑した。
「ええ、現時点ではありませんね。むろん必要が生じれば別ですが」
その言葉を聞きつつ、日香は菓子の余韻を楽しみつつ紅茶を飲んだ。
(色持ちの神は私たち側の存在になれるんだよねー)
それこそが、至高神化、あるいは転化と呼ばれている現象なのだ。
ありがとうございました。
「ノリと勢いに任せて至高神化しようとしたとんでもない色持ち」は、神様に嫌われた神官〜に登場する疫神ディスシェルという悪神です。その辺りの話は、神様に嫌われた神官〜の第9章で少し語られます。(本話をアップした時点で第6章を投稿中なので、9章までいくのはまだ先の話です)




