72.番外編 優しいだけでは㉝
お読みいただきありがとうございます。
「わぁ……!」
雲の上を飛翔する狼神の背にしがみつき、フルードは歓声を上げた。
ここは天界。全ての聖威師がいずれ還る神の園だ。フレイムから召し出されたため、特例で神格を抑えた状態のまま来られることになった。
『セイン、焔神様の言うことをよく聞くのだぞ』
「はい」
ふかふかの毛並を感じながら、素直に頷く。
(やっときちんと修行できるんだ。やっと……)
――あれから。
全ての経緯を掌握したルファリオンが、フルードの未来が変わったことを聖威師たちに伝え、希死念慮が作用していたことも説明してくれた。今はもう心配ないことも。加えて、神々と聖威師たち、そしてフルードがそれぞれの行動と経緯を説明したことで、皆が全貌を理解した。
それにより、各々に足りない部分や早まった部分があったとして全員が詫びを入れ合い、騒動は収束した。フルードは聖威師たちに、本当に申し訳ないことをした、怖がらせてしまったと、それはもう真剣に何度も何度も謝罪された。
空で起きている騒ぎを見ていた神官や国民には、神々が少し遊んでいただけだと、ライナスたちが上手く説明した。あれだけの事態だったにも関わらず、地上には被害が全く出ていないというまさに神業的な状況だったため、皆はそれで納得したらしい。
とにもかくにも命拾いしたフルードは、焔神からお召しを受けた栄誉ある神官として、神官府から焔神の元に派遣されることになった。お召し期間が終わるまでは他の仕事は全て免除される。
頑張っておいで、と皆が快くフルードを送り出してくれた。アシュトンは問答無用で爆殺しようとしてしまったことを本当に申し訳なく思っているらしく、別れ際に抱きつかれて涙ながらに再度謝られた。その時に見えたあるモノにより、フルードがアシュトンに対して抱いた予想が強まったが、まだ本人に確認できていない。
『もうすぐ焔神様の領域に着く』
狼神の言葉で我に返る。
「分かりました」
ちらと背後を見ると、うず高く積み上がった荷物が視界に入った。数年単位で天にいることになるであろうフルードの荷だ。
ほどなくして、揺らめく炎で形成された門が眼下に見えて来た。
『あれが入口だ』
フレイムの領域に続く扉。主たる焔神の許しがなければ開かず、無理にこじ開ければ神炎に焼かれて神罰牢に堕とされるという。
今、門は既に開いていた。燃える扉の向こうに、見果てぬ広大さを持つ荘厳な神殿と雄大な神苑がどこまでも続いているのが見える。
(お兄様!)
門の右端にフレイムがいた。瞑想でもしているのか、両脚を組んだ体勢で目を閉じている。ピシリと背筋を伸ばして座す体は微動だにしない。その表情は、自然体を象徴するように穏やかだ。後方には従神であろう神々が控え、少し離れた隅には神使たちが畏まっていた。
(わぁ……すごい)
座り方一つ取っても格の違いが伝わる様子に圧倒されていると、狼神が呆れたように呟いた。
『またあの方は自主的な修行などなさって……。神格を解放した神は何もせずとも己の実力の全てを使いこなせるようになる。精霊であった時とは違う、もはや修練など必要ないと何度もお伝えしているのに』
やれやれという溜め息を聞き流し、フルードは来訪を知らせる声を上げようと息を吸い込んだ。だが、フレイムの方が早かった。スゥと目を開き、強靭な意思を宿す眼差しでこちらを見上げる。
『狼神様、セイン!』
力強い山吹色の煌めきが和らぎ、歓待の気配を帯びた。組んでいた脚を解いて立ち上がり、大きく手を振る。
「お兄様」
狼神はちょうど門の上を飛んでいた。フルードはえいっとフレイム目がけて飛び降りる。そうしても大丈夫なのだと、直感が告げていた。
『あっ、これセイン』
僅かに焦ったような声が聞こえたが、両手を広げたまま落下する。フレイムの姿が消え、次の瞬間フルードの真下に出現すると、宙を舞う小さな体を受け止めた。
『よく来たな!』
「はい」
温かい腕に抱えられ、フルードはパァッと笑顔になる。
『まったく……』
狼神が温かな目で苦笑した。
『ようこそ狼神様。どうぞお入りを。随神たちも入れ入れ、あと使役も!』
ふわりと地面に降りたフレイムが狼神に目礼し、従神と神使にも声をかけた。
