62.番外編 優しいだけでは㉓
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「へ?」
狼神のスラリと長い指が、茶色い塊を一つ摘み上げた。
「あなたにだけ効くように調整した、特殊な毒の術が仕込まれていますね。これを食べれば、その日の夜に眠るように息を引き取ることになる。そういう術です」
「そ……そんなはずないです」
しばし絶句した後、フルードは反撥した。
「だってこれは恵奈様が――聖威師が下さったんです」
フレイムと狼神が揃って眉を顰めた。
「恵奈? 宗基家の娘ですか?」
「は? 聖威師がこれを?」
フルードは首肯し、さらに続けようとした。
「はい。ですから毒なんて入ってるはず……」
だがその瞬間、フレイムと狼神が弾かれたように立ち上がる。フレイムが片手でテーブルをはね飛ばし、狼神が腕を伸ばしてフルードを抱き上げた。
(えっ?)
フルードが状況を理解する前に、二神は床を蹴り、体当たりで窓を割って外に飛び出した。なお、ここは塔の最上階である。
直後、今までいた部屋が吹き飛び、盛大な爆音と共に真紅の炎と黒い煙が噴き上がった。
「……ぅ……わああぁぁぁっ!?」
一拍遅れ、狼神の腕に抱かれて最上階から落下するフルードが絶叫した。フレイムが言う。
「口閉じてろ、舌噛むぞ!」
空中で回転し、下にある木々を蹴って落下の衝撃を殺しつつ着地した二神が、険しい顔で辺りを見回した。
「この一帯に遮断の結界が張られていますね。神官たちは爆発騒ぎに気付いていない」
「ええ。これは一体……まさか私の愛し子を狙ったものでしょうか」
一方のフルードは、目を回しながらも気力で意識を持ち直す。燃え上がる塔を唖然と塔を見上げ、次いでフレイムと狼神を見た。
(な、何がどうなって……というか帝城の清掃員さんて……爆発にも対処できる特殊訓練を受けてるんだ……)
そんなはずはない。
「とにかく結界から出なくては」
狼神が言った時、軽い足音と共に当真が走って来た。
「フルード君! ああ良かった……無事だった!?」
「当真様」
フルードは身をよじって狼神の腕から降りると、青ざめた顔で駆け寄る当真に近付いた。フレイムと狼神が無言で当真を見ている。
「怪我はない?」
当真がフルードの体を確認するように手を伸ばし、あちこちをペタペタと触った。
「大丈夫です。それより当真様、大変なんです。急に塔が燃えて」
「ほい、そこまでだ」
言い募るフルードだったが、フレイムの声に言葉を止める。
「……え?」
ふと見ると、当真の手がいつの間にか自分のうなじに回されている。小さなその手は、神官衣の袂に忍ばせていた孔雀の羽根を握っていた。羽根ペンのように先が尖ったそれは、フルードの頚椎を刺し貫く寸前でフレイムに掴み止められていた。
「何をしてるんだ?」
フレイムが静かに言う。狼神がフルードを引き寄せ、当真を見た。二神が激怒せず落ち着いているのは、当真が同胞だからだ。神は同じ神に対してはとにかく慈悲深い。まずは話を聞こうとする。
「当真様……?」
ポカンと呟くフルードを見つめ、当真が泣き出しそうな顔で俯いた。
「だ、だって、恵奈さんとアシュトン君が先に動いちゃうから……毒殺や爆殺なんて駄目だよ。フルード君は僕たちの大事な仲間なんだよ」
内気な眼差しが震え、消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。
「だから……ちゃんと自分の手で殺さなきゃ失礼だよ」
(……え?)
その言葉をフルードが理解するより早く、当真が顔を上げた。その面持ちが一瞬にしてガラリと変貌する。漆黒の双眸が鈍い輝きを放った。
「安心して、一瞬で終わるから」
「いや安心できねえだろ」
「さっきから何なのですか、清掃の方。この一帯にはアシュトン君の侵入禁止の結界が張ってあるはずなのに、どうやって入ったのですか」
「あー、そういやそんなもんあったな。警備の一環だと思って神威でスルーして入ったが」
口の中でもごもごと呟いたフレイムの言葉は、当真には届かない。
その時、空間を割って深翠と濃緋の衣が翻った。
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