6.迫る何か④
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「失礼いたします、ご当主様」
イステンド大公邸に使える家令だ。ライナスやアシュトンが聖威師として個々に所有している邸には形代しかいないが、イステンド家の者が共用で使う大公邸には人間の使用人が配置されている。この家令もその一人であり、大公代理でもある。大公が聖威師の場合、人世に関わることができないため、貴族としての大公業務の大半を担う代役を置く。当代の場合、この家令が代理となっている。
「国王陛下方や帝国の高位貴族方から、晩餐会および昼餐会の招待状が複数届いております。一覧を作成しておきましたが、いかがいたしましょうか」
「そうか。この話題が出るたびに同じことを話してすまないが、私は神格持ちだ。聖威師ではなく大公として列席する場合であっても、政治や派閥の話などは一切できない。喋るとすれば天気と料理の話題くらいになる。それも政略的な要素が絡まない無難な範囲でのみだ」
「もちろん、その点は先方も重々承知の上でございます。ご当主様にご臨席を賜るだけで結構なので是非に、とのことです」
神である聖威師は、天威師と同様に尊崇と憧憬、信仰の対象となっている。あくまで皇帝ではなく神官府の長であるため、お出ましなどの行事に出ることはないが、その身分や立場は皇帝に通ずる域に達している。ゆえに、会食や茶会への招待が叶えばこの上ない箔を付けることができる。
特に当代たるライナスの場合、ただの聖威師ではなく色持ちの神である。有色の神は朧であっても虹を纏い、超天に到達できる。至高神と同じ色を帯び、同じ場所に立てるということだ。ゆえに、正真正銘の意味で皇帝に達する存在であり、天威師と同じ側にいるという位置付けになっている。臣下からは完全に脱した別次元の存在なのだ。
なお、その時々の状況や事情により例外もあるが、大公家の当主には聖威師が就任することが多い。ゆえに、大公でありながら国王より身位が高いという逆転現象が起きることがままある。
これは帝国の創立最初期に、皇帝が――天威師が地上の政務を執っていた時期がごく僅かながらあり、その頃は王がいなかったためだ。当時から存在していたイステンド家の聖威師は、大公の地位を得て皇帝と足並みをそろえた。
しかし、程なくして神人分離の原則により皇帝と大公は政務から退き、人間の国王が立って政を行うようになった。結果、王が大公の下に位置するというねじれ現象が出来上がった。
ただし、大公が聖威師ではなかった場合はただの臣下となり、王の方が上位となる。また、大公業務を委任する代役を置くこともなく、自身で公務を担う。聖威師ではなく人間ならば、人界の治世に関われるからだ。これは皇国の一位貴族にも言えることである。
「招待状を確認する。一覧と共に用意してくれ。献上品も共に届いていればそれも見る」
「お品はまとめて保管しております」
家令と話しながら、ライナスが客室の扉に向かった。ドアを潜りながらフルードを顧みる。
「すまない、少しだけ外す。ここでゆっくりしていてくれ。この邸には防壁を張り巡らせているから、非常事態が起これば察知できるはずだが……有事の際は緊急念話を送ってくれたら飛んで来る」
「分かりました」
「万が一、私がいない間に何かがあり、連絡手段も断たれ、取り返しの付かないことになりそうであれば。その時は、無理をせず神格を表出させなさい」
切れ長の青い瞳が憂いを滲ませ、もうすぐ義息子になる存在を見つめる。
「聖威が使えず精神を逆行させられ、上辺は無力な人間に戻されたとしても、奥にある君の真性は神のままだ。神格や神威は誰にも奪えない、封じられない。だから、本気で神格を出そうと思えば、どのような状況であっても必ず出る。神に戻れば危機を回避できるだろう」
「……はい……」
答える声が小さくなった。ライナスの言は正しいが、それは最終手段だ。ひとたび神格を表出させてしまえば、聖威師はその瞬間に強制昇天となる。そうなれば、立派な聖威師になるべく励んだこの5年半の修行が水の泡だ。ライナスもそれが分かっているため、語調を和らげた。
「むろん、これはいざという時の奥の手だ。だが、如何ともしようがなくなった時はその方法しかないことを覚えておきなさい」
静かに言い諭すフルードに頷き、ライナスは部屋を出て行った。
誰もいない中、一人きりで眠る気にはなれない。ライナスが戻るまでは横になっているだけにしようと思っていると、不意に視界が波打ち、強い目眩に襲われた。イステンド大公邸に張られている結界を難なく潜り抜け、忍び寄って来た魔手に魂を搦め捕られる。
(っ……な――)
体がベッドに吸い付けられ、意識が急激に引きずり降ろされていく。決して戻れない底の底へと。
(た、すけ……)
助けを求める声は出なかった。閉まりゆくドアの隙間から僅かに見えるライナスの後ろ姿に向かって腕を伸ばそうとするが、体が動かない。
(念話を――)
だが、思念を飛ばす前に、津波のような威力で襲って来た眠気の渦に押し流され、強制的に意識を断ち切られた。もう二度と目覚めることができない悪夢の中へ、魂ごと連れ去られていく絶望感と共に。
ありがとうございました。