『焔神様、従神はよろしいですが神使に声かけは不要ですぞ。使役は高位神からお声がけしていただける身分ではありません』
『へーい』
やんわりと注意する狼神にヒラヒラ手を振って受け流し、フレイムはフルードを抱えたまま軽やかに門を潜った。狼神と従神、荷を守る使役たちが続く。燃え盛る門は、主神の承認を得て通る客を焼くことはない。全員が入ると、炎が門を覆い、扉は固く閉ざされた。
◆◆◆
『あら〜。フルード君、焔神の領域で修行することになったんだ。じゃあ私と義兄様からの、強制昇天回避のための指導は地上に帰って来てからだね』
天界の入口手前に滞空して中を覗き込み、遠目にフルードたちの様子を眺めながら呟くのは、桃色の小鳥だ。虹を帯びた紅の天威が放たれる。
『義兄様、指導の件は快諾してくれたから。普通の反論と説得から宥めすかしに受け流し、渾身のおねだり作戦に捨て身の泣き落とし戦法まで全部教えてやるって張り切ってたよ。それくらいの指導なら天威師が干渉していい範囲内だから、祖神から止められることもないだろうし。でもその前に、まずは焔神との修行を頑張ってー!』
日香の声でそう告げた小鳥は、サッと羽ばたいて天界から離れ、地上へと戻っていった。
◆◆◆
「…………」
フルードはフレイムの肩からひょっこり顔を覗かせ、恐る恐る周囲を見回した。そして、この領域の全てが紅蓮の神威の支配下にあることを悟ると、体の力を抜く。ここは自分にとって絶対の安全地帯だと察したからだ。
フレイムの従神が狼神の従神に聞いた。
『荷は後からのお送りでしょうか? 当神殿のうち10棟をフルード様の荷を置く用として準備しておりますが、足りないようであれば20棟でも30棟でも好きなだけお使いいただけます』
『いえそれが、こちらに積んであるものが全てでして』
『……えっ? これで全部ですか!? ご冗談を。選ばれし高位神様の愛し子であり、高位神の神格を持つフルード様のお支度がたったこれだけのはずがございませんでしょう』
『実はこれでも増えた方なのです。愛し子様ご自身がご準備されたものは、最初はカバン一つだけでしたので。狼神様や聖威師たちが必死で増やしてこれだけになりました』
『ええ!? カ、カバン一つ!?』
呆気に取られている従神を見て、フルードも首を傾げる。むしろ、10棟も20棟も埋め尽くす量の荷とは何なのだろうか。一体何をどれだけ詰め込んだらそうなるのか。
『気にすんな、足りないもんがあったら俺がそろえてやるよ。……あ、そうだ。お前がこの前送ってくれたメモ、全部確認しといたぜ』
フレイムがカラリと笑い、フルードを右腕で抱えたまま左手を振る。掌中に出現したのは、分厚いノートだった。受け取って開いてみると、堂々とした流麗な文字がびっしりと書き込まれていた。複数の色や下線、図や表なども使い、一見しただけで読みやすいようになっている。
「わぁ、すごい……ありがとうございます!」
『お前が頑張って書いた記録なんだから当然だろ。こんな感じのが数十冊できた。焦らなくていいからな、これから一緒に一つ一つ確認していこうな』
目を輝かせてノートを見るフルードに、狼神が聞いた。
『セイン、これは何だ?』
「僕を買った貴族から習ったことを、都度まとめていたメモがあって、それを添削していただいたんです。最初は貴族の跡取り候補として教育を受けていましたから」
苦い思い出を振り返りながら、フルードは説明した。
「白い紙は使わせてもらえなかったので、廃棄されていた古紙や布を拾って書き付けていました。習ったことと、どこがどんな風にできなかったのか。お召しの準備をしている時、お兄様にメモを持って行っていいか聞いたら、それなら先に送れば添削しておいてやると仰って下さったんです」
恐縮したように言うフルードに、フレイムが明るい声で補足する。
『ボロい紙や布に書いた汚いメモだから見せたくないって言われたんですが、遠慮すんなって言って送らせました』
綺麗なノートには、メモに走り書きした内容がページごとにまとめられていた。この内容であれば何をどうすれば上手くできるか、重要なポイント抑えておくべきコツ、失敗点を踏まえてどこをどう改善すればより良くなるか……等々が懇切丁寧に書き入れられている。
