78.番外編 優しいだけでは㊴
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本日の更新、2話目です。
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快適な温度と湿度が保たれ、穏やかな時が流れる部屋は、しかし、空気が死んでいた。
室内にあるテーブルを挟み、向かい合って腰掛ける二人の少年。共に本を読んでいる両者は、双子かと見紛うほどに同じ顔をしていた。だが、目が違う。一方は透き通った優しい青。もう一方は光を通さない暗い青。言わずもがな、前者はフルードで後者はアリステルである。
瞳にはその者の気質や人間性が現れる。二人は同じ色彩でありながら、見る者に与える印象は真逆だった。
「……あぁ、そうだ……お茶のお代わりはいるかな?」
テーブルサイドで固唾を飲みながら様子を窺っていた当波が、おずおずと言う。敵に対しては苛烈で冷徹な彼は、しかし、神に対しては底無しに優しい。
二対の碧眼がすぐに当波の方を向いた。
「いいえ、大丈夫です」
「お気遣いありがとうございます」
柔らかな声音もよく似ている。決して威圧的でも攻撃的でもない声と、ほんのり浮かべた微笑。纏う空気も柔らかい。どこにも怯える要素はないはずだ。
「そ、そうかい……」
だが、当波は何かに気圧されたようにズルズルと壁際まで下がる。
再び本に目を落とした少年たちに、この空気にもめげない強心臓の佳良が語りかけた。
「二人とも何を読んでいるのですか?」
問いかけに、フルードとアリステルは本にかけていたカバーを外して表紙を見せた。
それぞれ、『骨肉の争い』『疑心の兄弟』という表題が並んでいる。
「生き別れた兄弟が両親の死後に初めて互いの存在を知り、莫大な遺産を巡って血で血を洗う争いを繰り広げる話です」
「互いを兄弟だと知らない青年たちが、同じ場所で殺人事件に巻き込まれ、次第に疑心暗鬼に陥っていく推理小説です」
お前たちは何故それをチョイスしたんだ。今日この状況で何故。
見守るフレイムは心の中で突っ込んだ。きっと他の皆も同じことを思っただろうと確信しながら。
――鬼神が訪れた後。邪神も含めて急ぎ話し合いを行なったフレイムは、狼神と共に、フルードに全てを伝えた。
死産と言われていた兄が生きていたこと。名はアリステルということ。奇跡の愛し子になったこと。性格は厳しく冷たい面もあること。レシス家の祖に原初の愛し子にして世界初となる奇跡の聖威師がいたこと。そしてその他諸々。
下手に気遣って隠したりごまかしたりはしなかった。アリステルにはサーシャという弟がいることも包み隠さず話した。二人は兄弟の契りを結んだので、もはや本当の兄と弟であることも。
フルードは少し目を見開いて聞いていたものの、それだけだった。驚くほどに動揺していない。ショックを受けていないかと気遣うと、あっけらかんと首を横に振り、こう言った。
「いいえ、ただ何というか……今更現れてももう遅いというか。お兄様がお兄様になって下さる前なら大ダメージを受けていたと思いますけれど。でも、僕の兄はもうお兄様ですから」
とうの昔に、フルードの中で答えは出ていた。かつてはたびたび想いを馳せていた実兄。だが、それは昔の話。今はもう違う。会ったこともなく生きていることすら知らなかった空想上の実兄よりも、実際に存在して自分を救い、全身で抱きしめてくれた強く優しく温かく格好良い義兄を選んでいた。
アリステルもそれは同じだったらしい。『いることも知らなかった弟の存在を今になって持ち出されても困る。自分の弟は、苦難の中で一緒に寄り添って来たシスだ』と明言したそうだ。シスとはサーシャの秘め名である。
それでも両人の交流の場くらいは設けようと、地上の聖威師たちにも全てを説明した上で協力し、日取りを調整したのだが――
互いに挨拶してにこやかに向き合う二人を見た瞬間、フレイムは直感で悟った。
合わないと。
レシス兄弟は、己の根幹を形成する魂の部分が徹底的に合わない。彼らが今まで生きて来た道のりと、幾度もせざるを得なかった過酷な取捨選択。その果てに選び抜き掴み取ったものが、兄と弟で決定的に違うのだ。
