6.義兄の飛び入り参加
お読みいただきありがとうございます。
(ぎゃあ、出たぁ!)
にっこりと微笑んでこちらを見下ろす青年は、何も知らなければ少女だと見紛う外見をしていた。大きな丸い目に、腰まで伸びた柔らかな猫っ毛、華奢な体。美の神もかくやという程に整った顔立ちをしているが、小柄で童顔、しかも女顔のため、実年齢よりも3~4歳幼く見える。
「に、義兄様……」
呟いた日香の言葉に、当真が目を見開いて青年を見た。
「明香さんのご家族ですか? ……えっ、義兄? この方は女性では――あ、いえ、失礼いたしました」
一瞬の間に何を考えたのか、失言しかけたもののすぐさま撤回する。機転の速さは、唯全家での教育の賜物だろう。
青年は穏やかな笑みを刷いたまま、当真に目を向けた。
「はい。私は斎縁明香の義兄でございます」
気のせいか、義兄の部分を若干強調したように思った。何かを感じ取ったのか、当真がこくこくと頷く。
「失礼ながら唯全家のご子息ではございませんか? 以前、皇宮内でご当主と共にいらっしゃるところをお見かけした記憶がございます」
「そうです……」
「やはりそうでしたか。――ご挨拶いたします。私は斎縁泰斗と申します」
両膝を付いて跪拝する青年の動作には、一切の無駄がない。溜め息しか出てこないような見事な所作だ。
「神官府に縁があり、義妹と共に皇宮に出入りする許可をいただいております。名高き唯全家の御子にお会いできたことを光栄に思います」
完璧としか言えない作法で挨拶をする青年を前に、当真はたじたじとなっている。
「あの……僕はまだ徴が出ていないので、正式な嫡子ではないんです」
徴を得た子は一律で嫡子になり、そうでない子は庶子止まり。母親が正室か側室かは関係ない。それがこの世界の高位貴族における常識だ。
「左様でございますか。しかし尊き家のお生まれであらせられることに変わりはございませんので」
礼を解いた青年は、ちらと日香に流し目をくれた。漆黒の双眸の奥に宿る輝きに圧倒されそうになる。
「明香、お前も入宮していたんだね。神官府に呼ばれたのかな?」
「そ、そうだよー」
これ幸いと、日香は話を合わせた。神官府は多種多様な組織や関係者と連携を取っているため、外部の協力者にお呼びがかかることは珍しくない。
「でも割と早く終わってさ、帰る前に図書館棟にでも行こうかなと思ってたら当真くんと会ったんだ。当真君、もうすぐ神官府の総合試験を受けるんだって。それで口述の練習をしてたの!」
(ま、分かってるだろうけど……)
「そうだったんだね。唯全様、義妹がご迷惑をおかけいたしました」
「いえ、僕の方が付き合ってもらったので。すごく助かりました」
高位貴族の子息とは思えない謙虚さで、当真がぺこりと頭を下げる。青年はその様子を数瞬眺めた後、唇を開いた。
「ここでおめもじできましたことも何かのご縁でしょう。僭越ながら、私も少し義妹の真似事をしてもよろしゅうございますか? 口述の練習相手を務めさせていただきたく」
「え? え、と……あなたの時間が大丈夫なのであれば、お願いします」
お義兄さんまで参加するの? と言わんばかりにポカンと口を開いた当真だが、断る理由もなかったのだろう、遠慮がちに頷いた。
かなりの急展開だが、日香は止めない。神官府の試験では、咄嗟の対応力を見定めるため、途中でいきなり試験官が交代したり、増員されることもある。神を相手に立ち回る神官は、予想外の出来事が起こっても冷静に対応しなければならないからだ。
青年が空いている椅子に腰掛けた。崇高にして凛烈な気迫が周囲に満ちる。
「では、皇国と帝国の初代皇帝についてお答え下さい」
息をつく間もなく投げられた問い。しかし、当真は崩れない。
「はい。皇国の初代は緋色の気をお持ちの日神で、緋日皇と称されます。帝国の初代は翠の気をお持ちで、月神なので翠月帝です」
「当代の天威師の御名を書けと言われれば、全員分を書けますか? これはおそらく、口述ではなく筆記で出るでしょう」