『ほぅ、なるほど。それはご丁寧にありがとうございます』
狼神が礼をする。だが、その余裕のある態度も、続くフルードとフレイムの会話を聞くまでだった。
「お兄様、すごく嬉しいです! 本当にありがとうございます!」
『そんな喜んでくれるんなら俺も本望なんだぜ。連日夜なべで頑張った甲斐があったってもんだ』
『……は? ちょっと待って下さい焔神様』
『どうしました、狼神様?』
『夜なべとは何ですか。まさか神威を使わず手作業で作成したのではありますまいな』
『そうですが』
それが何だと言わんばかりのフレイムに、狼神はヒュンヒュンと尾を振った。
『神威で作れば一瞬で済むのです。徹夜でノートをチマチマ手書きする高位神など前代未聞ですぞ!』
『手で書けば自分の中で内容を整理できるから、上手く教えられるようになるじゃないですか。……あ、それ運ぶんだろ。手伝うぜ!』
フレイムの使役に先導され、荷を神殿に運び入れようとしていた狼神の使役が目を点にする。
『――はい?』
ノートを神官衣の帯に挟んで落ちないよう固定したフルードも、はーいと手を挙げた。
「僕も運びます!」
『は?』
今度はフレイムの使役が素っ頓狂な声を出した。呆気に取られる周囲に構わず、フレイムと地面に下されたフルードはいそいそと荷を積んだ雲に駆け寄る。
『よし、じゃあ持ってくぞ!』
「皆でやれば早く終わりますよね」
『だな〜! 貴重品や大事なもの以外はどんどん神殿内に転送しちまうか』
「あ、この辺りの荷物は貴重品や割れ物が入ってます」
『そういうのはちゃんと運んだ方がいいな』
二人して頷き合い、よっこらせと両手に荷を抱えて仲良く歩き出したところで、狼神が叫んだ。
『ああ〜もう……ええ加減になさい! 自分でせかせか荷運びする高位神がどこにおりますか!』
大声を浴びたフレイムとフルードはそろって飛び上がる。フレイムが自身の胸を指した。
『どこって、ここにおりますが』
『おってはいかんのです、そんなすっとこどっこいの高位神!』
『す、すっとこどっこい……』
『労働は高位神の役目ではございません。焔神様は意に介さずとも良いのです!』
『はぁ……』
『というか、そもそも出迎えからして突っ込みどころ満載でしたぞ。主神がわざわざ門まで客を迎えに出る必要はありませぬ。神殿の玉座でふんぞり返って待っていればよろしいのです』
『ふんぞり返ってる時間が無駄じゃないですか。そんな暇があるなら早くセインに会いたかったですし』
狼神の剣幕に鼻白みつつも反論するフレイムだが、ピシャリと一蹴された。
『時間を気にするのは使役の仕事。あなた様はもう精霊ではなく神なのです。上座に君臨して悠然としておればそれでよろしい。――まぁ出迎えの件はまだいいでしょう。焔神様と同格の私と、その私の最愛であるセインが客ならば、自ら腰を上げて迎えるのも有りかもしれませぬ』
少し譲歩を見せた狼神は、すぐに続ける。
『しかし、自ら率先して使役に混じり、スキップでもしそうな勢いで荷運びを始めるとはどういう了見ですか。……セイン、お前もだよ』
「へっ?」
いきなり火の粉が飛んで来たフルードは素っ頓狂な声を上げる。
『お前はこの私の愛し子。押し秘めたる神格は高位神のそれ。高貴な存在であるお前は、同じく高尚な焔神様の隣に侍り、優雅に笑っていれば良い』
「でも僕、働いていないと全身がかゆくなるんです」
『そんな訳の分からん体質はさっさと治すのだ。焔神様とセインは自分という存在をどう思っているのか。そもそも高位神たるもの――』
そのまま説教モードに突入した狼神の講釈を神妙な顔で聞くフルード。さりげなく手を握られたので、そっと視線を上げる。同じく下を向いて殊勝な表情で耳を傾けている――ように見えていた――フレイムが、こちらを見ていた。悪戯っぽい顔で片目をつぶり、ペロっと舌を出している。脳裏に念話が弾けた。
『やれやれだ、テキトーに聞いといてさっさと終わらそうぜ』
のらくらとした態度を鋭く察知した狼神が咳払いする。
『焔神様、聞いておられますかな!?』
『あーはいはーい』
『何ですその返事は。まったくも〜』
ヘラリと笑ってかわすフレイムと、ぷんすかしている狼神を交互に見つめ、フルードはパチパチ目を瞬いていた。
ありがとうございました。