復讐を決意したアリステルと、親を恨まなかったフルード。
兄は怨嗟、弟は赦し。
これは合わない。相性が悪すぎる。
正反対の目を見てそれを確信した。
おそらく、見守る全員がそのことに気付いただろう。当人たち――フルードとアリステルも察しているかもしれない。
それでも血縁上は兄弟であり、神としては大事な同胞だ。笑顔で挨拶し、いくらか会話もした。天気の話とか、天気の話とか、天気の話とか。そして通り一遍の交流が終わると、二人そろって自然に本を読み始めた。何故この場に本を持ち込んでいるのかは謎だ。
二人とも、間違っても刺々しい雰囲気は出していない。互いを敵視しているわけでもなければ、無視しているわけでもない。相手へ向ける眼差しや態度は親しみを帯びており、会話時の口調も友好的で、無難な話題とはいえ楽しそうに交流していた。
首尾は決して悪くないはずなのだ。
なのに――何故か部屋の空気が完全に静止している。
「……よし。では、後は兄弟水入らずで……」
意を決した表情のライナスが、いきなり放流プレイに踏み切った。とんでもないタイミングである。もし彼がお見合いの仲人なんぞを務めた日には、その恋人たちは即破断になるだろう。
《ちょっと待て》
フレイムは思わず念話した。
《ここで二人にしてどうする。こいつら本読んでんだぞ》
《しかし、このままでは時間が過ぎていくばかりですし》
《あなたは相変わらず空気を読むのが下手ですね……》
《すみませんオーネリア様。家族にもよく言われます》
冷ややかな美貌をシュンとさせるライナス。当の家族であるアシュトンは、室内の異様な気配に圧倒され、部屋の隅で当真と共に腰を抜かして恵奈に介助されている。
《焔神様、どうすればいいのかしら?》
《困りましたなぁ、いかがしますか焔神様》
《焔神様、何とかならんか〜?》
《知りませんよ何で俺に振るんですか鬼神様も狼神様も邪神様も!》
全力で抗議すると、三神はそろって顔を見合わせた。天界の神々にとって兄のような存在でもある邪神は、精悍な容貌を持つ美丈夫の姿でこの場に同席している。彼はアリステルを召し出し、父子の契りを結び、父親として世話を焼きながら手元に置いていたらしい。今は我が子を怖がらせないよう、本来の恐ろしい姿から変化しているのだという。
異形の悪神を恐れぬアリステルでさえ、この邪神の姿を見た時ばかりは顔を強張らせていたそうだ。禍神の長子であり、悪神の中の悪神とも言える邪神の姿は、それほどのものだ。
《ごめんなさいね、焔神様はとても気が利かれるから、つい》
《左様ですな、かゆいところを的確にかいてくるというか》
《うんうん、すごく細かいところまで見ていると思うぞ〜!》
のほほんと返す神々に、フレイムは内心で頭を抱えた。それは自分がかつて精霊だったからだ。立場の弱い使役だった頃は、必死で主神の機嫌を窺いながら要領よく仕事をこなし、目端を利かせなければ生き残れなかった。
だが、生まれながらの神であるこの三神には、下っ端の苦労など分からないのだろう。
《あのですね……いや、今は言い合いをしている時ではないですから、まあいいです。とにかく、この場で大事なのは……》
これからどうすればいいのかを念話で提案しかけた時。
フルードとアリステルが音もなく立ち上がった。
『「え?」』
当人たち以外の肉声が重なる。
『セイン、いかがした』
『どうしたのヴェーゼ?』
問われた兄弟は、同じ顔に正反対の目でそれぞれの主神を見た。
「ここからは二人で、とのことだったので」
とアリステルが言い、
「散歩にでも行って来ます」
フルードがさっと続きを引き取った。なかなかに息が合った返しだ。にも関わらず、仲が良いとは微塵も感じないのが不思議だが。
「行こう」
「はい」
二人がにこにこと声をかけ合って部屋を出て行く。傍目に見れば良好な兄弟だ。傍目に見れば。
『「…………」』
パタンと扉が閉まる。
残された神々と聖威師たちは、一斉にヨレヨレと壁に寄りかかった。
ありがとうございました。




