61.番外編 優しいだけでは㉒
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「フルードさん、おはようございます」
俊敏な動作で駆け寄り、心配そうにこちらを見つめて来る。
「昨夜はよく眠れましたか。目元が少し……」
自分より年下のアシュトンにまで心配をかけてしまった。申し訳なさに肩をすぼめながら大丈夫だと返すと、それ以上は追及されなかった。
「あ、あの……今日は大神官と神官長と面談することになっているんです。お二人はもう来ておられますか?」
問いかけに、アシュトンは答えなかった。一瞬の沈黙の後、くるりと背を向けて言う。
「私に付いて来て下さい」
連れて行かれたのは、神官府の本棟から少し離れた場所にある塔だった。見上げるほどの高さがある。
「ここは……南の塔ですよね」
気圧されたように聞くと、肯定が返る。
「はい。最新の防音設備と防衛設備が整っている、機密性の高い場所です」
(ここで面談するってことかな……)
アシュトンは大神官の息子だ。面談室までフルードを案内するようにという指示を受けていてもおかしくない。
昇降霊具を使って最上階まで上がると、小さな部屋に通された。
「ここで今しばらくお待ち下さい」
テーブルと椅子、記録用のボードしかない簡素な部屋で、言われるまま椅子にかける。
「……フルードさん」
アシュトンが振り返り、何かを押し殺すような声で言った。
「フルードさんは本当によく頑張っておられたと思います。私たちのように幼少の訓練も受けず、いきなり徴を発現して聖威師になり、波乱万丈な中で努力しておられました。ですが……」
「アシュトン様?」
「――いえ。どうか、あまり自分を責めないで下さい」
そう告げ、アシュトンは一礼して部屋を出て行った。
「…………」
シンと静まり返った空気の中、フルードは緊張で俯いた。朝食のビスケットは持って来たが、喉を通る気がしない。ぎゅっと拳を握って唇を引き結んだ時。
「おはようございまーす!」
「掃除に来ましたー!」
バンとドアが開き、清掃員の衣を纏った青年が二人、バタバタと入って来た。
一人は長身で、キリリとした切れ長の瞳に金髪碧眼。一人はどこか浮世離れした雰囲気で、ほっそりした痩躯に金髪、そして緑の目。手にはモップやハタキを持っている。
「せ、清掃員さんですか!?」
フルードはきょときょと目を瞬いた。
(これから面談のはずでは? もしかして今日の掃除がまだだったとか?)
「神官様すみません、ちゃっちゃと掃除しちゃうんで」
長身の清掃員が爽やかに笑い、細身の清掃員と一緒に掃除を始めた。室内が一気に活気付き、フルードは呆然と二人を眺める。緊張が絶たれたせいか体から力が抜け、キュルルと腹の虫が鳴った。
「おや、お腹が空いているのですか?」
目敏く聞き付けた清掃員が揃って振り向き、細身の方が優しく話しかけて来た。
「すみません、今日は朝食がまだで……ビスケットならありますから」
答えて法衣の袂を探ろうとするが、長身の清掃員がチッチと人差し指を振った。
「あーそんなんじゃダメですよ、顔色も悪いし、甘いものでも食べて体を喜ばせてやんないと」
ニコッと微笑んで頷いた細身の清掃員がパッと手を翻すと、掌中に細長い箱が現れた。
いきなり現れた箱に、フルードは驚かない。清掃員は小型の収納霊具を装着しており、中に入れていた箱を取り出したと思っていた。鮮度管理や品質管理の機能が付いた食品用の収納霊具もある。
「ちょうどパンケーキがありますから、どうぞ」
箱の中には小さめのパンケーキが数枚収まっていた。ご丁寧に小さなカトラリー付きで、別添えでシロップとバターの容器も入っていた。
「で、でも……」
「いーからいーから」
長身の方がカラリと笑う。二人の清掃員はいつの間にか、フルードに向かい合う形で腰掛けていた。細身の方がふわりと眦を下げて促す。
「さあ、どうぞ」
「はぁ……」
普通、こんな状況で出されたものに口など付けない。だがフルードは、何故かこの二人を怪しむ気が起きなかった――魂が安心している。吸い寄せられるようにカトラリーを取り、一口大に切り分けると、シロップとバターをディップして口に入れた。
「……おい、し、い」
ポロリと言葉が漏れた。今まで人間らしい食べ物を出してもらえなかったため、甘いパンケーキなど食べたことがなかった。
