60.番外編 優しいだけでは㉑
お読みいただきありがとうございます。
「解決屋ファブール……」
『セイン?』
『ん? ファブ……何だって?』
狼神とフレイムが反応する。フルードは体を縮めた。
「き、急にごめんなさい。ファブールというのは、小説に出て来るヒーローの名前です。生家でゴミ出しに行かされた時、古本が捨てられていたのを持ち帰ってこっそり読んでいました。ファブールという青年が主人公で、色んな事件を解決するんです」
『いわゆる空想小説というやつか』
「はい。ファブールは、考え事をする時に歩き回る癖があるんです。お兄様を見ていたら思い出してしまいました」
『へぇ。カッコいいのか、そいつ?』
尋ねられたフルードは、小さな拳を握って力説した。
「はい! 設定だとすっごくハンサムみたいですし、とっても強いし、何でもできるんです。潜入捜査も得意で、カフェの店員とか新聞配達員とかに化けて情報収集することもあります。あと茶目っ気もあって、味方が困っていたり不安になっていたりすると、変装した姿で側にいて、こっそり見守ってあげたりするんです。で、後で正体を明かして驚かせるんです」
実を言えば、ファブールにも死産だった兄を重ねて見ていた。兄が生きていたら、こんなふうにカッコよかったのだろうかと。
「もう本当にカッコよくて、僕の憧れなんです! お話の中のキャラクターですけど、本当にいて会えたら感動するだろうなって思います!」
『ふーん』
『ふうん』
仲良く声を揃えるフレイムと狼神が、二柱で顔を見合わせ、意味深に視線を交わした。そこで、リビングの時計がボーンと音を立てる。
「あっ……もうこんな時間だ。そろそろ行かないと」
『転移で行けば一瞬だろ』
「謹慎明けなので、楽はせず歩いて行こうと思います。今日は晴れていて明るいから、竹林を通る道にしようかな。一番近道だし」
最後は独り言のようになってしまった。フレイムが首をかしげる。
『天気が何か関係あるのか?』
「帝国には火の玉伝説というのがあるんです。日差しのない暗い時に竹林や森林、山などを通ると、火の玉が出て来て神隠しに遭うって」
『それはきっと、子どもが夜遅くまで遊ばぬよう、大人が作った迷信だろう』
狼神が安心させるように言う。だが、フレイムは首を横に振った。
『いや、あながち作り話とも言えませんよ。火神一族が神官などを召し出す時、火球を用いて声を届け、喚び寄せることがあります』
「召し出す……もしかしてお召しですか?」
『ああ』
そう頻繁には起こらないが、神に殊に気に入られたり興味を持たれた者は一時的に天に喚ばれ、その神の側近くに仕えるよう御意を賜ることがある。人間側では『お召し』と表現され、非常に名誉かつ光栄なこととされている。神官だけでなく、霊威を持たないただ人でも選ばれる。
お召しは、霊威師が死後天に招かれて神使になることとはまた別の事象であり、喚ばれた者は短ければ数日、長ければ数年が経過すれば地上に還される。神格を授かって聖威師になることもない。
『火神一族の召し出しと子どもの夜遊び禁止のための創作がどこかで合体して、火の玉伝説になったんじゃ……ん?』
推測を述べていたフレイムが、不意に山吹の双眸を光らせた。
『……召し出し……そうか、その手があったか』
小さな独白を聞き取れなかったフルードは、素直に頷いている。
「へぇ、そうなんですか。伝承ってあながち間違いではないのかもしれませんね」
そして再度時計を確認し、狼神とフレイムに会釈した。
「えと、僕はもう出ます。神官長たちにきちんと話したいと思います」
二神が気遣わしげな目を向けて来る。
『セイン、緊張しているのだろう。体が硬くなっておる』
『ああ、真冬のアイスみたいにコッチコチだぜ』
厳しい叱責を受けてから早三日、念話はしたものの直接再対面するのは今日が初めてだ。
「自分でまいた種ですから……頑張って来ます」
弱々しく微笑み、フルードは邸を出た。
◆◆◆
神官府の正門が遠くに見えて来た時、時刻は7の時を半分ほど過ぎたところだった。
「かなり早く着いちゃった……」
どう時間を潰そうかと思っていると、ふわりと淑やかな香の匂いが鼻をくすぐった。金木犀の香りだ。
「ご機嫌よう、フルード神官。今日は天気が良いこと」
澄んだ声に振り向くと、白磁の肌に映える長い黒髪をなびかせ、恵奈が佇んでいる。フルードは急いで深々と頭を下げた。聖威師たちは皆、三日前の神鎮めの件を知っている。恵奈にもきっと何らかの形で迷惑をかけてしまった。
「恵奈様、おはようございます。あの、このたびは私の不手際で多大なご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「良いのよ。もう終わったことですもの」
「次からはこのようなことがないよう気を引き締めて参ります」
そう言った瞬間、恵奈の目が悲しそうな光を帯びる。整った唇が、『つぎ』と紡いだ。だが、叩頭しているフルードは気付かない。
「あなたにもう次は……」
小さな声が聞こえて顔を上げると、恵奈は一度瞬きして微笑んだ。
「いいえ。……ねぇフルード神官、酷い顔をしていますわ。昨夜はよく眠れて?」
言われ、泣き腫らしたことが一目瞭然の顔で出勤してしまったことに気付いた。目元を冷やしてくれば良かったと思うも後の祭りだ。
「だ、大丈夫です。朝、少し目を擦ってしまって……」
見え見えの嘘だが、恵奈は黙って頷いた。
「そう。でも顔色が全体的に良くないわね」
これから行われる面談への緊張で、全身が強張っているのを見抜かれたらしい。
「甘いものを食べれば楽になれてよ」
恵奈が優雅な所作で深緋色の神官衣の袂から取り出したのは、小さな箱だった。
「あなたにあげるわ」
差し出された箱を両手で受け取り、何だろうと首を傾げる。
「開けてみてもいいですか?」
「もちろん」
中身はチョコレートだった。箱を開けると、甘酸っぱい芳醇な香りが広がる。
「保冷霊具が箱に組み込まれているから、気温が高い場所に置いていても大丈夫よ」
「わぁ……ありがとうございます」
無邪気に喜ぶフルードを見て、恵奈は少し眉を下げた。繊手を伸ばして箱を軽く弾くと、一瞬キラリと光が閃いた。
「フルード神官が元気になれるように、聖威でおまじないをかけたわ。だから、これはあなた専用のお菓子よ。良いわね?」
「分かりました」
「そうだわ、ここで一つ召し上がったら?」
「歩き食べはいけないと教わりました。神官府に着いたらいただきます」
「ふふ、真面目なのね。ではそうして頂戴。……やはりあなたは綺麗なままでいるべきだわ」
艶やかに笑い、恵奈はふっと消えた。ふんわりと残り香が漂う。
(帝国の神官府に用事だったのかな……)
帝国神官府がある帝城と皇国神官府がある皇宮は隣接しているので、必然的に双方の神官府も隣り合っている。両国は蜜月の関係にあり諸事で協力しているため、皇国の神官が帝国の神官府に来ることは日常茶飯事だ。
首を捻りながらも箱を神官衣の懐に入れ、正門まで歩く。
(神官長と大神官、部屋にいらっしゃるかな)
竦みそうになる足を叱咤して前に踏み出した時、まだ人もまばらな門前で、小さな影が左右にウロウロしているのを見付けた。深い翠色の神官衣を着込んだ、自分とそう変わらない歳の少年。
「……アシュトン様?」
思わず呼びかけると、小柄な影がハッと振り向いた。
ありがとうございました。