「書けます。全て覚えています」
「帝家の方に関しては、秘め名も含めた正式な御名を書けますか?」
帝国の者は、姓と名の間に秘め名と呼ばれる中間名を持っている。公式の場で正式名を用いる時を除けば、秘め名単体では家族や恋人など親しい者にしか呼ばせない。なお、皇家か帝家かに関わらず、天威師に姓はない。
「……はい、書けます」
静かに相手を見つめる青年の黒眼に魅入られるように、当真の瞳が次第に茫洋となっていく。
「では、質問を変えましょう。神についてです。花の神は四大高位神のうちいずれに属していますか?」
「地神です」
「鷲の神は?」
「地神と風神です」
四大高位神の複数に属する神もいるのだ。
「司る対象とその範囲は神によって異なりますが、範囲が大きく広いほど神格が高いのでしょうか?」
「いいえ、そうとは限りません。司るものと神格の高低に関連性や規則性はありません」
例えば、鳥全体を司る鳥神と、鷹のみを司る鷹神を比べると、実は後者の方が圧倒的に神格が高い。しかし、花全般を司る花神と、桜のみを司る桜神の場合では、逆に前者の方が高い神格を持っている。
ここが難しいところで、一般人や新米神官は特に間違えやすい。特定のものしか司っていないので低位の神だろうとたかをくくっていたら、実は高位神であり、大失敗をしたという前例もある。
「神の中には、四大高位神に属さぬ特殊なものもいることをご存知ですか。至高神以外でです」
当真は熱に浮かされたような顔で首肯する。
いつしか四阿の中には、蛍火のような黄白の燐光が無数に舞い踊っていた。至高の神にのみ許された、虹色を帯びた輝きだ。当真はそれに気付いた様子もなく、ただ青年のみに目を向けている。青年もまた、ひたと眼前の少年を見据えていた。折れることを知らぬ双眸が、玉が触れ合うような魅惑の響きを宿す声が、当真の中に眠る力を導き揺り起こそうとしている。
「……邪神や妖神、鬼神など、負の事象を司る悪神がいます。悪神は穢れた魂が大好物で、気に入った者を生き餌としてさらいます」
「神には和神と荒神がありますが、違いを言えますか?」
「普段の神は和神です。怒りにより神威の荒々しさと威力が増した状態を荒神といいます。……荒神を宥めることも神官の仕事であるとされています」
そう告げた当真の目に浮かぶのは畏敬と緊張、そして恐怖だ。荒神は神威の一撃で地上を吹き飛ばすと言われる。それを鎮める神官はまさに命がけである。青年の眼差しと語調が優しくなった。
「荒神は恐いですか?」
「こわい、です。優しい神でも、荒神化すれば豹変すると聞くので……」
「そうですか。――ですが、本当に危険な務めは神官ではなく天威師が担当します。余り心配なさらぬように」
「はい」
ふっと空気が緩んだ。黇色の蛍火がかき消える。ぱちぱちと瞬きした当真が、夢から覚めたような顔で視線をさ迷わせる。青年が柔らかく微笑みかけた。
「よくお答えになられました。基礎的な知識は身に付いておいでです。自信を持って試験にお臨み下さい、神官唯全当真様」
「ありが……あ、あの、先ほども言いましたが僕はまだ徴が出ていないので神官では」
言いかける当真を視線の一投で遮り、青年は懐から小さな鏡を取り出した。
「ご覧下さい」
「何を……」
戸惑うように聞き返そうとした当真が、差し出された鏡に映る自身の顔を見て瞠目する。
「誠におめでとうございます。徴が発現しておいででございます」
「おめでとう、当真くん!」
日香も拍手して声をかけた。
(もう目覚めかけてたもんね。義兄様が最後の一押しをしたけど)
「っ、う……あぁ……」
真ん丸に見開かれた当真の目が潤み、大粒の涙が流れ始めた。
「すぐに神官府にお行き下さい」
「は、はいっ! ありがとうございました、明香さん、泰斗さん……!」
慌てて立ち上がった当真が一礼し、つんのめるようにして四阿を駈け出して行った。
「また会おうねー!」
見る見る内に遠ざかる姿に向かって、日香は手を振った。
ありがとうございました。