狼神に見初められて以降は両親と貴族から解放され、かつ彼らの虐待が明るみに出たため、まともな食事にありつけるようになった。
だが、それはここ最近のことである上、今までの劣悪な環境を鑑みて栄養面を重視した献立が組まれていた。昼は専用の弁当を持たされるので、神官府にあるビュッフェを使うこともない。
フルード自身も、人並みの食事というだけで何よりのご馳走という認識だったので、特にこれが食べたいと注文を出すこともなかった。
結果――フルードは今日まで、嗜好品としてただ甘いものを食べるという経験をしたことがなかった。
「おいしい……おい、し……」
もう一口、二口と口に含むうちに、頰に温かいものが流れた。
「……美味しいですか?」
痩身の清掃員が聞く。
「はい……こんな美味しいもの、生まれて初めて食べました……」
それを聞いた二人が軽く目を見開き、痛ましげな目を向ける。
「じゃあもっと美味くしてやるよ」
ポツリと呟いた長身の清掃員が、両手に白と赤のボトルを取り出した。
「じゃーん!」
これも収納霊具から出したのかとフルードが思っていると、残ったパンケーキの上でボトルを傾ける。濃厚な生クリームと甘酸っぱい果肉入りのストロベリーソースが、たっぷりとかけられた。
「ほれ、どーぞ」
言われるまま、クリームとソースを乗せたパンケーキを食べたフルードは、言葉を失った。あまりの美味しさに頭が真っ白になる。こんなに素晴らしいものがこの世にあったのかと。
ポロポロ泣きながら、何も言わず夢中でパンケーキを頬張る。
……だから、哀しさと優しさを混ぜ込んだ眼差しでこちらを見ている清掃員二人が、こっそりこんな念話をしていることは知らない。
《どうです狼神様、俺らファブールっぽいですかね? 味方が不安な時は変装して見守ってやるんでしょう?》
《さぁ……ですが喜んでもらえたらいいのでは?》
《もう少ししたら正体を明かして驚かしてやりましょう。そしたらファブールの再現ですよ。もっと喜んでくれるかな〜セインは》
《そうですね。後は時間も考えなくては。短時間かつ単発の臨時降臨ならば認められているとはいえ、天の神は原則地上に関わらぬ存在。あまり長く降臨しているのは好ましくないですから》
《いざとなれば狼神様は愛し子の件で降臨し、俺はその手伝いで付いて行ったことにすればいいんですよ。愛し子のためという理由があれば、主神とその手伝いである付き添いはかなり柔軟に降臨可能ですし》
《まぁそうですな。ただ、高位神が降臨しているのが分かれば騒ぎになります。特に、私たちは生来の荒神……特殊な神ですからな。本性がバレぬよう、目眩しは徹底しておきましょう。神威も気迫も、全て抑えに抑えるのですぞ》
《分かってますよ。周囲は俺たちをただの清掃員だと思い込むよう、強力な幻惑をかけてるじゃないですか。神威だってかなり抑えてますし。それから、正体を明かしたら、例の……召し出しの件を話しますがいいですね?》
《ええ。仕方ありませんなぁ、もう。あなたに託すと決めたのは私ですゆえ。いずれにしても急いだ方がいい。何しろ、悪神があのような発表を上げたから……これから天が騒がしくなり、私たち高位神も身動きが取り難くなるかもしれませぬ。その前に、セインとの繋がりを作ってしまって下さい》
コソコソと話し合い、長身の清掃員もといフレイムと、痩身の清掃員改め狼神はフルードに意識を向け直した。
一言も発さず黙々とパンケーキを頬張るフルードは、二人が頬杖を付いてニコニコと自分の様子を見ていることに気付いていない。
「お代わりは要りますか?」
あっという間に空になったパンケーキの箱を見て、狼神が問いかけた。丁寧に手を合わせてご馳走様でしたと告げたフルードは、軽く首を横に振る。
「甘いものは僕も持っていますから」
恵奈にもらったチョコレートの箱を神官衣から取り出す。
(僕専用におまじないをかけて下さったみたいだけど……だからって他の人が食べたら駄目なわけではないはず)
「一緒に食べませんか?」
箱を開けて中身を見せると、フレイムと狼神の顔色が変わった。だがフルードは彼らの方は見ず、美しい模様が入ったチョコレートを注視している。
(美味しそうだなぁ)
今のパンケーキみたいに甘いのかもしれない。期待を込めて伸ばした手がフレイムに掴まれる。
「待て、食べるな。……毒入りだ」
ありがとうございました。




